門前町黒島町
石川県輪島市の地名
門前町黒島町(もんぜんまちくろしままち)は、石川県輪島市の町名。旧能登国鳳至郡櫛比荘黒島村、鳳至郡黒島村、鳳至郡門前町黒島町、鳳珠郡門前町黒島町。
門前町黒島町 | |
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黒島地区の街並み | |
北緯37度16分56.122秒 東経136度44分6.216秒 / 北緯37.28225611度 東経136.73506000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 石川県 |
市町村 | 輪島市 |
地区 | 黒島地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.87 km2 |
人口 | |
• 合計 | 335人 |
• 密度 | 390人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
927-2165[2] |
市外局番 | 0768 (輪島MA)[3] |
ナンバープレート | 石川 |
概要
編集黒島地区は江戸時代に幕府の天領となり、北前船の船主、船頭の居住地として江戸時代後期から明治時代中期かけて栄えた。2009年(平成21年)6月30日、種別「船主集落」で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定。黒い屋根瓦に板壁の伝統的な家屋が特徴的である。
歴史
編集くろしまむら 黒島村 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 門前町・七浦村・本郷村・浦上村・諸岡村・黒島村→門前町 |
現在の自治体 | 輪島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 鳳至郡 |
市町村コード | 当時存在せず |
面積 | 0.96 km2. |
総人口 |
1,277人 (門前町史、1953年) |
隣接自治体 | 諸岡村・剱地村 |
黒島村役場 | |
所在地 | 石川県鳳至郡黒島村 |
座標 | 北緯37度16分56.1秒 東経136度44分6.2秒 / 北緯37.282250度 東経136.735056度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集『加賀藩と能登天領の研究』から[4]
- 天正9年(1581年)8月 - 前田利家に能登一国が与えられ前田領となる。
- 慶長10年(1605年)6月 - 前田利長と土方雄久が領地の一部を交換し、能登石崎藩領となる。
- 慶長13年(1608年)11月 - 能登石崎藩が下総国に陣屋を移し、下総田子藩領となる。
- 元和8年(1622年) - 田子藩が転封し、陸奥窪田藩領となる。
- 貞享元年(1684年)7月 - 窪田藩が改易され、幕府領(代官支配)となる。
- 元禄2年(1689年)8月 - 能登下村藩領となる。
- 元禄8年(1695年)5月 - 再び幕府領(代官支配)となる。
- 元禄11年(1698年)5月 - 西谷藩領となる。
- 元禄13年(1700年)10月 - 三たび幕府領(代官支配)となる。
- 享保7年(1722年)6月 - 加賀藩の預地(通常預所)となる。
- 文化7年(1810年)3月 - 私領同様預所となる。
- 弘化2年(1845年)12月 - 再び通常預所となる。
- 弘化4年(1847年)12月 - 再び私領同様預所となる。
- 慶応3年7月2日(1867年8月1日) - 私領打込預高となり、櫛比組に編入される[5]。
- 幕末 - 能登国鳳至郡櫛比荘黒島村が存在[6]。幕府領(加賀藩預地)。
- 慶応4年(1868年)3月 - 新政府からの預地となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 高山県の管轄となる[7]。
- 明治4年11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、七尾県の管轄となる。
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、鳳至郡黒島村を廃し、その区域をもって鳳至郡黒島村を設置する。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 鳳至郡門前町、七浦村、本郷村、浦上村、諸岡村及び黒島村を廃し、その区域をもって鳳至郡門前町を設置する。鳳至郡旧黒島村の区域にあらたに黒島町を設定する。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 鳳至郡及び珠洲郡を廃し、門前町、穴水町及び能登町の区域をもってあらたに鳳珠郡の区域を画す。
- 2006年(平成18年)2月1日 - 輪島市及び鳳珠郡門前町を廃し、その区域をもって輪島市を設置する。黒島町の名称を門前町黒島町に変更する。
