竹本竜司
日本の陸上自衛官
竹本 竜司(たけもと りょうじ、1964年〈昭和39年〉4月3日 - )は、日本の陸上自衛官、第6代陸上総隊司令官。工学博士[1]。
竹本 竜司 Ryoji Takemoto | |
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第1師団長当時の竹本陸将 (2018年9月30日) | |
生誕 |
1964年4月3日(60歳) 日本 島根県 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
軍歴 | 1980年 - 2024年 |
最終階級 | 陸将(陸上自衛隊) |
概要
編集島根県出身。父親が自衛官だったこともあり同じ道へ[2]。1980年(昭和55年)4月2日、陸上自衛隊生徒第26期生として少年工科学校に入校し3等陸士に任官。前期教育終了時に大学入学資格検定を受け防衛大学校に合格。1等陸士で自衛隊を退職し、防衛大学校に第31期生(電気工学科)として入校。同校卒業後に再度任官したため自衛官では無い期間が約4年存在する[3]。第8特科連隊時に空挺基本降下課程を修了し空挺き章を有する。1等陸佐までの職種は野戦特科。2018年(平成30年)10月14日に陸上自衛隊朝霞訓練場で行われた第65回自衛隊記念日観閲式[4]の観閲部隊指揮官を務めた。
座右の銘は造語で「進化無限」『人は興味を持って吸収していけば、日々伸びるという意味。常に勉強です』。と熊本日日新聞のインタビュー[2]に答えている。
略歴
編集- 1980年(昭和55年)4月2日:少年工科学校(生徒26期:武山)
- 1983年(昭和58年)4月:防衛大学校(第31期)(電気工学科)
- 1987年(昭和62年)
- 1990年(平成2年)3月:筑波大学(博士課程)(1995年3月、博士号取得)[1](霞ヶ浦)
- 1995年(平成7年)3月:装備開発実験隊(富士)
- 1997年(平成9年)3月:幹部学校技術高級課程(TAC)(第25期:目黒)
- 1998年(平成10年)3月:技術研究本部GM開発官付(三宿)
- 2000年(平成12年)3月:陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
- 2001年(平成13年)8月:第112特科大隊長(湯布院)
- 2003年(平成15年)8月:陸上幕僚監部教育訓練部(市ヶ谷)
- 2005年(平成17年)8月:幹部学校統合高級課程(第45期:目黒)
- 2006年(平成18年)8月:陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
- 2007年(平成19年)8月:陸上幕僚監部補任課人事第1班長(市ヶ谷)
- 2009年(平成21年)8月:第9特科連隊長 兼 岩手駐屯地司令(岩手)
- 2010年(平成22年)7月:統合幕僚監部運用部運用第2課長(市ヶ谷)
- 2012年(平成24年)7月26日:陸将補[5]昇任、東部方面総監部幕僚副長(朝霞)
- 2014年(平成26年)8月5日:自衛隊東京地方協力本部長(新宿[6])
- 2015年(平成27年)8月4日:陸上自衛隊富士学校特科部長(富士)
- 2016年(平成28年)7月1日:陸上幕僚監部人事部長(市ヶ谷)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)8月1日:陸将[7]昇任、第1師団長(練馬)
- 2019年(令和元年)8月23日:陸上幕僚副長(市ヶ谷)
- 2020年(令和2年)8月25日:第39代 西部方面総監(健軍)
- 2023年(令和5年)3月30日:第6代 陸上総隊司令官
- 2024年(令和6年)3月28日:退職[8]
脚注
編集- ^ a b 竹本竜司『非晶質合金の異常通電効果に関する研究』 筑波大学〈博士(工学) 甲第1387号〉、1995年。doi:10.11501/3107263。 NAID 500000127635 。
- ^ a b 丸山宗一郎 (2020年8月27日). “人(ひと)”. 熊本日日新聞
- ^ “竹本竜司(第1師団長・陸将)|第31期・陸上自衛隊”. 桃野氏. 2020年11月12日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊での呼称
- ^ “2014年4月2日時点の防衛省ホームページのアーカイブ”. 国立国会図書館. 2020年11月12日閲覧。
- ^ 庁舎建替の為、2014年(平成26年)7月28日~2018年(平成30年)6月18日の新庁舎完成までの間、新宿イーストサイドスクエアを使用していた。
- ^ “防衛省発令(将人事)”. 防衛省. 2020年11月12日閲覧。
- ^ “防衛省発令(将人事)”. 防衛省. 2024年3月20日閲覧。
出典
編集外部リンク
編集- 西部方面隊
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