西戸部町

横浜市西区の町
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西戸部町(にしとべちょう)は、神奈川県横浜市西区町名[5]。現行行政地名は西戸部町1丁目および西戸部町3丁目(字丁目)。住居表示未実施区域[6]。面積は0.418Km2[2]

西戸部町
町丁
地図北緯35度26分56秒 東経139度37分07秒 / 北緯35.448994度 東経139.618483度 / 35.448994; 139.618483
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 横浜市
行政区 西区
人口情報2023年(令和5年)4月30日現在[1]
 人口 7,206 人
 世帯数 3,942 世帯
面積[2]
  0.418 km²
人口密度 17239.23 人/km²
設置日 1901年明治34年)4月1日
郵便番号 220-0046[3]
市外局番 045(横浜MA[4]
ナンバープレート 横浜
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神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
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地理

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西区南部の丘陵地に位置する。1〜3丁目の字丁目があり、南東が1丁目、中央部が2丁目、北西が3丁目となる。1丁目南西に横浜市立一本松小学校、3丁目北東に横浜市立西中学校、同西部には第15〜16代横浜市長平沼亮三や戸部刑場で処刑された囚人の墓所のある願成寺があり、その他町域の大半が住宅地である。町内に幹線道路は通っていないが、水道道が北西から南東の野毛山公園に伸びる[7]。この道は西谷浄水場と野毛山浄水場(現在は配水池)を結ぶ導水管の上を通り、ほぼ一直線であるが「尻こすり坂」などの急坂がある[8]。町の北部、西中学校付近から西区総合庁舎方面に下る坂は「くらやみ坂」と称する。坂の名の由来については、源頼朝が、袖ヶ浦と呼ばれた美しい入り江富士山の景色に馬を止めた「鞍止み坂」、樹木がうっそうと生い茂っていた「暗闇坂」、かつては勾配が急で、一旦鞍を置いて馬を止めた「鞍止み坂」とする説がある[9][10]

町の東部を京急本線がトンネルおよび半地下構造[11]で通過するが、町内に駅は設けられていない。路線バスは、一本松小学校から西戸部町1丁目、野毛山動物園前、桜木町駅を通り横浜駅を結ぶ横浜市営バス89系統(ぶらり観光SAN路線)が運行されている。

1丁目の一部が崖になっており、即時避難指示対象区域に指定されている[12]

地価

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住宅地の地価は、2023年1月1日の公示地価によれば、西戸部町2丁目118番5外の地点で26万2000円/m2となっている[14]

世帯数と人口

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2023年4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯 人口
西戸部町1丁目 1,278世帯 2,212人
西戸部町2丁目 1,879世帯 3,510人
西戸部町3丁目 785世帯 1,484人
3,942世帯 7,206人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[15]
7,768
2000年(平成12年)[16]
7,619
2005年(平成17年)[17]
7,313
2010年(平成22年)[18]
7,196
2015年(平成27年)[19]
7,060
2020年(令和2年)[20]
7,111

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[15]
3,305
2000年(平成12年)[16]
3,323
2005年(平成17年)[17]
3,312
2010年(平成22年)[18]
3,326
2015年(平成27年)[19]
3,264
2020年(令和2年)[20]
3,580

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[21]

丁目 番・番地等 小学校 中学校
西戸部町1丁目 1〜116番地 横浜市立一本松小学校 横浜市立老松中学校
西戸部町2丁目 193〜251番地
170〜189番地 横浜市立西前小学校 横浜市立西中学校
117〜169番地
190〜192番地
横浜市立戸部小学校 横浜市立老松中学校
西戸部町3丁目 311〜318番地
252〜310番地 横浜市立西前小学校 横浜市立西中学校

事業所

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2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[22]

丁目 事業所数 従業員数
西戸部町1丁目 18事業所 105人
西戸部町2丁目 20事業所 126人
西戸部町3丁目 12事業所 105人
50事業所 336人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[23]
65
2021年(令和3年)[22]
50

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[23]
268
2021年(令和3年)[22]
336

歴史

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元は久良岐郡戸太町字戸部の一部で、1901年明治34年)の横浜市市制施行の際に新設された。1927年(昭和2年)、区制施行により中区の一部、1944年に中区から西区が分離され、西区の一部となる。町域は昭和時代に数回にわたり変更された。1928年(昭和3年)、一部が戸部町伊勢町・扇田町・杉山町・浜松町御所山町・天神町・石崎町・西前町藤棚町および神奈川区西平沼町平沼町となる。1935年(昭和10年)には一部が老松町・藤棚町・御所山町・野毛町宮川町日ノ出町境之谷となる。1938年(昭和13年)には浜松町・扇田町・老松町・境之谷・藤棚町、1966年(昭和41年)には町域の一部が新設された中央1丁目に組み込まれた[5]

くらやみ坂近くには戸部刑場があり、鎌倉事件の清水清次と間宮一もここで刑に処された[24]

