連想ゲーム
『連想ゲーム』(れんそうゲーム)は、1969年4月から1991年3月までNHK総合テレビジョンで放送されたクイズ番組である。
連想ゲーム | |
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ジャンル | クイズ番組 |
司会者 | #歴代司会者参照 |
出演者 | #出演者参照 |
オープニング | 作曲:小森昭宏 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 | NHK |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送→ステレオ放送(1988年4月6日より) |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1969年4月9日 - 1991年3月20日(915回。特集版を含む。前身の『みんなの招待席』のコーナー時代を含めると計962回) |
放送時間 | 水曜 20:00 - 20:30 土曜 19:30 - 20:00 水曜 19:30 - 20:00 |
概要
編集1968年4月8日に始まった番組『みんなの招待席』(月曜20:00 - 21:00放送)の1コーナーから始まり[1]、1969年4月9日から独立した番組として放送され[2]、1991年3月20日まで22年続いた[注 1]。この番組は、最初の『みんなの招待席』の時代からカラー放送である。
アメリカCBSのクイズ番組『Password』をヒントに得て、製作された[3]。
放送時間は、1969年4月9日から12月17日までは毎週水曜20:00 - 20:30、1970年1月10日から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00であった[注 3]。
土曜放送時代はプロ野球中継など臨時編成が優先されていた関係で休止週が多く、特にナイター対応のために土曜19:30からの90分枠をワイド枠の「土曜スペシャル」が編成され、その第一部扱い(19:30 - 20:00)で当番組が放送された1971年度に関しては、特にナイターシーズンの上半期(4月 - 9月まで)で放送されたのはわずか9回、年間を通じても29回という少なさであった。その後、水曜に移動した後も、夏季(7月末 - 8月にかけて)と年末年始では特集番組のために放送休止が相次ぎ、結果的に『みんなの招待席』時代も含め23年に及ぶ放送期間を誇りながら、放送1000回に到達できないまま放送終了を迎えている(単独番組としては全915回(特集番組を含む)、前身を含めても計962回)。
稀に7時20分から始まる、放送時間が40分の「特集・連想ゲーム」が放送される場合があり、オープニングの得点板も紅組の百の位の桁が「2」になって「7」「20」と表示され、特集だけのクイズも登場する。
男女の解答者がそれぞれ「白・紅」2チームに分かれて競い合う形式は、紅白歌合戦と同じである[注 4]。
オープニングテーマ終了後の司会者の挨拶は「こんばんは。水曜夜7時半、今夜も連想ゲームでお楽しみください」と言っていたが、徳田章はそのあとに「連想は十人十色と申します。今夜はどんなに楽しい、そしてユニークな連想が飛び出してくるのでしょうか」を追加した。これは、2003年の復刻版でも同様だった。
番組のオープニングとエンディング曲は放送開始から終了まで同じ曲(小森昭宏作曲)が使われた[注 5]。
番組初期の1969年度には和歌山市・呉市・豊橋市[2]、1970年度には前橋市・鹿沼市・旭川市・東村山市・静岡市において公開録画を行った[4]。
番組終了後
編集- 2003年3月27日、NHKテレビ放送開始50年を記念して復活版『連想ゲーム スペシャル』が放送。なお、放送時間は45分間で、本放送時よりも15分延長された[注 6]。BS2でも同年3月2日に『今夜復活 連想ゲーム 私の秘密』の中で放送された(内容は地上波と同様)。
- 2003年4月13日から1年間、BS2で『アーカイブス・連想ゲーム』として過去の放送分からピックアップして放送された[注 7]。
- 2005年5月16日には、バラエティ番組『きよしとこの夜』の1コーナーとして復活した。
- 2006年11月5日、BS2で放送された『ザ少年倶楽部』で「ひらめけ言葉当てゲーム」として本家・連想ゲームの「勝ち抜きゲーム」を基にしたクイズが行われた。内容は基本的に勝ち抜きゲームと同じである[注 8]。
- 2009年8月6日(8月5日未明)、特番として放送された『WALKING EYES アルクメデス』で、パロディー版「ほうれんそうゲーム」なるものが放送された[注 9]
- 2013年4月から2015年3月まで、当番組のアレンジ版となる『伝えてピカッチ』が放送された。
- 2018年3月21日、当番組の復活アレンジ版となる『連想ゲームNEO』がラジオ第1にて放送された[注 10]。同年8月7日、『連想ゲームNEO』の第2弾がラジオ第1で放送した[注 11][5]。
- 2019年1月3日、『連想ゲームNEO』をベースとした『クイズイマジネーター』を放送。こちらもリスナーからの投稿を元に回答者が答えを導き出すもので、4月から『中山秀征のクイズイマジネーター』としてレギュラー化された。
番組の保存状況
編集放送開始当時、放送用ビデオテープが高価であったことと当番組の保存価値の按分により、しばらくの間、当番組のビデオテープは放送終了後、消去されて使い回された。そのため、NHKアーカイブスで保存される当番組の放送用ビデオテープは、1984年5月23日放送分が最古である。以後1986年が3本[注 12][注 13]、1988年が4本、1989年1月から同年3月まで3本存在する。以降、同年4月26日放送分から放送終了まで、およびその後の復活版等は全放送分が保管される。2024年2月現在、現存する放送分は94回分である[7]。
発掘プロジェクト
編集- 視聴者から1979年3月28日放送分、1982年12月22日放送分・1984年1月4日放送分、山本耕一から1981年8月26日放送分、風間杜夫から1984年2月29日放送分、柳生博から1977年12月10日放送分、2015年11月に杉良太郎から1973年1月20日放送分、水島裕から1980年と1981年の合計4本の放送分[8]、神和住純からは1986年2月19日放送分[9]、漫画家の矢口高雄から1981年放送分[10]、女優の水沢アキから1977年放送分が提供された[11]。なお、現存する最古の映像は、2018年8月に視聴者から提供された「みんなの招待席」時代の1968年5月13日放送分(第5回)[12]である。
