第1特科隊
第1特科隊(だいいちとっかたい、JGSDF 1st Artillery Unit)は、山梨県南都留郡忍野村の北富士駐屯地に駐屯していた、陸上自衛隊第1師団隷下の野戦特科部隊である。また、陸上自衛隊で唯一、国賓・公賓の来日に際しての礼砲を実施する部隊でもある[1]。災害派遣・広報等の警備隊区は山梨県を担当していた。
第1特科隊 | |
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2019年の即位礼正殿の儀における礼砲の様子 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日(第1特科連隊) |
再編成 | 2002年(平成14年)3月27日(第1特科隊) |
廃止 | 2023年(令和 5年)3月16日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 隊 |
兵科 | 野戦特科 |
兵種/任務 | 火力支援、礼砲任務 |
所在地 | 山梨県、南都留郡忍野村 |
編成地 |
第1特科連隊:豊川 第1特科隊:北富士 |
上級単位 | 第1師団 |
担当地域 | 山梨県 |
沿革
編集第61連隊
- 1951年(昭和26年)5月1日:警察予備隊第1管区隊第61連隊として豊川駐屯地において編成完結。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)6月10日:第3大隊(第9中隊欠)が宇都宮駐屯地から富士駐屯地に移駐し、同駐屯地が開設。
第1特科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 1960年(昭和35年)11月25日:北富士駐屯地が開設され、第4大隊が宇都宮駐屯地から移駐。第4大隊長が北富士駐屯地司令を兼任。
- 1962年(昭和37年)1月18日:師団改編に伴い、第4大隊(北富士駐屯地)が第5大隊に、第5大隊が第6大隊に改編。新たに第4大隊が新編。連隊主力(本部、本部中隊、第1~第3大隊)が駒門駐屯地へ移駐。
- 1969年(昭和44年)3月25日:第4大隊(宇都宮駐屯地)が北富士駐屯地へ、第6大隊(宇都宮駐屯地)が駒門駐屯地へ移駐。
- 1974年(昭和49年)3月26日:35mm2連装高射機関砲 L-90の配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成 2年)11月12日:平成の即位礼正殿の儀に際し、第3大隊が北の丸公園で21発の礼砲を実施[4][5]。
- 1992年(平成 4年)3月27日:第6大隊が第1高射特科大隊として分離独立し、師団直轄となる。
第1特科隊
- 2002年(平成14年)3月27日:部隊改編。
廃止時の部隊編成
編集第1特科隊
編集※2023年(令和5年)3月15日
- 第1特科隊本部
- 本部管理中隊「1特-本」
- 情報中隊「1特-情」
- 第1射撃中隊「1特-1」
- 第2射撃中隊「1特-2」
- 第3射撃中隊「1特-3」
- 第4射撃中隊「1特-4」
第1特科連隊
編集※2002年(平成14年)3月26日
- 第1特科連隊本部
- 第1特科連隊本部中隊「1特-本」
- 情報中隊「1特-情」
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊「1特-1-本」
- 第1射撃中隊「1特-1-1」
- 第2射撃中隊「1特-1-2」
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊「1特-2-1」
- 第3射撃中隊「1特-2-3」
- 第4射撃中隊「1特-2-4」
- 第3特科大隊
- 第3特科大隊本部
- 本部管理中隊「1特-3-本」
- 第5射撃中隊「1特-3-5」
- 第6射撃中隊「1特-3-6」
- 第4特科大隊(北富士駐屯地)
- 第4特科大隊本部
- 本部管理中隊「1特-4-本」
- 第7射撃中隊「1特-4-7」
- 第8射撃中隊「1特-4-8」
- 第5特科大隊(北富士駐屯地)
- 第5特科大隊本部
- 本部管理中隊「1特-5-本」
- 第9射撃中隊「1特-5-9」
- 第10射撃中隊「1特-5-10」
- 第11射撃中隊「1特-5-11」
第1特科連隊時代は駒門駐屯地に連隊本部および3個大隊(第1大隊 - 第3大隊)を、北富士駐屯地に2個大隊(第4大隊・第5大隊)を置いていた。連隊長が駒門駐屯地司令、第5大隊長が北富士駐屯地司令を兼務していた。
整備支援部隊
編集礼砲任務
編集陸上自衛隊唯一の礼砲部隊として、羽田空港における外国国賓・公賓等専用機到着時の礼砲を随時実施しているほか、皇室・国家行事関連として、第1特科連隊時代を含めて2度の即位礼正殿の儀の礼砲、昭和天皇の大喪の礼、故安倍晋三国葬儀における弔砲を実施した。礼砲は通常装備のFH70でなく、関東補給処にて礼砲用として保管する105mm榴弾砲M2A1[10](10榴)を使用する[6]。これは砲身の長いFH70等では射撃音が大き過ぎる上に高音なため、礼砲・演奏用には不適なためである。
礼砲は1個中隊規模で4中隊持ち回りで編成され[11]、タイミングを調整する指揮所、指揮所に要人の状況報告を行う前進観測班[11]、4門の10榴で編成される戦砲班からなり、中隊長が指揮を執る[12][13][14]。服装は甲武装で行う。
令和の即位礼正殿の儀では第1中隊が担当。安倍晋三内閣総理大臣の発する「天皇陛下」の「て」の声に併せ、正殿で待機していた第1特科隊長が携帯電話で指揮所にいる第1中隊長に通達。指揮所から戦砲隊長に下達する形をとった[15]。
礼砲以外では、音楽隊による序曲『1812年』の演奏における使用、駐屯地記念式典での各種訓練展示における敵方の火砲役等として空包を用いる。
歴代の部隊長
