初月 (駆逐艦)

秋月型駆逐艦四番艦

初月(はつづき)は、日本海軍駆逐艦[3]秋月型駆逐艦の4番艦[4]である。艦名は新月の意、特に陰暦8月の初めの月を意味する[5]

初月
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 秋月型駆逐艦
艦歴
発注 1939年度(④計画
起工 1941年7月25日
進水 1942年4月3日
竣工 1942年12月29日
最期 1944年10月25日沈没
除籍 1944年12月10日
要目(計画)
基準排水量 2,701英トン
公試排水量 3,470トン
全長 134.2 m
最大幅 11.6 m
吃水 4.15 m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基、2軸
出力 52,000馬力
速力 33.0ノット
燃料 重油:1,080トン
航続距離 18ノットで8,000海里
乗員 263名
兵装 1944年[1]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装7挺
13mm単装機銃3挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
レーダー 1944年[1]
21号電探1基
13号電探1基
ソナー 九三式探信儀1基
九三式水中聴音機1基)[2]
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概要

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駆逐艦初月(はつづき)は[3][6]、日本海軍が太平洋戦争で運用した秋月型駆逐艦の4番艦[7]1941年(昭和16年)7月末から1942年(昭和17年)12月末にかけて、舞鶴海軍工廠で建造された[8]

竣工後の1943年(昭和18年)1月15日、秋月型2隻(涼月、初月)[9]は第十戦隊麾下の第61駆逐隊に編入される[6][10]。 姉妹艦(若月[11]〈昭和18年5月末竣工、8月15日に第61駆逐隊編入〉[12]秋月[13]〈昭和18年10月修理完了、31日附で第61駆逐隊に再編入〉[14])と共に、中部太平洋方面や南東方面における艦隊の護衛・各地への輸送任務に従事した[9][6]

1944年(昭和19年)1月16日、特設巡洋艦赤城丸を護衛していた61駆(涼月、初月)は豊後水道沖合で米潜水艦に襲撃され[15]、被雷した涼月が大破(船体切断、駆逐隊司令戦死)[9]。初月や応援部隊は涼月を曳航し、呉まで送り届けた[9]。以後、第十戦隊(軽巡矢矧、第4駆逐隊、第10駆逐隊、第17駆逐隊、第61駆逐隊)は輸送任務や小沢機動部隊の護衛任務に従事する。同年6月末のマリアナ沖海戦における第17駆逐隊と秋月型4隻(初月[6]、若月[11]、秋月[13]、霜月[16])は第一航空戦隊大鳳翔鶴瑞鶴)の直衛となった。

マリアナ沖海戦の大敗後[17]、日本本土に戻った秋月型各艦は主に内海西部で訓練に従事した[6]。7月下旬、空母瑞鳳の護衛部隊(初月、秋月、山雲、野分)として小笠原諸島方面を行動した(スカベンジャー作戦)。 10月下旬、捷一号作戦において、健在の秋月型4隻(初月[6]、若月[11]、秋月[13]、霜月[16])は小沢機動部隊に所属して囮部隊となる(レイテ沖海戦・エンガノ岬沖海戦)。10月25日の空襲で空母瑞鶴第三航空戦隊)が沈没すると、初月は同艦乗組員を救助[6]。さらに他の沈没艦や損傷艦を救援中、追撃してきたデュボース提督指揮下の米軍水上艦艇部隊と交戦[18]。軽巡五十鈴等を逃がすため初月は単艦で米艦隊と交戦、集中砲撃を受けて撃沈された[6][18]

艦歴

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竣工まで

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1939年(昭和14年)度(④計画)仮称第107号艦[8]。当初は昭和16年6月に起工し、1943年(昭和18年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた[19]。また戦争直前(昭和16年9月12日)に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、秋月型3隻(秋月、照月、初月)で第25駆逐隊を編制予定[20]、第25駆逐隊は空母「鳳翔」および特設航空母艦2隻と『第七航空戦隊』を編制予定であった[21]。だが、この編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、秋月型3隻(秋月、照月、初月)が第七航空戦隊として実戦に参加する事はなかった。

本艦は1941年(昭和16年)7月25日、舞鶴海軍工廠で起工[8]1942年(昭和17年)3月1日、足摺型給油艦足摺」等と共に命名[3]。同日附で秋月型駆逐艦に類別された[7]4月3日に進水[22][23]。 同年10月20日、日本海軍は駆逐艦雪風初代駆逐艦長等を歴任した田口正一中佐を初月艤装員長に任命した[24]。翌日、舞鶴工廠に艤装員事務所を設置[25]。12月15日、田口艤装員長は正式に初月駆逐艦長(初代)となる[26]。 初月は12月29日に竣工した[27][8]。 同日附で秋月型2隻(涼月、初月)、夕雲型駆逐艦「大波」は警備駆逐艦に定められる[28]。2隻(涼月、初月)は横須賀鎮守府部隊に編入される[29]

昭和18年の行動

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1943年(昭和18年)1月7日、「初月」は追加の特急工事を終えて舞鶴を出発した[30][31]。 1月15日付で第三艦隊小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)に編入され、第十戦隊第61駆逐隊(駆逐隊司令則満宰次大佐[32])に配属された[10]。第61駆逐隊は秋月型2隻(1番艦秋月、2番艦照月)で編成されていたが[33]、「照月」は前年12月12日に第二水雷戦隊旗艦としてガダルカナル島輸送作戦従事中に沈没しており[34]、本艦編入と同日附で第61駆逐隊から除籍されている[10]。第61駆逐隊は秋月型3隻(秋月、涼月、初月)で編制されることになった[10]

