インテルナツィオナーレ・ミラノ

イタリアのサッカークラブ
インテルミラノから転送)

インテルナツィオナーレ・ミラノ (Football Club Internazionale Milano S.p.A.) は、イタリアロンバルディア州ミラノを本拠地とするサッカークラブ。インテルナツィオナーレ(Internazionale、イタリア語発音: [ˌinternattsjoˈnaːle])、インテル・ミラノ (Inter Milano)、またインテル (Inter) の愛称で知られる。

インテルナツィオナーレ・ミラノ
原語表記 Football Club Internazionale Milano S.p.A.
愛称 I Nerazzurri (黒と青)
La Beneamata (最愛の人)
Il Biscione (大きな蛇)
クラブカラー    
   
創設年 1908年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2024-25
昨季リーグ順位 1位(2023-24
ホームタウン ロンバルディア州の旗 ミラノ
ホームスタジアム
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ
収容人数 80,018
代表者 イタリアの旗 ジュゼッペ・マロッタ
監督 イタリアの旗 シモーネ・インザーギ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
インテルナツィオナーレ・ミラノ
YouTube
チャンネル
活動期間 2005年12月10日 -
ジャンル サッカー
登録者数 147万人
総再生回数 618,840,660回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年11月1日時点。
テンプレートを表示

1929年に発足したイタリア1部リーグ・セリエAの歴史上唯一、降格経験のないクラブである[1]2009-10シーズンにはイタリア史上初の主要タイトル3冠を達成したクラブでもある。2023-24シーズンには20回目のリーグ優勝を果たした。

概要

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ミラノダービー
 
インテルのユニホーム
 
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ

1908年創設。ホームスタジアムスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ。愛称はクラブカラーに由来するネラッズーロイタリア語で「黒 (nero) と青 (azzurro)」[注 1])。サポーターはインテリスタと呼ばれる。

2024年からはアメリカ合衆国の投資会社であるオークツリー・キャピタル・マネジメント英語版がオーナーを務めている[2]。同年6月4日にはジュゼッペ・マロッタの会長就任が発表された[3]

セリエAでは「三階建て」構造や「北の三強」と呼ばれる、インテル、ユヴェントスFCACミランのビッグ3となっている[4]

これまでにリーグを20回[5]コッパ・イタリアを9回、スーペルコッパ・イタリアーナを8回制し、計37の国内タイトルを獲得している。UEFAチャンピオンズリーグではこれまでに3回優勝している(1964年、1965年の2連覇と2010年)。これは地元のライバルACミランに次いでイタリアで2番目の記録である[注 2]。2010年にはイタリアのクラブとして史上初の3冠(コッパ・イタリア、スクデット、ビッグイヤー)を達成した[6]。また、UEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)を3回、インターコンチネンタルカップ2回、FIFAクラブワールドカップを1回制している。

過去5シーズンの欧州コンペディションでの結果が反映されるUEFAクラブランキングは、2024年6月時点で6位であり、イタリアではASローマと並び1位タイである[7]

同じ都市・同じスタジアムを本拠地とするACミランとは永遠のライバル関係にあり両者の対戦はミラノダービーと呼ばれる。また、ユヴェントスFCとの対戦はイタリアダービー[注 3]と呼ばれ、どちらのダービーも国内外の関心を集めるビッグマッチとなっている。

2024年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2022-23シーズンのクラブ収入は3億7890万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では14位、イタリアではユヴェントス、ACミランに次ぐ3位である[8]

2012年9月のDemos & Pi社の調査によると、インテルはイタリアで3番目(14.5%)に人気のクラブである[9]。2010年9月のドイツSport + Markt社の調査によると、欧州では8番目にファンが多いクラブ(1750万人)である[10]

2023-24シーズンの平均観客動員数は、72,838人で欧州のクラブでは3位、イタリアのクラブでは1位であった[11]

メインスポンサーは、2024-25シーズンからBetsson Sportイタリア語版と4年契約を結んでいる[12]。過去にはMisuraピレリParamount+などが務めた[13][14]

歴史

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ジュゼッペ・メアッツァでの試合前。
 
インテルのサポーター
 
初のスクデットを獲得した1910年のインテルの選手達。

1908年-20年代前半 -インテルの誕生〜発展期-

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前身はACミランと同じ「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ (Milan Cricket and Football Club)」だが[15]、外国人選手の加入問題を巡ってクラブ内で対立が生じ、その反主流派(外国人選手の加入に積極的な一派)は1908年3月9日にミラノのレストラン“オロロージョ”にて会合を開き、ミランからの分離・独立を決める。新クラブは「国籍を問わず世界中の選手に門戸を開く」、という意味を込め、「FCインテルナツィオナーレ」と命名され、チームカラーは青、黒、金に決まった。

ACミランとのダービーマッチは、ACミランの5連勝で始まり、当初インテルはACミランに歯が立たなかった。しかし、1910年に5-0でACミランから初勝利。その後、両チームのライバル関係は激化していった。

そして、設立より2年後の1909-10シーズンには当時無敵だったプロ・ヴェルチェッリを10-3で倒して初のスクデットを獲得し、1919-20シーズンにもリヴォルノを倒して2回目のスクデットを獲得する。

1920年代後半-40年代前半 -ベッピーノの登場と第一次黄金時代-

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「ベッピーノ」という愛称で呼ばれたジュゼッペ・メアッツァ

1920年代後半、ムッソリーニを党首とするファシスト党の影響はサッカー界にも及び、国粋主義を掲げるファシスト党にとってこのクラブ名と外国に対して寛容な精神は思想に反するものだった。

ムッソリーニは1928年にインテルとUSミラネーゼ(Unione Sportiva Milanese)を合併させ、更には翌年チーム名をアンブロシアーナ(Ambrosiana)に、ユニフォームをセント・ジョージ・クロスをモチーフとした赤十字デザインに変更させる。

しかし、この決定は熱狂的なインテリスタの怒りを買った。そして、彼らの抗議により、1932年クラブ名はアンブロシアーナ・インテル(Ambrosiana-Inter)となり、ユニフォームも元に戻され、辛くも"INTER"の名と青と黒の縦縞の伝統は守られた。

その頃、インテルユースから超新星が誕生した。彼の名はジュゼッペ・メアッツァ。「ベッピーノ」という愛称で呼ばれたこの選手は、デビューシーズンの1928-29シーズンにいきなり得点王に輝く活躍をした。ドリブルが巧く、シュートも正確で、テクニックも抜群。パス能力にも優れ、更に美男子だった彼は瞬く間にクラブのアイドルとなり、また中心選手となるのに時間はかからなかった。翌1929-30、初の全国リーグ(セリエA)が開催され、得点王に輝いたメアッツァ(1935-36、1937-38シーズンにも得点王になった)の活躍もあり、アンブロシアーナ・インテルは初の全国リーグのチャンピオンに輝いた[16]。勢いは止まらず1937-38シーズンにも彼の活躍で4回目のスクデットを獲得、翌シーズンには初のコッパ・イタリアを獲得した。1939-40シーズンもメアッツァが病気により試合に出られなかったにも関わらず、5回目のスクデットを獲得した。翌年メアッツァは408試合、287得点という偉大な記録(歴代最多得点)を残してクラブを去り(1946-47に復帰)、アンブロシアーナ・インテルの黄金時代は終焉した。

戦争が終わり、ファシスト政権が倒れ、1945年にクラブ名は元のインテルナツィオナーレに戻った。

1940年代後半-50年代 -サン・シーロとカテナチオ-

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1948年、インテルはそれまでのホームスタジアム、スタディオ・チーヴィコ・アレナ(Stadio Civico Arena)の老朽化に伴い、ホームスタジアムをミランのホームスタジアムサン・シーロに移転し、共同でスタジアムを使うことになった。

1952-53シーズン、監督のアルフレド・フォーニはそれまで弱小チームが使っていた堅い守備からのカウンター(のちにカテナチオと呼ばれる)を基本とした戦術を使い、ストライカーの"Veleno(毒)"ことロレンツィニエルス、左ウィングの"Nacka"ことスコグルンド、GKの"Kamikaze"ことゲッツィらの活躍もあり、6回目のスクデットを獲得。翌1953-54シーズンは前シーズンに守備的過ぎると批判されたことから、攻撃的になり、7回目のスクデットを獲得した。