編集代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 北川政男 (1等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1951年12月22日第1管区総監部人事部長 | |
2 | 阿野為秋 (1等保安正) |
1952年 | 1月 4日 - 1954年 8月19日陸上自衛隊高射学校長 兼 習志野駐とん地司令 | |
3 | 加藤保男 | 1954年 | 8月20日 - 1956年 4月23日陸上自衛隊特科学校長心得 兼 習志野駐とん地司令 |
事故により殉職 (陸将補に特別昇任)[16] |
4 | 鳴川勝 | 1956年 | 6月19日 - 1958年 5月 1日第2特科連隊長 兼 上富良野駐とん地司令 |
陸上自衛隊富士学校学生課長 |
5 | 国武輝人 | 1958年 | 5月 2日 - 1960年 7月31日防衛研修所所員 | 西部方面総監部幕僚副長 (陸将補昇任) |
6 | 福田五郎 | 1960年 | 8月 1日 - 1963年 7月31日第1特科団高級幕僚 | 第1特科団副団長 |
7 | 名本忠義 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 7月15日陸上自衛隊富士学校総合教育部勤務 | 東北方面総監部監察官 |
8 | 三沢錬一 | 1965年 | 7月16日 - 1968年 3月15日陸上自衛隊富士学校特科教育部 戦術班長 |
陸上自衛隊富士学校総合教育部 副部長 兼 同校同部教務課長 |
9 | 中村暉 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 1月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊少年工科学校勤務 |
10 | 比留間健 | 1970年 | 1月16日 - 1971年 7月15日陸上自衛隊富士学校研究部第3課長 | 陸上自衛隊高射学校研究部長 |
11 | 松友克己 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 3月15日特科教導隊長 | 陸上幕僚監部第5部特科班長 |
12 | 松田哲郎 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 3月16日統合幕僚会議事務局第2幕僚室勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
13 | 小木曽文夫 | 1975年 | 3月17日 - 1977年 3月15日自衛隊帯広地方連絡部長 | 第10師団司令部勤務 |
14 | 脇田正昭 | 1977年 | 3月16日 - 1978年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊富士学校管理部長 |
15 | 横手中 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 7月31日陸上幕僚監部監理部総務課 監理班長 |
陸上自衛隊富士学校管理部長 |
16 | 稲坂哲男 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日陸上幕僚監部装備部管理・輸送課 後方計画班長 |
東北方面総監部調査部長 |
17 | 町田宗宏 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 7月31日陸上幕僚監部装備部装備計画課 企画班長 |
北部方面総監部防衛部長 |
18 | 織田基生 | 1984年 ※1986年 7月 1日 陸将補昇任 |
8月 1日 - 1986年 7月31日陸上幕僚監部調査部付 | 第5師団副師団長 兼 帯広駐屯地司令 |
19 | 宮本敏明 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 3月15日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
20 | 益田兼弘 | 1988年 | 3月16日 - 1989年 6月29日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課長 |
21 | 弘中治雄 | 1989年 | 6月30日 - 1991年 7月31日陸上自衛隊幹部学校総務部総務課長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
22 | 塚田信一 | 1991年 | 8月 1日 - 1993年 3月31日陸上自衛隊幹部学校主任教官 | 陸上幕僚監部調査部調査第2課長 |
23 | 黒木八郎 | 1993年 | 4月 1日 - 1995年 6月29日防衛医科大学校学生部訓練課長 | 自衛隊島根地方連絡部長 |
24 | 山崎文夫 | 1995年 | 6月30日 - 1996年12月16日陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査第1班長 |
北部方面総監部人事部長 |
25 | 松本晴朗 | 1996年12月16日 - 1999年11月30日 | 東部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
末 | 大城成一郎 | 1999年12月 | 1日 - 2002年 3月26日西部方面総監部防衛部訓練課長 | 中部方面総監部勤務 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 松岡久夫 | 2002年 | 3月27日 - 2003年 7月31日北部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊富士学校特科部教育課長 |
