野村 尚房(のむら なおふさ)は江戸時代の歌人、国学者備中鴨方藩郡奉行備前国岡山在住。宣阿門下。湯浅常山の師。

 
野村 尚房
時代 江戸時代
死没 享保14年1月17日1729年2月14日
別名 通称:権六郎、号:一枝軒、荒唐斎、瓦巵散人、蠡測子[1]
戒名 市隠空源信士
墓所 岡山市中区平井山
主君 池田政倚[2]
岡山藩支藩鴨方藩
氏族 姓野村氏[3]
父母 野村八右衛門
兄弟 野村七三郎
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経歴

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生年は不明[4]備中鴨方藩士野村八右衛門の長男として生まれ[5]備前国岡山天神山の藩屋敷・郡会所に勤務した[2]。自宅は旭川対岸にあった[6]

近所の酒折宮神官岡俊直社中の中心として月次歌会、歌書の会読等を行い、京都宣阿に指導を受け、岡山藩松井河楽和田省斎等と交流した[7]。宣阿からは一枝軒の号を譲り受けた[8]。「源氏物語は擬し難く、後世上手と謂はるる人なし。木下長嘯子の如き、其の門墻を窺へるに近きのみ。」として[5]、長嘯子『挙白集』の文章を模範とした[9]

詳細な職歴は不明だが、宝永正徳期を中心に江戸浅草鳥越藩邸に20度程赴任している[10]。宝永の大火で藩邸が類焼した際[10]、10町程遠くに避難するも、主君が居間に残した愛読書を惜しんだため、屋敷に取りに戻ったという[11]

享保7年(1722年)6月讒言のため郡奉行を辞職し、享保10年(1725年)2月隠居し、伯父小十郎家に引き取られ、縁家湯浅家の世話を受けた[12]。間もなく出家した[13]

享保14年(1729年)1月17日死去し、岡山平井山に葬られた[14]。死没時に従姉湯浅瑠璃が60歳だったため、享年はそれ未満と見られる[4]。法名は市隠空源信士[15]。墓は湯浅常山墓右隣にあったが、現存しない[16]

著書

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  • 『栄花物語事跡考勘』[17] - 赤染衛門栄花物語』の成立や事実関係等についての考証[18]。『国文学註釈叢書』第11巻、『国文註釈全書』第7編収録。
  • 『三玉挑事抄』[19] - 正徳5年(1715年)3月成立、享保8年(1723年)11月刊行[15]。三玉集(後柏原天皇『柏玉集』、三条西実隆『雪玉集』、下冷泉政為『碧玉集』の総称)の注釈[20]同志社大学『同文學』に岩坪健等の注釈が連載。
  • 『草のゆかり』 - 江戸から備前に帰宅した際の紀行[21]
  • 『折桂要略』 - 享保9年(1724年)8月成立。式部省の官員・学生・釈奠等について列記する[22]
  • 『柿本人麿伝証註』[23] - 林羅山柿本人麻呂伝」[24]の注釈[21]
  • 『近来玄々鈔』 - 享保3年(1718年)序。寛永20年(1643年)1月以来の公宴和歌の抄出書[23]
  • 『歌書作者考』[25] - 『万葉集』以来の歌書の解題[23]
  • 『後柏原院御着到百首』[26] - 永正6年(1509年)9月9日から12月20日までの宮中着到百首。宝永2年(1705年)6月刊行[20]
  • 『一枝軒随筆』 - 和歌・歌学に関する随筆[27]
  • 『青葉集』 - 家集[28]
  • 『和藻温故集』 - 宝永年間成立。古今の雅文の抄出書[1]

岡山大学池田家文庫「土肥秘函」に『俊頼無名抄』『源氏物語奥入』『和歌書様』『和歌会席作法』『和歌会作法』『[懐紙事]』『二十一代集大臣考』『餝抄』の尚房書写・土肥経平転写本がある[29]