そして1955年、後に伝説となる石油王アンジェロ・モラッティ英語版が会長に就任する。

1960年代 -魔術師とグランデ・インテル-

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グランデ・インテル時代の中心選手サンドロ・マッツォーラ

就任以来、監督の首を次々とすげ替えていったモラッティ会長だったが、1960年についに素晴しい監督に巡り会った。彼の名はエレニオ・エレーラ。スペインのFCバルセロナに2回の優勝をもたらした、"マーゴ(魔術師)"と呼ばれるアルゼンチン人監督である。

愛弟子ルイス・スアレスを引き連れ、スペイン風の攻撃的サッカーで臨んだエレーラだったが、当初は結果が出ず1962年に一度解任された。しかしスペイン代表を率いたチリワールドカップから戻ってくると、再びインテルの監督に就任し、今度は堅い守備からのカウンターアタックを基本戦術とし、当時としては珍しいメンタルトレーニングも行い、強化に着手した。

そして1962-63シーズン、インテルはGKジュリアーノ・サルティアルマンド・ピッキを中心としたタルチシオ・ブルニチアリスティデ・グアルネリジャチント・ファッケッティの守備陣の奮闘、司令塔スアレスのゲームメイクやコルソ、サンドロ・マッツォーラのファンタジーあふれるプレー、当時としては革新的だったSBのファッケッティのオーバーラップによるカウンター攻撃で8回目のスクデットを獲得した。

翌1963-64シーズンはボローニャに同勝点によるプレーオフに負けてスクデットは逃したものの、UEFAチャンピオンズカップでは当時無敵だったスペインのレアル・マドリードを倒し、イタリア勢ではミランに次ぐ2番目のヨーロッパチャンピオンに輝いた。その当時、インテルのディフェンシブな戦いぶりが気に入らなかったイングランドをはじめとするヨーロッパのメディアは、こぞって「サッカーは死んだ」と書き立てた[17]

翌シーズンにはアルゼンチンのCAインデペンディエンテを撃破してインターコンチネンタルカップを制し、イタリア勢では初の世界チャンピオンになり、ベンフィカを倒してUEFAチャンピオンズカップも連覇、更にはスクデットも獲得した。翌1965-66シーズンにも再びインデペンディエンテを撃破して世界チャンピオンになり、国内では10回目のスクデットを獲得してユヴェントスに次ぐラ・ステッラ(スクデット10回獲得を表す星)をユニフォームにつけることを許された。翌シーズンもUEFAチャンピオンズカップ決勝に進んだが、今度はスコットランドのセルティックに敗れた。

そして1968年、モラッティ会長はイヴァノエ・フライッツォーリに会長職を譲り、グランデ・インテル時代は終わりを告げた。(アンジェロ・モラッティはその功績からインテルの練習施設アンジェロ・モラッティ・スポーツセンター英語版に名前が刻まれている[18]。)

1970年代-80年代前半 -夢の終わり-

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1973-74シーズンのイタリアダービー

1970-71シーズン、選手と対立していたエリベルト・エレーラ監督の後を受けたジャンニ・インヴェルニッツィ監督はグランデ・インテルの遺産と得点王に輝いたロベルト・ボニンセーニャの活躍で11回目のスクデットを獲得、翌シーズンはUEFAチャンピオンズカップ決勝に進んだが、ヨハン・クライフ率いるオランダアヤックスに完敗した。

そしてマリオ・コルソタルチシオ・ブルニチがクラブを去り、サンドロ・マッツォーラも引退、ジャチント・ファッケッティも1977-78シーズンに2回目のコッパ・イタリアを手土産に引退しグランデ・インテルは完全に消滅した。

1979-80シーズンにエウジェニオ・ベルセッリーニ監督の下、イヴァノ・ボルドンガブリエーレ・オリアーリジャンピエロ・マリーニジュゼッペ・バレージエヴァリスト・ベッカロッシアレッサンドロ・アルトベッリ等の活躍で12回目のスクデットを獲得、1981-82シーズンに3回目のコッパ・イタリアを獲得し、黄金時代の再来を期待させたが、それも長くは続かなかった。

また、1979年にジュゼッペ・メアッツァが他界、これに対しミラノ市は1980年3月2日に彼の功績を讃えてスタジアムの正式名称をスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(Stadio Giuseppe Meazza)と定めた[19]

1980年代後半 -一瞬だけの栄光-

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その後フライッツォーリ会長は1984年に"フィアットの従業員"と揶揄されたエルネスト・ペッレグリーニイタリア語版に会長職を譲る。 そして1986年、ペッレグリーニ会長はユーヴェに黄金時代を築いたジョヴァンニ・トラパットーニ監督を招聘し、インテルの復活を託す。

最初の2年間は結果が出なかったが、1988-89シーズン、勝負弱さをドイツ人ローター・マテウスの"ゲルマン魂"を注入することにより補填し、ファケッティ引退以降不在となっていた左SBを同じドイツ人のアンドレアス・ブレーメで埋め、生え抜きのワルター・ゼンガジュゼッペ・ベルゴミリッカールド・フェッリ、若手のニコラ・ベルティアレッサンドロ・ビアンチ、アルゼンチン人のラモン・ディアス、得点王に輝いたアルド・セレーナなどを擁し、スクデットを獲得した。この時のスクデットは勝ち点が勝ち=2の制度の下では最高記録となる58(34試合26勝6分2敗。現在のシステムでは84)、アウェー最多勝ち点26(17試合11勝4分2敗。現在のシステムでは37)、アウェー最多勝利など数々の当時のリーグ記録を塗りかえるものだった。

翌1989-90シーズンドイツ人のユルゲン・クリンスマンを迎え、ドイツトリオを中心としたインテルはスーペルコッパ・イタリアーナを制し、マテウスは1990年のバロンドールを受賞。今度こそ黄金時代の再来かと思わせたが、それも一瞬の栄光に過ぎなかった。

1990年代-2000年代前半 -苦悩のネラッズーロ-

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1990-91

その後ドイツトリオとトラパットーニ監督は1990-91シーズンにローマを破り、インテルにUEFAカップのタイトルをもたらした。しかし、トラパットーニ監督はシーズン終了後、ファンの「つまらないサッカー」という声の下に解任され、インテルの迷走が始まる。

1991-92

リーグ戦8位と低迷し、この年限りでマテウス、ブレーメ、クリンスマンのドイツトリオが退団した。

1992-93

1992-93シーズン、監督にはエラス・ヴェローナFC唯一のタイトルであるセリエA優勝をもたらしたオズヴァルド・バニョーリを招聘、サルヴァトーレ・スキラッチマティアス・ザマー、パンチェフ、ルベン・ソサらを獲得した。ザマーがシーズン途中に退団、パンチェフは全く活躍出来ず、ACミランにに大きく差を開けられたが、シーズン途中にアントニオ・マニコーネを獲得、後半戦で盛り返し、優勝には及ばなかったが最終的には2位となった。

1993-94

1993-94シーズン、ACミランがオランダ人を獲得して成功したのを見てデニス・ベルカンプヴィム・ヨンクを獲得しスクデットを狙った[20]。期待されたベルカンプが全くもって活躍せず、ベルティ、スキラッチが長期離脱するなどもあり、低迷し、シーズン途中にバニョーリを解任した[20]ジャンピエロ・マリーニを新監督に迎えたが、リーグ戦の結果は、かろうじて降格を免れる13位という、これまでで最低の成績に終わった[20]。一方で、UEFAカップでは、ヨンクのゴールなどでザルツブルクを破り、優勝を果たした[20]

1994-95

1994-95シーズン、これまで長年に渡り守護神を務めていたワルテル・ゼンガをトレードに出してジャンルカ・パリューカを獲得、ナポリに初のリーグ優勝を持たらしたオッタヴィオ・ビアンキを招聘して立て直しを図ったものの、期待されたベルカンプ、パンチェフはシーズンを通して活躍せず、一時はトップとは大きく離れたが、終盤の追い上げで6位でシーズンを終えた。

1995-96

1995年2月18日、グランデ・インテルを築きあげたアンジェロ・モラッティの息子マッシモ・モラッティが、累積赤字で経営に行き詰まっていたペッレグリーニからインテルを買い戻し、インテルは再びモラッティ家のものとなった。これをきっかけにポール・インスロベルト・カルロスマルコ・ブランカ、ガンツ、ハビエル・サネッティらを獲得、チームは巻き返して最終節で7位になり、UEFAカップ出場権を得ることに成功した。

