名古屋章

日本の俳優、声優(1930−2003)

名古屋 章なごや あきら1930年〈昭和5年〉12月8日[2][3] - 2003年〈平成15年〉6月24日)は、日本の俳優声優ナレーター。本名同じ[4][3]

名古屋なごや あきら
名古屋(なごや) 章(あきら)
平凡出版『週刊平凡』第9巻第25号(1967)より
本名 名古屋 章
生年月日 (1930-12-08) 1930年12月8日
没年月日 (2003-06-24) 2003年6月24日(72歳没)
出生地 日本の旗 日本山梨県[1]
出身地 日本の旗 日本・東京府東京市麹町区(当時)[注釈 1]
死没地 日本の旗 日本・東京都新宿区河田町
身長 170 cm
血液型 AB型
職業
ジャンル
映画
活動期間 1949年 - 2003年
活動内容
1949年:NHK東京放送劇団養成所入所
配偶者
  • 名古屋千鶴子
主な作品

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東京府東京市麹町区九段[5][注釈 2]出身(当時[いつ?][注釈 1]。身長170cm、体重78kg[4]旧制九段中学校卒業[5][2]

NHK東京放送劇団文学座劇団雲を経て、1975年(昭和50年)以降はフリー[5][注釈 3]。1950年代から半世紀にわたり、数多くの舞台映画ドラマラジオに出演、ナレーターとしても活躍した。

来歴・人物

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山梨県で生まれ、東京で育つ[1]。幼少期、姓の「名古屋」が珍しいものであったことや、父の氏名が「名古屋 愉快」[6]であったため、級友からからかわれていた。

1949年(昭和24年)に旧制中学を卒業すると、東京放送劇団NHK)養成所に3期生として入所[7]。同期には後に声優として活躍する勝田久高橋和枝らがいた。

1952年(昭和27年)にはラジオドラマ『ぼたもち』に主演し、同年の芸術祭賞を獲得[7]。このほか、ラジオドラマには『一丁目一番地』などに出演した。

1959年(昭和34年)に文学座へ入団[7]。1963年(昭和38年)に劇団雲の創立に参加[7]、1975年(昭和50年)の劇団雲の解散以後はフリーで活動し、地人会こまつ座などの舞台にも出演した演劇人でもあった。1971年(昭和46年)には『釘』で第6回紀伊国屋演劇賞個人賞を、1983年(昭和58年)に『雨』で芸術祭演劇部門大賞を受賞している[7]

ラジオドラマ時代は美声を生かして二枚目を担当し、数多の女性ファンを獲得した[8][注釈 4]。映画ではクセのある敵役や悪役を演じ、テレビドラマでは刑事役や大映テレビ制作の作品に常連出演するなど、名脇役ぶりで親しまれた。特撮では『帰ってきたウルトラマン(以下、帰マン)』のナレーターや、『ウルトラマンタロウ』の朝日奈勇太郎隊長役が代表作である[9][注釈 5]

1991年(平成3年)から2003年(平成15年)まで、藤村有弘(1982年死去)から引継ぐ形で『ひょっこりひょうたん島』の2代目ドン・ガバチョ役を務めた[7][9]

2003年(平成15年)6月24日午前8時35分、肺炎のため死去[10][11]。72歳没。同年3月には脳腫瘍で手術を受けリハビリをしながらも、9月まで仕事のスケジュールが入っており、現役の俳優として迎えた死だった。亡くなる13日前に収録したNHK教育テレビの番組『ピタゴラスイッチ』の百科おじさん役が遺作となった。死去時の追悼番組として放送されたのは、ホテルの料理長を演じたテレビドラマ『HOTEL』である。2006年(平成18年)発売のDVD版『ウルトラマンタロウ』Vol.12の特典映像にも現存するインタビュー映像が追悼収録された[注釈 6]

生前の趣味は、鉄道模型、絵画、ゴルフだった。また、プロ野球の読売ジャイアンツファンであった。

後任

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名古屋の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

俳優

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声優

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出演

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テレビドラマ

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配信ドラマ

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  • 1+1(2002年、Web配信ドラマ)
  • Break Out!(2004年、Toshiba Web Street) - 霧島譲(写真・声)

