デヤン・スタンコビッチ
デヤン・スタンコヴィッチ(セルビア語: Дејан Станковић, ラテン文字転写: Dejan Stanković、1978年9月11日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。フェレンツヴァーロシュTC監督。
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2022年 | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | デキ(Деки, Deki) | |||||
ラテン文字 | Dejan Stanković | |||||
キリル文字 | Дејан Станковић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
セルビア イタリア | |||||
生年月日 | 1978年9月11日(46歳) | |||||
出身地 | ベオグラード | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1992 | テレオプティク | |||||
1992-1995 | レッドスター・ベオグラード | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1998 | レッドスター・ベオグラード | 85 | (29) | |||
1998-2004 | ラツィオ | 137 | (22) | |||
2004-2013 | インテル | 231 | (29) | |||
通算 | 453 | (80) | ||||
代表歴 | ||||||
1998-2003 | ユーゴスラビア | 40 | (8) | |||
2003-2006 | セルビア・モンテネグロ | 21 | (4) | |||
2006-2013 | セルビア | 42 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2014-2015 | ウディネーゼ(アシスタント) | |||||
2019-2022 | レッドスター・ベオグラード | |||||
2022-2023 | サンプドリア | |||||
2023- | フェレンツヴァーロシュ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集クラブ
編集- レッドスター・ベオグラード
1992年にレッドスター・ベオグラードのユースに入団。1995年2月11日のOFKベオグラード戦で当時のクラブ史上最年少デビューを果たし[1]、1997年5月17日のFKブドゥチノスト・ポドゴリツァ戦では18歳6ヶ月6日で当時のクラブ史上最年少ハットトリックを達成(2023年12月16日のFKスパルタク・スボティツァ戦でヨヴァン・ミヤトヴィッチが18歳5ヶ月5日に更新[2])、1997-98シーズンには19歳にしてキャプテンを任された。
- ラツィオ
1998年夏、セリエA・SSラツィオへ移籍。同年9月13日のピアチェンツァ戦でセリエA初ゴールを記録。中盤の一角としてロベルト・マンチーニ、パベル・ネドベド、フアン・セバスティアン・ベロンらとプレーし、2年目の1999-2000シーズンにはセリエA優勝を経験。ラツィオでは在籍5シーズン半でリーグ戦137試合に出場し、22ゴールを挙げた。
- インテル
2004年1月、インテルへ移籍。移籍金400万ユーロに加えゴラン・パンデフがトレード要員となった。翌2004-05シーズンにはラツィオ時代の同僚のマンチーニが監督に就任。再建を図るチームの一員としてコッパ・イタリアを皮切りにタイトル獲得に貢献し、スクデット6連覇を達成。2009-10シーズンはジョゼ・モウリーニョ監督の下で主要タイトル3冠(チャンピオンズ・リーグ、セリエA、コッパ・イタリアでの優勝)を経験した。 2013年7月6日、インテル退団が決定。
代表
編集1998年、ユーゴスラビア代表に招集され、4月22日の韓国戦で初出場。この試合で2得点を挙げた。2ヵ月後のフランスW杯のメンバーにも選出され、ベスト16入りを経験した。
国際情勢の変化により2006 FIFAワールドカップ・予選からセルビア・モンテネグロ代表の一員となる。2006 FIFAワールドカップでは背番号10を背負ったが、グループステージ敗退。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選からはセルビア代表となり、キャプテンを任された。予選を突破し、ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロ、セルビア代表と3国の代表としてワールドカップに出場した初めての選手となるも、本大会ではまたしてもグループステージ最下位に終わった。
2011年10月12日、セルビア代表からの引退を表明した[3]。
2013年10月11日、日本代表との試合を最後に現役を引退した[4]。
引退後
編集2014年7月4日、インテル時代に師事したアンドレア・ストラマッチョーニが監督に就任したウディネーゼ・カルチョのアシスタントコーチに就任した[5]。
2019年12月19日、レッドスター・ベオグラードの監督に2年半の契約で就任[6]。このシーズンは優勝を果たし、スタンコビッチは監督として初のタイトルを獲得した[7][8]。
2020-21シーズンは、38試合中無敗のまま35試合で勝利し、リーグ新記録の114得点を記録し優勝した[9]。
エピソード
編集- 息子のフィリプとアレクサンダルもプロサッカー選手で、父親の古巣であるインテルの下部組織で育ち、2023年現在インテルに所属している。フィリプのポジションはゴールキーパー、アレクサンダルのポジションはミッドフィールダー。
- 2009年10月17日のジェノアCFC戦で相手キーパーのマルコ・アメリアのミスキックを見逃さず、センターライン付近(ゴールより約54mの位置)からダイレクトでゴールに蹴りこんだ[13]。試合後にこのゴールを振り返って「10年から15年後になっても、子供たちに聞かせられるゴールだ」と語った[14]。
- 2011年4月6日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝1stレグのシャルケ04戦において、相手キーパーのマヌエル・ノイアーがヘディングでクリアしたボールをセンターライン付近から蹴り返し、ダイレクトボレーシュートを決めた。前半キックオフからわずか25秒後のことであった[15]。
