レッドスター・ベオグラード

セルビアのサッカークラブ

レッドスター・ベオグラード英語: Red Star Belgrade)またはフドバルスキ・クルブ・ツルヴェナ・ズヴェズダセルビア語: Фудбалски клуб Црвена звезда, セルビア語発音: [fûdbalskiː klûːb tsř̩ʋenaː zʋěːzda], セルビア・クロアチア語: Fudbalski klub Crvena zvezda)は、セルビアベオグラードをホームタウンとするサッカークラブである。総合スポーツクラブSDツルヴェナ・ズヴェズダの一部でもある(バスケットボール部門はKKツルヴェナ・ズヴェズダ、バレーボール部門はOKツルヴェナ・ズヴェズダ)。

FKツルヴェナ・ズヴェズダ
原語表記 Фудбалски клуб Црвена звезда
Fudbalski klub Crvena zvezda
愛称 Звезда / Zvezda (星)
Цигани / Cigani (ジプシー)
Црвено-бели / Crveno-beli (赤と白)
Делије / Delije (英雄)
クラブカラー 赤・白
創設年 1945年
所属リーグ セルビア・スーペルリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ベオグラード
ホームスタジアム
スタディオン・ライコ・ミティッチ
収容人数 55,538
代表者 セルビアの旗 スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ
監督 セルビアの旗ギリシャの旗 ヴラダン・ミロイェヴィッチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

セルビアのみならずユーゴスラビア、そして東ヨーロッパで最も成功したクラブであり、1991年にUEFAチャンピオンズカップインターコンチネンタルカップを優勝した。

名称

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「ツルヴェナ・ズヴェズダ」は「赤い星」という意味だが、各国の言語によって呼称される特徴的な慣習を持つ[1]

  • Црвена звезда(ツルヴェナ・ズヴェズダ、セルビア語
  • Red Star(レッド・スター、英語
  • Étoile rouge(エトワール・ルージュ、フランス語
  • Roter Stern(ロター・シュテルン、ドイツ語
  • Ερυθρός Αστέρας(エリスロス・アステラス、ギリシャ語
  • Stella Rossa(ステッラ・ロッサ、イタリア語
  • Rode Ster(ロデ・ステル、オランダ語
  • Estrela Vermelha(エストレラ・ヴェルメーリャ、ポルトガル語
  • Красная звезда(クラスナヤ・ズヴェズダ、ロシア語
  • Estrella Roja(エストレージャ・ロハ、スペイン語
  • Kızıl yıldız(クズル・ユルドゥズ、トルコ語

日本では英語表記の「レッドスター・ベオグラード」が使用されてきた[2]が2021年現在はセルビア語表記の「ツルヴェナ・ズヴェズダ」[3]も多く見られる(3文字略称はセルビア国内でCZV、UEFA大会でZVE)。

歴史

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1945-1965

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第二次世界大戦中の1945年3月4日、レッドスターはユーゴスラビア反ファシスト青年連合同盟(USAOJ)セルビア支部のメンバーによって総合スポーツクラブとして創設された[4][5]。レッドスターのサッカー部門は戦前の名門クラブだったSKユゴスラヴィヤの資産を受け継ぎ、ユゴスラヴィヤとBSKの選手によって構成され[6]、終戦後の1946年からユーゴスラビアリーグに参加した[4]

キャプテンとしてクラブを牽引した「チカ」ことライコ・ミティッチを中心に1948年から1950年まで3年連続でユーゴスラビアカップを優勝した[7]クラブのリーグ初優勝は1951シーズンであった[8]。1955年には前年王者ハイドゥク・スプリトの中心選手だったヴラディミル・ベアラドラゴスラヴ・シェクララツなどを獲得[4]。後に「第1の星人」となるミティッチと「第2の星人」となる「シェキ」ことシェクララツを筆頭に多くの代表選手が顔を揃えたクラブはこのシーズンからリーグ4連覇を達成するなど国内では無類の強さを見せ、1950年代は6回のリーグ優勝[8]と2回のカップ優勝を記録した[7]

欧州の舞台に初めて姿を見せたのは、1956-57シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)であった[9]。この大会ではオランダラピドJCケルクラーデブルガリアCDNAソフィアを破り準決勝まで勝ち進むが、準決勝では得点を奪えないままイタリアフィオレンティーナに敗れた[10]。2年後の1958-59シーズンはルクセンブルクスタッド・デュドランジュを相手に当時の最多得点記録となる2試合計14対1の大差で勝利するものの[9]、準々決勝でイングランドマンチェスター・ユナイテッドに敗れた(第2戦終了後にミュンヘンの悲劇が発生した)[11]