2 | 児嶋幹司 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 7月31日陸上幕僚監部人事部人事計画課 予備自衛官班長 |
自衛隊愛媛地方連絡部長 |
3 | 坂田順彦 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年12月 2日中部方面総監部人事部人事課長 | 中部方面情報保全隊長 |
4 | 大池孝志 | 2007年12月 | 3日 - 2009年 7月31日第3師団司令部第3部長 | 自衛隊茨城地方協力本部長 |
5 | 山口耕司 | 2009年 | 8月 1日 - 2011年11月30日陸上幕僚監部付 | 第15旅団司令部幕僚長 |
6 | 澤﨑伸二 | 2011年12月 | 1日 - 2014年 3月25日第8師団司令部第3部長 | 統合幕僚監部運用部運用第1課 運用企画調整官 |
7 | 七嶋剛士 | 2014年 | 3月26日 - 2015年 8月 3日北部方面総監部法務官 | 陸上幕僚監部総括副法務官 |
8 | 佐藤恒昭 | 2015年 | 8月 4日 - 2018年 3月26日北部方面総監部装備部後方運用課長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部 主任訓練評価官 |
9 | 林佐光 | 2018年 | 3月27日 - 2020年 7月31日自衛隊山梨地方協力本部長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部主任教官 |
10 | 大塚慎太郎 | 2020年 | 8月 1日 - 2022年 7月31日陸上総隊司令部運用部防衛課長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部総合企画官 |
末 | 富永將文 | 2022年 | 8月 1日 - 2023年 3月15日陸上総隊司令部運用部防衛課長 | 東部方面特科連隊長 兼 北富士駐屯地司令 |
主要装備
編集- 155mmりゅう弾砲 FH70
- 中砲けん引車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 対砲レーダ装置 JTPS-P16
- 対迫レーダ装置 JMPQ-P13
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃
- 105mm榴弾砲M2A1 - 礼砲用。通常は関東補給処にて保管されている。
警備隊区
編集脚注
編集- ^ “第1特科隊”. 陸上自衛隊第1師団. 2019年3月15日閲覧。
- ^ 『第一管区隊史 保安隊編』保安隊第一管区総監部、1958年。
- ^ 朝雲新聞社編集局 編『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社、2000年9月15日、156頁。ISBN 978-4750980157。
- ^ 朝雲新聞社編集局 編『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社、2000年9月15日、160頁。ISBN 978-4750980157。
- ^ “平成度における即位礼正殿の儀等の実施状況について”. 首相官邸. 2019年10月7日閲覧。
- ^ a b “即位祝う礼砲、準備万端=万歳三唱に合わせ発射-陸自”. 時事通信. (2019年10月21日)
- ^ 日本放送協会. “安倍元首相「国葬」 自衛隊の儀じょうや“弔砲“など実施へ | NHK”. NHKニュース. 2022年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。
- ^ “機関紙「あずま」第1000号(平成30年2月25日付)”. 陸上自衛隊 東部方面総監部. p. 3. 2020年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月15日閲覧。
- ^ 防衛省発令 (令和5年3月16日付、1佐職人事) - 防衛省(2023年3月16日、同日閲覧)
- ^ 奈良原裕也「21世紀陸上自衛隊の新体制 「第7師団」「第1師団」「第3師団」”虎の子”機甲師団と”政経中枢”師団」『軍事研究』2019年1月号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、67-80頁。
- ^ a b “【国を守り隊】陸自唯一…礼砲部隊「北富士駐屯地第1特科隊」が羽田で守り続ける“国の威信””. 産経新聞社. (2015年9月5日) 2019年10月22日閲覧。
- ^ “即位礼に向け最終準備、“唯一の部隊”密着取材”. TBS. (2019年10月16日) 2019年10月18日閲覧。
- ^ “即位祝う「礼砲部隊」本格始動”. テレビ東京. (2019年10月7日) 2019年10月18日閲覧。
- ^ 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典実施連絡本部 (2019年9月20日). “儀じょう、礼砲、奏楽及びと列の実施要綱” (PDF). 首相官邸. 2019年10月19日閲覧。
- ^ “礼砲発射「緊張の連続」 山梨・北富士駐屯地の戦砲隊長”. 産経新聞. 産経新聞社. (2019年11月13日) 2019年11月15日閲覧。
- ^ 『官報』本紙第8813号(昭和31年5月17日)
出典
編集『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
関連項目
編集外部リンク
編集- 第1特科隊
- 即位の礼 「礼砲21発」(フルVer) - Youtube:令和の即位礼正殿の儀における礼砲本番の公式記録動画