出演者
編集歴代司会者
編集司会は何れも当時のNHKアナウンサーが担当した。
- 初代:青木一雄(1968年4月8日 - 1969年3月31日、『みんなの招待席』のコーナー時代)
- 2代目:野村泰治(1969年4月9日 - 1970年3月28日)
- 3代目:井上昌巳(1970年4月11日 - 1972年3月25日)
- 4代目:中江陽三(1972年4月8日 - 1974年3月30日[注 14])
- 5代目:加治章(1974年4月6日 - 1978年3月25日)
- 6代目:川野一宇(1978年4月5日 - 1981年3月25日)
- 7代目:松平定知(1981年4月1日 - 1984年3月21日[注 15])
- 8代目:吉川精一(1984年4月4日 - 1987年3月30日)
- 9代目:佐藤充宏(1987年4月6日 - 1989年3月15日)
- 10代目:徳田章(1989年4月5日 - 1991年3月20日)
キャプテン・解答者
編集「みんなの招待席」時代は紅白ともにキャプテン+3枠ずつ、独立後は紅白ともにキャプテン席+4枠ずつの設定で、レギュラー出演者は両軍のキャプテンのみであったが、1970年以降、紅組は小山明子、中村メイコ、ロミ・山田、うつみ宮土理ほか、白組は牟田悌三、小沢昭一、長門勇、桂米丸、山田吾一、杉良太郎らが準レギュラー格として出演、徐々に各枠の出演者が固定されていき、1972年4月に1枠増員されたのを機に、キャプテン席+レギュラー4枠+ゲスト1枠(1973年4月からはキャプテン席+レギュラー3枠+ゲスト2枠)の形式が定着した[注 18]。
1988年3月、佐藤充宏アナから従来のキャプテン・レギュラー解答者がそれぞれ卒業し、同年4月より新メンバー体制になることを発表した(ただし白組・加藤キャプテンのみ残留)。
- 歴代キャプテン
- 紅組キャプテン
- 白組キャプテン
- 「みんなの招待席」の1コーナーとしてスタートした当時にキャプテンを担当。その後一旦降板したが、1年後に再度キャプテンに復帰。以降、番組終了まで20年以上にわたり長く出演を続けていた。
- レギュラー解答者
- 初期(レギュラー不在時代)の主な準レギュラー出演者
- 紅組チーム
- 1枠
- 安達降板からロミ・坪内週交代レギュラー起用までの1枠は、主に3枠の檀ふみ又は5枠の木原光知子が週替りで代行。その間の3枠・5枠は一時的にゲスト枠となった。
- 2枠
- 3枠
- 4枠
- 5枠
- 1972年4月8日 - 1973年3月31日はゲスト解答者枠。
- うつみ宮土理(1973年4月7日 - 9月29日、3枠から移動)
- 和田アキ子(1973年10月6日 - 1974年8月31日[注 35])
- 木原光知子[注 36](1974年11月16日 - 1975年10月25日)
- 水沢アキ(1975年11月1日 - 1978年3月25日、1978年4月5日より紅組キャプテンへ昇格)
- 岡江久美子(1978年4月5日 - 1983年3月16日[注 37])[16]
- 中井貴恵(1983年4月6日 - 1987年9月30日[注 38])
- 中井の降板後から田中がレギュラー起用までの間は、下記の6名が主に2 - 4週替りで代行。
- 中村あずさ(1990年1月10日 - 1991年3月20日)
- 1枠
- 白組チーム
- 1枠
- 2枠
- 3枠
- 4枠
- 5枠
- 復刻版(2003年3月)
- 「連想ゲームNEO」第1回(2018年3月)
- 「連想ゲームNEO」第2回(2018年8月)
- 紅組キャプテン:高城れに(ももいろクローバーZ)
- 白組キャプテン:宮田俊哉(Kis-My-Ft2)
アシスタント
編集- キューピット (エミ,ユミ),Harumi,Hiromi,広田恵子、曽根智子、渡辺まや子、橋本弘子、菊地友理、吉本恵ほか
ルール
編集紅組(女性チーム)と白組(男性チーム)の対抗戦。各組は出題キャプテンと5人の解答者[注 59]で構成された。
- クイズ開始前、各チームのキャプテンに、アシスタントから答えが書かれたメモが渡され、キャプテンはメモを見ながらヒントを出す。
- 司会は「○○さん、××さん、○○さん!」または「○○さんと××さんで、○○さん!」[注 60]と指名する。
- 指名された解答者のチームのキャプテンが一語のヒントを出し、解答者は5秒以内に口答で答える。
- なお、キャプテンは原則としてヒントを出せるのは1回につき1個のみである。ただし、うっかりキャプテンが正解を言ってしまうと、その問題はノーカウントとなる。さらに、解答者は基本的に解答の単語は1個しか言えず、不正解の直後に正解を言い直しても認められず、相手チームに解答権が移る[注 61]。
- 5秒を超えたり、不正解の場合は「ピンポン」と2音のチャイムが鳴って[注 62]相手チームに解答権が移り、キャプテンは同じ要領で解答者にヒントを出す。
- これを正解が出るか、10問目の最終ヒントが出るまで繰り返し[注 63]、出題終了後は次解答者への問題に移る。もし両チームに正解が答えられない場合は共に無得点となり、司会者が正解を言っていた[注 64]。正解の場合は正解を言った解答者の顔をカメラがズームしていた。
得点は10点から始まり、解答権が移る度に1点減る。正解すると司会が「そうです」「その通り」などと言った後に観客から拍手が起き、その時の得点がチームに加算される。またチャイムの音と同時に正解を答えても、司会が「ピンポンと同時、認めます」または「ピンポン同時、結構です」と言って正解扱いとなるが、完全にチャイムの鳴った後に正解を言っても、認められず相手チームに解答権が移る。また答えが略語で解答の正式名称を答えたり[注 65][注 66]、異なる読み仮名で答えた時[注 67]、敬語を付け加えて答えた場合[注 68]なども、司会者が「○○と××、どちらでも結構です」と言って正解になる場合がある。ただし、正解に対して余計な言葉を付けたり、逆に言葉が足りなかったり、読み違いがあったりなど、司会者の裁定で不正解になることがある[注 69]。さらに、不安などで否定的な言葉を付けて解答を言ってしまうと、実際は正解でも司会者の裁定によって不正解となる[注 70]。なお観客にはあらかじめ正解が教えられており、正解に近い解答が出ると、チャイムの後観客から拍手(やや近い解答で小さな拍手、非常に惜しい解答で大きな拍手)が起こり、解答者にとって大きなヒントとなる。また、前述したような言い間違いや、「〇〇じゃない…」のような解答をした場合、大抵キャプテンや観客が正解したと勘違いしてリアクションを取ってしまうため、相手チームが察して次の解答者に正解されていた。
