高橋熊次郎
高橋 熊次郎(たかはし くまじろう、1880年(明治13年)9月24日[1] - 1957年(昭和32年)11月13日[2])は、日本の政治家。衆議院議員。初代上山市長。
高橋熊次郎 たかはし くまじろう | |
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生年月日 | 1880年9月24日 |
出生地 | 福島県信夫郡瀬ノ上村(現福島県福島市瀬上町) |
没年月日 | 1957年11月13日(77歳没) |
出身校 | 東京高等商業学校(現一橋大学)卒業 |
前職 | 上山電気社長 |
所属政党 |
(立憲政友会→) (翼賛政治会→) (日本進歩党→) 自由党 |
選挙区 |
(山形3区→) 山形1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1924年5月10日 - 1945年12月18日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1954年11月1日 - 1957年2月25日 |
上山町会議員 |
来歴・人物
編集福島県信夫郡瀬ノ上村(現・福島市瀬上町)に、醤油醸造業の宍戸家に生まれる[2]。1903年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業後、セントルイスのブライアント・ストラットン商業大学に学ぶ。1906年に帰国し、山形県南村山郡上山十日町高橋家に婿入りする[2]。
山形商業銀行、山形自由新聞社各取締役、上山電気社長を務める[3]。
1914年10月、上山町の西北部山麓地帯にある金井村黒沢の部落林約7町歩を買収、さらに隣接する上山町三千刈の民有地約8町歩を買収して果樹園、畜産、酪農の農園を造成した。のちに「高橋農園」と称したうえで、果樹試験栽培に積極的に行い、洋種の葡萄の栽培状況が良いことを発見。その後、デラウェア、カルメス、ブライト、甲州などの高級葡萄品種の栽培研究を続け、特にデラウェアがこの地方の気候や地質に最も適合することを確認、その普及を図った。[4]
1917年に上山町会議員、1919年に山形県会議員に当選(当時は町会議員と兼職可)[2]。1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選し、以来連続7回当選した。その間、犬養内閣の外務参与官、土木会議議員、農林省経済更生部参与、立憲政友会総務などを歴任[3]。1933年、明治製菓の工場を上山町に誘致成功。1934年に勲四等瑞宝章を下賜。1940年に勲三等瑞宝章を受章。1947年に公職追放となるが、1950年に追放解除となると自由党山形県支部顧問を務めた[2]。
1951年に山形県消防協会長、山形県社会福祉協会会長、山形県養蚕販売農業協同組合連合会長、山形県農業委員会協議会理事などに選任される。
1954年10月1日に上山市市制施行となり、市長選に出馬。旧上山町長であった松本長兵衛との一騎打ちを制し、初代上山市長となる。
その他
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
脚注
編集関連項目
編集- 蔵王高速電鉄(自らも電鉄構想を持っていたが、断念。計画の出資者となる。)