1960年代に入ると50年代までの強さは影を潜め、3シーズン連続で無冠に終わる[8]。1962-63シーズンはクラブ史上最低順位となる7位に低迷し、得点数は降格争いをしていたヴォイヴォディナの半数以下であった[12]

1966-1985

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1966年にミリャン・ミリャニッチが監督に就任し、世代交代を推し進めた[4]。クラブの中心だったシェクララツは去り、後に「第3の星人」の栄誉を受け、UEFAジュビリーアウォーズにて過去半世紀におけるセルビア史上最高の選手と称えられる左サイドのウィンガー、「ジャヤ」ことドラガン・ジャイッチが台頭した。就任初年度は5位に低迷するものの[12]、1967-68シーズンからリーグ3連覇を達成[8]。1970-71シーズンには再びチャンピオンズカップの準決勝まで進出したが、ギリシャパナシナイコスの前に4対4のタイスコアながらアウェイゴールの差で敗れた[13]。ミリャニッチは1974年、スペインレアル・マドリードに引き抜かれるまで指揮を採り、4度のリーグ優勝[8]、3度のカップ優勝を成し遂げた[7]

ミリャニッチ辞任の翌年にジャイッチはクラブを去り、ヴラディミル・ペトロヴィッチの時代が始まった。1972年にデビューした「ピジョン」ことペトロヴィッチは1970年代後半に入るとクラブの絶対的なエースへと成長し、1978-79シーズンのUEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)では決勝で西ドイツボルシア・メンヒェングラートバッハに敗れたもののクラブを準優勝に導き[14]、後に「第4の星人」として表彰された。ペトロヴィッチは1982年にクラブを去るが、以降もトミスラヴ・イヴコヴィッチボシュコミルコのジュロフスキ兄弟などのユーゴスラビア代表選手が活躍し[4]、ミリャニッチ辞任後の10年で4回のリーグ優勝を飾った[8]

1986-1991

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1986年、ヴェリコ・アレクシッチスヴェトザル・ミヤイロヴィッチ会長、ヴラディミル・ツヴェトコヴィッチ事務総長、ドラガン・ジャイッチテクニカルディレクターといったレッドスター首脳陣と共に5ヶ年計画を立て、欧州制覇という大目標を掲げる[15]。そしてジャイッチに才能を見いだされ、「ピクシー」ことドラガン・ストイコヴィッチが入団したのもこの年であった[16]。1987年の夏より5ヶ年計画は始まった。

1987年3月4日、スペインレアル・マドリードにホームで勝利した日から1992年3月4日までの5年間は黄金時代といえる最良の時間となった。ヴラディミル・ユゴヴィッチシニシャ・ミハイロヴィッチロベルト・プロシネチュキデヤン・サヴィチェヴィッチなどのユーゴスラビア代表ルーマニア代表ながらセルビア人ミオドラグ・ベロデディッチを加え、国内リーグでは5シーズンで4度の優勝を飾った[8]。ストイコヴィッチは3年連続でMVPを獲得するなど大活躍したが、1990年にクラブを去った。この5年間で監督は5人変わったが、首脳陣の顔ぶれに変わりはなかった[4]

1990年4月から5月にかけてユーゴスラビア各地で初の自由選挙が行われ、連邦を構成する各共和国で独立の機運が高まっていた[17]。5月13日、ザグレブスタディオン・マクシミールで行われたディナモ・ザグレブとの試合で暴動が起こり[18]、これをきっかけにユーゴスラビア全土に戦火が広がっていくことになる(詳細は1990年ディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦での暴動およびユーゴスラビア紛争を参照)。

UEFAチャンピオンズカップ 1990-91ではスイスグラスホッパースコットランドレンジャーズ東ドイツディナモ・ドレスデン西ドイツバイエルン・ミュンヘンを次々と破る快進撃で決勝に進出した。1991年5月29日、レッドスターはイタリアバーリスタディオ・サン・ニコラで行われた決勝戦でスコアレスのままPK戦までもつれ込んだ末にフランスオリンピック・マルセイユに勝利しクラブ史上唯一の欧州制覇を成し遂げた[9][19][20][21]。皮肉にも前年までクラブに多大な貢献をしてきた「第5の星人」ストイコヴィッチはマルセイユのベンチを暖めていた。マニュエル・アモロスのPKを止めたステヴァン・ストヤノヴィッチはキャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、試合を決めるPKを蹴ったダルコ・パンチェフはこのシーズンのヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得した[22]。その後のUEFAスーパーカップでは紛争によってホームで試合を行うことができずイングランドマンチェスター・ユナイテッドに敗れたものの、インターコンチネンタルカップチリコロコロを破り世界一となった[23]。その時に掲げられた「スルビヤ・ド・トキヤ(セルビアを東京へ)」というスローガンはユーゴスラビア紛争で多用されることとなった。