横須賀への回航の途中の1月16日未明、「初月」は潮岬沖で浮上していたアメリカ潜水艦ハダックを発見するも逃げられた[35]。田口駆逐艦長が砲撃を命ずる直前に、敵潜(ハダック)は潜水してしまったという[36]2月3日、第61駆逐隊司令は則満大佐から大江覧治大佐(前職第19駆逐隊司令)[37]に交代した[38]。 2月19日、第61駆逐隊(涼月、初月)はトラック泊地から佐世保へ回航中の艦隊(指揮官:第三戦隊司令官栗田健男中将、戦艦〈金剛榛名〉、水上機母艦〈日進〉、重巡〈利根〉、駆逐艦〈時雨〉)を出迎えた[39][40]。 初月は3月まで本州近海で行動。3月9日、関門海峡で触底事故を起こして呉海軍工廠で修理が行われた[19]

3月21-22日、駆逐艦4隻(第61駆逐隊〈涼月、初月〉、第15駆逐隊〈陽炎〉、第27駆逐隊〈夕暮〉)は[41]第二航空戦隊(司令官角田覚治中将・海兵39期)の空母2隻(隼鷹飛鷹[42]、第八戦隊(司令官岸福治少将)の重巡洋艦2隻(利根筑摩)を護衛して瀬戸内海を出撃し[43][44]、3月27-28日にトラック諸島に到着[45][46][47]

この頃、日本海軍はソロモン諸島ニューギニア方面への航空攻勢作戦である「い号作戦」の計画を進めていた[48]。同作戦実施に際し、パイロットはもちろんのこと、整備員など航空要員をラバウルに輸送する必要があった[49]。4月1日にカビエンニューアイルランド島)に進出[50]。4月3日、同泊地で重巡洋艦「青葉」が夜間空襲を受け大破、擱座した[51][52]。「初月」は炎上する「青葉」の援護をおこなった[53]

5月12日、連合軍はアリューシャン列島アッツ島に上陸を敢行、アッツ島の戦いが始まった[54]。連合艦隊は主戦力を東京湾に集結し北方作戦に備えることを決定する[55]。前連合艦隊長官山本五十六大将(元帥、海兵32期)の遺骨(4月18日海軍甲事件で戦死)[48]内地帰還を兼ねて、大和型戦艦2番艦「武蔵」(連合艦隊司令長官古賀峯一大将座乗)がトラック泊地より内地へ帰ることになる[55][56]。 5月17日、駆逐艦5隻(第24駆逐隊〈海風〉、第27駆逐隊〈有明時雨〉、第61駆逐隊〈初月、涼月〉)は戦艦3隻(武蔵、金剛榛名)、空母「飛鷹」、重巡2隻(利根筑摩)を護衛してトラック泊地を出発[57]。5月22日、横須賀帰着(武蔵のみ木更津冲入泊)[55][58]。 5月29日、アッツ島の日本軍守備隊玉砕によりアッツ島の戦いは終わる[59]。 秋月型3隻(涼月、初月、新月)と第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)は、第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)と巡洋艦2隻(最上大淀)を護衛して内海西部に移動した[60]。 6月30日、内地回航中に船体断裂に見舞われた「秋月」は長期修理を余儀なくされて第61駆逐隊から除籍(7月5日長崎到着)[61]、同隊は秋月型2隻(涼月、初月)となった[62]

7月8-9日、南海第四守備隊(守備隊長道下義行陸軍大佐)を各艦に便乗させ[63]、空母4隻(瑞鶴翔鶴瑞鳳冲鷹)、水上機母艦「日進」、重巡洋艦3隻(利根筑摩最上)、軽巡洋艦2隻(大淀阿賀野)、駆逐艦部隊(第4駆逐隊〈萩風〉、第17駆逐隊〈磯風〉、第61駆逐隊〈涼月、初月〉、夕雲型駆逐艦〈玉波〉)は日本本土を出発した[64][65][66]。暗号解読や僚艦からの通報により、米潜水艦ティノサポーギーがトラック諸島近海で小沢機動部隊を待ち伏せていた[67]。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊は被害なくトラック泊地に到着した[67]

トラック着後、第61駆逐隊は機動部隊第一部隊の指揮下に入った[68][69]。 7月17日、大本営は南海第四守備隊の南東方面転用(第17軍の戦闘序列編入)を発令する[70]。 7月19日、第61駆逐隊(涼月、初月)は第八戦隊(利根、筑摩)、第十戦隊旗艦阿賀野、巡洋艦2隻(最上大淀)、第4駆逐隊(萩風)、第17駆逐隊(磯風)と共にトラックを出撃[71]。 ラバウル到着後、61駆(涼月、初月)は十戦隊から分離、南海第四守備隊を載せて7月22日ブカ島に到着する[70][72]。輸送任務を成功させ(南海第四守備隊はブーゲンビル島へ進出)[70]、ラバウルに残った第4駆逐隊(萩風、嵐)以外の各艦は26日にトラック泊地へ戻った[73]。なおブーゲンビル島のブインへ向かった日進隊(日進、萩風〔第十戦隊旗艦〕、嵐、磯風)の分隊はアメリカ軍機の空襲を受け、「日進」は撃沈された[74]。第4駆逐隊(萩風、嵐)も8月6日ベラ湾夜戦で撃沈された。

8月8日、駆逐艦3隻(涼月、初月、磯風)は第五戦隊(妙高羽黒)を護衛してラバウルに到着、南海守備隊第三次進出隊を揚陸した[75][76]。 8月15日、第61駆逐隊に秋月型6番艦「若月」が編入され、同隊は秋月型3隻編制(涼月、初月、若月)となった[12]。若月は第二水雷戦隊や第十戦隊僚艦(秋雲、夕雲、天津風、初風)と共に主力艦部隊(大和長門扶桑愛宕高雄)等を護衛して8月23日トラック泊地着[77]。 9月と10月には機動部隊に随伴してマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった[78][79]。 10月27日、第61駆逐隊(初月、涼月)は第四艦隊旗艦「鹿島」を護衛して30日にクェゼリン環礁へ到着した[80]。 10月31日、修理を終えた「秋月」が第61駆逐隊に復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)編制となった[14]