和歌

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  • 「水かはん浅瀬やいづこ駒とむるひのくま川の五月雨の空」[5]
  • 「ふりせずよかぞへあげては見し度もはたち計りの雪のふじのね」 - 江戸赴任時の歌。『伊勢物語』第9段を踏まえる[10]
  • 最上川のぼりえぬ瀬を時の間にまたくだし行波の稲舟」 - 郡奉行辞職時の歌[10]

親族

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家祖野村越中美濃国出身で、織田信長に仕えて六条合戦を戦った[3]。2代越中は小田原合戦朝鮮出兵を戦い[30]慶長7年(1602年)池田輝政に仕えた[31]。子孫にフランス留学生野村小三郎尚赫がいる[32]

  • 父:野村八右衛門 - 池田政言[2]附人、郡奉行[3]
    • 伯父:善左衛門 - 本家4代。貞享2年(1685年)9月23日没[31]
    • 伯父:小十郎尚高[32] - 本家5代。享保14年(1729年)閏9月9日没[31]
    • 伯父:庄兵衛 - 池田丹州附人[3]
    • 伯母:滝七左衛門陳良室[4]
  • 弟:七三郎 - 愚鈍のため、生涯扶養した。享保13年(1728年)6月2日没[35]

生涯娶らなかった[5]

脚注

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  1. ^ a b 小西 1941, p. 56.
  2. ^ a b c 神作 1996, p. 27.
  3. ^ a b c d 小西 1941, p. 57.
  4. ^ a b c d 小西 1941, p. 55.
  5. ^ a b c d 岡山市 1938, p. 3852.
  6. ^ 神作 1996, p. 34.
  7. ^ 神作 1996, pp. 33–36.
  8. ^ 井上 1930, pp. 203–204.
  9. ^ 井上 1930, p. 204.
  10. ^ a b c d 神作 1996, p. 28.
  11. ^ 小西 1941, p. 58.
  12. ^ 小西 1941, pp. 58–59.
  13. ^ 神作 1996, p. 29.
  14. ^ 小西 1941, p. 53.
  15. ^ a b 小西 1941, p. 60.
  16. ^ 神作 1996, p. 26.
  17. ^ 輪池叢書 三』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ 野村 1926, pp. 590–591.
  19. ^ 三玉挑事抄 - 新潟大学附属図書館佐野文庫
  20. ^ a b 神作 1996, p. 32.
  21. ^ a b 小西 1941, p. 61.
  22. ^ 小西 1941, pp. 60–61.
  23. ^ a b c 神作 1996, p. 30.
  24. ^ 羅山林先生文集巻1』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  25. ^ 歌書作者考 - 国文学研究資料館初雁文庫
  26. ^ 後柏原院御着到百首 - 酒田市立図書館光丘文庫
  27. ^ 一枝軒随筆 - 西尾市岩瀬文庫古典籍書誌データベース
  28. ^ 小西 1941, p. 62.
  29. ^ 神作 1996, pp. 29–31.
  30. ^ 吉備温故.
  31. ^ a b c 神作 1996, p. 25.
  32. ^ a b 日笠 2003.
  33. ^ 小西 1941, p. 54.
  34. ^ 神作 1996, pp. 34–35.
  35. ^ 小西 1941, p. 59.

参考文献

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  • 野村八良『国文学研究史』原広書店、1926年。 NDLJP:1875107/306
  • 井上通泰『南天荘雑筆』春陽堂、1930年。 NDLJP:1225252/123
  • 岡山市役所『岡山市史』 第5、岡山市役所、1938年。 NDLJP:1261486/235
  • 小西謙「近世の一国学者に関する探究 ―野村尚房に就て―」『國語と國文學』第18巻第11号、明治書院、1941年11月。 
  • 神作研一一枝軒野村尚房の伝と文事」『近世文藝』第63巻、日本近世文学会、1996年1月、ISSN 0387-3412NAID 130007052288 
  • 大沢惟貞「吉備温故秘録 干城八」『吉備群書集成』 第6輯、吉備群書集成刊行会、1931年。 NDLJP:1913034/160
  • 日笠俊男「野村小三郎。岡山市平井の墓標 ―仏海院無極透天居士―」『設立準備会会誌』第3号、日仏野村小三郎学会設立準備会、2003年10月。