長引く紛争に国連による制裁など、欧州王者となったクラブを取り巻く状況は苦しいものとなった[9]。前回王者として臨んだ1991-92シーズンのチャンピオンズカップでは、ホームゲームは全て中立国での開催となり、この大会から導入されたグループステージでイタリアサンプドリアに及ばず敗退した[24]。主だった戦力は西側諸国に流出し、ユーゴスラビアは解体された。

紛争終了後のSRユーゴスラビアリーグでは、ダルコ・コヴァチェヴィッチデヤン・ペトコヴィッチネボイシャ・クルプニコヴィッチなどの新しい力がコンスタントに台頭するも、ほとんどのシーズンでパルチザン・ベオグラードの後塵を拝する結果となった。監督は次々に更迭され、星人ペトロヴィッチまでもが1年を待たずに職を追われた[25]。紛争終了後のリーグ優勝は1999-00シーズンまで無く、1990年代を通じてリーグ優勝は2回に留まった[8]

1998年にはジャイッチが、2005年にはストイコヴィッチが会長に就任し、2009年には再びペトロヴィッチが監督として復帰したが、その年に所属選手の給与未払いが表面化するなど[26]、2500万ドルに上るとも言われる負債によって財政難に追い込まれた[27]

2010年、クラブは新たなメインスポンサーとしてロシアガスプロム社と5年の契約を結んだ。契約料は年間380万ドルと報道されている[28][27]

2017年からRFKグラフィチャルをリザーブチームとしている。

ユニフォーム

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1950-60s
 
 
 
 
 
 
 
1970s
 
 
 
 
 
 
 
1980s
 
 
 
 
 
 
 
1990-91
 
 
 
 
 
2008-10
 
 
 
 
 
 
 
2010-11
 
 
 
 
 
 
 
2013-14
 
 
 
 
 
 
 
2014-17
 
 
 
 
 
 
 
 
2017-18
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018-19
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019-20
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020-21
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021-22
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022-23
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023-24
シーズン サプライヤー スポンサー
1988-89 Puma Casucci
1989-90 Mister Baby
1990-91 Dexim
1991-93 Hummel Classic
1993-94 Komercijalna banka
1994-96 Diadora Beobanka
1996-98 Kappa
1998-01 Pils Light
2001-03 Adidas
2003-05 Wiener Städtische
Sharp
2005-06 Toyota
2006-08 Nike
2008-09
2010 2344 - Za moju Zvezdu
2010-12 Gazprom
2012-13 Legea
2013-17 Puma
2017- Macron

スタジアム

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スタディオン・ライコ・ミティッチ

ホームスタジアムであるスタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダは1963-64シーズンから使用が開始された。3年の工期を経て建設された収容者数55,000人の巨大スタジアムは、当時のバルカン半島最大規模を誇った。スタジアムのこけら落としは1963年9月1日のリエカ戦で、試合はレッドスターが2対1で勝利した。同年11月17日のパルチザン・ベオグラード戦のスタジアムには108,000人もの観衆が押し寄せ、その光景は世界最大のスタジアム、エスタジオ・ド・マラカナンを連想させた。これ以降、スタジアムは「マラカナ」の通称で呼ばれることとなる[29]。このシーズン、レッドスターは4シーズンぶりにリーグ優勝を果たした[8]。収容人数は最大で110,000人だったものの現在は55,538人で、マラカナの北西に位置するパルチザンの本拠地スタディオン・パルチザーナとは直線距離にして約1キロ程しか離れていない。スタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダは2014年12月21日に第1の星人ライコ・ミティッチを称えてスタディオン・ライコ・ミティッチと改名されることが決定し、2017年11月18日には西側メインスタンドの前に設置されたミティッチの銅像が披露された[30]

サポーター

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デリイェ・セヴェル

その実績からセルビア国内では圧倒的な人気を誇り、セルビア国内の半数弱がクラブを支持しているという調査結果もある[31]。サポーターはズヴェズダシュセルビア語: Звездаш, セルビア・クロアチア語: Zvezdaš)と、ウルトラスは「北の英雄」を意味するデリイェ・セヴェルセルビア語: Делије север, セルビア・クロアチア語: Delije sever)と呼ばれ[32]、同じくベオグラードを本拠地とするライバルであるパルチザン・ベオグラードとのヴェチティ・デルビは特に盛り上がりを見せる[33]。2009年4月にはパルチザンとの試合中にデリイェが警察と衝突し、95人もの逮捕者を出した[34]