11月10日、ラバウルからトラックに向かっていた輸送船団がアメリカ潜水艦スキャンプの攻撃を受け、輸送船東京丸(摂津商船、6,484トン)が沈没の危機に瀕したとの報を受け、第61駆逐隊(初月、涼月)はトラックを出撃[81]。現場に到着して東京丸の援護にあたった。11月12日8時10分、初月は東京丸の曳航を開始する。しかし、12時10分、東京丸の右舷への傾斜が著しくなったため曳航を断念し曳航索を切断。第61駆逐隊と僚船御嶽山丸(鏑木汽船、4,441総トン)が見守る中、14時55分に東京丸は沈没した。東京丸沈没に先立つ同じ11月12日の朝、スキャンプは11月5日のラバウル空襲で損傷を受けトラックに戻る途中の2隻(阿賀野〔第十戦隊旗艦〕、17駆〈浦風〉)を襲撃、「阿賀野」を雷撃して航行不能に陥らせた[82]。「初月」は東京丸援護を終えて間もなく救援に駆けつけ[83]、また軽巡洋艦「長良」や「涼月」等もトラック泊地より到着した[82]。さらに重巡「摩耶」と潜水母艦長鯨」のトラック回航を護衛していた第二水雷戦隊も、摩耶と長鯨の護衛に駆逐艦3隻(五月雨風雲若月)を残し、軽巡洋艦能代、駆逐艦藤波早波をもって阿賀野救援に急行[82]。阿賀野は合計8隻(能代、長良、浦風、初月、涼月、藤波、早波)に護衛されてトラック泊地に到着した[82]

11月20日、クェゼリン環礁エニウェトク環礁への緊急輸送作戦「丙作戦」に参加してトラックを出撃[84]。 12月7日、重巡洋艦筑摩艦長指揮のもと、61駆(涼月、初月)は瑞鶴と筑摩を護衛してトラックを出港し、12月12日にに到着[85][86]。第61駆逐隊は再び分散した。

12月12日、第61駆逐隊司令は大江大佐から泊満義大佐に交代した[87](大江大佐は12月26日附で重巡洋艦摩耶艦長)[88]。 修理後の12月23日、第61駆逐隊(初月、涼月)はウェーク島に送られる独立混成第5連隊と戦車第16連隊主力を乗せた特設巡洋艦赤城丸」(日本郵船、7,389トン)を護衛して呉を出撃し(宇品出港は24日)[89]1944年(昭和19年)1月1日にウェーク島に到着した[90][91]。 第一回輸送を終えて呉に帰投し、今度は砲兵大隊・工兵隊・衛生隊を「赤城丸」に乗せた第二次輸送部隊となり、1月15日に瀬戸内海を出撃する[89][15]。だが1月16日に豊後水道で「涼月」がアメリカ潜水艦スタージョンの雷撃で大破して泊(第61駆逐隊司令)と涼月艦長は戦死、便乗中の陸軍将兵も多数戦死、輸送作戦は一旦中止された[90][15]。「涼月」を宿毛湾まで曳航の後[92]、日を改めて「赤城丸」を横須賀まで護衛した。駆逐艦3隻(白露満潮)は同艦以下3隻(赤城丸、靖国丸、愛国丸)を護衛してウェークに向かうが靖国丸を撃沈され[15]、2月1日にトラック泊地へ到着した[91]。部隊の一部は水上機母艦秋津洲によってポナペ島へ輸送された[15]

昭和19年の行動

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1944年(昭和19年)2月6日、第61駆逐隊(初月、若月)は巡洋艦2隻(矢矧筑摩)・空母2隻(翔鶴瑞鶴)を護衛して洲本沖を出撃し2月13日に昭南(シンガポール)に到着後、リンガ泊地に回航されて訓練に入った[93]。3月15日、「若月」とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日にに到着[94]。 涼月被雷時に戦死した泊大佐の後任として、3月20日附で天野重隆大佐(前職第10駆逐隊〈秋雲風雲朝雲〉司令)が第61駆逐隊司令に任命される[95]。 第61駆逐隊はリンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳」の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した[96]。リンガ泊地では対潜掃討と空母発着艦訓練警戒艦を務める[97]。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する[98]

6月13日、あ号作戦決戦用意発動に呼応して第一機動艦隊(小沢治三郎中将)はタウィタウィを出撃。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、小沢司令長官直率の甲部隊は空母3隻(大鳳、翔鶴、瑞鶴)と護衛部隊(第五戦隊〈羽黒妙高〉、第十戦隊〔旗艦〈矢矧〉、第10駆逐隊〈朝雲〉、第17駆逐隊〈磯風浦風〉、第61駆逐隊〈初月、若月、秋月〉、秋月型〈霜月〉〕)で編制されていた[99]。 初月は小沢機動部隊旗艦(大鳳)の視界内(左舷後方1500m)にて直衛を務め、同艦が米潜水艦アルバコアに雷撃されると、敵潜水艦の制圧に従事して主隊と分離した[100]。空母2隻(大鳳、翔鶴)沈没後[101]、本艦は第17駆逐隊(磯風、浦風)や第61駆逐隊僚艦と協力し、沈没艦の乗員救助にあたった[102]。 海戦第二日目の6月20日、甲部隊(旗艦〈瑞鶴〉、重巡2隻〈羽黒、妙高〉、第十戦隊〈矢矧、朝雲、磯風、浦風、若月、初月、秋月、霜月〉)において本艦は旗艦(瑞鶴)の左方に位置し[103]、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾189発、機銃弾3,030発を撃った[104]。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投した[102]。田口駆逐艦長の回想によれば、中城湾で「初月」は「瑞鶴」に横付を命じられ、駆逐艦から空母へ燃料を給油する事になったという[105]呉海軍工廠で整備を実施。