個人成績
編集クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 国際大会 | その他 | 通算 | ||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
レッドスター・ベオグラード | 1994-95 | プルヴァ・リーガ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 |
1995-96 | プルヴァ・リーガ | 24 | 4 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 30 | 5 | |
1996-97 | プルヴァ・リーガ | 26 | 10 | 6 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 37 | 13 | |
1997-98 | プルヴァ・リーガ | 28 | 15 | 7 | 3 | 4 | 3 | 0 | 0 | 39 | 21 | |
通算 | 85 | 29 | 17 | 5 | 11 | 5 | 0 | 0 | 113 | 39 | ||
ラツィオ | 1998-99 | セリエA | 29 | 4 | 5 | 1 | 7 | 4 | 1 | 0 | 42 | 9 |
1999-00 | セリエA | 16 | 3 | 4 | 0 | 11 | 2 | 1 | 0 | 32 | 5 | |
2000-01 | セリエA | 21 | 0 | 2 | 1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 33 | 1 | |
2001-02 | セリエA | 27 | 7 | 4 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 36 | 8 | |
2002-03 | セリエA | 29 | 6 | 2 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 38 | 6 | |
2003-04 | セリエA | 15 | 2 | 4 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 27 | 4 | |
通算 | 137 | 22 | 21 | 4 | 47 | 7 | 3 | 0 | 208 | 33 | ||
インテル | 2003-04 | セリエA | 14 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 4 |
2004-05 | セリエA | 31 | 3 | 6 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 47 | 6 | |
2005-06 | セリエA | 23 | 2 | 7 | 2 | 8 | 2 | 0 | 0 | 38 | 6 | |
2006-07 | セリエA | 34 | 6 | 3 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 45 | 6 | |
2007-08 | セリエA | 21 | 1 | 3 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 31 | 1 | |
2008-09 | セリエA | 31 | 5 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 38 | 5 | |
2009-10 | セリエA | 29 | 3 | 1 | 0 | 12 | 2 | 1 | 0 | 43 | 5 | |
2010-11 | セリエA | 26 | 5 | 3 | 1 | 7 | 2 | 4 | 1 | 40 | 9 | |
2011-12 | セリエA | 19 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | |
2012-13 | セリエA | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
通算 | 231 | 29 | 26 | 3 | 60 | 9 | 9 | 1 | 326 | 42 | ||
総通算 | 453 | 80 | 64 | 12 | 118 | 21 | 12 | 1 | 647 | 114 |
代表歴
編集出場大会
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 36試合 8得点(ユーゴスラビア、1998年-2002年)[16]
- 国際Aマッチ 25試合 3得点(セルビア・モンテネグロ、2002年-2006年)[16]
- 国際Aマッチ 42試合 3得点(セルビア、2006年-2013年)[16]
ユーゴスラビア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1998 | 10 | 3 |
1999 | 7 | 3 |
2000 | 8 | 0 |
2001 | 6 | 2 |
2002 | 5 | 0 |
通算 | 36 | 8 |
セルビア・モンテネグロ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2002 | 3 | 0 |
2003 | 4 | 0 |
2004 | 6 | 2 |
2005 | 7 | 0 |
2006 | 5 | 1 |
通算 | 25 | 3 |
セルビア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2006 | 6 | 1 |
2007 | 5 | 0 |
2008 | 6 | 0 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 10 | 2 |
2011 | 7 | 0 |
2012 | 0 | 0 |
2013 | 1 | 0 |
通算 | 42 | 3 |
監督成績
編集- 2022年10月20日現在
クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | ||||
ツルヴェナ・ズヴェズダ | 2019年12月21日 | 2022年8月26日 | 134 | 105 | 20 | 9 | 334 | 79 | +255 | 78.36 | |