ただし、一語でないヒント、正解の漢字と1字でも重なるヒント、ほとんど同じ意味の言葉でのヒントを出して正解が出た場合は違反ヒントとなり、司会の裁量で獲得得点が半分に減らされた[注 71]。ほか基本的に、名詞以外の言葉[注 72][注 73]も違反ヒントとなる[注 74][注 75]。ただし、相手チームのキャプテンによる違反ヒントで解答者が答えられず、自分チームのキャプテンのヒントに違反がなければ、相手の違反ヒントによって正解しても減点されなかった[注 76]。なお、本来の解答の同音異義語(またはそれに近い言葉)を連想させるヒントを出しても良い[注 77]。特に加藤芳郎と藤田弓子は、正解がなかなか出てこず行き詰まった際、意図的に違反ヒントを言い[注 78]、観客や解答者を笑わせて会場を盛り上げるのがお約束だった。復刻版では固有名詞も違反ヒントとなった[注 79]。
出題時に正解がテロップ表示されるが、「ワンワンコーナー」終了後の後半戦は、司会者が「ここからは画面に字幕を出しません。テレビをご覧の皆様もご一緒にお楽しみください」と言い、正解のテロップの代わりに四角枠に「?」と表示される[注 80]。
クイズの内容
編集- オープニング・司会、解答者、アシスタント紹介(司会者の挨拶の後に女性チームから解答者を紹介[注 81]、紹介された解答者は必ずと言っていいほど「こんばんは!」と挨拶していた。男性チームの紹介が終わった後にアシスタントを紹介し、1問目の答えのメモをキャプテンに渡す)
- 一般問題(15問出題)
- 3ヒントコーナー(男女1問ずつ、計2問出題)
- 勝ち抜きゲーム(男女対抗戦、5人抜きで勝ち)
- ワンワンコーナー(5問出題)
- 一般問題(時間まで、TVの前に答えの字幕が出されない)
- 1分ゲーム(男女1ゲームずつ、計2ゲーム出題)
- 総合得点を発表・エンディング
- 最初の「2.一般問題」から「6.一般問題」までは1問ごとに先攻が入れ替わる。つまり、1問目が女性チームの先攻であれば、2問目が男性チームの先攻、3問目が女性チームの先攻・・・となり、これが「6.一般問題」の最終問題まで続く。
- なお、「4.勝ち抜きゲーム」は全体で1問とされるため、コーナー終わり後の「5.ワンワンコーナー」の最初は「第19問」とされる。つまり「2.一般問題」は15問、「3.3ヒントコーナー」は男女別2問で16問目・17問目、「4.勝ち抜きゲーム」は全体で18問目となる。
- ただし、最後の「7.1分ゲーム」はリードしている側が先攻となる。
- 一般問題
- キャプテンのヒントを元に解答者が解答を当てる。解答は名詞(固有名詞を除く)がほとんどだが「正々堂々」など四字熟語が出題される場合もある。
- 最初の5問は「ある季節を連想させるもの」などの関連性がある言葉が出題される。
- 3ヒントコーナー(番組終了の半年前頃に廃止)
- 白組・紅組に1問ずつ問題が出される。キャプテンから3つのヒントを出され、チーム全員で相談して連想される言葉を当てる。通常の問題と異なり、ことわざ・四字熟語・俳句・歌のワンフレーズなどが出題される[注 82]。正解で10点、不正解で相手チームに解答権が移り、キャプテンが新たな3ヒントを出題して正解で5点[注 83]、さらに不正解で両者0点となる[注 84]。
- 勝ち抜きゲーム(放送初期の頃はなく、途中から追加)
- 白組と紅組の1対1の対抗戦。出題される言葉には、何かしらの関連性がある「隠しテーマ」と呼ばれるものが存在する[注 85]。白組は夏みかん、紅組はりんごの置物をそれぞれ持ち、一般問題と同じ要領で対戦する。相手チームの解答者に正解を出されると、自分が持つ果物を相手チームのテーブルの前に置く。キャプテンは最初の解答者を1・3・5枠のレギュラーの中から指名し、解答者の交代は1・3枠の場合は席の並び順、5枠は4枠から逆に交代する。1回勝負がつくごとに、次回からは負けたチーム[注 86]が先攻になる[注 87]。先に5人勝ち抜いたチームが勝利となり[注 88]、得点は勝ち負けに関わらず相手チームの果物の数×10点で、違反ヒントがあれば1問につき5点減点、ただしそれによって勝敗が覆ることはない。なお、解答者以外(順番待ちや、出番が終わったメンバー)は「隠しテーマ」をチーム同士で相談することができる。なお、勝ち抜きゲームの終了後、大抵の司会者は勝利チームの解答者に「今日の隠しテーマは何だったでしょうか?」と訪ねていた。また、番組末期の1990年9月12日放送からは、違反ヒントなしで連続3人勝ち抜くと「メロン賞」としてメロンの置物が置かれ、ボーナス30点加算のルールが追加された。
- ワンワンコーナー
- 答えが「わんわん」「にゃんにゃん」のように繰り返し言葉となり、一般問題と同じ要領で当てる[注 89]。それから派生したクイズで「さんざん」「めちゃくちゃ」「しどろもどろ」「のらりくらり」など、一字違いの繰り返し言葉を当てる「ワンニャンコーナー」、ワンワンコーナーとは逆で、繰り返し言葉をヒントにして正解の言葉を当てる[注 90]「ワンワンヒントコーナー」という出題も稀にあった。
- 私の玉手箱
- 特集・連想ゲームだけで行われるクイズで、ワンワンコーナと後半の一般問題の間に出題される。各チームの解答者がテーマに沿って用意した品物が入っている玉手箱の色をヒントにして、解答者5人とキャプテンの計6人が相手チームの品物を当てる[注 91]。解答者が出した箱には布がかけられており、出題時に布を外す[注 92]。解答は司会者と品物を持ってきた解答者しか知らないので、出題時に自分のチームの解答者に耳打ちで解答を伝える。2音のチャイムが鳴ると相手チームの1枠から5枠の解答者、最後にキャプテンの順番で解答する。解答は重複しても良く、1人正解につき10点獲得。これを白組・紅組が交互に5枠の解答者から出題、以降は4枠から逆走して出題し、各チーム5問、計10問出題される。
- 1分ゲーム