7月23日、第三航空戦隊(空母瑞鳳)と護衛駆逐艦4隻(秋月型駆逐艦2隻〈初月、秋月〉、満潮型山雲〉、不知火型野分〉)は連合艦隊から海上護衛隊に派出され、南方諸島強化の為の輸送作戦に協力することになった[106][107][108]。 7月25日、第61駆逐隊(初月、秋月)は瀬戸内海を出港し、横須賀に向かう[109]。 7月30日、5隻(瑞鳳、初月、秋月、山雲、野分)は横須賀を出撃、父島行輸送船団の間接護衛にあたる[106][110]。対潜哨戒を実施したのち、横須賀に帰投(瑞鳳8月2日横須賀着、3日呉着)[106]。内海西部に移動後、佐世保海軍工廠で修理を行った[111]。 なお輸送船団と小笠原諸島は8月4日から5日にかけてアメリカ軍機動部隊に襲撃され、大損害を受けた[106]

本作戦中の8月1日附で田口大佐は初月駆逐艦長職を解かれ、6月8日に米潜水艦に撃沈された夕雲型駆逐艦3番艦風雲駆逐艦長橋本金松中佐[112]が初月二代目駆逐艦長に任命された[113]。 修理後の8月25日、3隻(初月、秋月、雪風)は油谷湾で対潜訓練を行った[114]

レイテ沖海戦

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10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島に上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は第三艦隊司令長官小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[115]。 10月20日、第61駆逐隊は機動部隊(第一機動艦隊)の護衛艦として日本を出発し、23日にはエンガノ岬沖に進出した[116]。10月24日午前11時45分、小沢機動部隊から攻撃隊58機(零戦30、爆弾装備零戦20、天山艦攻6、彗星2)が発進してアメリカ軍機動部隊攻撃に向かい[117]、正規空母1隻撃沈、1隻撃破を報告した[117]。実際の損害はほとんどない。また松型駆逐艦2隻()が燃料不足のため艦隊から離脱した[118]。 続いて小沢中将は航空戦艦2隻(伊勢、日向)、第61駆逐隊(初月、秋月、若月)、第41駆逐隊(霜月)に対し『南方に進出、好機に応じ残敵を攻撃すべし』と命じた[119]。前衛部隊はアメリカ艦隊を求めて南下したが、小沢中将が午後10時30分に北方退避を命じたため、秋月型4隻も四航戦(伊勢、日向)に従って反転した[120]

10月25日午前7時、前衛部隊は第三艦隊司令長官小沢治三郎中将が指揮する機動部隊本隊と合流した[121]。前衛艦隊は空母を中心とした輪形陣を組んだ。25日対空戦闘時の小沢機動部隊は第三航空戦隊の空母4隻(瑞鶴瑞鳳千歳千代田)、第四航空戦隊航空戦艦2隻(伊勢日向)、軽巡洋艦3隻(多摩五十鈴大淀)、駆逐艦6隻(第61駆逐隊〈初月秋月若月〉、第41駆逐隊〈霜月〉、松型駆逐艦〈〉)で編制され、さらに第一群(瑞鶴、瑞鳳、伊勢、大淀、多摩、初月、秋月、若月、桑)と、第二群(千歳、千代田、日向、五十鈴、霜月、槇)に分離していた[122][123]。 このあと、小沢機動部隊はエンガノ岬沖において第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲により瑞鶴以下4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、秋月)が沈没し、「多摩」が被雷して単独離脱、空母「千代田」が大破漂流状態となる[124][125]。秋月乗組員は駆逐艦「」に救助された[126]。駆逐艦3隻(初月、若月、)とともに瑞鶴・瑞鳳乗員救助にあたった[127]。また被弾損傷した「槇」は北方へ離脱中、単艦で南下する「初月」と遭遇[128]。「初月」は『我艦載内火艇収容の為引き返す』との手旗信号を送り、すれ違った[128]。 この後「初月」は軽巡「五十鈴」と共に救助作業を実施するが、突然砲撃を受ける[129]

エンガノ岬沖海戦前日の10月24日、第3艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー大将は、栗田艦隊の進撃に備えてこれまで空母の直衛にあたっていた戦艦や巡洋艦、駆逐艦を以って第34任務部隊を編成し、司令官にウィリス・A・リー中将を任命した[130]。ハルゼー大将は当初、第34任務部隊をサンベルナルジノ海峡付近に待機させたが、南を行く西村祥治中将(海兵39期)の艦隊は第7艦隊トーマス・C・キンケイド中将)指揮下の砲撃部隊で対処でき、栗田艦隊が空襲で引き返し再び東進しても、これも第7艦隊の砲撃部隊で対処できるだろうと考え、当面の撃破目標を北の小沢中将率いる機動部隊に絞って北上した[131]。ところが、戦況はハルゼー大将のシナリオとは全く異なる様相を示した。栗田艦隊がサマール島沖に出現して護衛空母部隊を追いかけまわし、キンケイド中将の泣き言に加え太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将からの「第34任務部隊はどこにいるか。世界が訝っている」の電文(本来は「世界が訝っている」は暗号解読の困難化のために付加された「意味のない一文」であったが、受信した暗号解読員が内容が本文と近いため念のために削除しなかったとされる)を受けショックを受けたハルゼー大将は[132]、空母部隊のうち1個任務群と第34任務部隊のうちの戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦を南下させ、残る空母部隊および巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)は北上した[133]。重巡洋艦ウィチタニューオーリンズ、軽巡洋艦サンタフェモービルと12隻の駆逐艦からなるデュボース少将の巡洋艦部隊[134]は、16時25分に漂流中の空母「千代田」を発見して撃沈したが、30分を費やした[135][136]。巡洋艦部隊は更なる敵を求めて北へと向かう。