1997-98
 
ハビエル・サネッティ。マッシモ・モラッティが最初に獲得した選手だった。

毎年のように多額の移籍金でスター選手を買い漁り、チームを強化し、何度も監督の首をすげ替えてきたが、これが実を結んだのが1997-98シーズンであった。シーズン開幕前にロナウドを獲得したチームはユヴェントスと首位争いを演じる。しかし、ユヴェントスとのイタリア・ダービーでは、ユヴェントス優位の判定が行われ、後味の悪さを残しながらチームは敗れた。これが響いてリーグ優勝を逃したが、決勝でSSラツィオを破り、3回目のUEFAカップを獲得した。

1998-99

クラブは序盤で躓く。シーズン途中で監督のルイジ・シモーニが解任されるのをきっかけに、チームの規律が乱れ、更に、ロナウドの大怪我という不運もありチームは低迷した。この混乱と低迷は、2004-05シーズンにロベルト・マンチーニが監督に就任するまで続くこととなる。

1999-00

マルチェロ・リッピを監督に招聘し、クリスティアン・ヴィエリアンジェロ・ペルッツィヴラディミル・ユーゴヴィッチといったリッピの教え子を次々に獲得する一方で、ジャンルカ・パリュウカジュゼッペ・ベルゴミといったこれまでインテルの屋台骨を支えてきた両選手に戦力外通告した。これら一連のインテルのユヴェントス化は、選手とリッピとの溝を深め、インテリスタには不評であった。最終的にUEFAチャンピオンズリーグ予備予選出場を賭けたパルマとのプレーオフでは、ロベルト・バッジョの活躍のおかげでリッピの首の皮が繋がったという有り様であった。

2001-02

21世紀に入り、2001-02シーズンにバレンシアCFを2年連続UEFAチャンピオンズリーグ決勝に導いたアルゼンチン人監督のエクトル・クーペルを招聘し、最終節まで首位に立っていたが最後の試合に敗れ、またしてもスクデットを逃した。2002 FIFAワールドカップで活躍したロナウドは2002年のバロンドールに選ばれたが、チームは翌シーズンもスクデットを獲得できず、成績不振によりクーペルは解任される。

2000年代後半 -久しぶりの歓喜〜新たな黄金時代-

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2004-05

ロベルト・マンチーニが監督に就任し、2004年夏の移籍市場ではエステバン・カンビアッソらを獲得。しかし、コッパ・イタリアでは優勝を果たしたものの、セリエAでは3位に終わる。

2005-06

2005年夏の移籍市場ではルイス・フィーゴワルテル・サムエルジュリオ・セーザルらを獲得し、2005-06シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナ制覇、コッパ・イタリア2連覇を果たす。セリエAは当初は3位で終えたものの、シーズン後に発覚したカルチョ・スキャンダルにより、1位のユヴェントスFCが優勝の剥奪、2位のACミランも30ポイントの減点となり、最終的には3位のインテルが17季ぶりのセリエA優勝に認定された。

2006-07

2006年夏の移籍市場ではマイコンカルチョ・スキャンダルで降格したユヴェントスFCからズラタン・イブラヒモビッチパトリック・ヴィエラを獲得した。2006-07シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナとセリエAにて優勝を果たした。

2007-08

2007-08シーズンはセリエA3連覇を達成するも、CLではラウンド16でリヴァプールFCに敗れベスト16に終わった。リヴァプール戦後、マンチーニ監督は今シーズン限りでの辞任を表明した。翌日に撤回したもののシーズン終了後にマンチーニは解任された[21]

2008-09
 
ドリブルをするサミュエル・エトオ
 
インテルを史上初の3冠に導いたジョゼ・モウリーニョ
 
CL決勝で2ゴールを挙げたディエゴ・ミリート

2008年6月、ポルトをCL優勝に導いたジョゼ・モウリーニョが監督に就任[22]。2008年夏の移籍市場ではリカルド・クアレスマサリー・ムンタリアレッサンドロ・マンシーニを獲得した。2008-09シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナ制覇とセリエA4連覇を達成。しかし、CLではマンチェスター・ユナイテッドに敗れベスト16に終わった。

2009-10

2009年夏の移籍市場ではイブラヒモビッチとのトレードでサミュエル・エトーを獲得したほか、ディエゴ・ミリートティアゴ・モッタルシオヴェスレイ・スナイデルらを獲得。2010年冬の移籍市場ではゴラン・パンデフマクドナルド・マリガを獲得した。

CLではグループステージを2位で勝ち上がり、決勝トーナメントではチェルシーFCCSKAモスクワを退け、準決勝で前シーズン王者FCバルセロナと対戦した。ホームでは3-1で先勝したがアウェイでは前半にモッタが退場となるも1失点で守り抜き2戦合計3-2で決勝へ進んだ。決勝ではFCバイエルン・ミュンヘンと対戦し、2-0で勝利し45年ぶり3回目の優勝を果たした。

このシーズンでは、セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグを全て制覇し、リーグ史上3度目となるセリエA5連覇[注 4]、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠を達成した[23]。なお、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦終了後にモウリーニョは辞任を表明し、シーズン終了後の2010年5月28日に監督を退任。レアル・マドリードがインテルに対して違約金を支払うことでレアル・マドリードの監督に就任した[24]

2010年代前半 -サイクルの終わり〜新オーナー就任-

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2010-11

2010年6月9日、前リヴァプールFC監督としてイスタンブールの奇跡を起こしたラファエル・ベニテスが監督に就任[25]。シーズン開幕前にスーペルコッパ・イタリアーナを制覇し、12月のFIFAクラブワールドカップ2010ではTPマゼンベを破って初の同大会優勝を成し遂げた。しかし、同年12月24日にベニテスはリーグ戦での成績不振を理由に解任され[26]、前ACミラン監督のレオナルドが監督に就任[27]。2011年冬の移籍市場ではジャンパオロ・パッツィーニ長友佑都[28][29]アンドレア・ラノッキアらを獲得。コッパ・イタリアで2連覇を達成した[30] ものの、シーズン終了後にレオナルドは監督を辞した。

2011-12

2011-12シーズンはジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督の下でスタートし、夏の移籍市場ではディエゴ・フォルランらを獲得する一方でサミュエル・エトーらを放出した。しかし、開幕直後から不振が続いたことでガスペリーニは早々に解任され、後任にクラウディオ・ラニエリが迎えられた。一時は7連勝を挙げるなど好転の兆しをみせるも、1月末から9戦勝ちなしなど再び不振に陥ると、3月26日にラニエリが解任。シーズン3人目の監督としてインテル・プリマヴェーラの監督を務めていたアンドレア・ストラマッチョーニが昇格した。

2012-13

2012-13シーズンは夏の移籍市場で大きくチーム改革を行い、優勝時の主力だったジュリオ・セザルマイコンルシオジャンパオロ・パッツィーニなどを放出し、サミール・ハンダノヴィッチアルバロ・ペレイラロドリゴ・パラシオアントニオ・カッサーノらを新たに獲得した。シーズン序盤こそユヴェントスの無敗記録を49で止めるなど順調だったが、主将のサネッティら負傷者が続出して以降は低迷。UEFAヨーロッパリーグ出場権すら逃す9位に終わり、ストラマッチョーニ監督は解任された。

2013-14

2013年5月24日、新監督として元SSCナポリ監督のワルテル・マッツァーリが就任。同年11月15日、クラブの株式の70%を取得し、筆頭株主となったインドネシアの実業家のエリック・トヒルが会長に就任した。前会長のマッシモ・モラッティは名誉会長に就任。2013年の移籍市場では、マウロ・イカルディアントニオ・カッサーノとのトレードでイシャク・ベルフォディルロランド・フォンセカウーゴ・カンパニャーロサフィル・タイデルらを獲得し、2014年はダニーロ・ダンブロージオエルナネスを獲得した。