映画

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舞台

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  • アントニーとクレオパトラ(1968年、劇団雲
  • 榎本武揚』(1967年、劇団雲) - 殺し
  • きらめく星座(1985年・1987年、こまつ座
  • 雨(1987年、こまつ座)
  • 父の詫び状(1993年・1995年)
  • 恋風〜昭和ブキウギ物語(1993年・1996年、東宝
  • 真夏の夜の夢
  • 黄金の国
  • 憎いあんちくしょう(2002年) - 長兵衛(おろくの父親)

吹き替え

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洋画・海外ドラマ

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海外アニメ

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テレビアニメ

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劇場アニメ

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人形劇

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  • 名古屋章+石立鉄男 FEATURING DJ takawo「1+1」- カエルカフェ製作。2人のドラマでの声をサンプリングしたCD
  • 寺山修司ラジオ・ドラマCD「鳥籠になった男」「大礼服」-「鳥籠になった男」(CBC、1965年11月放送)で「探偵7」を演じている。

ラジオドラマ

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その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現在の千代田区九段北または九段南にあたる。
  2. ^ ただし、九段の設置は1933年(昭和8年)7月1日であるため(同年4月25日付け東京市告示第216号)、出生時の地名と異なる。なお、九段の設置に伴う富士見町の改編により、名古屋章の出身校にあたる第一東京市立中学校(1933年当時)が所在していた同町二丁目などは、九段に編成された。
  3. ^ 田上事務所所属と記載している資料もある[2][3]
  4. ^ ラジオドラマには晩年まで出演していた。
  5. ^ 第51話の予告から第53話(最終話)まではナレーションを務めた瑳川哲朗が急病で事実上降板したため、ナレーターも務めた。
  6. ^ 2003年に発売されたDVD版『帰マン』第13巻の特典映像「店頭デモ映像」を再収録したものである。名古屋は同作品の「店頭デモ映像」のナレーターも担当した。
  7. ^ 声の出演。
  8. ^ 以降、同役でセミレギュラー出演。
  9. ^ a b ノンクレジット。

出典

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  1. ^ a b 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』3月号、サン出版社、1958年。 
  2. ^ a b c 「新劇俳優名鑑」『新劇便覧1989』テアトロ、1989年、161頁。 
  3. ^ a b c 掛尾良夫 編「男性篇」『声優事典』(第2版)キネマ旬報社、222頁。ISBN 4-87376-160-3 
  4. ^ a b 『日本タレント名鑑2003』VIPタイムズ社、2003年、276頁。ISBN 978-4990124212 
  5. ^ a b c 荻窪法人会会報 NO.164”. 公益財団法人 荻窪法人会. p. 2. 2022年12月20日閲覧。
  6. ^ 『日本タレント名鑑』 昭和50年度版、VIPタイムス社、1975年、[要ページ番号]頁。全国書誌番号:75049269 
  7. ^ a b c d e f 名古屋章 生涯一役者を貫いた名脇役、死去 | 時事用語事典”. 情報・知識&オピニオン imidas. 集英社. 2022年12月20日閲覧。
  8. ^ 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁。ISBN 4-8083-0654-9 
  9. ^ a b NHK. “名古屋章|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2022年12月20日閲覧。
  10. ^ “軽妙で人情味あふれる演技 名古屋さん死去”. 読売新聞朝刊: p. 39. (2003年6月25日) 
  11. ^ “多彩な名脇役、名古屋章さん急死”. 日刊スポーツ. (2003年6月24日). https://web.archive.org/web/20030806051859/https://www.nikkansports.com/ns/general/personal/2003/pe-030624-1.html 2020年9月9日閲覧。 
  12. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 537, 「主要特撮作品配役リスト」
  13. ^ 空飛ぶゆうれい船 - メディア芸術データベース
  14. ^ もののけ姫”. 金曜ロードSHOW!. 日本テレビ. 2016年6月18日閲覧。
  15. ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 91頁)
  16. ^ 伊藤海彦 (1959). “放送記録”. 夜が生れるとき : 詩劇集. ユリイカ. p. 191 
  17. ^ 伊藤海彦 (1966). “放送記録”. 吹いてくる記憶 : 放送詩劇集. 思潮社. p. 307 

参考文献

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関連人物

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  • 肥後克広ダチョウ倶楽部)- 持ちネタに名古屋のものまね「な、な、な、なんだ、おい…」があり、本人とバラエティ番組で共演したこともあった。2003年に名古屋が逝去した後はものまねを封印している。

外部リンク

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