1902年(明治35年)に、書家中林梧竹の後援者の海老塚四郎兵衛による海老塚防水布工場、1907年(明治40年)には横浜種牛株式会社が設立。1911年大正元年)には麻真田製紐機工場が建ち、周辺には製関係の工場が多く進出した[5]。浮世絵研究家の小島烏水も、この地に居を構えた[7]

池ノ坂の池

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町の中央部にはかつてがあった。雑木林と崖に囲まれた、8000平方メートルほどの勾玉状の池で、農業用水として使われていた。正式な名称はなく、「池ノ坂の池」とも、数々の伝説やうわさがあったことから「魔の池」とも通称された。戸部刑場で首を斬られた囚人がこの近くを通り寺に運ばれる際にこの池で血を洗ったと言われ、事故や自殺などで水死する者が跡を絶たなかった[25]

1912年明治45年)、神奈川県尋常中学校(現:神奈川県立希望ヶ丘高等学校。当時は隣接する藤棚町にあった)の植物学教師であった松野重太郎は、通勤中に池のほとりに群生しているササがアズマネザサと異なることに気付き、親交のあった牧野富太郎に見せたところ、新種と判明。ヨコハマダケと命名された[26]。葉の質が厚く硬く、アズマネザサより葉が鋭く尖り、メダケとアズマネザサと中間の種である[27]。近くに刑場があり、池の水が血液の鉄分を含んでいたため変異したものと考えられている[28]。ヨコハマダケは、松野が晩年を過ごした都筑区川和町の自宅跡と、南区横浜市こども植物園に移植されている。

1920年大正9年)9月30日夜、台風による豪雨で北側の堤が決壊し、千戸余りの住宅が流され19人が死亡する大惨事となった。犠牲者の供養塔は町内の願成寺に建てられている。池は住民の陳情により埋め立てられ、関東大震災の後は民家が建ち並んだ。現在は、池の跡地は西戸部三丁目公園となっている[25]

その他

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日本郵便

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警察

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町内の警察の管轄区域は以下の通りである[30]

丁目 番・番地等 警察署 交番・駐在所
西戸部町1丁目 1〜55番地 戸部警察署 野毛山公園交番
56〜116番地 一本松交番
西戸部町2丁目 198〜251番地
117〜197番地 伊勢町交番
252〜284番地 藤棚町交番
西戸部町3丁目 290〜310番地
285〜289番地 伊勢町交番

脚注

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  1. ^ a b 令和5(2023)年 町丁別人口(住民基本台帳による)町丁別人口_令和5年4月” (xlsx). 横浜市 (2023年5月10日). 2023年5月15日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2018年7月9日). 2021年8月11日閲覧。
  3. ^ a b 西戸部町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b c (角川 1984, p. 683)
  6. ^ 住居表示実施町名一覧 (令和2年10月19日現在)”. 横浜市 (2020年10月29日). 2021年8月28日閲覧。
  7. ^ a b (角川 1984, p. 1025)
  8. ^ 西区そぞろ歩き 水道道の尻こすり坂”. 西区役所 (2011年4月1日). 2024年5月26日閲覧。
  9. ^ (西区の今昔 1973, pp. 194–195)
  10. ^ 「くらやみ坂」の名前の由来は? はまれぽ.com 2011年09月27日
  11. ^ 京急線日ノ出町―戸部にある“屋根のないトンネル”の正体とは!? はまれぽ.com 2014年08月24日
  12. ^ 即時避難指示対象区域一覧”. www.city.yokohama.lg.jp. 2021年7月2日閲覧。
  13. ^ 西戸部町にある「峠の茶屋」、その店名の由来は? はまれぽ.com 2012年05月28日
  14. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年6月4日閲覧。
  15. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  17. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  19. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  20. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  21. ^ 小・中学校等の通学区域一覧(通学規則 別表)”. 横浜市 (2021年8月5日). 2021年8月8日閲覧。
  22. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  23. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  24. ^ (西区の今昔 1973, pp. 197–200)
  25. ^ a b (西区の今昔 1973, pp. 185–188)
  26. ^ (西区の今昔 1973, pp. 188–189)
  27. ^ (横浜西区史 1995, pp. 103–104)
  28. ^ 横浜に「横浜」と名前のつく植物は何種類ある? はまれぽ.com 2014年05月26日
  29. ^ 郵便番号簿 2020年度版” (pdf). 日本郵便. 2021年8月7日閲覧。
  30. ^ 交番案内”. 戸部警察署. 2021年11月11日閲覧。

参考文献

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  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月8日。 
  • 横浜市市民局総務部住居表示課『横浜の町名』1996年12月。 
  • 『県別マップル14 神奈川県道路地図』(第6版)昭文社、2016年、14頁。ISBN 978-4-398-62683-7 
  • 『ものがたり西区の今昔』西区観光協会、1973年7月2日。 
  • 『区制50周年記念 横浜西区史』横浜西区史刊行委員会、1995年3月31日。