タイトル

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国内タイトル

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リーグ
  • ユーゴスラビアリーグ:19回
    • 1950-51, 1952-53, 1955-56, 1956-57, 1958-59, 1959-60, 1963-64, 1967-68, 1968-69, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1979-80, 1980-81, 1983-84, 1987-88, 1989-90, 1990-91, 1991-92
  • セルビアリーグ:10回
    • 2006-07, 2013-14, 2015-16, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22, 2022-23, 2023-24
カップ

国際タイトル

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過去の成績

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1946-1992

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1992-2006

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欧州の成績

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1956-1992

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1995-2006

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現所属メンバー

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セルビア・スーペルリーガ 2023-24のフォーメーション(3-4-1-2
2024年6月24日現在[35][36][37]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF   ミロシュ・デゲネク( )
4 MF   ミルコ・イヴァニッチ( )
5 DF   ウロシュ・スパイッチ  
7 MF   ヨヴァン・シュリヴィッチ
8 MF   ゲロール・カンガ( )
9 FW   シェリフ・エンディアイェ
10 MF   アレクサンダル・カタイ
14 FW   ピーター・オラインカ
15 DF   ネマニャ・ストイッチ
17 FW   ジャン=フィリップ・クラッソ( )
18 GK   オムリ・グラゼル( )
19 MF   プマ・ロドリゲス
22 MF   ダルシオ・ゴメス( )
23 DF   ミラン・ロディッチ
No. Pos. 選手名
24 DF   ナッセル・ジガ
29 DF   ヴィクトル・ラドイェヴィッチ
31 FW   ウロシュ・スレムチェヴィッチ
32 MF   ルカ・イリッチ
33 MF   スルジャン・ミヤイロヴィッチ
37 MF   ヴラディミル・ルチッチ
41 MF   ニコラ・クネジェヴィッチ
44 DF   ヴェリコ・ミロサヴリェヴィッチ
55 MF   アンドリヤ・マクシモヴィッチ
66 MF   黄仁範
70 DF   オグニェン・ミモヴィッチ
73 DF   エベニーザー・アンナン
76 DF   ラザル・ニコリッチ
77 GK   イヴァン・グテシャ
監督

   ヴラダン・ミロイェヴィッチ

リザーブチーム

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2024年2月19日現在[38][39][40]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   ボリス・マティッチ( )
3 DF   ブラティスラヴ・マリッチ
5 MF   ラザル・マイストロヴィッチ
8 MF   ルカ・ニコリッチ
10 MF   ヴラディミル・ペトロヴィッチ
11 FW   ミレンコ・ミヤトヴィッチ
12 FW   エンブプ・ババカル
13 MF   フィリプ・ヴァシリェヴィッチ  
15 MF   ブランコ・ジュキッチ
16 MF   マルコ・チュリッチ
17 MF   ジョシュア・ソラ・タッカー( )
18 FW   ユスフ・ファイサル
No. Pos. 選手名
19 MF   ストラヒニャ・ストヤノヴィッチ
20 DF   ダヴィド・ジュリッチ
22 GK   イヴァン・ライノヴィッチ
44 DF   アレクサ・ヨヴァノヴィッチ
45 DF   アレクセイ・ヴキチェヴィッチ
55 DF   フェイヴァー・イニェカ・オグブ
77 MF   アンドリヤ・フラトロヴィッチ
78 MF   ルカ・クルスマノヴィッチ
88 MF   オグニェン・アイダル
98 FW   ヴェリコ・ムラデノヴィッチ
99 MF   アンドリヤ・マクシモヴィッチ
監督

  マルコ・ネジッチ


二重登録

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
No. Pos. 選手名

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
40 MF   ヨヴァン・ミトゥリキッチ (  OFKベオグラード)
No. Pos. 選手名
45 MF   ニコラ・ミトゥリキッチ (  OFKベオグラード)

契約中選手

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
14 DF   アンドレイ・ジュリッチ
20 MF   キングス・カングワ
21 MF   エドムンド・アッド
27 GK   ヴク・ドラシュキッチ
29 MF   イェーゴリ・プルツェフ( )
44 DF   ステファン・レコヴィッチ
44 MF   ヴェリコ・ヴコイェヴィッチ
No. Pos. 選手名
51 GK   ミロシュ・ゴルディッチ
70 MF   ウロシュ・カビッチ
71 DF   アデム・アヴディッチ( )
GK   サヴォ・ラダノヴィッチ
MF   アレクサ・ヴァシリッチ
MF   ヴァシリイェ・コストヴ( )
MF   ジョルジェ・ランコヴィッチ

