長岡岡成
長岡 岡成(ながおか の おかなり)は、平安時代初期の皇族・貴族。姓は朝臣。桓武天皇の皇子。官位は従四位上・散位頭。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 嘉祥元年12月1日(848年12月29日) |
官位 | 従四位上・散位頭 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 長岡朝臣 |
父母 | 父:桓武天皇、母:多治比豊継 |
兄弟 |
安殿親王(平城天皇)、朝原内親王、 伊予親王、良岑安世、 神野親王(嵯峨天皇)、 大伴親王(淳和天皇)、葛原親王、 万多親王、仲野親王、佐味親王、 坂本親王、賀陽親王、葛井親王、 甘南美内親王、伊都内親王、 菅原内親王、大宅内親王、高津内親王、安勅内親王、明日香親王、布勢内親王、岡成、ほか |
子 | 嵯峨天皇宮人 |
経歴
編集桓武天皇の皇太子時代(宝亀4年〔773年〕 - 天応元年〔781年〕)に生まれる[1]。延暦6年(787年)長岡朝臣姓を与えられ臣籍降下した。長岡の氏の名は、当時の山背国乙訓郡長岡村[2]、すなわち長岡京(現在の京都府向日市)に因んだものである。同時に広根諸勝も臣籍降下している。
嵯峨朝の弘仁元年(810年)従五位下に叙爵された。弘仁6年(815年)6月に散位頭に叙せられ、同月には弟・良岑安世や嵯峨源氏8名と共に左京に貫付された。弘仁13年(822年)従五位上に叙爵された。
淳和朝から仁明朝初頭まで昇進し、天長2年(825年)正五位下、天長9年(832年)従四位下、天長10年(833年)従四位上に至った。以降、仁明朝では昇進することなく、嘉祥元年(848年)12月1日卒去。最終官位は散位従四位上。
官歴
編集『六国史』による。