印泰植
大韓民国の政治家
印 泰植(イン・テシク、1902年12月17日 - 1975年5月22日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家。元財務部長官、第3・4・6代国会議員[1]。本貫は喬桐印氏[2]。
生涯
編集忠清南道唐津出身[1]。京城第一高等普通学校(のちの京畿高等学校)を経て[3] 、1927年に山口高等学校文科乙類[4][3]、1930年に東北帝国大学法文学部法科を卒業[3]。朝鮮総督府の税務管理部門で勤務し、洪川税務署長、清州税務署長、江原道財務部間税課長を歴任。
第二次世界大戦終戦後、第一共和国にて江原道内務局長[4]、財務部司税局長(1949年)、管財庁長(1953年)、財務部長官(1956年〜1957年)を歴任。自由党内では財務通として評価を受けた。
第三共和国では与党民主共和党で政策委員会議長(1964年)、国会予算決算委員長(1964年)を歴任するなど、要職に留まった。政界引退後は東亜建設社長を務め、実業家として晩年を過ごした[1]。
脚注
編集- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月12日閲覧。
- ^ “교동인씨대종회 - 현대”. www.kyodongin.com. 2024年2月3日閲覧。
- ^ a b c 永島広紀 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生韓国研究センター年報22巻
- ^ a b “인태식(印泰植)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月14日閲覧。
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 金顕哲 |
大韓民国財務部長官 第7代:1956 - 1957 |
次代 金顕哲 |