2013-14シーズンは5位に終わり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得。シーズン途中である2014年3月にはクリスティアン・キヴが契約を解消し引退した。5月にはキャプテンでありクラブの象徴であったハビエル・サネッティがシーズン限りでの引退を発表。7月、サネッティの副会長就任が発表された。背番号4番は業績を讃えて永久欠番となる事が決まった。また、2人に加えエステバン・カンビアッソワルテル・サムエルディエゴ・ミリートといった同じく2009-10シーズンの三冠に貢献したメンバーも退団した[31]

2014-15

2014-15シーズンは夏の移籍市場でネマニャ・ヴィディッチガリー・メデルヤン・エムヴィラパブロ・オスヴァルドらを獲得するも、リーグ第11節終了時点で4勝と序盤から低迷し、マッツァーリは11月14日に解任された。後任は2007-08シーズン以来の就任となるロベルト・マンチーニになった。

冬の移籍市場ではオスヴァルド、エムヴィラ、イブラヒマ・エムバイェレネ・クルヒンら夏に獲得した選手を半年で放出。ニューカッスル・ユナイテッドFCからダビデ・サントンを復帰させ、マルセロ・ブロゾヴィッチジェルダン・シャチリルーカス・ポドルスキらを獲得。コッパ・イタリアは準々決勝で敗退。UEFAヨーロッパリーグは決勝トーナメント2回戦で敗退。リーグは8位に終わり、来季のEL出場も逃したが、マウロ・イカルディがリーグ得点王に輝いた。

2010年代後半 -新たな時代へ~再建と低迷-

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2015-16

2015-16シーズン前の夏の移籍市場では、コバチッチ、カンパニャーロ、エルナネス、オビ、クズマノヴィッチらを放出し、ジョフレイ・コンドグビアステヴァン・ヨヴェティッチミランダイヴァン・ペリシッチアデム・リャイッチフェリペ・メロマルティン・モントーヤアレックス・テレスジェイソン・ムリージョジョナタン・ビアビアニーを獲得し大規模な補強とチームの入れ替えを敢行した。2015-16シーズンは新戦力のミランダ、ジェイソン・ムリージョ、守護神のサミル・ハンダノヴィッチらが支える堅守を武器に49年ぶりの開幕戦から5連勝を成し遂げ、首位に立つなど序盤は絶好調であった。しかし、2016年1月11日のサッスオーロ戦での敗北以降、失速。冬の移籍市場でエデルを獲得したものの目立った効果はなく、リーグ戦はチャンピオンズリーグ圏外の4位に終わった。コッパ・イタリアでは準決勝で宿敵ユヴェントスFCと対戦。アウェーでは3-0の完敗を喫すも、ホームでは3点のビハインドを追いつき延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込んだ。しかし、PK戦で敗れ決勝進出は果たせず、無冠に終わった。

2015-16シーズン終了後、中国の大手家電販売グループの蘇寧電器グループがクラブの株式の70%を取得し筆頭株主となり、新たなオーナーが誕生することになった。なお、エリック・トヒルは会長の座に留任することになる。

2016-17

2016-17シーズンは、EURO2016においてポルトガル代表の優勝に貢献したジョアン・マリオを筆頭に、クリスティアン・アンサルディアントニオ・カンドレーヴァセビージャFCのヨーロッパリーグ優勝に貢献したエベル・バネガリオデジャネイロオリンピックにおいてブラジル代表の金メダル獲得に貢献したガブリエウ・バルボーザなどを獲得した。しかしロベルト・マンチーニ監督とフロントとの間で亀裂が入り、マンチーニは開幕を前にして辞任。後任にはフランク・デ・ブールが就任した。ところがシーズンが始まってもなかなか勝ちを重ねることかできず、デ・ブールは解任された。後任はステファノ・ピオリが就任した。ピオリ就任後は上昇傾向にあったものの、最後に大きく崩れ7位に終わり、欧州カップ戦の出場権を逃した。

2017-18

2017-18シーズン夏の移籍市場では例年ほど大きな動きを見せなかったものの、ルチアーノ・スパレッティを新監督に迎え、ミラン・シュクリニアルボルハ・バレロマティアス・ベシーノなど主力級の選手をピンポイントで補強。これが功を奏し開幕戦から第16節まで無敗をキープしたが、12月に入ると8試合未勝利の急失速に陥った。それでも第24節のジェノア戦で勝ち星を取り戻すと復調を見せUEFAチャンピオンズリーグ出場権争いに復帰。ラツィオとのCL出場権をかけた最終節で勝利を収めて4位を確定させ、7シーズンぶりにCL出場権を獲得した。

2018-19

昨年から一転して積極的に立ち回り、ユベントスからクワドォー・アサモア、ラツィオからステファン・デ・フライをいずれもフリーで、さらにはローマからラジャ・ナインゴランと、ライバルチームの実力者の獲得に成功。またアトレティコ・マドリードからシメ・ヴルサリコASモナコからケイタ・バルデラシン・クルブからラウタロ・マルティネスを獲得し、充実した補強に成功した。2018年10月、蘇寧グループ張近東英語版会長の息子である張康陽英語版がクラブの会長に就任した[32]。12月にはCEOにユヴェントスFCを退任したジュゼッペ・マロッタの招聘を決定。冬の移籍ではセドリック・ソアレスらを獲得した。

シーズンの始めこそバタついたものの、第5節から7連勝を記録するなど徐々に調子を上げる。しかし11月に入ると上位陣との対戦が多く苦戦し、そのまま調子が下降した。2月には主将のマウロ・イカルディが妻で代理人のワンダ・ナラの挑発的な発言でクラブと対立し、シーズン途中に異例の主将剥奪を受けるなど最後までチーム状態が混乱していたが、順位を維持。終盤で3位から4位に順位を下げたものの最終節エンポリ戦で勝利しそのままフィニッシュ、2010-11/2011-12シーズン以来8年ぶりとなる、2季連続でのCL出場権獲得となった。

7年ぶり出場となったCLはグループステージでバルセロナトッテナムPSVと同グループとなった。連勝スタートを切り、バルセロナとの2連戦も1分け1敗で凌いでベスト16進出に大きく近づいたが、残り2試合で1分け1敗と失速し、総得点数の差でトッテナムに逆転され3位となり、ヨーロッパリーグに回ることになった。ELはベスト16まで進むが、ラウンド16・フランクフルト戦はイカルディが招集を拒否するなどチームの混乱を抑えられず、2戦合計0-1で敗退した。

2019-20

ルチアーノ・スパレッティ監督を解任し、新監督にアントニオ・コンテを招聘。アトレティコ・マドリードを退団したディエゴ・ゴディン、ダウベルトとトレードでクリスティアーノ・ビラーギ、パルマからアレッサンドロ・バストーニ、サッスオーロからステファノ・センシ、カリアリからニコロ・バレッラ、さらにマンチェスター・ユナイテッドからロメル・ルカクアレクシス・サンチェスを獲得し、充実の陣容を揃えた。昨年問題児と化したイカルディはパリ・サンジェルマンミランダ江蘇蘇寧ジョアン・マリオロコモティフ・モスクワ、ナインゴランをカリアリ、イヴァン・ペリシッチバイエルン・ミュンヘンへ放出し、人員整理にも成功した。冬の移籍市場では、マンチェスター・ユナイテッドからアシュリー・ヤングチェルシーFCから買取オプション付きの期限付き移籍でビクター・モーゼストッテナム・ホットスパーからクリスティアン・エリクセンを獲得した。

2020年に発生した新型コロナウイルスの世界的な感染拡大でセリエAを含む全ての試合が一時的な中断となった。しかし、リーグ戦は近年の成績と比較すると攻守ともに素晴らしいパフォーマンスを披露し、最終的に24勝4敗10分勝ち点82、2010-11シーズン以来となる2位で終えた。総得点数81ゴールは1951-52シーズン(86ゴール)に次ぐクラブ史上最多得点数であり、36失点はリーグで最も失点を抑えたチームとなった。CLのグループステージはバルセロナドルトムント、スラヴィア・プラハと同グループになった。グループステージでの成績は2勝1分3敗で3位となり、2シーズン連続のグループステージでの敗退となった。ELは前身大会UEFAカップ時代の1997-98シーズン以来の決勝進出を果たしたが、セビージャに2-3と逆転負けをし、優勝を逃した。

2020年代前半 -強豪復活〜欧州での涙-

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2020-21

夏の移籍市場では前シーズンを支えたゴディン、カンドレーヴァなどが移籍し、ペリシッチとナインゴランがレンタル移籍から復帰。アクラフ・ハキミアレクサンダル・コラロフアルトゥーロ・ビダルマッテオ・ダルミアンを獲得した。

