結縁寺 (印西市の大字)
千葉県印西市の大字
結縁寺(けつえんじ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1343[2]。
結縁寺 | |
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北緯35度47分24.7秒 東経140度8分8.4秒 / 北緯35.790194度 東経140.135667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 船穂地区 |
標高 | 22 m |
人口 | |
• 合計 | 180人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1343[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は結縁寺青年館付近 |
地理
編集小字
編集小字は以下の通り[4]。
- 門前(もんぜん)
- 堤下(つつみした)
- 久保下(くぼした)
- 野ノ下(ののした)
- 定口(じょうぐち)
- 山王台(さんのうだい)
- 台仙房(だいせんぼう)
- 西ノ内(にしのうち)
- 外手(そとで)
- 北ノ内(きたのうち)
- 坪作(つぼさく)
- 東谷津(ひがしやつ)
- 城ノ下(じょうのした)
- 井戸尻(いどじり)
- 蒲谷津(かばやつ)
- 宮内(みやうち)
- 滝台(たきだい)
- 大作(だいさく)
- 新割(にいわり)
- 込(こめ)
- 一反割(いつたんわり)
- 滝谷津(たきやつ)
歴史
編集江戸期は結縁寺村であり、下総国印旛郡のうち。印西領・印西筋に属す。寛永年間から高岡藩領、万治3年から旗本井上氏領、「各村級分」では幕府・旗本井上氏の相給、元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」218石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに224石余。慶長7年の検地が行われている。なお幕府領分の90石余は、寛文・延宝期に惣深新田が開発された時、同時にもと入会地の惣深野に開発された当村の切添新田である。同新田は延宝4年の検地により高請され、本村高に含められた。享保8年の指出帳によれば、佐倉藩領分の反別田12町8反余・畑屋敷4町6反余・新畑8反余、家数32・人数1104、馬12。元文3年の村鑑銘細帳によれば、新田分の反別畑18町1反余、皆金納(飯岡家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は熊野神社。明治22年船穂村の大字となる[5]。
年表
編集世帯数と人口
編集2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
結縁寺 | 72世帯 | 180人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立船穂小学校 | 印西市立船穂中学校 |
施設
編集- 結縁寺
- 熊野神社
- 結縁寺青年館
脚注
編集- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1450頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 346頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。