歴代監督

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監督 シーズン
1   ブラニスラヴ・セクリッチ 1946
2   スヴェティスラヴ・グリショヴィッチ 1946-48
3   アレクサンダル・トマシェヴィッチ 1948-50
4   リュビシャ・ブロチッチ 1951
5   ジャルコ・ミハイロヴィッチ 1951
6   ブラニスラヴ・セクリッチ 1952
7   ジャルコ・ミハイロヴィッチ 1952-53
8   リュビシャ・ブロチッチ 1953-54
9   ボシュコ・ラリッチ 1954
10   ミロヴァン・チリッチ 1954-57
11   ミシャ・パヴィッチ 1957-64
12   イヴァン・トプラク 1964-66
13   ミリャン・ミリャニッチ 1966-74
14   ミリェンコ・ミヒッチ 1974-75
15   ミロヴァン・チリッチ 1975-76
16   ゴイコ・ゼツ 1976-78
17   ブランコ・スタンコヴィッチ 1978-82
18   ステヴァン・オストイッチ 1982-83
19   ゴイコ・ゼツ 1983-86
20   ヴェリボル・ヴァソヴィッチ 1986-88
21   ブランコ・スタンコヴィッチ 1988
22   ドラゴスラヴ・シェクララツ 1989-90
23   リュプコ・ペトロヴィッチ 1990-91
24   ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1991-92
25   ミラン・ジヴァディノヴィッチ 1992-94
26   リュプコ・ペトロヴィッチ 1994-96
27   ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1996-97
28   ヴォイン・ラザレヴィッチ 1997
29   ミロラド・コサノヴィッチ 1997-98
30   ヴォイン・ラザレヴィッチ 1998-99
31   ミロリュブ・オストイッチ 1999
32   ズヴォンコ・ラディッチ (暫定) 1999
33   スラヴォリュブ・ムスリン 1999-2001
34   ゾラン・フィリポヴィッチ 2001-03
35   スラヴォリュブ・ムスリン 2003-04
36   リュプコ・ペトロヴィッチ 2004
37   ミロヴァン・ライェヴァツ (暫定) 2004
38   ラトコ・ドスタニッチ 2004-05
39   ワルテル・ゼンガ 2005-06
40   ドゥシャン・バイェヴィッチ 2006-07
41    ボシュコ・ジュロフスキ 2007
42   ミロラド・コサノヴィッチ 2007
43   アレクサンダル・ヤンコヴィッチ 2007-08
44    ズデネク・ゼーマン 2008
45   チェドミル・ヤネフスキ 2008-09
46    シニシャ・ゴギッチ (暫定) 2009
47   ヴラディミル・ペトロヴィッチ 2009-10
48   ラトコ・ドスタニッチ 2010
49   アレクサンダル・クリスティッチ 2010
50   ロベルト・プロシネチュキ 2010-12
51   アレクサンダル・ヤンコヴィッチ 2012-13
52   リカルド・サ・ピント 2013
53   スラヴィシャ・ストヤノヴィッチ 2013-14
54   ネナド・ララトヴィッチ 2014-15
55   ミオドラグ・ボジョヴィッチ 2015-17
56    ボシュコ・ジュロフスキ (暫定) 2017
57    ヴラダン・ミロイェヴィッチ 2017-19
58    デヤン・スタンコヴィッチ 2019-22
59    ミロシュ・ミロイェヴィッチ 2022-23
60   バラク・バハル 2023
61    ヴラダン・ミロイェヴィッチ 2023-

歴代会長

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会長 シーズン
1   ミタ・ミリコヴィッチ 1948-51
2   イサ・ヨヴァノヴィッチ 1951-52
3   サヴァ・ラドイチッチ 1952-54
4   ドラゴスラヴ・マルコヴィッチ 1954-55
5   ミリッチ・ブガルチッチ 1955-56
6   ドラゴイェ・ジュリッチ 1956
7   ドゥシャン・ブラゴイェヴィッチ 1956-60
8   ミリッチ・ブガルチッチ 1960-63
9   ラドヴァン・パントヴィッチ 1963-65
10   ドゥシャン・ブラゴイェヴィッチ 1965-68
11   ニコラ・ブガルチッチ 1968-77
12   ラドヴァン・パントヴィッチ 1977-81
13   ブラナ・ディミトリイェヴィッチ 1981-82
14   ヴラスティミル・プリッチ 1982
15   ミラディン・シャキッチ 1982-87
16   スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ 1987-93
17   ドラガン・ジャイッチ 1998-2004
18   ドラガン・ストイコヴィッチ 2005-07
19   トプリツァ・スパソイェヴィッチ 2007-08
20   ドブリヴォイェ・タナシイェヴィッチ 2008-09
21   ヴラダン・ルキッチ 2009-12
22   ドラガン・ジャイッチ 2012-14
23   スヴェトザル・ミヤイロヴィッチ 2014-

