道場村
日本の兵庫県有馬郡にあった村
道場村(旧字体: 道塲村、どうじょうむら)は、兵庫県有馬郡にあった村。概ね現在の神戸市北区道場町各町にあたる。
どうじょうむら 道場村 | |
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廃止日 | 1951年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 神戸市、道場村、八多村、大沢村 → 神戸市(兵庫区) |
現在の自治体 | 神戸市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 有馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 31.944 km2. |
総人口 |
3,955人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 神戸市、西宮市、有馬郡三田町、三輪町、八多村、長尾村、川辺郡西谷村 |
道場村役場 | |
所在地 | 兵庫県有馬郡道場村道場 |
座標 | 北緯34度52分01秒 東経135度13分52秒 / 北緯34.86703度 東経135.231度座標: 北緯34度52分01秒 東経135度13分52秒 / 北緯34.86703度 東経135.231度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集隣接していた自治体
編集歴史
編集行政
編集- 有井市左衛門 明治22年(1889年)5月〜明治25年(1892年)1月
- 水野宇兵衛 明治25年(1892年)1月〜明治26年(1893年)3月
- 三谷定三郎 明治26年(1893年)3月〜明治26年(1893年)10月
- 米田吉三郎 明治26年(1893年)11月〜明治28年(1895年)7月
- 山脇篤蔵 明治28年(1895年)7月〜明治29年(1896年)6月
- 中西幸太郎 明治29年(1896年)6月〜明治33年(1900年)6月
- 小南安太郎 明治33年(1900年)6月〜明治34年(1901年)3月
- 大西善太郎 明治34年(1901年)3月〜明治35年(1902年)7月
- 梶和三郎 明治35年(1902年)7月〜明治37年(1904年)4月
- 岡幾太郎 明治37年(1904年)4月〜明治39年(1906年)7月
- 山脇延吉 明治39年(1906年)7月〜明治40年(1907年)4月
- 泉卯之介 明治40年(1907年)4月〜大正4年(1915年)4月
- 大前幸吉 大正4年(1915年)4月〜大正6年(1918年)12月
- 後幸太郎 大正6年(1918年)12月〜昭和2年(1927年)4月
- 泉繁造 昭和2年(1927年)4月〜昭和4年(1929年)9月
- 山脇泰治 昭和4年(1929年)9月〜昭和19年(1944年)9月
- 新谷雅一 昭和19年(1944年)9月〜昭和20年(1945年)10月
- 喜多武男 昭和20年(1945年)10月〜昭和22年(1947年)4月
- 中ノ幸逸 昭和22年(1947年)4月〜昭和26年(1951年)6月30日
経済
編集産業
編集- 農業
農産物は、米、麦、甘藷、鶯豆、馬鈴薯、大豆、西瓜、甜瓜その他を出し、林産物は松茸、薪炭材、用材、製材、竹材その他を出す[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば道場村の篤農家は、「岡幾太郎、新谷甚之丞、山脇延吉、東馬場清太郎、泉卯之介」などである[2]。
- 商工業
地域
編集現在の地名
編集- 道場町(どうじょうちょう)
教育
編集交通
編集鉄道路線
編集道路
編集名所・旧跡
編集脚注
編集- ^ a b c 『伝家之宝典 自治団体之沿革 兵庫県之部』篠田皇民 著、東京都民新聞社地方自治調査会、1932年、pp159-160(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月3日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、p125(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月3日閲覧。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 28 兵庫県