18時40分、巡洋艦部隊からの索敵機は1隻の巡洋艦と2隻の駆逐艦を発見し、やがてレーダーでも3つの目標を探知するようになった[137]。目標が射程内に入るや否や、まずモービルが砲撃を開始いてウィチタも砲撃を開始した[137]。「初月」は突然の砲撃を受けたものの、すぐさま煙幕を張って26ノットの速力でジグザグ航行を行い敵弾をかわしつつ「敵水上艦艇ト交戦中」と打電[138]。五十鈴と若月もこれに続いて北方への脱出を図った[18][139]。やがて「初月」は反撃態勢を整えて巡洋艦部隊に単独で突進し、巡洋艦部隊は魚雷発射を警戒して2度にわたる回避運動を行った[137]。デュボース少将は駆逐艦で足止めを試みつつ、さらに砲撃を続けた[137]。「初月」では火災が発生したが、速力20ノット前後で反撃を続けた[18]。遭遇して約1時間後、彼我の距離が約5,400メートルに縮まったところで、サンタフェが照明弾を発射[137]。これによって更なる集中砲火を受けることとなった。「徐々に又慎重に」砲火を浴びせ続けた結果[137]、20時45分頃には航行不能に陥る。駆逐艦ポーターフィールド (USS Porterfield, DD-682) が止めを刺さんと接近しつつあったその時、アメリカ軍の記録では20時59分(56分とも)[18]、爆発を起こして艦首から沈没していった[140]。沈没地点は北緯20度24分 東経126度20分 / 北緯20.400度 東経126.333度 / 20.400; 126.333と記録された[137]。 「初月」の奮戦により、小沢中将率いる機動部隊の残存艦は脱出に成功した(多摩は米潜水艦ジャラオの雷撃で沈没)[141][142][18]

駆逐艦長橋本金松中佐以下290名[143]が戦死、第61駆逐隊司令天野重隆大佐(戦死後、少将進級)[144]、救助された瑞鶴乗員もまた同じ運命を辿った。この時、瑞鶴乗員救助中の初月内火艇が取り残されて漂流、21日目に台湾に流れ着き初月乗員8名と瑞鶴乗員17名が生還している[145]

12月10日、秋月、初月は秋月型駆逐艦[146]、 帝国駆逐艦籍[147]より除籍された。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』355-356頁による。

艤装員長

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  1. 田口正一 中佐:1942年10月20日[24] - 12月15日[26]

駆逐艦長

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  1. 田口正一 中佐:1942年12月15日[26] - 1944年8月1日[113]
  2. 橋本金松 中佐:1944年 8月 1日[113] - 10月25日戦死(大佐進級)[148]

参考文献

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    • Ref.C08030582200『昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030582300『昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鳳捷1号作戦戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030582400『昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鳳捷1号作戦戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030582500『昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦千歳捷1号作戦戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030576900『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030577000『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030577100『昭和19年10月20日〜昭和19年10月29日 軍艦日向捷号作戦戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030577500『昭和19年10月20日〜昭和19年10月28日 軍艦大淀捷1号作戦戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030579200『昭和19年10月20日〜昭和19年10月29日 軍艦五十鈴フィリピン沖海戦戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030590100『昭和19年10月25日 駆逐艦霜月戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030590300『昭和19年11月 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030038500『昭和19年10月1日〜昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(6)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。 (軍艦五十鈴戦時日誌)