- 後半戦の問題終了直後でピンポン音が連続で鳴ると「はい、ここで(1分ゲームの)チャイムが鳴りました」「おっと、もうついに時間ですか」等と発言しながら、司会者がタイマーを出し[注 93]、スタートの合図でタイマーを作動させる「1分ゲーム」がスタートする[注 94]。紅組・白組共に、テーマに沿った言葉が16問(但し番組末期は13問)出題され[注 95][注 96]、制限時間1分の間にリレーでどれだけ多く正解できるかを競う。逆転を賭けた番組のラストコーナーだった。
- 得点の多いチームが先攻で、1分ゲームが始まる[注 97]。後攻チームは、先攻チームの問題を見ながら出題の傾向を予測していた[注 98]。
- それぞれのチームのアシスタントが、解答者の後ろで答えが記載されたフリップを紙芝居のように掲げ、キャプテンはそれを見ながらヒントを出す[注 99]。キャプテンが出すヒントの数と解答者が答える回数共に制限はない。正解もしくはパスで、アシスタントがフリップを1枚めくって次の解答を出しながら隣の解答者の後ろに移り、5枠の解答者から1枠の解答者席へは走って移動した[注 100]。
- 正解すると、解答者がだるまパネルを1個置く[注 101]。得点は正解のだるま1個につき10点だが、違反ヒントが出た場合は1問につき5点減点される。そのほか、キャプテンがうっかり正解を言ってしまったり[注 102]、その問題を本来答える解答者でなく他の人が答えたり、あまりにも悪質な違反ヒントを出した時[注 103]など、司会者の裁量で0点となる。さらに正解が分からなければ、キャプテン・解答者のどちらかがパスをすることが可能だが、この場合も無得点に扱われる。
- 全問正解、かつ違反ヒントなしの場合はボーナス50点が加算される。キャプテンはなるべく間を空けず、かつ矢継ぎ早にヒントを出さなければならないため、他のコーナーより違反ヒントが出やすかった。終了後、司会者が各チームの解答及びキャプテンから違反ヒントの有無を確認する[注 104]。
- 画面は縦2分割になっており、半分は答える解答者と、もう半分は出題するキャプテンを放映する[注 105]。その後1分ゲームが、残り時間あと約15~10秒位になると、キャプテンの映像から残時間を示すタイマーへ切り替わっていた。
- 制限時間の判定は通常問題に準じており、時間切れのベルと同時の解答は有効となる。微妙な際には、司会者が「〇〇まで結構です」「〇〇はダメです」などと言って判定していた。
その他
編集- メインの得点板は「みんなの招待席」時代では縦二列の計20個の埋め込み式角ランプで左10個は1-10、右10個は10刻みの10-100で表示するものが紅白一機づつ司会席の背後にセットされていた。また点数盤は円形の手回し式でアシスタント席に置かれ、アシスタント自らが操作していた。独立した1969年以降は各チーム3桁の9×6の電球で表示され、初期は白組が青、紅組が赤で表示されていたが、後に白組が青、紅組がピンクで表示される。また得点板の電球は、初期は1桁につき40個で4の表示が独特であった上、ゲーム開始前の最初の表示は十の桁と一の桁に0が2個表示されていたが、後に1桁につき51個に増やされ、ゲーム開始前の最初の表示も一の位にのみ0が表示されるようになる。電球の各チームのメインの得点板の周りには、10から1の数字のランプがあり、解答権のあるチームが獲得できる得点を表示した[注 106]。
- 白いロングブーツを着用した女性のアシスタントが2人いて、前述の1分ゲームで正解を書いたパネルを掲げるほか、勝ち抜きゲームの小道具を用意したりなどした[注 107]。松平の頃から、出演者紹介の後でアシスタントの名前を字幕スーパー込みで紹介されるようになった。
- 1988年4月、当時の司会が佐藤アナで白組・加藤キャプテンを除く新メンバー体制になった頃から、司会者・キャプテン・解答者の各ネームプレートが置かれるようになる。それ以前は、番組冒頭で各司会者・キャプテン・解答者が「こんばんは!」の挨拶時に、字幕スーパーで表示されていた。ネームプレートを置くようになった後も終了まで字幕スーパーの名前表示は残されていた。
- 得点は、1度獲得点数を表示させてから合計得点が表示される[注 108]。
- 当番組初・前期の頃はキャプテン・レギュラー解答者ともに、レギュラー出演中はNHKから「他局のクイズ番組には一切出演しないように」と通達を受けていた[注 109]。
- 視聴者から「1分ゲームのタイマーの針がずれている」という意見があり、それ以来ゲームに入る前は司会者がタイマーの針を直すようになる。
- 1分ゲームの加藤の似顔絵パネルが青だった時期があった(佐藤時代)。
- 1分ゲームで時間切れになったときの問題にちょうど「降参(こうさん)」と書かれたパネルがあり、加藤の要望でそのパネルを持つアシスタントから渡され、加藤が自ら「降参」のパネル持って敗北宣言する一幕があった。この日の放送は女性チームが勝ったため、まさに文字通りの結果となった。
- 当番組の最終回(1991年3月20日)放送時、ゲスト解答者席の2・4枠にはかつてのレギュラー解答者がそれぞれ登場[注 110]。そして最後の1分ゲームでは、紅組・白組チーム共に13問全て正解し、違反ヒントなしのパーフェクトを達成する[注 111]。尚エンディングでは、9代目司会者・徳田NHKアナが20年以上務めた白組キャプテン・加藤に労いの言葉を贈り、また紅組の5枠レギュラー・中村が思わず涙ぐんでいた。なお、終了後の徳田のアナウンスでは『ゲーム数字でQ』が当番組の後継として紹介されたが放送日は火曜日に移動している(当番組の時間帯には『NHKスペシャル』がスライド)。
- 漫画家の柴門ふみは、この番組に出演して誤答をしたことを夫の弘兼憲史や子どもからも「あの解答はない」と言われ、初期のエッセイではよく「もうテレビには出たくない。漫画家はテレビに出ない方がいい」と語った。
- 特に、当番組で長期間レギュラー解答者を務めた、3枠同士の大和田獏と檀ふみは数々の名勝負を展開。「檀さんと、大和田さんは、檀さん」等という名フレーズが生まれた[17]。
- この番組の出演が縁で大和田獏と岡江久美子は結婚した。なお、仲人は加藤芳郎が務めた。
脚注
編集注釈
編集- ^ MBS『アップダウンクイズ』とタイ記録。
