明日香親王(あすかしんのう)は、桓武天皇の第7皇子。官位三品上野太守

明日香親王
前賢故実』より
時代 平安時代初期
生誕 不詳
薨去 承和元年2月23日834年4月5日
官位 三品上野太守
父母 父:桓武天皇、母:紀若子
兄弟 平城天皇朝原内親王長岡岡成伊予親王良岑安世嵯峨天皇淳和天皇葛原親王大宅内親王高津内親王万多親王高志内親王明日香親王仲野親王佐味親王坂本親王賀陽親王布勢内親王葛井親王安勅内親王賀楽内親王菅原内親王甘南美内親王伊都内親王
久賀三夏久賀三常
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経歴

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弘仁2年(811年四品弾正尹に叙任される。弘仁9年(818年親王の号を除き臣籍降下して朝臣姓を与えられたい旨を上表するも許されなかったが、なおも子女の臣籍降下を求めて許され、子女4名に久賀朝臣姓が与えられた[1]。以降これに倣って、二世王への賜姓が競って行われるようになったという[2]。弘仁12年(821年)三品に叙せられる。

天長8年(831年上野太守に任ぜられる。承和元年(834年)2月13日薨去

人物

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生まれつき質朴な性格で、浮華を良しとしなかった。弘仁年間は奢侈な風潮で、王公貴人は鮮やかな衣服を非常に好んだが、明日香親王だけは夏になっても朝服を何度も洗濯して使用した。また、馬小屋の走行用のを売却して邸宅の費用を支えるなど、節約に努めたという。[2]

官歴

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六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本後紀』弘仁9年8月22日条
  2. ^ a b 続日本後紀』承和元年2月23日条

参考文献

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