シーズン前半戦はミラノダービーの敗北やCLのグループステージで1勝しかできず3シーズン連続GL敗退をするなどコンテへの批判があった。しかし、シーズン後半戦は冬の選手補強が無かったもののエリクセンとペリシッチがチームにフィットし始めたこともあり、第18節ユヴェントス戦は2-0と2016-17シーズン以来の勝利を収めた。その後優勝が決まるまで11連勝&18戦無敗で首位をキープし、第34節サッスオーロ対アタランタ戦が引き分けに終わり、2009-10シーズン以来11年ぶり19回目のスクデットを獲得した。結果的にリーグ戦は2006-07シーズン以来となる勝点90超えとなり、28勝7分3敗勝点91の独走状態で終えた。

2021-22

2021年5月26日、アントニオ・コンテ監督が蘇寧グループの財政難によりフロントの補強プランと食い違いが生じたために電撃辞任し[33] 、新監督にシモーネ・インザーギを招聘[34]。財政難の影響で昨シーズンに目覚ましい活躍でチームに貢献したハキミをパリ・サンジェルマンへ、ルカクをチェルシーへ高額な移籍金と共に放出した。また昨シーズンに中盤で本領を発揮し始めたエリクセンが代表戦にて心停止で倒れ復帰の見通しも立たなくなるなど、優勝の余韻に浸る間もなく当初は暗い話題ばかりが先行した。一方で補強面はミランからハカン・チャルハノールをフリーで獲得。PSVからデンゼル・ダンフリース、ローマからエディン・ジェコを獲得し、さらにインザーギを恩師と慕うホアキン・コレアをラツィオからレンタルで迎え入れた。軸となる主力選手や優勝監督が離脱した開幕前は各方面から厳しい予想が並んだが、インザーギ監督が早々にまとめ上げたチームは攻守に安定感を発揮し、念願のCLグループステージ突破に加えリーグ戦では第17節で首位に浮上した。冬の移籍市場ではアタランタからロビン・ゴセンス、ジェノアからフェリペ・カイセドをレンタルで獲得した。コッパ・イタリア決勝で延長の末にユヴェントスを4-2で破り11シーズン振りに大会優勝を果たした。リーグ戦は首位に立つミランを猛追するも一歩及ばず2位となった。

2022-23

コラロヴが現役引退、ラノッキア、ペリシッチ、ベシーノが契約満了、ビダル、サンチェスのチリ人コンビが契約解除で退団した。チェルシーに馴染めず元鞘に戻りたがるルカクをレンタルで迎え入れた。未だ財政難に苦しんでおり、バストーニやシュクリニアルなどといった主力に移籍の噂が浮上した[35] が両名は残留。マロッタの辣腕ぶりが発揮されエンポリからクリスティアン・アスラニ、カリアリからラウル・ベッラノーヴァ、ラツィオからフランチェスコ・アチェルビの3名をレンタルで獲得し、アヤックスからアンドレ・オナナ、ASローマからヘンリク・ムヒタリアンの両名をフリーで獲得した。

2022 FIFAワールドカップによる中断前のリーグ戦成績は10勝5敗と苦戦。しかし、中断明けは復調し、結果的に3位で終えた。

スーペルコッパ・イタリアーナは3-0でライバルのACミランに圧勝し、2年連続で優勝した。コッパ・イタリアも2年連続で決勝戦に進出し、フィオレンティーナに1-0で勝利。2年連続の優勝を達成した。

CLはバイエルン・ミュンヘン、バルセロナ、ヴィクトリア・プルゼニと同組になった。3勝1分2敗の2位通過、2シーズン連続でGLを突破した。 決勝トーナメント一回戦はポルトに合計スコア1-0で勝利。10-11シーズン以来の準々決勝進出を決めた。準々決勝のベンフィカ戦は合計スコア5-3で勝利。09-10シーズン以来の準決進出を決めた。準決勝はライバルのACミランとのユーローダービーとなり、合計スコア3-0で勝利した。

決勝ジョゼップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティFCとの対戦となった。尚、公式戦で両チームが対戦するのはこの試合が初となる。試合はアチェルビが22-23CL得点ランキング1位のアーリング・ハーランドを完封し、チームも積極的に攻めていたが後半68分のロドリのミドルシュートが決勝点になり、09-10シーズン以来の優勝とはならなかった[36]

2023-24

長年チームを支えたハンダノヴィッチが契約満了、シュクリニアル、ダンブロージオ、ジェコがフリーで移籍し、ブロゾヴィッチやオナナ、ゴセンスも売却したことで、一気に主力がチームを離れることとなった。しかし、バイエルンからバンジャマン・パヴァールヤン・ゾマー、フリー移籍でボルシアMGからマルクス・テュラムユヴェントスからフアン・クアドラードアヤックスからデイヴィ・クラーセンを獲得、そしてマルセイユからアレクシス・サンチェスが復帰した。レンタルでもサッスオーロからダヴィデ・フラッテージモンツァからカルロス・アウグストが加入し、ボローニャからは13年ぶりにマルコ・アルナウトヴィッチが復帰することになった[注 5][37]。冬の移籍市場では、クラブ・ブルッヘからタジョン・ブキャナンを獲得した[38]

リーグ戦では、新たにキャプテンに就任したラウタロ・マルティネスらの活躍で攻守に安定感を見せ首位を独走。第33節のミラノダービーで2-1で勝利し、ライバルであるミランの前で3年ぶり20回目の優勝を決めた[注 6][39]。最終的には27勝7分2敗の勝ち点94でシーズンを終えた[40]

スーペルコッパ・イタリアーナは準決勝でラツィオに3-0、決勝ではナポリに1-0で勝利し3年連続の優勝を果たしたが[41]、コッパ・イタリアではラウンド16でボローニャに1-2で敗北したことでこちらは3年連続の優勝とはならなかった[42]

CLではレアル・ソシエダベンフィカザルツブルクと同組になり3勝3分、得失点差でGL2位通過となった。ラウンド16ではアトレティコ・マドリードと対戦し、ホームでは1-0で先勝したが、アウェイでは1-2でPK戦の末に敗戦[43]、優勝候補という評価もあったがベスト16に終わった[44]

5月22日、蘇寧グループへの融資が返済されなかった為、アメリカの投資会社であるオークツリー・キャピタル・マネジメント英語版へと所有権が変更されたことが発表された[2][45]。6月4日、CEOとして数々の補強を成功させてきたジュゼッペ・マロッタの会長就任が発表された[3]

2024-25

サンチェス、クラーセン、クアドラード、センシが契約満了により退団した[46][47][48][49]。補強面では、ジェノアCFCからジョゼップ・マルティネス[50]、フリー移籍でピオトル・ジエリンスキメフディ・タレミを獲得した[51][52]

タイトル

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国内タイトル

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  • セリエA:20回
    • 1909-10, 1919-20, 1929-30, 1937-38, 1939-40, 1952-53, 1953-54, 1962-63, 1964-65, 1965-66, 1970-71, 1979-80, 1988-89, 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10, 2020-21, 2023-24
  • コッパ・イタリア:9回
    • 1938-39, 1977-78, 1981-82, 2004-05, 2005-06, 2009-10, 2010-11, 2021-22, 2022-23
  • スーペルコッパ・イタリアーナ:8回
    • 1989-90, 2005-06, 2006-07, 2008-09, 2010-11, 2021-22, 2022-23, 2023-24

国際タイトル

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UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10 決勝での巨大なインテルのロゴ‐マドリッドエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウにて

過去の成績

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シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア スーペルコッパ UEFA CL[注 7] UEFA EL[注 8] UEFA ECL CWC[注 9]
ディビジョン 順位
1929-30 セリエA 34 22 6 6 85 38 50 1位
1930-31 34 15 8 11 60 45 38 5位
1931-32 34 15 8 11 67 52 38 6位
1932-33 34 19 8 7 80 53 46 2位
1933-34 34 20 9 5 66 24 49 2位
1934-35 30 15 12 3 58 24 42 2位
1935-36 30 14 8 8 61 34 36 4位 ベスト16
1936-37 30 9 13 8 43 35 31 7位 準決勝敗退
1937-38 30 16 9 5 57 28 41 1位 準決勝敗退
1938-39 30 14 9 7 55 37 37 3位 優勝
1939-40 30 20 4 6 56 23 44 1位 ベスト32
1940-41 30 14 7 9 52 42 35 2位 ベスト16
1941-42 30 7 12 11 31 47 26 12位 ベスト16
1942-43 30 15 4 11 53 38 34 4位 ベスト16
1946-47 38 13 10 15 59 54 36 10位
1947-48 40 16 5 19 67 60 37 12位
1948-49 38 22 11 5 85 39 55 2位
1949-50 38 21 7 10 99 60 49 3位
1950-51 38 27 5 6 107 43 59 2位
1951-52 38 21 7 10 86 49 49 3位
1952-53 34 19 9 6 46 24 47 1位
1953-54 34 20 11 3 67 32 51 1位
1954-55 34 13 10 11 55 49 36 8位
1955-56 34 16 7 11 57 36 39 3位 GS敗退
1956-57 34 11 13 10 53 45 35 5位
1957-58 34 10 12 12 36 36 32 11位 GS敗退
1958-59 34 20 6 8 77 41 46 3位 準優勝 準々決勝敗退
1959-60 34 14 12 8 55 43 40 4位 準々決勝敗退
1960-61 34 18 8 8 73 39 44 3位 準々決勝敗退 準決勝敗退
1961-62 34 19 10 5 59 31 48 2位 ベスト16 準々決勝敗退
1962-63 34 19 11 4 56 20 49 1位 ベスト16
1963-64 34 23 8 3 54 21 54 2位 準々決勝敗退 優勝
1964-65 34 22 10 2 68 29 54 1位 準優勝 優勝 優勝
1965-66 34 20 10 4 70 28 50 1位 準決勝敗退 準決勝敗退 優勝
1966-67 34 19 10 5 59 22 48 2位 準決勝敗退 準優勝
1967-68 30 13 7 10 46 34 33 5位
1968-69 30 14 8 8 55 26 36 4位 GS敗退
1969-70 30 16 9 5 41 19 41 2位 準々決勝敗退 準決勝敗退
1970-71 30 19 8 3 50 26 46 1位 GS敗退 1回戦敗退
1971-72 30 13 10 7 49 28 36 5位 準決勝敗退 準優勝
1972-73 30 15 7 8 32 23 37 5位 準決勝敗退 3回戦敗退
1973-74 30 12 11 7 47 33 35 4位 準決勝敗退 1回戦敗退
1974-75 30 10 10 10 26 26 30 9位 準決勝敗退 2回戦敗退
1975-76 30 14 9 7 36 28 37 4位 準決勝敗退
1976-77 30 10 13 7 34 27 33 4位 準優勝 1回戦敗退
1977-78 30 13 10 7 35 24 36 5位 優勝 1回戦敗退
1978-79 30 10 16 4 38 24 36 4位 準々決勝敗退
1979-80 30 14 13 3 44 25 41 1位 準々決勝敗退 2回戦敗退
1980-81 30 14 8 8 41 24 36 4位 GS敗退 準決勝敗退
1981-82 30 11 13 6 39 34 35 5位 優勝 2回戦敗退
1982-83 30 12 14 4 40 23 38 3位 準決勝敗退
1983-84 30 12 11 7 37 23 35 4位 GS敗退 3回戦敗退
1984-85 30 13 12 5 42 28 38 3位 準決勝敗退 準決勝敗退
1985-86 30 12 8 10 36 33 32 6位 準々決勝敗退 準決勝敗退
1986-87 30 15 8 7 32 17 38 3位 準々決勝敗退 準々決勝敗退
1987-88 30 11 10 9 42 35 32 5位 準決勝敗退 3回戦敗退
1988-89 34 26 6 2 67 19 58 1位 GS敗退 3回戦敗退
1989-90 34 17 10 7 55 32 44 3位 準々決勝敗退 優勝 1回戦敗退
1990-91 34 18 10 6 56 31 46 3位 ベスト16 優勝
1991-92 34 10 17 7 28 28 37 8位 準々決勝敗退 1回戦敗退
1992-93 34 17 12 5 59 36 46 2位 準々決勝敗退
1993-94 34 11 9 14 46 45 31 13位 準々決勝敗退 優勝
1994-95 34 14 10 10 39 34 52 6位 ベスト32 1回戦敗退
1995-96 34 15 9 10 51 30 54 7位 準決勝敗退 1回戦敗退
1996-97 34 15 14 5 51 35 59 3位 準決勝敗退 準優勝
1997-98 34 21 6 7 62 27 69 2位 準々決勝敗退 優勝
1998-99 34 13 7 14 59 54 46 8位 準決勝敗退 準々決勝敗退
1999-00 34 17 7 10 58 36 58 4位 準優勝
2000-01 34 14 9 11 47 47 51 5位 準々決勝敗退 準優勝 3回戦敗退 4回戦敗退
2001-02 34 20 9 5 62 35 69 3位 ベスト16 準決勝敗退
2002-03 34 19 8 7 64 38 65 2位 ベスト16 準決勝敗退
2003-04 34 17 8 9 59 37 59 4位 準決勝敗退 GS敗退 準々決勝敗退
2004-05 38 18 18 2 65 37 72 3位 優勝 準々決勝敗退
2005-06 38 23 7 8 68 30 76 1位[注 10] 優勝 優勝 準々決勝敗退
2006-07 38 30 7 1 80 34 97 1位 準優勝 優勝 ベスト16
2007-08 38 25 10 3 69 26 85 1位 準優勝 準優勝 ベスト16
2008-09 38 25 9 4 70 32 84 1位 準決勝敗退 優勝 ベスト16
2009-10 38 24 10 4 75 34 82 1位 優勝 準優勝 優勝
2010-11 38 23 7 8 65 24 76 2位 優勝 優勝 準々決勝敗退 優勝
2011-12 38 17 7 14 58 55 58 6位 準々決勝敗退 準優勝 ベスト16
2012-13 38 16 6 16 55 57 54 9位 準決勝敗退 ベスト16
2013-14 38 15 15 8 62 39 60 5位 ベスト16
2014-15 38 14 13 11 59 48 55 8位 準々決勝敗退 ベスト16
2015-16 38 20 7 11 50 38 67 4位 準決勝敗退
2016-17 38 19 5 14 72 49 62 7位 準々決勝敗退 GS敗退
2017-18 38 20 12 6 66 30 72 4位 準々決勝敗退
2018-19 38 20 9 9 57 33 69 4位 準々決勝敗退 GS敗退 ベスト16
2019-20 38 24 10 4 81 36 82 2位 準決勝敗退 GS敗退 準優勝
2020-21 38 28 7 3 89 35 91 1位 準決勝敗退 GS敗退
2021-22 38 25 9 4 84 32 84 2位 優勝 優勝 ベスト16
2022-23 38 23 3 12 71 42 72 3位 優勝 優勝 準優勝
2023-24 38 29 7 2 89 22 94 1位 ベスト16 優勝 ベスト16
2024-25 38 開催中 リーグフェーズ GS

ダービーマッチ

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ミラノダービー

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クラブ 試合 得点 失点 +/-
セリエA
インテル 202 78 59 65 298 267 +31
ACミラン 202 65 59 78 267 298 -31
カンピオナート・アルタ・イタリア 1944
インテル 2 1 0 1 3 3 0
ACミラン 2 1 0 1 3 3 0
コッパ・イタリア
ACミラン 27 10 8 9 34 27 +7
インテル 27 9 8 10 27 34 -7
スーペルコッパ・イタリアーナ
インテル 2 1 0 1 4 2 +2
ACミラン 2 1 0 1 2 4 -2
UEFAチャンピオンズリーグ
インテル 6 2 2 2 4 4 0
ACミラン 6 2 2 2 4 4 0
公式戦合計
インテル 239 91 69 79 336 312 +24
ACミラン 239 79 69 91 312 336 -24