- ^ 番組初期のころ、紅組の得点板に百の位と十の位にのみ0を出すことができず、一の位にも0が出るため、オープニングでは0が少し映った後にズームで寄せて「30」を表示していた。この「7」「30」の表示は日中、BSの再放送でも同様。ちなみに2003年3月27日の復刻版でBS2ではオープニングはなく、19:20での放送だったので「7」「20」と表示、その後の総合テレビではオープニングがあり、20:00での放送だったので「8」「00」と表示された(番組の内容は同じ)。『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」でもオープニングが流れ、そのときには現在の時刻である「0」「23」(2010年7月16日未明の初回放送時)と表示された。
- ^ なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」、紅組の百・十の桁に「30」と表示された[注 2]。
- ^ 「白組」「紅組」という言い回しを使うのはオープニングのメンバー紹介程度(「○組○姓チームキャプテン○○○○さん」)で、それ以外は「男性チーム」「女性チーム」と言っていた。
- ^ 1988年4月6日放送分からステレオ放送になったのと同時にキーを半音下げる(オリジナル版のキーは変ホ長調、アレンジ後はニ長調)などアレンジしたものを使用した。ただし、復刻版と『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」ではアレンジ前の曲が使用された。
- ^ 問題は前半戦では本放送時の15問から25問に、3ヒントコーナーが2問から4問に、ワンワンコーナーが5問から10問にそれぞれ増やして行われた。「1分ゲーム」(出題は本放送時の最末期と同様に13問で、白組が「白」・紅組が「赤」から始まる単語)で1問正解出た場合は、両チーム共に茶色の「どーもくん」のぬいぐるみが置かれる。この復刻版の結果は白組367点・紅組307点で、白組チームの勝利だった。
- ^ 放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。字幕放送あり。ただし、月2本のペースでの放送だったため、特番などで放送されない週があった。全20回の放送で初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989 - 1990年収録分からの再放送だった。
- ^ 相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形であった点である。
- ^ これは緑黄色野菜と根菜に分かれてのもので、司会の「ホウレンソウアナウンサー」の声は本家でも司会をした徳田が務めた。2010年7月 - 9月のレギュラー放送でもこのコーナーが放送された。ピンポン音は本家のものよりも音程が低めである他、得点版は電光表示板ではなく、デジタル(セグメントディスプレイ)表示である(ミニチュアサイズで撮影する関係上、本家にあった得点版周りの数字のランプといったものはなかった)。
- ^ 復活アレンジ版のヒントはリスナーからの投稿で、放送中にTwitterのサーバーが一時パンク状態となった。
- ^ 新潟県では、当該時間帯に「解体!新潟女子新書」を放送するため休止。周辺各県のNHKラジオ第1の周波数またはNHKワールド・ラジオ日本の周波数を合わせるか、らじる★らじる・radikoを介していれば聴取可能。
- ^ 1986年放送分で残存する内、3月12日放送分については、全国にあるNHKアーカイブス公開ライブラリーにて観ることができる。
- ^ このうち、1986年12月3日放送分については元々NHKには残っておらず、2009年10月に新潟県在住の視聴者が録画したテープから発掘され、その視聴者より寄付されたものである[6]。
- ^ ただし、1978年以降にも代行として司会をした放送回がある。
- ^ 1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」という言い方だったのが、当時のNHKアナウンサーとしては珍しかった。さらに後任の吉川精一アナも、就任直後のごく僅かの間であったが、松平アナに肖って、「よーい、ダンッ!」と合図をしていた。
- ^ その日のゲストガッツ石松への出題。
- ^ もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった。
- ^ 但し、レギュラー固定当初の1年間は、正規のレギュラー出演者がスケジュール都合で収録欠席が多かったため、予備として下記レギュラーに加え、紅組は内海好江、ロミ・山田、松坂慶子、左時枝、ちあきなおみ、土田早苗、白組は馬場のぼる、平尾昌晃、渡辺篤史、三笑亭夢八(のちの三笑亭夢丸)をピンチヒッター要員として起用した。
- ^ スケジュールの都合で不在時は天地総子、宮城まり子が代理キャプテンを担当。
- ^ 1977年1月22日 - 3月26日放送分はスケジュールにより一時休演。その期間は当時1枠解答者のロミ・山田が代理キャプテンを担当。
- ^ 当番組の紅組キャプテンとしては最長期間(約9年)務めた。
- ^ 加藤自身が出演の養命酒や山一證券のCMでも、この番組を連想させるようなストーリーで制作したのもあった。
- ^ 『みんなの招待席』内包時代の休演時には小沢昭一、一龍斎貞鳳が代理キャプテンを担当した。
- ^ スケジュールの都合で不在時、三遊亭小圓遊が代理キャプテンを担当。
- ^ 1978年7月19日 - 8月2日放送分・9月6日 - 11月22日放送分、1979年9月12日 - 12月5日放送分は、加藤の体調不良により一時休演。その期間は、当時1枠解答者の三橋達也(1978年の休演時)・渡辺文雄(1979年の休演時)が代理キャプテンを担当。
- ^ スケジュールの都合で不在時は内海好江が代行。
- ^ レギュラー起用前はうつみ宮土理・和田アキ子の代行で出演。なお、1977年1月22日 - 3月26日放送分はキャプテン代理を担当(その間、坪内ミキ子が1枠解答者として毎週出演)。
- ^ 不在時はちあきなおみ、ロミ・山田、松坂慶子が週替りで代行。
- ^ 最終回(1991年3月20日)は元1枠レギュラー・坪内ミキ子が出演。
- ^ 不在時は松坂慶子・土田早苗が代行。
- ^ 当番組の紅組レギュラー解答者としては最長期間(約15年)務めた。
- ^ 1985年1月 - 3月は一時休演。その間は和田アキ子・土田早苗・浅茅陽子・中原理恵・由紀さおり・萬田久子が週替りで代行
- ^ 不在時は左時枝が代行。
- ^ 最終回は元3枠レギュラー・檀ふみが出演。
- ^ 1974年4月20日 - 8月10日放送分は一時休演。その間は主に木原光知子が代行。
- ^ レギュラー起用は1974年11月16日放送分から。
