横浜市立一本松小学校
神奈川県横浜市にある小学校
横浜市立一本松小学校(よこはましりつ いっぽんまつしょうがっこう)とは、横浜市西区西戸部町1丁目にある公立小学校。本校と老松中学校・東小学校・戸部小学校の4校で、「老松中ブロック」を構成し、「横浜型小中一貫教育」を行っている[1]。
横浜市立一本松小学校 | |
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北緯35度26分48.56秒 東経139度37分07.69秒 / 北緯35.4468222度 東経139.6188028度座標: 北緯35度26分48.56秒 東経139度37分07.69秒 / 北緯35.4468222度 東経139.6188028度 | |
過去の名称 |
横浜市立尋常高等一本松小学校 横浜市一本松尋常高等小学校 横浜市一本松尋常小学校 一本松国民学校 横浜市立一本松小学校 (この間、戸部小学校に統合され休校) 横浜市立戸部小学校一本松分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 横浜市 |
設立年月日 | 1911年4月 |
開校記念日 | 1月27日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B114210020448 |
所在地 | 〒220-0046 |
神奈川県横浜市西区西戸部町1丁目115番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集- 出典[2]
- 1911年(明治44年)4月 - 横浜市立尋常高等一本松小学校として開校。しかし、校舎建設が間に合わず、4小学校を間借りする。
- 1912年(明治45年)1月27日 - 木造2階建て新校舎落成挙行。この日を、正式な開校記念日と定め、校章の制定日とする。
- 1923年(大正12年)
- 1926年(大正15年) - 講堂兼屋内体操場ができる。
- 1930年(昭和5年) - 横浜市一本松尋常小学校と改称。
- 1937年(昭和12年) - 校歌制定。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、一本松国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年) - 集団疎開壮行式を行う。
- 1945年(昭和20年) - 横浜大空襲により、校舎焼失。
- 1947年(昭和22年)
- 1950年(昭和25年) - 横浜市立戸部小学校一本松分校として、一部新校舎に移る。
- 1952年(昭和27年)
- 1959年(昭和34年) - 火災により14教室焼失。
- 1960年(昭和35年) - 鉄筋校舎完成。
- 1961年(昭和36年)1月27日 - 創立50周年記念式典挙行し、祝賀会開催。校旗が再び作られる。
- 1977年(昭和52年) - 木造校舎改築工事着工。
- 1991年(平成3年) - 体育館完成。
- 1993年(平成5年) - 北校舎改築工事着工。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年) - 南校舎3階5教室床フローリング化工事。
- 2003年(平成15年) - 耐震補強工事実施。
- 2011年(平成23年)11月12日 - 創立100周年記念式典挙行し、祝賀会開催。
学校教育目標
編集- 一本にまっすぐつながる一本松
- 「いっ」…いっぱいかかわる子ども
- 「ぽん」…本気でがんばる子ども
- 「ま」…まちを愛する子ども
- 「つ」…つみかさねながら学ぶ子ども
通学区域と進学先中学校
編集- 出典[3]
通学区域
編集- 西区
- 霞ケ丘(1番地~10番地、30番地~110番地)
- 境之谷(1番地~53番地)
- 西戸部町1丁目(1番地~116番地)
- 西戸部町2丁目(193番地~251番地)
- 藤棚町2丁目(177番地~197番地)
進学先中学校
編集- 公立中学校に進学する場合
アクセス
編集- 横浜市営バス89系統「ぶらり野毛山動物園BUS」で、終点「一本松小学校前」バス停下車。
- 上述の市営バス89系統で、終点「一本松小学校前」バス停まで、
学校周辺
編集脚注
編集- ^ 横浜型小中一貫教育 老松中ブロック (PDF)
- ^ 一本松小学校の歴史(学校ホームページ内)
- ^ 小・中学校等の通学区域一覧(通学規則 別表) - 横浜市・2022年4月1日最終更新