- 2024年(令和6年)1月1日 - 令和6年能登半島地震で多数の家屋の倒壊など甚大な被害を受ける[8]。
行政
編集村長
編集代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 1 | 森岡又四郎 | 1889年(明治22年)5月1日 | 1890年(明治23年)10月22日 | 在職中死去[9] |
2 | 2 | 中谷昇太郎 | 1891年(明治24年)4月6日 | 不詳 | |
3 | 3 | 林不二男 | 不詳 | 不詳 | |
4 | 4 | 三村静 | 1907年(明治40年)6月24日 | 1910年(明治43年)9月8日 | |
5 | 5 | 玉木虎吉 | 1910年(明治43年)10月6日 | 1914年(大正3年)1月7日 | |
6 | 6 | 升谷和太郎 | 1914年(大正3年)10月2日 | 1918年(大正7年)10月1日 | |
7 | 1918年(大正7年)10月2日 | 1922年(大正11年)10月1日 | |||
8 | 1922年(大正11年)10月2日 | 1926年(大正15年)10月1日 | |||
9 | 玉木虎吉 | 1927年(昭和2年)4月5日 | 1931年(昭和6年)4月4日 | ||
10 | 7 | 七野伝左衛門 | 1931年(昭和6年)4月5日 | 不詳 | |
11 | 8 | 森岡弥佐久 | 1937年(昭和12年)7月5日 | 1937年(昭和12年)9月15日 | |
12 | 七野伝左衛門 | 1937年(昭和12年)10月25日 | 1940年(昭和15年)12月20日 | ||
13 | 9 | 惣田嘉吉郎 | 1940年(昭和15年)12月28日 | 1944年(昭和19年)12月27日 | |
14 | 10 | 角海清 | 1945年(昭和20年)2月17日 | 1946年(昭和21年)6月4日 | |
15 | 11 | 中谷藤作 | 1946年(昭和21年)6月5日 | 1947年(昭和22年)4月4日 | |
16 | 12 | 嘉門安太郎 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
17 | 13 | 北潟治三郎 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1954年(昭和29年)3月30日 |
世帯数と人口
編集2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
門前町黒島町 | 173世帯 | 335人 |
教育
編集小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 輪島市立門前西小学校 | 輪島市立門前中学校 |
交通
編集バス
編集- 外浦線
- <富来方面> - 南黒島 - 黒島 - <門前方面>
- 久川線
- <門前方面> - 黒島 - 南黒島 - <久川方面>
道路
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集重要伝統的建造物群保存地区
編集地内には重要伝統的建造物群保存地区として、建築物148棟、工作物(門、塀、石垣等)101件が特定され、環境物件として庭園等21件が特定されている。 保存地区の面積は約20.5ha[10]。
- 祭り
- 黒島天領祭 輪島市指定無形民俗文化財
脚注
編集- ^ a b “平成29年版 輪島市統計書(平成27年 国勢調査より)”. 輪島市 (2018年3月30日). 2018年5月2日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2018年5月2日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年5月2日閲覧。
- ^ 田川捷一 2012, p. 264-271.
- ^ 石川県鳳至郡役所(編) 1923, p. 77.
- ^ 石川県鳳至郡役所(編) 1923, p. 51.
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 【能登半島地震・輪島市門前町黒島地区動画ルポ】再び損壊の伝統的町並み それでも住民はたくましく Japan earthquake
- ^ 「黒島村小史」p198
- ^ 国指定文化財等データベース - 文化庁
参考文献
編集- 田川捷一『加賀藩と能登天領の研究』北國新聞社、2012年。
- 石川県鳳至郡役所(編)『石川県鳳至郡誌』石川県鳳至郡役所、1923年。
- 『門前町史』
- 『新修門前町史』
関連項目
編集外部リンク
編集- 輪島市門前町黒島地区まちづくり協議会
- 輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区 - 石川県教育委員会