歴代キャプテン

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キャプテン シーズン
1   ミロヴァン・チリッチ 1945-47
2   ライコ・ミティッチ 1947-58
3   リュビシャ・スパイッチ 1958-60
4   ブランコ・ゼベツ 1960-61
5   ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1961-65
6   ヴォイスラヴ・メリッチ 1965-67
7   ドラガン・ジャイッチ 1967-75
8   ヴラディスラヴ・ボギチェヴィッチ 1975-77
9   ドラガン・ジャイッチ 1977-78
10   ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1978-82
11   ミロシュ・シェスティッチ 1983-84
12   ズラトコ・クルンポティッチ 1985
13   ボシュコ・ジュロフスキ 1986-87
14   ドラガン・ストイコヴィッチ 1987-90
15   ステヴァン・ストヤノヴィッチ 1990-91
16   デヤン・サヴィチェヴィッチ 1991-92
17   ドゥシュコ・ラディノヴィッチ 1992-93
18   ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ 1993-94
19   イヴァン・アジッチ 1994-96
20   ズヴォンコ・ミロイェヴィッチ 1996-97
21   デヤン・スタンコヴィッチ 1997-98
22   ペリツァ・オグニェノヴィッチ 1998
23   デヤン・サヴィチェヴィッチ 1999
24   ゴラン・ブニェヴチェヴィッチ 1999-2001
25   ネナド・ララトヴィッチ 2001-02
26   イヴァン・グヴォズデノヴィッチ 2003
27   ネマニャ・ヴィディッチ 2003-04
28   ヴラディミル・ディシュリェンコヴィッチ 2004
29   マルコ・パンテリッチ 2005
30   ネナド・コヴァチェヴィッチ 2005-06
31   デヤン・ミロヴァノヴィッチ 2006-08
32   ネナド・ミリヤシュ 2008-09
33   ニコラ・ラゼティッチ 2009-10
34   スラヴォリュブ・ジョルジェヴィッチ 2010
35   パヴレ・ニンコヴ 2010-11
36   ネナド・コヴァチェヴィッチ 2011
37   ニコラ・ミキッチ 2011-12
38   ネナド・ミリヤシュ 2012-14
39   ニコラ・ミヤイロヴィッチ 2014
40   ダルコ・ラゾヴィッチ 2014
41   アレクサンダル・ルコヴィッチ 2015-17
42   ネナド・ミリヤシュ 2017-19
43     マルコ・マリン 2019
44    ミラン・ボージャン 2020-23
45    アレクサンダル・ドラゴヴィッチ 2023-24
46   ウロシュ・スパイッチ 2024-

歴代所属選手

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永久欠番

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通算出場記録

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選手 シーズン 試合
1   ドラガン・ジャイッチ 1963-75、1977-78 389
2   ボラ・コスティッチ 1951-61、1962-66 341
3   ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1972-82 332
4   ヨヴァン・アチモヴィッチ 1965-76 318
5   ボシュコ・ジュロフスキ 1978-89 299
6   ライコ・ミティッチ 1945-58 294
7   ヴラディツァ・ポポヴィッチ 1953-65 291
8   ミロシュ・シェスティッチ 1974-84 277
9    ミラン・ボージャン 2017-23 275
10   ラトミル・ドゥイコヴィッチ 1964-74 266

通算得点記録

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選手 シーズン 得点
1   ボラ・コスティッチ 1951-61、1962-66 230
2   ドラガン・ジャイッチ 1963-75、1977-78 155
3   ドゥシャン・サヴィッチ 1973-82 149
4   ゾラン・フィリポヴィッチ 1970-80 138
5   コスタ・トマシェヴィッチ 1945-54 137
6   ヴォイン・ラザレヴィッチ 1966-70、1972-74 134
7   ダルコ・パンチェフ 1988-92 116
8   アレクサンダル・カタイ 2014-16、2020- 110
9   ライコ・ミティッチ 1945-58 109
10   ミハイロ・ピャノヴィッチ 1999-2003 92