※2024年4月23日開催のミラノダービー終了時点での対戦成績

イタリアダービー

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クラブ 試合 得点 失点 +/-
セリエA
ユヴェントス 209 95 53 61 295 255 +40
インテル 209 61 53 95 255 295 -40
コッパ・イタリア
ユヴェントス 36 15 9 12 53 45 +8
インテル 36 12 9 15 45 53 -8
スーペルコッパ・イタリアーナ
インテル 2 2 0 0 3 1 +2
ユヴェントス 2 0 0 2 1 3 -2
公式戦合計
ユヴェントス 251 112 62 77 353 308 +45
インテル 251 77 62 112 308 353 -45

※2024年2月4日開催のイタリアダービー終了時点での対戦成績

現所属メンバー

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セリエA 2024-25シーズン 開幕フォーメーション (3-5-2
2024年9月10日現在[53]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ヤン・ゾマー
2 DF   デンゼル・ダンフリース ( )
6 DF   ステファン・デ・フライ
7 MF   ピオトル・ジエリンスキ ( )
8 FW   マルコ・アルナウトヴィッチ
9 FW   マルクス・テュラム
10 FW   ラウタロ・マルティネス ( ) ★
11 FW   ホアキン・コレア ( )
12 GK   ラッファエーレ・ディ・ジェンナーロ
13 GK   ジョゼップ・マルティネス
15 DF   フランチェスコ・アチェルビ
16 MF   ダヴィデ・フラッテージ
17 MF   タジョン・ブキャナン
20 MF   ハカン・チャルハノール ( )
No. Pos. 選手名
21 MF   クリスティアン・アスラニ ( )
22 MF   ヘンリク・ムヒタリアン
23 MF   ニコロ・バレッラ
24 FW   エディ・サルセド
28 DF   バンジャマン・パヴァール
30 DF   カルロス・アウグスト
31 DF   ヤン・アウレル・ビセック ( )
32 DF   フェデリコ・ディマルコ
36 DF   マッテオ・ダルミアン
42 DF   トマス・パラシオス
95 DF   アレッサンドロ・バストーニ
99 FW   メフディ・タレミ
GK   ヨヌーツ・ラドゥ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

※3番はジャチント・ファッケッティ 永久欠番

※4番はハビエル・サネッティ 永久欠番

監督
アシスタントコーチ

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF   バレンティン・カルボーニ (マルセイユ)( )
-- FW   マルティン・サトリアーノ (ランス)
-- DF   ジーニョ・ファンフースデン (メヘレン)
-- FW   セバスティアーノ・エスポジト (エンポリ)
-- GK   フィリップ・スタンコヴィッチ英語版 (ヴェネツィア)
No. Pos. 選手名
-- MF   エベネザー・アキサンミロ英語版 (サンプドリア)
-- FW   イシアカ・カマテ英語版 (AVSフトゥボルSAD)
-- DF   フランコ・カルボーニ (リーベル・プレート)
-- DF   アレッサンドロ・フォンタナローザ英語版 (レッジャーナ)

歴代所属選手

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歴代キャプテン

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2024年8月現在、ラウタロ・マルティネスがチームのキャプテンを務めている[54]。以前には、現副会長であるハビエル・サネッティなどが務めた[55]

歴代監督

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歴代記録

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殿堂入り

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(出典[56])

2018年よりクラブ創立110周年を記念して開催された。2020年版からはファン、インテルの全チームの全選手、クラブ従業員、過去に殿堂入りを果たした人物、国内外の主要紙の代表者による投票によって選ばれる。
受賞資格者は、

  • インテル・ミラノで60試合以上出場
  • インテル・ミラノでタイトルを少なくとも1つ獲得
  • 引退後3年以上経過している

しかし、2009-10シーズンのメンバーは引退後3年が経過していなくとも受賞できる。

2018年殿堂入り
ポジション 名前 在籍期間 試合数 主な獲得タイトル
GK  ワルテル・ゼンガ 1982-1994 473 セリエA1回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAカップ2回
DF  ハビエル・サネッティ 1995-2014 858 セリエA5回
コッパ・イタリア4回
スーペルコッパ・イタリアーナ4回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
UEFAカップ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
MF  ローター・マテウス 1988-1992 153 セリエA1回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAカップ1回
FW  ロナウド 1997-2002 99 UEFAカップ1回
特別枠
(会長)
モラッティ家(アンジェロ・モラッティイタリア語版マッシモ・モラッティ 1955-1968,
1995-2004,
2006-2013
- -
2019年殿堂入り
ポジション 名前 在籍期間 試合数 主な獲得タイトル
GK  フランチェスコ・トルド 2001-2010 232 セリエA5回
コッパ・イタリア3回
スーペルコッパ・イタリアーナ3回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
DF  ジャチント・ファッケッティ 1960-1978 637 セリエA4回
コッパ・イタリア1回
ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ2回
インターコンチネンタルカップ2回
MF  デヤン・スタンコビッチ 2004-2013 326 セリエA5回
コッパ・イタリア4回
スーペルコッパ・イタリアーナ4回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
FW  ジュゼッペ・メアッツァ 1927-1940,
1946-1947
408 セリエA3回
コッパ・イタリア1回
特別枠
(GK)
 アストゥティオ・マルジョリオイタリア語版 1986-1991 12 ブラザーズ・ユニバーサリー・ユナイテッド受賞[注 11]
2020年殿堂入り
ポジション 名前 在籍期間 試合数 主な獲得タイトル
GK  ジュリオ・セザール 2005-2012 300 セリエA5回
コッパ・イタリア4回
スーペルコッパ・イタリアーナ4回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
DF  ジュゼッペ・ベルゴミ 1979-1999 754 セリエA1回
コッパ・イタリア1回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAカップ3回
MF  エステバン・カンビアッソ 2004-2014 430 セリエA5回
コッパ・イタリア4回
スーペルコッパ・イタリアーナ4回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
FW  ディエゴ・ミリート 2009-2014 171 セリエA1回
コッパ・イタリア2回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
特別枠
(会長)
エルネスト・ペッレグリーニイタリア語版 1984-1995 - -
2021年殿堂入り
ポジション 名前 在籍期間 試合数 主な獲得タイトル
GK  ジャンルカ・パリュウカ 1994-1999 234 UEFAカップ1回
DF  マルコ・マテラッツィ 2001-2011 276 セリエA5回
コッパ・イタリア4回
スーペルコッパ・イタリアーナ4回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
MF  ヴェスレイ・スナイデル 2009-2013 116 セリエA1回
コッパ・イタリア2回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
FW  サミュエル・エトー 2009-2011 102 セリエA1回
コッパ・イタリア2回
スーペルコッパ・イタリアーナ1回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
特別枠
(副会長)
ジュゼッペ・プリスコイタリア語版 1963-2001 - -
2022年殿堂入り
ポジション 名前 在籍期間 試合数 主な獲得タイトル
GK  イヴァノ・ボルドン 1970-1983 388 セリエA2回
コッパ・イタリア2回
DF  マイコン 2006-2012 248 セリエA4回
コッパ・イタリア2回
スーペルコッパ・イタリアーナ3回
UEFAチャンピオンズリーグ1回
FIFAクラブワールドカップ1回
MF  サンドロ・マッツォーラ 1960-1977 570 セリエA4回
ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ2回
インターコンチネンタルカップ2回
FW  クリスティアン・ヴィエリ 1999-2005 190 コッパ・イタリア1回

出場試合数

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(出典[57]

2024年6月4日現在
名前 試合数 在籍期間
1  ハビエル・サネッティ 858 1995-2014
2  ジュゼッペ・ベルゴミ 754 1979-1999
3  ジャチント・ファッケッティ 637 1960-1978
4  サンドロ・マッツォーラ 566 1961-1977
5  ジュゼッペ・バレージ 558 1976-1992
6  マリオ・コルソ 509 1957-1973
7  ワルテル・ゼンガ 473 1978-1994
8  タルチシオ・ブルニチ 471 1962-1974
9  アレッサンドロ・アルトベッリ 465 1977-1988
10  サミール・ハンダノヴィッチ 455 2012-2023

得点数

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太字は2024年6月6日時点でクラブ在籍中(出典[58]

2024年6月6日現在
名前 得点数 在籍期間
1  ジュゼッペ・メアッツァ 284 1924-1940, 1946-1947
2  アレッサンドロ・アルトベッリ 209 1977-1988
3  ロベルト・ボニンセーニャ 173 1969-1976
4  サンドロ・マッツォーラ 162 1961-1977
5  ベニト・ロレンツィ英語版 143 1947-1958
6  ニエルシュ・イシュトヴァーン 133 1948-1954
7  ラウタロ・マルティネス 129 2018-
8  マウロ・イカルディ 124 2013-2020
9  クリスティアン・ヴィエリ 123 1999-2005
10  マリオ・コルソ 95 1957-1973

