苅田町
苅田町(かんだまち)は、福岡県北東部の周防灘に面した町。京都郡に属し、臨海部の埋立地に多くの工場が立地する工業地帯を形成している。
かんだまち 苅田町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 京都郡 | ||||
市町村コード | 40621-0 | ||||
法人番号 | 8000020406210 | ||||
面積 |
49.58km2 | ||||
総人口 |
37,953人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 765人/km2 | ||||
隣接自治体 | 北九州市、行橋市 | ||||
町の木 | クスノキ | ||||
町の花 | パンジー | ||||
他のシンボル | なし | ||||
苅田町役場 | |||||
町長 | 遠田孝一 | ||||
所在地 |
〒800-0392 福岡県京都郡苅田町富久町一丁目19番地1 北緯33度46分33秒 東経130度58分50秒 / 北緯33.77597度 東経130.98047度座標: 北緯33度46分33秒 東経130度58分50秒 / 北緯33.77597度 東経130.98047度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市外局番:093(町域北部)、0930(町域南部) | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集北九州都市圏に属し、隣接する北九州市、行橋市と日常生活圏を一にする。北九州市の10%通勤圏であるが、北九州市、行橋市などから町内に通勤する人も多く、昼夜人口比は113.3%(2000年)と100を上回っている。北九州工業地帯(地域)の一角である。
日産自動車九州など多くの工場が立地するため財政力が非常に強く、1975年度以降は地方交付税不交付団体(2024年現在では福岡県内唯一、九州でも佐賀県玄海町と苅田町のみ)となっている[1]。
自動車・セメント・電力等を中心とした臨海工業都市として発達しており、人口規模に比較して工業の集積が厚い。1人あたり製造品出荷額は全国第3位(2003年度)。東九州自動車道苅田北九州空港インターチェンジ、国際貿易港苅田港、北九州空港と、全国的にも類を見ない陸海空の複合的な物流インフラが整備された町である。近年は自動車産業の集積が著しく、1975年に日産自動車九州工場(現・日産自動車九州)、2005年にはトヨタ自動車九州苅田工場が操業を開始しており、宮若市および大分県中津市と並び北部九州の自動車産業を担う地域として発展している。
地理
編集町の中心からやや東側の地域を東九州の大動脈たるJR日豊本線と国道10号が南北に貫き、その周囲に中心市街地が広がっている。東は周防灘に面して、苅田港、北九州空港と広大な臨海工業地帯が広がっている。西はカルスト台地で知られる平尾台に連なり、鍾乳洞の青龍窟や貴重な草花が咲く広谷湿原などの貴重な自然が残っており、その地下は、石灰石、硅石、花崗岩などの資源に恵まれている。行橋市と隣接する南西部は緑豊かな田園地帯である。
また、邪馬台国伝説にまつわる三角縁獣鏡を出土した石塚山古墳をはじめ、貴重な古墳や遺跡が点在している。
地形
編集隣接している自治体・行政区
編集主要都市までの距離
編集歴史
編集略年表については、町のあゆみ を参照のこと。
行政区域の変遷
編集- 1889年4月1日 - 町村制度発足により、京都郡苅田村・小波瀬村・白川村が発足。
- 1924年8月1日 - 苅田村が町制施行。苅田町となる。
- 1955年1月1日 - 苅田町・小波瀬村・白川村が対等合併し、新町制による苅田町が発足。
市町村合併
編集2003年に発足した京築1市5町合併協議会をはじめ、周辺自治体との合併協議には参加していない。
歴代町長
編集氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 回数 |
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中山俊彦 | 1977年 | ||
尾形智矩 | 1977年 | 1986年 | 3期 |
沖勝治 | 1986年 | 1998年 | 3期 |
伊塚工 | 1998年7月20日 | 2005年10月5日 | 2期 |
吉廣啓子 | 2005年11月13日 | 2017年11月12日 | 3期 |
遠田孝一 | 2017年11月13日 | 2期目 |
行政
編集町長
編集- 遠田孝一(2期目)
- 任期:2025年11月12日
町議会
編集- 定数:16人
- 任期:2027年10月14日
- 定例会は3・6・9・12月の年4回行われる。
公共施設
編集- 児童・高齢者・障害者福祉施設
-
- パンジープラザ(苅田町総合保健福祉センター)