- ^ レギュラー当初の1978年4月 - 1979年3月の1年間、白組の5枠レギュラー・大和田獏と直接対決した。この番組の共演を機に、1983年大和田と結婚・産休により降板。
- ^ 結婚による芸能活動休業を表明し降板。
- ^ 石原伸晃の現妻。石原と結婚後の1989年、石原の衆議院選挙立候補等により降板。
- ^ 不在時は馬場のぼるが代行。
- ^ 1978年7月19日 - 8月2日・9月6日 - 11月22日放送は代理キャプテンを担当。その間は宝田明、平田昭彦、倉石功、山城新伍、船村徹が週替りで代行。
- ^ 1979年9月12日 - 12月6日放送は代理キャプテンを担当。その間は馬場のぼる、月の家円鏡(のちの橘家圓蔵)、赤塚不二夫が週替りで代行。ほか不在時は主に元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
- ^ 2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』で、ゲスト出演の際この番組が再現された時は、白組キャプテンを担当した(なお、紅組キャプテンは麻丘めぐみが担当)。
- ^ 不在時は杉良太郎(3枠から一時移動)、平尾昌晃、渡辺篤史が週替りで代行。
- ^ 最終回は元1枠レギュラー・渡辺文雄が出演。
- ^ 不在時は渡辺篤史、平尾昌晃、三笑亭夢八が週替りで代行。
- ^ ただし、1973年1月 - 3月はスケジュールの都合で、1月20日・3月24日放送の合計2回のみ出演。その間不在時は渡辺・平尾が週替りで代行。
- ^ 当番組の白組レギュラー解答者としては最長期間(5枠時代を含め約12年)務めた。
- ^ 加藤キャプテンからは「バクちゃん」と呼ばれていた。
- ^ ただし、最終回(1991年3月20日)は休演、元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
- ^ 不在時は三笑亭夢八が代行。
- ^ 最終回は元5枠レギュラー・水島裕が出演。
- ^ 1974年8月 - 9月は一時休演。その間は主に元4枠レギュラー・内田喜郎、ほか田中星児が週替りで代行。
- ^ レギュラー当時の1978年4月 - 1979年3月の1年間、紅組の5枠レギュラー・岡江久美子と対戦。この番組共演を機に1983年岡江と結婚した。
- ^ 当初1981年1月から蟇目は「一時休演」と表されたものの、同年3月に入っても復帰の目途がたたないために、そのまま降板となった。
- ^ 蟇目の休演から水島がレギュラー起用までの間、繋ぎ役として出演。
- ^ メンバー紹介における大きく高い声の「こんばんは!」という挨拶や、大声で答えを叫んだりするのが特徴的であった。
- ^ 宍戸錠の子息。実父・錠が2枠ゲストで当番組登場時、親子としての共演があった。
- ^ 1973年4月 - 1991年3月(番組終了)まで、解答者の座席はレギュラー3人とゲスト2人が交互に入り、奇数枠=1・3・5枠がレギュラー陣、偶数枠=2・4枠はゲスト陣に定着されていた。
- ^ ○○さんは最初の解答者、××さんはその相手側。1問目から5問目まではフルネームで読み上げ。6問目以降も同じ苗字がいる場合はフルネームか下の名前のみ読み上げた。
- ^ 例として出題が「肩こり」で「こり、肩凝り」や、「ひや汗」で「あせ、冷や汗」等と2つの単語を答えたら、不正解の扱いとなる。
- ^ 番組後期、解答者が無言のままで単語が出ない場合やピンポンと同時に解答した時はゆっくりとチャイムが鳴り、解答者がすぐ不正解を発した場合は早目にチャイムが鳴った時期がある。
- ^ 10問目のヒントを出す際、大抵の司会者は「これが最後(のヒント)です」と言っていた。
- ^ ただし司会者によっては、他解答者らに対して「この問題、どなたか(分かりましたか)?」と尋ねていた。
- ^ 例として出題が「ファックス」「ガム」で、解答者が「ファクシミリ」「チューインガム」と答えても正解扱いとなる。
- ^ 逆のケースで出題が「昆布(こんぶ)」で、解答者が「こぶ」と略語を言っても正解とみなす。
- ^ 例として出題が「シャンパン」「エンゼル」「木(き)の芽あえ」で、解答者が「シャンペン」「エンジェル」「木(こ)の芽あえ」と答えた場合等も正解とした。
- ^ 例として出題が「金(かね)」「近所(きんじょ)」「女将(おかみ)」で、解答者が「お金」「ご近所」「女将さん」など、それぞれ敬語を付けても正解になる。
- ^ 例として出題が「司会」「舶来品」「消防車」「つづら折り」「上がり湯」で、解答者が「司会者」「舶来」「消防自動車」「つづら折れ」「湯上がり」等と答えると不正解となる。
- ^ 実例に、出題が「寮歌」で、坪内ミキ子はキャプテンの中田喜子のヒントで、自分の思った解答に自信なかったのか「違うんだな、『寮歌』じゃない… 」とつぶやいてしまい、司会の松平アナは「うーん、どうしようか?レギュラーだからなあ…」ということで不正解扱いになり、対戦相手の渡辺文雄に正解を譲る格好になった。他にも坪内は出題が「ライバル」の時も「ラ、『ライバル』じゃない…」と言ってしまい、同じくその直後に渡辺が正解になった。白組・加藤キャプテンから「この頃多いねえ?」と指摘されると、坪内は「自信がないもんですから…スミマセン」と俯きながらしょげかえっていた。
- ^ 得点が奇数の場合、端数は切り上げまたは切り捨てとなり(5点の場合2点又は3点に減点)、1点の場合は0点となる。
- ^ 例として副詞・助詞・接続詞のついた言葉など。但しかつて当番組の開始当初、動詞・形容詞等はOKだったものの、番組後期から違反ヒントに加わり減点対象となった。
- ^ 他にも「一杯」(いっぱい)・「粒々」(つぶつぶ)・「何時も」(いつも)等、文法上で名詞以外に副詞的な表現が含まれる言葉も違反となる。
- ^ 例えば「空港」が出題で、解答者が「エアポート」と答えて不正解となった後、相手チームのキャプテンは「日本語」のヒントなら違反にならないが、「日本語で」と発言すれば違反となる。
- ^ 他にも実例に「まゆ毛」の出題で、白組・加藤キャプテンが最初に「三日月」のヒントを出した直後、加藤自身が眉毛を触ったことに気付いた水島裕は正解。だが対戦相手の岡江久美子をはじめ、紅組チームから「ずるい!」とブーイング。司会の松平アナも「あのー、言葉だけにヒントをお願いします」などと苦言を呈し、10点から2点引いて8得点となった。
