多治比豊継
多治比 豊継(たじひ の とよつぐ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官。桓武天皇の女孺で、桓武天皇の皇子から臣籍降下された長岡岡成の母。姓は真人。位階は従五位上。
生涯
編集『新撰姓氏録』「左京皇別」の「長岡朝臣」の項目によると、桓武天皇が皇太子であった際に、女孺として仕え、岡成王を生んだことが記されている。
延暦4年(785年)正月、無位から従五位下に叙され、延暦18年(799年)正月、従五位上に昇叙したことが、史書には記録されている。この間に、息子の岡成は賜姓され、延暦6年(787年)2月、長岡朝臣を名乗っている[1]。
官歴
編集『六国史』による
脚注
編集- ^ 『続日本紀』延暦6年2月5日条