その他

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モラッティ家

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1962年にサラス石油英語版を設立したアンジェロ・モラッティ英語版は、1955年から1968年までインテルのオーナー兼会長として、「グランデ・インテル」と呼ばれるチームを築き上げた。当時のエレニオ・エレーラ監督はセリエAを3回制し、ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップインターコンチネンタルカップで2連覇を果たした[59]。1995年には、アンジェロ・モラッティの息子であるマッシモ・モラッティがクラブを買収し、リーグ戦13位と低迷していたインテルは再びモラッティ家の元で復活を目指し、ロナウドらを獲得し大型補強に動く。しかし、UEFAカップを制したもののなかなかスクデットには届かず、2004年1月には、一部のファンの要求に従うようにして会長を退任し、オーナーに専念することとなった[59]。結局、そのシーズンで念願のスクデットを獲得し、2006年9月からは再び会長を務めた。その期間では、クラブ史上初のセリエA5連覇を達成、グランデ・インテル時代から遠ざかっていたUEFAチャンピオンズリーグのタイトルも獲得し、クラブはトレブル(三冠)を成し遂げた[59]。その後、2013年11月にエリック・トヒルがクラブを買収し、モラッティは名誉会長に就任したが、2014年10月に辞任した[60]

インテル・マイアミとの法廷闘争

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2014年に米国特許商標庁から「Inter」の独占商標権を取得したインテル・ミラノは、2020年からアメリカ一部・MLS(メジャーリーグサッカー)に参入したデビット・ベッカムが共同オーナーを務めるインテル・マイアミCFを商標権の侵害だとし、法廷闘争に発展した。MLSは「『Inter』はサッカー界で広く使用されており、消費者は『Inter』を一つのサッカークラブに関連付けていない。」や「Inter」を冠したクラブは世界中にも存在するとし[注 12]、商標権の侵害には当たらないと主張したが、同年2月10日には、「MLSの主張は『Inter』の名前における有効な正当性または商標権を示すのに不十分」との判決が出た[61][62]。しかし、判決後もインテル・マイアミは名称変更を行わずに使い続けていて、2021年に離散的和解に調印しインテル・ミラノはインテル・マイアミが名前を使い続けることを認めたと報道されている[63]

また、アメリカ合衆国の半導体メーカーであるインテルは、「Intel」でありインテル・ミラノの「Inter」とは一文字違いである[64]

脚注

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注釈

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  1. ^ 複数形はネラッズーリ(nerazzurri)
  2. ^ ACミランは7回優勝。インテルはイタリアで2番目の3回で、3位のユヴェントスは2回である。
  3. ^ イタリアダービーは「一度も降格経験がない2チームだから」というのは俗説で本当は、インテルが1965-66シーズンに10回目のスクデットを獲得してラ・ステッラを付けられる2番目のチームになったときにイタリアの有名なジャーナリストのジャンニ・ブレラが「この常に優勝争いをしている2チームの対戦がイタリアのナショナルダービー」と言ったことから名付けられた。この当時はACミランとボローニャFCも降格経験がなく、ACミランは1979-80シーズン、ボローニャFCは1981-82シーズンに初の降格を経験している。
  4. ^ セリエA5連覇は当時のリーグタイ記録であったが、ユヴェントスが2011-12シーズンから19-20シーズンまで9連覇を達成したことで塗り替えられている。
  5. ^ フラッテージは買取義務付き、カルロス・アウグストとアルナウトヴィッチは条件達成で買取義務の発生するOP付きとなっている。
  6. ^ この時点では、インテルはリーグ優勝回数が19回でACミランと並んでいたが、リーグ2番目の速さで20回目の優勝となった。セリエAでは10回の優勝毎にユニフォームにステラをつけることができるため、この年でインテルは2個目をミランより一足先に獲得した。
  7. ^ UEFAチャンピオンズカップを含む
  8. ^ UEFAカップを含む
  9. ^ インターコンチネンタルカップを含む
  10. ^ カルチョ・スキャンダルによる繰り上げ優勝
  11. ^ 差別や人種差別に対して人道的な功績を残した人物に贈られる、インテルが創設した賞。
  12. ^ クラブ名に「Inter」が含まれるのは、インテル・ミラノ、インテル・マイアミの他にもSCインテルナシオナル(ブラジル)やFCインテル・トゥルク(フィンランド)などが存在する。

出典

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  1. ^ 欧州から南米まで…1部リーグから降格した経験のないクラブはどこ?”. サッカーキング (2021年4月21日). 2024年7月24日閲覧。
  2. ^ a b Corporate Communication | Inter.it” (英語). www.inter.it. 2024年5月27日閲覧。
  3. ^ a b F.C. Internazionale Milano S.p.A. annuncia la proposta di nomina di Giuseppe Marotta a Presidente e i nuovi membri del Consiglio di Amministrazione | Inter.it” (イタリア語). www.inter.it. 2024年6月4日閲覧。
  4. ^ セリエAの“北の3強”もコロナ禍で経済打撃大 直近2年で計1219億円の損失と現地指摘”. www.football-zone.net (2021年10月2日). 2024年6月25日閲覧。
  5. ^ Italy – List of Champions”. RSSSF. 2014年1月31日閲覧。
  6. ^ Inter join exclusive treble club”. uefa.com. 2012年8月9日閲覧。
  7. ^ UEFA 5-year Club Ranking 2024”. kassiesa.net. 2024年6月3日閲覧。
  8. ^ Deloitte Football Money League 2024” (英語). www.deloitte.com. 2024年6月3日閲覧。
  9. ^ “XXXV Osservatorio sul Capitale Sociale degli italiani – Il tifo calcistico in Italia”. Demos & Pi. (2012年9月18日). pp. 4, 7. http://www.demos.it/2012/pdf/2397capsoc35_tifocalcio.pdf 2012年2月8日閲覧。 
  10. ^ Sport+Markt AG (2010年9月9日). “Europe's Top 20- the most popular football clubs”. http://www.scribd.com/doc/40164831/20100909-SPORT-MARKT-Football-Top-20-2010-Abstract-Press 2011年7月20日閲覧。 
  11. ^ 23-24シーズン、欧州で最も平均観客動員数が多かったスタジアム”. www.transfermarkt.jp. 2024年7月2日閲覧。
  12. ^ Betsson Sport becomes Inter’s new Official Main Partner. Historic agreement between the two brands | Inter.it” (英語). www.inter.it. 2024年7月1日閲覧。
  13. ^ 26年にわたる『Pirelli』の歴史に幕…インテルがユニフォーム新メインスポンサー発表 | Goal.com 日本”. www.goal.com (2023年9月25日). 2024年7月1日閲覧。
  14. ^ インテルが23-24新ユニを発表!胸ロゴはCL決勝の「パラマウントプラス」で継続決定”. ライブドアニュース. 2024年7月1日閲覧。
  15. ^ “マリア像”はどちらに微笑むか? CL準決勝「ミラン対インテル」をプレビュー”. サッカーキング (2023年5月10日). 2024年7月20日閲覧。
  16. ^ 歴代最強イレブン イタリア 特集:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2024年7月20日閲覧。
  17. ^ イタリア初の三冠達成! 現代版グランデ・インテル◎サッカー世界遺産第26回”. soccermagazine.jp. 2024年7月20日閲覧。
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  19. ^ 偉大なレジェンドの名前が入ったサッカースタジアム5選〜欧州編〜 – ALLSTARS CLUB”. 2024年7月20日閲覧。
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  27. ^ インテルの新監督はレオナルドに決定
  28. ^ 長友佑都が世界王者インテルに移籍決定
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  42. ^ コッパ・イタリア2連覇中のインテル、今季は16強敗退…好調ボローニャに延長戦で逆転負け”. サッカーキング (2023年12月21日). 2024年4月29日閲覧。
  43. ^ メンフィスが後半終了間際に劇的弾! アトレティコがPK戦でインテル撃破、2年ぶりCL8強入り”. サッカーキング (2024年3月14日). 2024年4月29日閲覧。
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関連項目

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外部リンク

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公式