星人

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ライコ・ミティッチ
 
ドラゴスラヴ・シェクララツ
 
ドラガン・ジャイッチ
 
ヴラディミル・ペトロヴィッチ
 
ドラガン・ストイコヴィッチ

レッドスターは十年紀ごとに大きな功績を残した功労者に対してズヴェズディナ・ズヴェズダ(セルビア語: Звездина звезда, セルビア・クロアチア語: Zvezdina zvezda)という称号を授けている[41]。日本語では「星人」と訳される。現在までの受賞者は以下の通り。

選手 シーズン 試合 得点
1   ライコ・ミティッチ 1945-58 294 109
2   ドラゴスラヴ・シェクララツ 1955-66 203 37
3   ドラガン・ジャイッチ 1963-75、1977-78 389 155
4   ヴラディミル・ペトロヴィッチ 1972-82 332 66
5   ドラガン・ストイコヴィッチ 1986-90 159 65

1991世代

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UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のユニフォーム
 
UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のチケット
UEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のフォーメーション(4-2-2-2

上記の5人の他にUEFAチャンピオンズカップ 1990-91優勝を果たした21人が第6の星人として表彰されている。ルーマニア出身のミオドラグ・ベロデディッチを除く全員がユーゴスラビア出身だった[注 2]。背番号はUEFAチャンピオンズカップ 1990-91 決勝のもの。

1991年5月29日現在[19][41]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ステヴァン・ストヤノヴィッチ  
2 MF   ヴラディミル・ユゴヴィッチ
3 DF   スロボダン・マロヴィッチ
4 DF   レフィク・シャバナジョヴィッチ
5 DF   ミオドラグ・ベロデディッチ
6 DF   イリヤ・ナイドスキ
7 MF   ロベルト・プロシネチュキ
8 MF   シニシャ・ミハイロヴィッチ
9 FW   ダルコ・パンチェフ
10 MF   デヤン・サヴィチェヴィッチ
11 FW   ドラギシャ・ビニッチ
No. Pos. 選手名
12 GK   ミリッチ・ヨヴァノヴィッチ
13 MF   イヴィツァ・モムチロヴィッチ
14 DF   ラデ・トシッチ
15 MF   ヴラダ・ストシッチ
16 FW   ヴラダン・ルキッチ
GK   ジェリコ・カルジェロヴィッチ
DF   ドゥシュコ・ラディノヴィッチ
DF   ゴラン・ユリッチ
DF   ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ
FW   リュビシャ・ミロイェヴィッチ
監督

  リュプコ・ペトロヴィッチ

また、第6の星人には含まれていないがインターコンチネンタルカップ 1991優勝を果たした18人は以下の通り。

1991年12月8日現在[23]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ズヴォンコ・ミロイェヴィッチ
2 DF   ドゥシュコ・ラディノヴィッチ
3 DF   ゴラン・ヴァシリイェヴィッチ
4 MF   ヴラディミル・ユゴヴィッチ
5 DF   ミオドラグ・ベロデディッチ
6 DF   イリヤ・ナイドスキ
7 MF   ヴラダ・ストシッチ
8 MF   ミロラド・ラトコヴィッチ
9 FW   ダルコ・パンチェフ
No. Pos. 選手名
10 MF   デヤン・サヴィチェヴィッチ  
11 DF   シニシャ・ミハイロヴィッチ
12 GK   ドラゴイェ・レコヴィッチ
13 DF   サシャ・ネデリコヴィッチ
14 DF   ミロスラヴ・タニガ
15 FW   イリヤ・イヴィッチ
MF   ドゥシュコ・サヴィッチ
FW   プレドラグ・ヨヴァノヴィッチ
FW   ゾラン・ヨヴィチッチ
監督

  ヴラディツァ・ポポヴィッチ

脚注

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注釈

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  1. ^ セルビアサッカー協会は2019年に公式タイトルとしてリーグ優勝回数に加えることを認めた。
  2. ^ ベロデディッチの両親は共にセルビア人で本人もルーマニアとセルビアの二重国籍であり1988年にユーゴスラビアへ亡命してレッドスターに移籍した。

