二条 吉忠(にじょう よしただ)は、江戸時代中期の公卿関白左大臣二条綱平の子。官位従一位・関白、左大臣、贈准三后安祥院と号する。二条家19代当主。「吉」の字は5代将軍・徳川綱吉からの偏諱

 
二条吉忠
二条吉忠像
時代 江戸時代中期
生誕 元禄2年8月13日1689年9月26日
死没 元文2年8月3日1737年8月28日
戒名 安祥院
墓所 京都市右京区嵯峨野二尊院
官位 従一位関白左大臣、贈准三后
主君 東山天皇中御門天皇桜町天皇
氏族 二条家
父母 父:二条綱平、母:栄子内親王
正室:前田利子前田綱紀の六女)
淳子、舎子、日護尼、宗熙、隆遍、祐常、喜子
特記
事項
後桜町天皇の外祖父
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経歴

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元禄9年(1696年)2月元服して従五位下に叙され、禁色雑袍昇殿を聴される。同11年(1698年)12月従三位に叙されて公卿に列し、同12年(1699年)10月権中納言、同14年(1701年)2月正三位、同17年(1704年)2月権大納言宝永4年(1707年)2月従二位に累進した。

正徳2年(1712年)7月に前田綱紀の女・直姫(栄君)を正室として迎える。同年12月右大将を兼ね、正徳3年(1713年)7月左大将に転じ、次いで同5年(1715年)8月内大臣となる。享保元年(1716年)12月正二位に進み、同3年(1718年)正月左大将を辞するも、同7年(1722年)5月右大臣、同11年(1726年)9月左大臣に至った。同14年(1729年)11月従一位に叙され、元文元年(1736年)8月桜町天皇から関白の詔があり、同時に氏長者内覧宣旨を賜ったが、同2年(1737年)8月3日所労のために辞職し、即日薨去した。享年49。墓所は二尊院

後桜町天皇の外祖父に当たることから、33回忌の明和6年(1769年)8月に准三后を追贈されている。

系譜

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参考文献

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