脚注

編集
  1. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年6月30日の調査。
  2. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  3. ^ a b c #S17達62号p.1『達第六十二號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 初月(ハツヅキ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第二十二號掃海艇/第三十一號掃海艇|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 運送艦 足摺(アシズリ)』
  4. ^ 『艦長たちの軍艦史』p355、『写真 日本の軍艦 第11巻』p148。
  5. ^ 片桐, 353ページ
  6. ^ a b c d e f g h 陽炎型(2014)326-327頁『初月(はつづき)』
  7. ^ a b #内令昭和17年3月(1)p.1『内令第三百七十二號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等秋月型ノ項中「涼月」ノ下ニ「、初月」ヲ加フ|掃海艇、第七号型ノ項中「第二十一號」ノ下ニ「、第二十二號」ヲ加フ|驅潜艇、第十三號型ノ項中「第三十號」ノ下ニ「、第三十一號」ヲ加フ』
  8. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.16『秋月型建造工程一覧表』
  9. ^ a b c d 陽炎型(2014)325-326頁『涼月(すずつき)』
  10. ^ a b c d #内令昭和18年1月(2)p.7『内令第十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「秋月、照月」ヲ「秋月、涼月、初月」ニ改ム』
  11. ^ a b c 陽炎型(2014)327-328頁『若月(わかつき)』
  12. ^ a b #内令昭和18年8月(2)p.29『内令第千六百六十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「初月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ』
  13. ^ a b c 陽炎型(2014)324-325頁『秋月(あきづき)』
  14. ^ a b #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ』
  15. ^ a b c d e 戦史叢書6巻245-246頁『独立混成第五聯隊第二次輸送部隊のポナペ進出』
  16. ^ a b 陽炎型(2014)328頁『霜月(しもつき)』
  17. ^ 戦史叢書6巻481-484頁『「あ」号作戦の失敗』
  18. ^ a b c d e f #レイテ(1971)179-180頁『「初月」奮戦でデュボーズ苦境』
  19. ^ a b 遠藤, 204ページ
  20. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『佐世保|第二十五驅逐隊|《秋月》《照月》《初月》|(戦時編制ニ依ル所属)第七航空戦隊』
  21. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『第七航空戦隊|鳳翔、《第二十五驅逐隊》|特設航空母艦二|横須賀佐世保(特設艦船部隊ノ所管鎮守府)|呉(集合地)』
  22. ^ #S1704舞鎮日誌(1)p.9『(1)新造艦船工事 秋月、巻波及初月(四月三日進水)ノ艤装工事竝ニ第百二十五號及第三百四十號艦ノ建造工事ハ共ニ概ネ順當ニ進捗シツツアリ』
  23. ^ #舞廠造機部196頁
  24. ^ a b 昭和17年10月20日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)第968号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087400 
  25. ^ 昭和17年10月28日(水)海軍公報(部内限)第4228号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070415000 『○事務所設置(略)驅逐艦初月艤装員事務所ヲ十月二十一日舞鶴海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  26. ^ a b c 昭和17年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1013号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087400 
  27. ^ #S1712舞鎮日誌(1)pp.5-6『(二)造修(1)新造艦船工事 初月 二十九日工事完了引渡ヲ了ス/島風 艤装工事ハ豫定通進捗中/早波 十九日進水爾後艤装工事中/第三四一、台三四二號艦ノ建造工事ハ豫定通進捗中(略)(3)其ノ他ノ工事(a)損傷復舊工事 大潮 豫定通二十七日完成/那珂、霞及不知火 概ネ豫定通進捗中/初春 極力工事促進中|(b)修理艦船 木曾 十二日入港整備工事ヲ促進三十日完了/乍 二十七日入港徹夜修理作業ヲ續行中』
  28. ^ #内令昭和17年12月(5)p.18『内令第二千四百二十八號 驅逐艦 涼月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 大波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 涼月 驅逐艦 初月/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 大波|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  29. ^ #S1712佐鎮(5)p.63『二十九(天候略)一.凉月ノ本籍ヲ佐鎮ト定メラル/二.凉月、初月ヲ警備驅逐艦トシ横鎮部隊ニ編入セラル(以下略)』
  30. ^ #S1801舞鎮日誌pp.5-6『(二)造修(1)新造艦船工事 初月 十二月二十九日竣工引渡ヲ了セルモ追加工事アリ特急工事トシテ施行七日完成即日出港ス/島風、早波 艤装ハ予定通進捗中/濱波、第三四二號艦 建造工事ハ豫定通進捗中/第三四五號艦 二十日起工』
  31. ^ #S1801舞鎮日誌p.60『七(天候略)初月横須賀ニ向ケ發(略)工廠工事 初月二十五粍聯装機銃装備工事完成』
  32. ^ 昭和17年10月7日(発令10月7日付)海軍辞令公報(部内限)第959号 pp.45-46」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087200 
  33. ^ #内令昭和17年10月(1)p.33『内令第千八百六十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月七日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十四驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第六十一驅逐隊|秋月、照月|』
  34. ^ #秋月型(潮2015)75-76頁『照月』
  35. ^ 『大阪警備府戦時日誌』C08030498600, pp.19,33、「SS-231, USS HADDOCK」p.67,68
  36. ^ #秋月型(潮2015)85-86頁『初陣ついに飾れず』
  37. ^ 昭和18年1月25日(発令1月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1041号 pp.20-21」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500 
  38. ^ 昭和18年2月3日(発令2月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1047号 pp.41-42」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  39. ^ #S1709三戦隊日誌(2)p.37『一五(天候略)一一〇〇「トラツク」発/一四一五2sf15dg解列「トラツク」ニ引返ス/一二五五ヨリ一七二〇迄之字運動|3S 8S 2sf鳥海冲鷹日進及駆五ヲ率ヰ内地ニ回航』
  40. ^ #S1709三戦隊日誌(2)p.38『一九(天候略)〇六一〇鳥海冲鷹嵐大波分離/〇六一五61dgト合同/〇七二〇ヨリ一七五〇迄之字運動/〇九〇〇8S日進分離/一四三〇鹿空ト航空戰教練実施|大隅海峡通過』