- 総合福祉会館
- 文化・社会教育施設
-
- 苅田町立図書館
- 1992年に日本図書館協会建築賞、1993年に福岡県建築住宅文化賞大賞と公共建築賞を受賞。
- 三原文化会館
- 歴史資料館
- 中央公民館
- 北公民館
- 小波瀬コミュニティセンター
- 西部公民館
- 苅田町立図書館
- スポーツ施設
-
- 総合体育館
- 臨海総合グラウンド
- 向山公園内施設
- 大熊公園内施設
- 町民プール
消防
編集警察
編集県の施設
編集- 県土整備部苅田港務所
- 企業局苅田事務所
国の施設
編集財政力
編集地方交付税の減少などで財政難に喘ぐ自治体が多い中、苅田町は余力のある自治体運営を行っている。2017年度も不交付団体となっている。
ごみ処理
編集平成9年1月に町が三菱マテリアルなどと共同出資して第三セクター苅田エコプラント株式会社 を設立。生ごみなどの一般廃棄物から固形燃料(RDF)を製造し、三菱マテリアル(現在のUBE三菱セメント)のセメント工場で石炭の補助燃料として利用することでサーマルリサイクルしている。ごみ袋は無料。
県議会
編集- 福岡県議会京都郡選挙区(定数:1人)
国会
編集地域
編集人口
編集苅田町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 苅田町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 苅田町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
苅田町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
地名
編集- 旧苅田村
- 集
- 雨窪
- 尾倉
- 苅田
- 浜町
- 馬場
- 提
- 松山
- 光国
- 南原
- 磯浜町1丁目~2丁目(1960年、馬場・浜町より発足)
- 京町1丁目~2丁目(1960年、神田・提・光国・馬場・浜町より発足)
- 幸町(1960年、苅田より発足)
- 神田町1丁目~3丁目(1960年、南原・提・神田・光国より発足)
- 殿川町(1960年、南原より発足)
- 富久町1丁目~2丁目(1960年、南原・集・馬場・浜町・尾倉より発足)
- 松原町(1960年、苅田・松山・雨窪・提より発足)
- 若久町1丁目~3丁目(1960年、苅田・雨窪・提より発足)
- 尾倉1丁目~4丁目(1998年、尾倉・与原より発足)
- 近衛ケ丘(1998年、尾倉より発足)
- 旧小波瀬村
- 新津
- 岡崎
- 上片島
- 下新津
- 下片島
- 二崎
- 与原
- 桜ケ丘(尾倉・新津より発足)
- 新津1丁目~4丁目(1998年、新津・下新津・与原より発足)
- 小波瀬1丁目~2丁目(1998年、新津・下新津・与原より発足)
- 与原1丁目~3丁目(1998年、新津・下新津・与原より発足)
- 旧白川村
- 稲光
- 葛川
- 黒添
- 鋤崎
- 谷
- 法正寺
- 山口
- 埋立地
教育・保育
編集苅田町では、小中学校教育において「未来を拓く子どもを育てる教育の町 苅田」のスローガンを掲げ、独自の教育政策を展開している。
町内の小中学校では少人数学級制を採用し、30人規模学級を段階的に実施している。また、小学校教育では教科担任制を導入し、国語、算数、道徳、総合は学級担任、その他の教科はそれぞれ専任の教諭が担当する体制を構築しているほか、小学校1学年より原則として各学級週1時間(年間35時間程度)の英語活動を実施している。
大学
編集専門学校
編集高等学校
編集なお、苅田町から通学可能かつ普通科を有する県立高等学校として、下記の3校がある。
学区内には、その他3校の普通科県立高校があったが、2002年に統廃合され、総合学科高校として福岡県立青豊高等学校が設置された。
中学校
編集- 町立
- 苅田中学校
- 新津中学校
小学校
編集- 町立
- 苅田小学校
- 南原小学校
- 与原小学校
- 馬場小学校
- 白川小学校
- 片島小学校
幼稚園
編集- 私立
- 苅田みどり幼稚園
- 附属苅田幼稚園
- 苅田第一幼稚園
- すみれ幼稚園(閉園)
- 尾倉すみれ幼稚園
保育園
編集- 私立
- 善立寺保育園
- 青い鳥保育園
- 若久青い鳥保育園
- 与原保育園
- 白川保育園
- 第一ひまわり保育園
- 第二ひまわり保育園
経済・産業
編集工業
編集豊富な石灰石資源を有する日本有数のカルスト台地平尾台を後背地とし、海上輸送の便にも恵まれたことから、大正中期の1918年に豊国セメント(現在のUBE三菱セメント)の九州工場が新設され、セメント産業が興った。1964年に麻生セメント、宇部セメントの工場が立地したことで、セメント産業が集積する地区となった。1956年には九州電力、1973年には日立金属(現・プロテリアル)が進出した。