- ^ 実例に、「むくむく」の出題で加藤キャプテンが「豆の皮」の違反ヒントを出したが、水島裕は「むきむき」と惜しくも不正解に。次に中田キャプテンが「羊毛」のヒントで、紅組の中井貴恵が正解時、減点されず5点加算された。ほか「切り盛り」の出題で加藤キャプテンは「たくあん丼」という違反ヒントを出すも、白組の渡辺文雄は唖然とした表情で解答できず。次に中田キャプテンが「包丁」のヒントで、坪内ミキ子が正解時もそのまま4得点となった。
- ^ 実例では、「かちかち」が解答のヒントが「負け」(対義語の「勝ち」を連想させるヒント)、「神通力」が解答のヒントが「お産」(「陣痛(じんつう)」の連想ヒント)、「快刀乱麻」が解答のヒントが「問題用紙」(「解答欄(かいとうらん)」の連想ヒント)、「誤解」が解答のヒントが「4階」(「5階(ごかい)の連想ヒント)、「ダンディー」が解答のヒントが「ふみさん」(「檀(だん)」の連想ヒント)など、これらの言葉はなかなか正解が出ない時「取って置き」のヒントとして出される場合が多い。
- ^ 例として「手塩」のヒントで「足砂糖」、「逆立ち」のヒントで「足上頭下」、「うらうら」のヒントで「島太郎」(「浦島太郎」を連想させるヒント)、「ぎすぎす」のヒントで「逆立ち良太郎さん」「逆立ち花粉症」(「杉」を連想させるヒント)、「五月雨」のヒントで「6月の前」など。
- ^ 春風亭小朝がスリーヒントコーナーの「~行くよ」という歌の歌詞のヒントで「今くるよ」と言ったのが違反として扱われた。ただし、司会者は「固有名詞なので」と発言したものの、他の問題で地名や作品名をヒントにした際には違反とならなかったので、人名のみ違反扱いと思われる。
- ^ 後にスリーヒントコーナーも同様となる。
- ^ 大概の司会者は名前だけ紹介するが、徳田の場合は解答者の短いエピソードや相手チームへのメッセージなどを織り交ぜることが多い。
- ^ 実例に、出題が「臥薪嘗胆」だとヒントは「仇討ち、辛抱、空襲」、出題が「短気は損気」だとヒントは「癇癪持ち、出世、マイナス」、「夕焼け小やけの赤とんぼ」だとヒントは「日暮れ、思い出、オニヤンマ」など。
- ^ 実例に、出題が「人間万事塞翁が馬」で、最初白組・加藤キャプテンが「世の中、吉凶、巡り合わせ」のヒントを出すも、男性チームは時間切れの不正解で0点に。その後紅組・中田キャプテンが「一生、有為転変、青島幸男さん」のヒントで、女性チームが正解して5点加算された。
- ^ 実例に、出題が「成らぬ堪忍するが堪忍」で、最初紅組・中田キャプテンが「無理難題、ひたすら、我慢」のヒントを出すも、女性チームは解答が出ず時間切れに。その後白組・加藤キャプテンは「辛抱。しんぼう!シンボウ!!」のヒントを出したが、男性チームも時間切れで両者無得点だった。
- ^ 例題で、隠しテーマが「動物園」だと出題は「象」「ゴリラ」「パンダ」「入場料」「おり」「売店」、隠しテーマが「旅館」だと出題は「金庫」「丹前」「地酒」「温泉」「宿帳」「座敷」、隠しテーマが「光り輝く物」だと出題は「宝石」「瞳」「シャンデリア」「一番星」「汗」「スパンコール」など。
- ^ 放送では司会が「2問目からは挑戦者先攻です」等と表現されていた。
- ^ ただし正解が出なかった場合、解答者はそのままで次の問題の先攻後攻が入れ替わる。
- ^ 坪内ミキ子、水島裕、山形由美、江守徹等がパーフェクト(相手チームを5人ストレートで勝ち抜け)を達成したことがあり、白組4連敗で最後の解答者だったなかにし礼が1人で5連勝する大逆転劇をしたことがある。
- ^ ある回で、紅組・中田喜子キャプテンが最初「海」のヒントに、解答者の檀ふみは何故か「太平洋」と珍解答。白組の加藤芳郎キャプテンは檀を指差して苦笑い、檀の隣席のゲスト・汀夏子が「意味を分かってねえんだよ!」と突っ込む。大きな勘違いに気付いた檀本人をはじめ、スタジオ全員は大爆笑。対戦相手の大和田獏は「いや、偶にはそういうこともあります」とフォローするも、司会の吉川アナが「檀さん、一応確認させてください。『ワンワンコーナー』でございますので、『太平洋・太平洋』となっちゃいますからね」と指摘すると、檀は「すみません…」と大笑いしながら謝罪した(ちなみに正解は大和田が答えた「のたりのたり」)。
- ^ 実例に、出題が「つり橋」なら「ゆらゆら」「ひやひや」、出題が「二日酔い」なら「ずきんずきん」「ふらふら」「むかむか」「よろよろ」等といった具合にヒントを出す。
- ^ テーマが「食べ物」で、緑で「ピーマン」、赤で「いちご」、紫で「ぶどう」の様に、思い付きやすい物が出題された反面、茶色で「梨」、黄色で「油揚げ」、茶色で「コーヒー豆」のように、少しひねった物が出題されて相手チームが混乱する場合がある。
- ^ 耳打ちをした時の口の動きで解答がわかる恐れがあるため、箱にかけられた布で口元を隠して耳打ちしていた。
- ^ 針が一周して一分を計る方式のタイマー。末期はタイマー盤面に赤い発光ダイオードが付き、タイマーの針の動きと連動し点灯した。復刻版でも同じ仕様だった。
- ^ 0.5秒刻みでトントンと音が鳴り、1分経つとジリジリとベルが鳴る仕組みである。時間内に全部答えが出た場合、タイマーの刻む音は消えるが秒針は1分経つまで回り続ける。
- ^ 傾向として、1.特定の漢字で始まる言葉(例:白組は「若」「鉄」、紅組は「新」「青」で始まる単語)や、2.特定の1字又は2字で始まる言葉(例:白組は「マ」、紅組は「ロ」で始まるカタカナ単語、白組は「あ」「いん」「じょう」、紅組は「い」「えん」「しょう」から続く言葉)などが大半である。稀に特定の文字で終わる言葉(例:白組は「た」、紅組は「と」で終わる単語)、共通する品名(例:白組は「四角い物」「白い物」、紅組は「丸い物」「赤い物」)、共通する言葉(例:白組は「石」「の」、紅組は「子」「っ」の字が入る単語)、両チームどちらも同じ特定の漢字で始まる言葉、両軍共に漢字一字の単語、しりとりで繋がるパターンなどがあった。
- ^ 別の回では、1〜5問目は白組が「蛾(が)」「窓(まど)」、紅組が「蚊(か)」「的(まと)」など、相手チームの言葉に濁点を付けるか外す、6〜10問目は白組が「鍔(つば)」「紙(かみ)」、紅組が「椿(つばき)」「雷(かみなり)」等、相手チームの単語の後ろに1・2文字を付け足すか減らす、11問目以降は白組が「女」「水」、紅組が「男」「油」など、相手チームの解答と対になる「共通した漢字一字」の凝った出題がある。しかし白組・加藤キャプテンは「凝りすぎ、凝りすぎ」と不満げにコメントした。