  41. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.7『夕暮(略)二十一日同地発佐伯着二十二日同地発陽炎初月涼月ト共ニ2sf及8Sノ護衛ニ任ジツツ(GF電令第一三三號KdB電令作第五七號)二十七日「トラツク」着』
  42. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.37『二二(天候略)一.夕暮一一三〇トラツクニ向ケ佐伯発|一.夕暮陽炎初月凉月ト共ニ2sf 8Sノ直衛ニ任ジツツ佐伯発トラツクニ回航ス(GF信電令第一三三號KdB電令作第五七號)/二.五月雨〇五四五第二長安丸救難警戒ニ任ズ』
  43. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030367600, pp.46、遠藤、200ページ
  44. ^ #S1801二水戦日誌(4)p.16『22日|一.1200 2sf、8S、61dg(涼月)夕暮15dg(陽炎)「トラック」ニ向ケ佐伯発』
  45. ^ 木俣『日本空母戦史』452ページ
  46. ^ #S1701第八戦隊日誌(5)pp.29-30『(ハ)作戦指導 前月ニ引続キ三月二十一日迄内地ニ在リ整備補給竝ニ諸訓練ニ従事/三月二十二日2sf司令官指揮ノ下ニ8Sヲ率ヰ内海出撃「トラツク」ニ回航二十七日着尓後同地ニ警泊待機諸訓練ニ従事』
  47. ^ #S1801二水戦日誌(4)p.6『3月22日-3月28日|使用兵力:陽炎(司令15dg)|被護衛艦艇:2sf(隼鷹飛鷹)、8S(利根筑摩)|行動:佐泊-「トラック」』
  48. ^ a b 戦史叢書6巻102-104頁『聯合艦隊の「い」号作戦と山本司令長官の戦死』
  49. ^ 木俣『日本空母戦史』453ページ
  50. ^ 遠藤, 205ページ
  51. ^ #青葉は沈まず211-215頁『爆弾命中』
  52. ^ #高松宮日記6巻159頁『四月三日(土)晴』
  53. ^ #秋月型(潮2015)86-87頁『カビエンでの青葉損傷』
  54. ^ 戦史叢書29巻529頁『アッツ島における状況』
  55. ^ a b c 戦史叢書29巻550-551頁『聯合艦隊司令部等の作戦指導と機動部隊等の状況』
  56. ^ #S1701第八戦隊日誌(5)pp.49『(二)十七日GF長官指揮ノ下ニ8Sヲ率ヰ「トラック」發横須賀ニ回航二十二日着…』
  57. ^ #S1801二水戦日誌(6)p.14『一七(天候略)一.一〇〇〇武藏3S 8S 2sf(飛鷹)横須賀ニ向ケ「トラック」發61dg(d×2)27dg(d×2)24dg〇七〇〇出港右護衛ニ任ズ海風本日附主隊編入』
  58. ^ #S1801二水戦日誌(6)p.6『五月十七日 五月二二日|海風|武藏 3S 8S 2sf(隼鷹欠)|「トラック」→横須賀|海風主隊編入中』
  59. ^ 戦史叢書6巻108頁『アッツ島の玉砕』
  60. ^ #高松宮日記6巻327-328頁『○第三艦隊(三一-一〇一八)第三戦隊(「金剛」欠)、第七、第八、第十戦隊(「阿賀野」「風雲」「雪風」「浜風」「谷風」「嵐」)、以上五-三〇、第一航空戦隊、「最上」「大淀」、第二十駆逐隊(「白露」欠)、第六十一駆逐隊(「秋月」欠)、「新月」、以上五-三一、「横」発。《第三艦隊、機動作戦ヲ中止、内海西部ニテ訓練》』
  61. ^ #秋月型(潮2015)73-75頁『秋月』
  62. ^ #内令昭和18年6月(6)pp.7-8『内令第千二百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年六月三十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「秋月、」ヲ削ル』
  63. ^ 戦史叢書6巻113-114頁『南海第三守備隊の編成と南海第四守備隊の出発』
  64. ^ #S1709日進詳報(2)p.38『7月10日0530日進(宛略)日進玉波0500「トラック」ニ向ケ發|無電』-『7月14日0500瑞鶴→艦隊|日進冲鷹玉波嵐ハ列ヲ解キ日進艦長所定ニ依リ概ネ當隊ニ續行「トラック」ニ入泊スベシ|信号』
  65. ^ 木俣『日本水雷戦史』300ページ
  66. ^ 戦史叢書62巻357、372頁『南海第四守備隊の南東方面への転用』
  67. ^ a b #木俣空母498-500頁
  68. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.17『(三)軍隊区分 機動部隊本隊[自十五日至二十六日 機動部隊第一部隊(十五日61dgヲ指揮下ニ入ル 十八日阿賀野(10S司令官)4dg磯風日進大淀最上ヲ指揮下ニ入ル)]』
  69. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.18『…翌十日機動部隊指揮官指揮ノ下ニ第八戦隊ヲ率ヰ0600同地發1230沖ノ島出撃「トラック」ニ回航15日着急速補給ヲ完了機動部隊第一部隊(8S 61dg)及第三部隊(日進)ヲ率ヰ14S(那珂)ヲ併セ指揮シ16日早朝「トラック」發ニテ搭載人員ヲ「ミレ」方面ニ輸送ノ予定ナシリ所…』
  70. ^ a b c 戦史叢書6巻121-123頁『南海第四守備隊の南東転用と歩兵第百二十二聯隊のマーシャル諸島派遣』
  71. ^ #S1701八戦隊日誌(6)pp.18-19『十九日第一部隊[8S、10S(阿賀野4dg(萩風嵐)61dg(涼月初月)磯風)大淀最上日進]ヲ率ヰ「トラック」出撃「ラバウル」及「ソロモン」方面軍隊輸送ヲ実施シ二十六日「トラック」ニ帰着セリ』
  72. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.37『乙部隊中「ブカ」行61dgハ二十二日1945「ラバウル」出撃後2300頃ヨリ「セントジョージ」岬南方ニ於テ一時敵哨戒機ノ触接ヲ受ケシモ其ノ後敵ヲ見ズ予定通行動「ブカ」ニ揚搭(守備隊長道下大佐以下455名及器材)ヲ了シ二十三日0800「ラバウル」ニ帰投本隊ニ合同セリ』
  73. ^ 戦史叢書62巻573頁
  74. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.43『殊ニ4dg(萩風嵐)磯風日進ハ第十戦隊司令官直率ノ下ニ敵襲下航空機ノ熾烈ナル攻撃ヲ突破シ挺身「ブイン」輸送ヲ決行シ偶日日進ヲ喪失スルノ不運ニ際會セルモ…』
  75. ^ 戦史叢書62巻372頁
  76. ^ #S1712第五戦隊日誌(2)pp.39-40『(一)第五戰隊ハ主隊前衛トシテ七月三十日呉發「トラツク」ニ進出八月五日着同日機動部隊ニ編入セラレ第三艦隊長官ノ指揮シタニ入ル/GF電令作第六五四號ニ依リ第六十一驅逐隊(涼月初月)磯風ト共ニ南海第四守備隊及其ノ他ノ「ラバウル」作戰輸送ニ従事八日「ラバウル」着即日揚陸完了同地發八月十日「トラツク」ニ歸投任務ヲ完遂セリ尚此ノ間八月七日一二〇〇頃ヨリ約一時間ニ亘リ敵大型機一機ノ觸接ヲ受ケ羽黒ハ對空戰斗ヲ行ヒコレヲ撃退ス(行動経過別圖ノ通)』
  77. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60『二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)10dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五』
  78. ^ 木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  79. ^ 戦史叢書62巻399頁『機動部隊のトラック出港と米機来襲前の哨戒』
  80. ^ 戦史叢書62巻385-386頁『第四艦隊司令部のクェゼリン進出』
  81. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.1
  82. ^ a b c d 戦史叢書62巻430頁『「阿賀野」の被雷とその救難』
  83. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.5,6,7
  84. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.14,23、遠藤, 206ページ
  85. ^ #S1701第八戦隊日誌(8)p.26『(四)六日8S(筑摩)ハ聯合艦隊信令第六四五號ニ依リ兵器其ノ他ノ物件ヲ處理シ(弾薬等一部7Sニ還納以来)陸揚中ノ物件ヲ揚収回航準備ヲ完成、七日〇八〇〇8S(筑摩)瑞鶴61dg(涼月初月)ヲ率ヰ「トラック」發二三〇〇途中迄直衛トナレル谷風ヲ「トラツク」ニ皈投セシメ十一日一六〇〇豊後水道沖島通過十二日〇一〇〇呉ニ入港セリ』
  86. ^ 戦史叢書62巻514-515頁『第八戦隊「瑞鶴」等の内地回航整備』