サンプドリア | 2022年10月6日 | 現在 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 | −1 | 0.00 | |
合計 | 137 | 105 | 22 | 10 | 337 | 83 | +254 | 76.64 |
タイトル
編集選手時代
編集- レッドスター・ベオグラード
- SRユーゴスラビア・ファーストリーガ:1回(1994-95)
- SRユーゴスラビアカップ:3回(1994-95、1995-96、1996-97)
- SSラツィオ
- セリエA:1回(1999-2000)
- コッパ・イタリア:2回(1999-2000、2003-2004)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(1998、2000)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1998-99)
- UEFAスーパーカップ:1回(1999)
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- セリエA:5回(2005-06、2006-07、2007-08、2008-09、2009-10)
- コッパ・イタリア:4回(2004-05、2005-06、2009-10、2010-11)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:4回(2005、2006、2008、2010)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(2009-10)
- FIFAクラブワールドカップ:1回(2010)
- 個人
- ESM欧州年間ベストイレブン:1回(2006-07)
- セルビア年間最優秀選手賞:2回(2006、2010)
- インテル・ミラノ殿堂(2019)
指導者時代
編集- レッドスター・ベオグラード
- セルビア・スーペルリーガ:3回(2019-20、2020-21、2021-22)
- セルビア・カップ:2回(2020-21、2021-22)
脚注
編集- ^ UEFA.com (2 October 2015). “Ambassador: Dejan Stanković” (英語). UEFA.com. 4 May 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。4 May 2021閲覧。
- ^ “Мијатовић најмлађи Звездин стрелац хет-трика”. FK Crvena zvezda (2023年12月17日). 2023年12月25日閲覧。
- ^ “インテルのスタンコビッチ セルビア代表からの引退を表明”. スポーツナビ (2011年10月13日). 2011年10月25日閲覧。
- ^ “スタンコビッチ引退試合飾る “おじぎポーズ”で別れ”. スポーツニッポン (2013年10月12日). 2013年10月12日閲覧。
- ^ “スタンコヴィッチ氏がウディネーゼに入閣「新しい冒険の始まり」”. サッカーキング (2014年7月6日). 2014年11月29日閲覧。
- ^ “Dejan Stanković is the one!” (英語). FK Crvena zvezda (21 December 2019). 18 August 2021閲覧。
- ^ “Champions!” (English). FK Crvena zvezda (29 May 2020). 13 June 2021閲覧。
- ^ “Super Liga 2019/2020 - 30. Round” (英語). WorldFootball.net. 18 August 2021閲覧。
- ^ “Ovo su Zvezdini šampioni” (Serbian). FK Crvena zvezda (19 May 2021). 13 June 2021閲覧。
- ^ “Дејан Станковић поднео оставку”. FK Crvena zvezda (2022年8月26日). 2022年8月26日閲覧。
- ^ “Benvenuto mister: Stankovic è l’allenatore della Sampdoria” (イタリア語). U.C. Sampdoria (6 October 2022). 6 October 2022閲覧。
- ^ Heyes, Apollo (6 October 2022). “Official: Sampdoria appoint new head coach Stankovic”. Football Italia. 6 October 2022閲覧。
- ^ UEFA.com 2009年10月18日
- ^ スタンコビッチ:「CLでも勝利を」 goal.com 2009年10月19日
- ^ goal.com 2011年4月6日
- ^ a b c デヤン・スタンコビッチ - National-Football-Teams.com
外部リンク
編集- デヤン・スタンコビッチ - National-Football-Teams.com
- デヤン・スタンコビッチ - Soccerway.com
- デヤン・スタンコビッチ - Soccerbase.comによる選手データ
- デヤン・スタンコビッチ - FootballDatabase.eu
- デヤン・スタンコビッチ - WorldFootball.net
- デヤン・スタンコビッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- デヤン・スタンコビッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- デヤン・スタンコビッチ - FIFA主催大会成績
- デヤン・スタンコビッチ - UEFA
- デヤン・スタンコビッチ - BDFutbol.com
- Profile on Serbian national football team website
- Club profile at Inter's site
- Club League Stats
- Sloba uzeo 15 miliona od Dekija!, Press, 13 February 2008