1975年に日産自動車が進出、九州工場が操業を開始し、多くの自動車関連企業が立地したことで「自動車の町」、または「企業城下町」として認知されることになる。2005年には、トヨタ自動車九州のエンジン工場(苅田工場)が進出した。
2008年夏には苅田町と北九州市小倉南区に跨る臨空産業団地内にトヨタ自動車九州小倉工場が操業を開始し、2009年には日産自動車九州工場敷地内に日産車体九州が建設された。
製造品出荷額は、約1兆1720億円(平成17年工業統計調査)
苅田町に工場を置く主要企業
苅田町内の工業団地
- 苅田臨海1号地 1,434千m2(完売)
- 苅田臨海2号地 1,120千m2(完売)
- 小波瀬工業団地 1,827千m2(完売)
- 松山工業団地 816千m2(一部分譲中)
- 苅田臨空産業団地 216千m2(ほぼ完売)
- 白石工業団地 137千m2(造成中、一部分譲中)
- 新松山工業団地 (埋め立て整備中)
物流
編集- 佐川急便北九州中継センター
- 九州発着荷物の集約拠点であるハブセンター
商業
編集郊外型商業の集積地である小倉南区と行橋市に挟まれている。町内には国道10号を中心としたロードサイド店舗が発展している。
金融機関
編集- 町内に支店を置く主な金融機関
特産品
編集- 豊前海一粒かき
- 松会漬け、松会みそ
交通
編集空港
編集鉄道
編集道路
編集- 高速道路
- E10 東九州自動車道 : (1) 苅田北九州空港インターチェンジ
- 一般国道
- 主要地方道
バス
編集- 西鉄バス(西鉄バス北九州) - 町の中心部を通る国道10号線・国道201号線上にバス路線を持つ。町内を経由して北九州市小倉南区南東部と行橋市を結ぶ一般路線バスと、福岡市と行橋市を結ぶ高速バスを運行する。
- 太陽交通 - 行橋市と町南西部の白川地区を結ぶ一般路線バスを運行する。
- 行橋駅東口 - 片島 - 白川農協 - 苅田病院 - 谷
- 苅田町コミュニティバス「ゆめシャトル」 - 町の中心部にある苅田駅・町役場・苅田町総合保健福祉センター「パンジープラザ」と町内各地の間を運行する。太陽交通に運行を委託している。
港湾
編集- 廃止航路
- 大洋フェリー
- 苅田港 - 大阪南港(1973年4月就航、1984年11月撤退)
- 西日本フェリー
- 苅田港 - 神戸深紅港(1973年4月就航、1975年撤退)
名所・旧跡、観光スポット、祭事・催事
編集文化財
編集- 北九州から続く平尾台のカルスト台地。石灰岩の岩脈には、いくつもの奇岩が散在するが、苅田の青龍窟は伝説と発見に満ちている。石灰岩を削ってできた洞窟は3層に分かれ、全長は約3km。地下河川には清流が流れ、内部の天井の最も高いところは27mある。青龍窟には土蜘蛛の伝説が日本書紀に記載されている。それによれば、村人を苦しめる土蜘蛛がこの洞窟を住処にしており、この地を訪れた景行天皇が、見事妖怪を退治したという。また昭和51年にナウマンゾウの頭部の化石が、翌52年には東洋象のステゴドンの化石が相次いで発見され、累積して1千点以上の動物の化石が見つかっている。神秘に満ちた霊場の洞窟は、古代動物の生態を知るための宝庫でもあった。
- 広谷湿原(町指定天然記念物)
- 福岡県唯一の湿原。モウセンゴケ、サギソウなど湿原特有の貴重な植物が自生しており、中には絶滅危惧種も含まれている。
- 邪馬台国伝説にまつわる三角縁神獣鏡を出土。
百選
編集観光スポット
編集- 日産自動車九州(工場見学)
- 車体、塗装、組立の各工程を専用通路から見学。専用埠頭や完成車置き場の様子も通路上から見学可能。無料。
- 日立金属鋳物記念館
- 白石海岸(苅田町に残された唯一の浜。海水浴場、潮干狩り)
- 高城山(標高419m ハイキング)
- 松山城址(ハイキング)
- 相円寺(木造薬師如来坐像)
- 「内尾の薬師」と呼ばれる天台宗宝蔵院相円寺は、九州四十九院薬師霊場である。急な階段を登りつめると高さ15mはある岩窟があり、そこの小堂に寺の本尊として木造薬師如来坐像が安置されている。総高275cmのクス材の寄木造で、光背はない。製作期は平安末期とも考えられる。以前より内尾山の岩窟にあったかは不明だが、1690(元禄3)年、小倉藩主小笠原氏によって大規模な修理がなされ、現在の位置に安置されたという。面長で大きな目鼻は迫力があるが、表情は柔らかく慈愛に満ちている。毎年7月23日には薬師の大祭があり、薬師如来の前で法要がおこなわれる。
伝統行事・祭り
編集スポーツ
編集- 日産自動車九州硬式野球部 - 日産自動車九州が保有する社会人野球チーム。2010年から2023年にかけて休部していたが、2024年より以下の「苅田ビクトリーズ」を引き継ぐ形で再始動。
著名な出身者
編集脚注
編集- ^ 『令和6年度 普通交付税の算定結果等』(pdf)(プレスリリース)総務省 。2024年10月10日閲覧。
- ^ “レースも趣味も めちゃアクティブ!/竹井奈美”. 日刊スポーツ. (2015年6月9日) 2017年12月12日閲覧。