  87. ^ 昭和18年12月13日(発令12月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1279号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  88. ^ 昭和18年12月27日(発令12月26日付)海軍辞令公報(部内限)第1287号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  89. ^ a b 戦史叢書6巻205-206頁『独立混成第五聯隊の一部と戦車第十六聯隊主力のウェーク進出』
  90. ^ a b 『戦史叢書13』472ページ
  91. ^ a b 戦史叢書62巻570-571頁『独立混成第五聯隊の一部及び戦車第十六聯隊のウェーク進出』
  92. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030369400, pp.43,48,49
  93. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.4
  94. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.5
  95. ^ 昭和19年3月22日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1384号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096800 
  96. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.8、C08030050400, pp.8
  97. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050400, pp.8
  98. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050500, pp.12
  99. ^ #淵田,奥宮(1992)468頁『二 同日の連合艦隊軍隊区分 甲部隊』
  100. ^ #秋月型(潮2015)91-93頁『高価な犠牲あ号作戦』
  101. ^ #淵田,奥宮(1992)398-406頁『大鳳、翔鶴相つぎ沈没』
  102. ^ a b 遠藤, 207ページ
  103. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27
  104. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15
  105. ^ #佐藤 艦長(文庫)173-174頁
  106. ^ a b c d #木俣空母678-680頁『瑞鳳の小笠原船団護衛(七〜八月)』
  107. ^ #S1811海護総司令部(3)p.46『(イ)南方諸島緊急作戰輸送ヲ左ニ依リ實施ス/(一)(略)/(二)二十三日南方諸島ニ對スル緊急増勢部隊輸送ノ爲第二護衛船團司令部ヲ横鎮護衛部隊ニ編入シ之ガ護衛強化ノ爲聯合艦隊ヨリ第三航空戰隊ノ空母瑞鳳及警戒驅逐艦ヲ横鎮部隊ニ編入ス』
  108. ^ #S1811海護総司令部(3)pp.55-56『二三(略)第三航空戰隊ノ一部(瑞鳳)及警戒驅逐艦(初月秋月山雲野分)ヲシテ作戰ニ關シ當司令長官ノ指揮ヲ受ケシメラル』-『二四(略)第三航空戰隊ヨリ派出ノ航空母艦及同警戒驅逐艦ヲ横鎮司令長官ノ指揮下ニ入ル 第二護衛船團司令部ヲ附属部隊ヨリ除キ横鎮護衛部隊ニ編入ス』
  109. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7
  110. ^ #S1812第4駆日誌(7)p.8『30日/0900出港瑞鳳護衛』、p.13『29日1353瑞鳳/瑞鳳61dg(涼月若月欠)4dg(山雲野分)ハ30日0900横須賀発概ネ船団ノ50浬圏内ヲ機宜行動船団行動変化ナケレバ左ノ如ク行動ス(略)』
  111. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.3
  112. ^ 昭和19年6月21日(発令6月15日付)海軍辞令公報(甲)第1517号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  113. ^ a b c 昭和19年8月8日(発令8月1日付)海軍辞令公報(甲)第1557号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100400 
  114. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.3,4
  115. ^ #撃沈戦記(2013)32-33頁『囮部隊の出撃』
  116. ^ #秋月型(潮2015)29-31頁『激戦のレイテ沖に死す』
  117. ^ a b #国見 軍医295-296頁
  118. ^ #最後の海空戦(文庫)27-28頁
  119. ^ #サイパン・レイテ海戦記363頁
  120. ^ #秋月型(潮2015)29、37頁
  121. ^ #サイパン・レイテ海戦記372-376頁『全滅覚悟の囮海戦(十月二十五日)』
  122. ^ #伊勢捷1号(1)p.17『(三)第四警戒航行序列(対空警戒接敵ニ適用)』(25日の対空戦闘に杉と桐は不参加)
  123. ^ #霜月レイテ沖詳報p.4『友軍ノ戦闘経過ノ概要』
  124. ^ #撃沈戦記(2013)39頁『囮部隊の囮になって』
  125. ^ #レイテ(1971)206頁
  126. ^ #最後の海空戦(文庫)30-32頁『「秋月」轟沈』
  127. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  128. ^ a b #最後の海空戦(文庫)42-44頁『死地に行く初月』
  129. ^ #軽巡二十五隻273-277頁『次つぎ沈む小沢艦隊』
  130. ^ ポッター, 469ページ
  131. ^ ポッター, 474ページ
  132. ^ ポッター, 487、488ページ
  133. ^ Commander Task Force 34 Action Report: Leyte Gulf
  134. ^ 『空母瑞鶴』pp.313
  135. ^ #撃沈戦記(2013)40-41頁
  136. ^ #レイテ(1971)178頁『「千代田」に砲弾の嵐』
  137. ^ a b c d e f g 『戦史叢書56』446ページ
  138. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.2
  139. ^ #軽巡二十五隻287-288頁『姿なき仇敵をもとめて』
  140. ^ 木俣『日本水雷戦史』541ページ
  141. ^ #軽巡二十五隻322頁
  142. ^ #秋月型(潮2015)107-110頁『寂しき残存艦隊』
  143. ^ 『艦長たちの軍艦史』p355。
  144. ^ 昭和20年1月7日(発令昭和19年10月25日付)海軍辞令公報(甲)第1686号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  145. ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.23 秋月型駆逐艦』p172。
  146. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.12『内令第一三三三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年十二月十日 海軍大臣 驅逐艦、一等初雪形ノ項中「浦波、」ヲ、同初春型ノ項中「、若葉」ヲ、同不知火型ノ項中「不知火、」ヲ、同夕雲型ノ項中「、藤波」ヲ、同秋月型ノ項中「秋月、」「、初月」ヲ削ル』
  147. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.18『内令第一三四〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦波、驅逐艦 不知火|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 若葉、驅逐艦 秋月、驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 藤波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略) 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』
  148. ^ 昭和20年7月14日(発令昭和19年10月25日付)海軍辞令公報(甲)第1856号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100