- ^ もし両チーム共に同点の場合、キャプテン同士がじゃんけんして勝った方が後攻、負けた方が先攻となる。
- ^ 先攻が特定の漢字で始まる問題なのに、後攻が特定の漢字で終わるというように、いきなり問題の傾向が変わることはない。
- ^ そのため、白組キャプテンの加藤芳郎と復刻版の春風亭小朝が、アシスタントに対して「(フリップを)こっち向けてね」などと指摘したことがある。
- ^ フリップの最初は「1分ゲーム」のタイトルフリップだった。もし全問正解したら、再び「1分ゲーム」のフリップに戻る形式となる。
- ^ 紅組は赤色、白組は白色であった。解答者の机の下にあり、そこから解答者自ら出す。1988年4月からの番組末期ではキャプテンの似顔絵パネルとなった。
- ^ 実際に復刻版では、紅組の原日出子キャプテンが「赤とんぼ」と解答を言ってしまい、ノーカウント扱いとなった。またレギュラー期では、紅組・白組各キャプテンがパスの際正解を発言する手法(答えおよび共通点のヒントを明確にするため)をよく取っていた。
- ^ 実例に、白組のテーマが「風(ふう)」から始まる言葉で、出題が「風俗」の際に解答者の大和田獏はなかなか答えが出ず、加藤キャプテンは苦し紛れで「人偏に谷と書く」の明らかな違反ヒントを出し、大和田はようやく正解。だが終了後の解答確認時、司会の松平アナから「ヒントでも何でもない」と判断されて、無得点となった。
- ^ その際違反ヒントが一つもなかった場合、司会者が言う「違反ヒントは、ありません!」は番組を代表する決め台詞となった。
- ^ 男性チームは向かって左が解答者、右がキャプテンで、女性チームはその逆となる。
- ^ 番組初期は数字の裏にランプが仕込まれている方式、1978年頃から数字自体が光る方式、番組終了直前の後期では、獲得得点の得点板が司会者席の下に移り、得点板には正解すると獲得できる得点が表示、得点板の周りには解答権のあるチームのカラーのランプが点灯され、紅組はピンク、白組は水色のランプが点灯する。また、1978年頃からメインの得点板の周りに豆電球がフラッシュする電飾があり、オープニングとエンディングで点滅するが、後期の獲得の得点板が司会者席の下に移り、メインの得点板の周りの10から1のランプがなくなると、豆電球がフラッシュする電飾の数が増やされた。
- ^ ただし、椅子は5枠レギュラーの解答者が出した。
- ^ 電卓のような表示方法。3ヒントコーナー、勝ち抜きゲーム、1分ゲームは番組最後までこの表示方法。後に獲得点数が司会者席の下に表示されるようになってからはダイレクトに合計得点が表示される(それと同時に獲得点数の表示も消える。転送のような感じである)。
- ^ ただし、番組後期に入るとその規則が緩和され、当時レギュラー解答者の大和田獏や中井貴恵などが、民放テレビ局のクイズ番組(TBSテレビ系列『クイズダービー』等)にゲスト出演したことがあった。
- ^ 紅組は当時レギュラーの市毛・山形・中村に加えて2枠に坪内・4枠に檀が、白組は同じくレギュラーの江守・宍戸に加えて2枠に渡辺・3枠に三橋・4枠に水島が着席。当時白組3枠レギュラーの辰巳は休演した。
- ^ 当番組最終回で1分ゲームの出題は、紅組が「銀」・白組が「金」から始まる単語だった。なお、最終回の勝敗は、紅組405点・白組335点で紅組チームが勝利。
出典
編集- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年9月20日、167頁。NDLJP:2525969/104 。
- ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'70』日本放送出版協会、1970年9月20日、214頁。NDLJP:2525970/139 。
- ^ 読売新聞1969年5月23日27面「クイズ番組・あの手この手」より
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年9月20日、149頁。
- ^ “ピックアップ「夏期特集」” (PDF). 日本放送協会 (2018年6月20日). 2018年6月21日閲覧。
- ^ 2010年初めに印刷されたNHKアーカイブス発行のパンフレット「お宝発掘キャンペーン第2弾」の「これまでの「発掘」例」の項目に掲載される。
- ^ 発掘番組リスト
- ^ NHK発掘プロジェクト(2018年2月23日)
- ^ NHK発掘プロジェクト(2018年12月21日)
- ^ NHK発掘プロジェクト(2019年11月22日)
- ^ NHK発掘プロジェクト(2020年12月18日)
- ^ NHK発掘プロジェクト(2018年8月3日)
- ^ 中村メイコ - NHK人物録
- ^ 藤田弓子 - NHK人物録
- ^ 坪内ミキ子 - NHK人物録
- ^ 岡江久美子 - NHK人物録
- ^ 「日本照らした“物知りお母さん”岡江久美子さん、愛された庶民派の主婦感覚」スポーツニッポン2020年4月25日
関連項目
編集- 任天堂、2009年12月17日、Wii専用ソフト
- ゲーム独自のルールが多い。ターンする回数に関係無く1問正解につき10点、1回目のヒントで正解すると20点が加算。3ヒントコーナーでは順番に関係なく両チームの早押しクイズとなる。1分ゲームでは全8問ですべて正解すると、80点とボーナス30点が加算される。登場する司会とキャプテンはオリジナルキャラクターである。番組セットデザインは1988年以降の末期のものを再現し、テーマ音楽も1988年4月のステレオ放送開始にあわせたアレンジ版とほぼ同じである。
外部リンク
編集NHK総合テレビジョン 水曜20時台前半枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
水曜劇場
(20:00 - 21:00) |
連想ゲーム
(1969年4月 - 1969年12月) |
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NHK総合テレビジョン 土曜19時台後半枠 | ||
連想ゲーム
(1970年1月 - 1978年3月) |
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NHK総合テレビジョン 水曜19時台後半枠 | ||
連想ゲーム
(1978年4月 - 1991年3月) |
NHKスペシャル
(19:30 - 20:45) |