第3代総選挙 (大韓民国)
第3代総選挙(だい3だいそうせんきょ)は、1954年5月20日に実施された第一共和国時代における大韓民国民議院の議員を選出するために行なわれた選挙である。なお、韓国では「第○回」ではなく「第○代」として数え、名称も「総選挙」(총선거)ではなく「総選」(총선)と呼ぶのが一般的である。
第三代総選 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 제3대 총선 |
漢字: | 第三代總選 |
概要
編集1952年7月の抜粋改憲を通じて大統領に当選した李承晩は、憲法の三選禁止規定を撤廃して、終身大統領になることを目論んでいた。そのため、この総選挙で、三選禁止規定を撤廃するための憲法改正を与党単独で行える議席数を国会で確保することが李大統領や彼の側近の最大の課題となったため、金権と暴力を使った大掛かりな不正選挙が行なわれた。なおこの選挙で、自由党や民主国民党は党中央による候補者の公薦制を導入したが、それまで候補者の「自称」のみであった候補者と党の関係を明確にすると共に、公薦過程で候補者を絞り込むことで自党の候補者の当選可能性を高める効果を狙ったものであった。
与党による不正選挙
編集三選禁止規定を撤廃するための憲法改正が出来る3分の2の議席数を確保するため、与党である自由党は大がかりな不正選挙を行った。巨額の選挙資金をかき集めて、有権者を買収するだけでなく、野党候補の登録を妨害[1]、暴力団を雇って野党の演説会を襲撃、野党支持者の投票に必要な番号表不交付、幽霊投票[2]、代理投票、特定候補者(与党)に対する事前束票投入[3]、投票箱移送途中における投票箱や票の取替え等といった大掛かりな不正が続出し、総選挙後に提起された当選無効や選挙無効の訴訟は25件[4]も提起された。また官憲の選挙妨害も顕著で、自由党候補者が落選した場合には警察署長や査察係長が左遷される一方で、当選した場合には警察幹部への栄転、査察刑事への昇進が確約される、といったことが公然と行なわれた[4]。
基礎データ
編集選挙結果
編集投票日:1952年5月20日
- 投票率:91.1%
- 総投票者数:7,698,390名
- 有効票総数:7,492,308票
党派 | 議席数 | 占有率 | 得票数 | 得票率 (%) |
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自由党 자유당 | 114[6] | 56.2 | 2,756,081 | 36.8 |
無所属 무소속 | 67 | 33.0 | 3,591,597 | 47.9 |
民主国民党 민주국민당 | 15 | 7.4 | 593,499 | 7.9 |
国民会 국민회 | 3 | 1.5 | 192,109 | 2.6 |
大韓国民党 대한국민당 | 3 | 1.5 | 72,925 | 1.0 |
その他 | 1[7] | 286,097 | 3.8 | |
合計 | 203 | 7,492,308 |
前回選挙では無所属当選者が多数派を占めたが、今回は与党・自由党が過半数を上回り第1党となり、無所属当選者はほぼ半減する結果となった。一方、韓国民主党の流れを汲む民主国民党は15議席に留まり、敗北した。
自由党は過半数を上回る議席は獲得したものの、議席占有率は56.2%に留まり、目標としていた3分の2(136議席)には届かなかった。そのため自由党は、猛烈な多数派工作を展開、無所属当選者34名を入党させ、6月9日の国会開院時には133議席を確保した[8]。
当選議員
編集自由党 民主国民党 大韓独立促成国民会 大韓国民党 制憲国会議員同志会 無所属
補欠選挙
編集年 | 日付 | 選挙区 | 当選者 | 当選政党 | 欠員 | 欠員政党 | 欠員事由 |
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1954 | 10.25 | 全羅北道鎮安郡 | 朴定根 | 自由党 | 李福晟 | 自由党 | 死去 |
1955 | 12.27 | 慶尚南道山清郡 | 安峻錡 | 自由党 | 李炳洪 | 無所属 | 死去 |
1956 | 8.23 | 京畿道広州郡 | 申河均 | 民主党 | 申翼熙 | 民主党 | 死去 |
10.1 | 忠清北道永同郡 | 孫俊鉉 | 自由党 | 崔淳周 | 自由党 | 死去 | |
11.5 | 京畿道高陽郡 | 李成株 | 自由党 | 韓東錫 | 自由党 | 死去 |
脚注
編集- ^ 具体的には、1952年8月の大統領選挙で李承晩と争った曺奉岩は立候補に必要な書類を何者かに奪われ、立候補すら出来なかった。また、呉緯泳は立候補を辞退せざるを得なくなった。
- ^ 既に死亡した人や実際には存在しない人をあたかも存在するかのように投票用紙を発効して、これを利用して自由党関係者が不正に投票を行なった。
- ^ 窃盗や買収、脅迫などの手段を用いて投票前に大量の投票用紙を入手して、特定候補に一括記入して投票箱に入れることを指す。
- ^ a b 尹景徹著『分断後の韓国政治-1945~1986-』木鐸社、143頁の記述より。
- ^ 中央選擧管理委員會『大韓民國選擧史』(1964年)、404頁別表1「政黨・團體別立候補狀況」。なお「歴代選挙情報システム」では1,186名となっているが、おそらく登録無効や立候補辞退者などを除いた数字であると思われる。
- ^ 非公薦當選者15名を含めた議席数である(中央選擧管理委員會『大韓民國選擧史』(1964年)の405頁「政黨・團體別 當選狀況」解説)。
- ^ その他の1議席は制憲議会同志会(제헌국회의원동지회)。
- ^ 自由党以外は、民国党15議席、無所属同志会31議席、無所属24議席。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 韓国中央選挙管理委員会の歴代選挙情報システム(韓国語)、過去に韓国で行われた国政及び地方選挙の有権者数や候補者、投開票結果を閲覧することが可能。
- 大韓民国憲政会の代別議員情報