出典

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  1. ^ なぜ「ツルヴェナ・ズヴェズダ」は「レッドスター・ベオグラード」と呼ばれるのか?”. スポーティングニュース (2023年9月21日). 2024年2月5日閲覧。
  2. ^ “浅野拓磨が8位、鈴木隆行氏が2位。セルビアの意外な歴代移籍金ランキング”. (2019年8月20日). https://www.footballchannel.jp/2019/08/20/post335119/amp/ 2021年7月7日閲覧。 
  3. ^ “ピクシーが語る名古屋グランパス移籍の舞台裏と指揮官としての優勝「アジア文化が好き。幸せだった」”. (2021年2月19日). https://www.footballchannel.jp/2019/08/20/post335119/amp/ 2021年7月7日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f ФК Црвена звезда - Историја Црвене звезде”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  5. ^ 柴宜弘/編、宇都宮徹壱/著『バルカンを知るための65章』明石書店、2005年、p.322頁。ISBN 978-4750320908 
  6. ^ Reprezentativci Jugoslavije : Rajko Mitiæ - reprezentacija.rs(2010年6月11日閲覧)
  7. ^ a b c Yugoslavia/Serbia and Montenegro - Cup Finals - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i Yugoslavia/Serbia (and Montenegro) - List of Champions - RSSSF
  9. ^ a b c d ФК Црвена звезда - Европа”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  10. ^ Champions' Cup 1956-57 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  11. ^ Champions' Cup 1958-59 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  12. ^ a b Yugoslavia - List of Final Tables - RSSSF
  13. ^ Champions' Cup 1970-71 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  14. ^ UEFA cup 1978-79 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  15. ^ ИН МЕМОРИАМ: Проф. др Вељко Алексић”. FK Crvena zvezda (2024年3月11日). 2024年3月11日閲覧。
  16. ^ Pixy's AtoZ - スポーツナビ(2010年6月11日閲覧)
  17. ^ ジョセフ・ロスチャイルド(羽場久美子、水谷驍・訳)『現代東欧史 多様性への回帰』共同通信社、1999年、p.390頁。ISBN 4-7641-0439-3 
  18. ^ 3・27欧州選手権予選で会おう、わがクロアチアとユーゴのたたかい”. 千田善. 2010年6月15日閲覧。
  19. ^ a b ФК Црвена звезда - Бари”. FK Crvena zvezda. 2021年12月8日閲覧。
  20. ^ Champions' Cup 1990-91 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  21. ^ “輝いたレッドスター、星人主義で欧州制覇◎サッカー世界遺産第16回”. サッカーマガジン. (2020年5月23日). https://soccermagazine.jp/_ct/17365146 2021年12月3日閲覧。 
  22. ^ Golden Boot ("Soulier d'Or") Awards - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  23. ^ a b ФК Црвена звезда - Токио”. FK Crvena zvezda. 2021年12月8日閲覧。
  24. ^ Champions' Cup 1991-92 - RSSSF 2010年8月30日閲覧。
  25. ^ Former stalwart Petrovic named Red Star coach - guardian.co.uk 2010年8月30日閲覧。
  26. ^ サッカー=レッドスターの選手が窮状を訴える - ロイター(2009年4月12日)
  27. ^ a b Red Star Belgrade and Gazprom sign shirt deal - eufootball.biz 2010年7月22日付記事
  28. ^ Red Star Belgrade sign multi-million dollar deal with Gazprom - SportsPro 2010年7月16日付記事
  29. ^ ФК Црвена звезда - Дом Црвене звезде”. FK Crvena zvezda. 2010年6月11日閲覧。
  30. ^ ФК Црвена звезда - Звездине звезде”. FK Crvena zvezda. 2024年3月17日閲覧。
  31. ^ Svaki drugi Srbin navija za Zvezdu - B92(2008年2月27日)
  32. ^ SAYONARAとは言わないで!~ユーゴスラビアの人々が語る「ピクシー」(後編) - スポーツナビ(2010年6月11日閲覧)
  33. ^ THE LIST: The greatest rivalries in club football, Nos 10-1 - dailymail.co.uk 2009年11月27日付記事。
  34. ^ サッカー=レッドスターのサポーター150人、チェコで拘束 - ロイター(2009年8月21日)
  35. ^ ФК Црвена звезда - Тим”. FK Crvena zvezda. 2019年9月16日閲覧。
  36. ^ Crvena zvezda - UEFA Champions League - UEFA.com”. UEFA. 2016年7月9日閲覧。
  37. ^ FK Crvena zvezda”. Superliga Srbije. 2022年7月10日閲覧。
  38. ^ Играчи – FK Grafičar”. RFK Grafičar. 2021年9月2日閲覧。
  39. ^ RFK Grafičar”. Prva liga Srbije. 2022年7月31日閲覧。
  40. ^ Графичар почео припреме појачан Звездином децом”. FK Crvena zvezda. 2023年7月3日閲覧。
  41. ^ a b ФК Црвена звезда - Звездине звезде”. FK Crvena zvezda. 2021年8月10日閲覧。

外部リンク

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