牛島 (秋田市)
秋田県秋田市にある地域名
(牛島町 (秋田県)から転送)
牛島(うしじま)は秋田県秋田市にある地域名。郵便番号は010-0062他。牛島東、牛島西、牛島南、字東潟敷、字西潟敷、字谷地で構成される。
牛島 | |
---|---|
北緯39度41分43秒 東経140度7分27.2秒 / 北緯39.69528度 東経140.124222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 秋田県 |
市町村 | 秋田市 |
人口 | |
• 合計 |
牛島東:5,433 牛島西:5,162 牛島南:1,279 計: 11,874人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
010-0062他 |
市外局番 | 018[2] |
ナンバープレート | 秋田 |
地理
編集秋田市南部に位置する。ほぼ全域が住宅地で、北は楢山、西は卸町、南は大住、仁井田、東は上北手、大住と接する。国道13号を境に牛島東、牛島西に分かれ、北端と西端の一部は猿田川と太平川に、南端と東端の一部は猿田川と古川に沿っている。
河川
編集- 猿田川
- 太平川
- 古川
歴史
編集うしじままち 牛島町 | |
---|---|
廃止日 | 1924年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 牛島町 → 秋田市 |
現在の自治体 | 秋田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 秋田県 |
郡 | 河辺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
牛島町役場 | |
所在地 | 秋田県河辺郡牛島町 |
座標 | 北緯39度41分42.2秒 東経140度7分27.3秒 / 北緯39.695056度 東経140.124250度 |
ウィキプロジェクト |
出羽国豊島郡牛島村として成立。枝村として武石安左衛が開発した柳原新田村(やなぎはらしんでんむら)があり、享保15年(1730年)の記録では戸数10軒となっている[3]。
- 1826年(文政9年) - 関喜内の主導で牛島新田村に桑畑開発が始まる[4]。
- 1874年(明治7年)4月25日 - 河辺郡牛島小学校が開校。
- 1878年(明治11年) - 河辺郡が発足、郡役所が置かれる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により柳原新田村を吸収合併し、牛島村が発足。
- 1893年(明治26年)
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)1月8日 - 秋田県秋田測候所が河辺郡牛島町大字牛島に移転[7]。
- 1902年(明治35年)11月1日 - 牛島町郵便受取所が牛島町郵便電信受取所に改称[8]。
- 1906年(明治39年)1月1日 - 牛島町郵便局が牛島郵便局に改称[9]。
- 1915年(大正4年) - 秋田県農業試験場が寺内村字八橋に移転[6]。
- 1921年(大正10年)7月31日 - 羽越北線羽後牛島駅が開業。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 秋田市に編入される[10]。
- 1926年(大正15年)
- 1931年(昭和6年)
- 1939年(昭和14年) - 東北肥料秋田工場専用鉄道が開業。
- 1963年(昭和38年)12月 - 秋田消防署牛島出張所が開設。
- 1967年(昭和42年)5月1日 - 住居表示実施。
- 1994年(平成6年) - 東北肥料秋田工場専用鉄道が廃止。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 秋田市牛島保育所が社会福祉法人秋田聖徳会に移管、牛島ルンビニ園として開園。
町名の変遷
編集以下はすべて住居表示実施に伴う変更。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各字名ともその一部) |
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牛島西一丁目 うしじまにしいっちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字大野中道下段 うしじま あざおおのなかみちげだん |
昭和42年5月1日 | 牛島字大野中道上段 うしじま あざおおのなかみちじょうだん | |
昭和42年5月1日 | 牛島字川原敷 うしじま あざかわはらしき | |
昭和42年5月1日 | 牛島字西ノ方家後 うしじま あざにしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島字稗田 うしじま あざひえた | |
昭和42年5月1日 | 柳原新田字古川端 やなぎはらしんでん あざふるかわばた | |
牛島西二丁目 うしじまにしにちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字大野中道下段 うしじま あざおおのなかみちげだん |
昭和42年5月1日 | 牛島字御鷹野橋 うしじま あざおたかのばし | |
昭和42年5月1日 | 牛島字庚塚 うしじま あざかのえづか | |
昭和42年5月1日 | 牛島字西ノ方家後 うしじま あざにしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島字稗田 うしじま あざひえた | |
昭和42年5月1日 | 牛島町 うしじままち | |
昭和49年5月1日 | 牛島西二丁目 うしじまにしにちょうめ | |
牛島西三丁目 うしじまにしさんちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字大野中道上段 うしじま あざおおのなかみちじょうだん |
昭和42年5月1日 | 牛島字御鷹野橋 うしじま あざおたかのばし | |
平成13年10月1日 | 牛島字庚塚 うしじま あざかのえづか | |
昭和42年5月1日 | 牛島字竹原道下 うしじま あざたけはらみちした | |
昭和44年5月1日 | ||
昭和42年5月1日 | 牛島字東潟敷 うしじま あざひがしかたしき | |
平成13年10月1日 | ||
昭和42年5月1日 | 柳原新田字南 やなぎはらしんでん あざみなみ | |
牛島西四丁目 うしじまにしよんちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字狐森 うしじま あざきつねもり |
昭和42年5月1日 | 牛島字清水下 うしじま あざしみずした | |
昭和42年5月1日 | 牛島字竹原道下 うしじま あざたけはらみちした | |
牛島東一丁目 うしじまひがしいっちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字川原敷 うしじま あざかわはらしき |
昭和42年5月1日 | 牛島字西ノ方家後 うしじま あざにしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島町 うしじままち | |
昭和49年2月1日 | 牛島東一丁目 うしじまひがしいっちょうめ | |
平成2年10月1日 | ||
牛島東二丁目 うしじまひがしにちょうめ |
昭和55年4月1日 | 牛島町 うしじままち |
昭和55年4月1日 | 楢山南新町下丁 ならやま みなみしんまちしもちょう | |
牛島東三丁目 うしじまひがしさんちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字中揚 うしじま あざなかあげ |
昭和42年5月1日 | 牛島字中見 うしじま あざなかみ | |
昭和42年5月1日 | 牛島字東ノ方家後 うしじま あざひがしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島町 うしじままち | |
牛島東四丁目 うしじまひがしよんちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字中揚 うしじま あざなかあげ |
昭和42年5月1日 | 牛島字中見 うしじま あざなかみ | |
昭和42年5月1日 | 牛島字東ノ方家後 うしじま あざひがしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島町 うしじままち | |
昭和42年5月1日 | 楢山字兎口 ならやま あざうさぎぐち | |
牛島東五丁目 うしじまひがしごちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字庚塚 うしじま あざかのえづか |
昭和42年5月1日 | 牛島字猿田川反 うしじま あざさるたかわばた | |
昭和42年5月1日 | 牛島字中道 うしじま あざなかみち | |
昭和42年5月1日 | 牛島字東ノ方家後 うしじま あざひがしのかたいえうしろ | |
昭和42年5月1日 | 牛島町 うしじままち | |
牛島東六丁目 うしじまひがしろくちょうめ |
昭和42年5月1日 | 牛島字庚塚 うしじま あざかのえづか |
昭和42年5月1日 | 牛島字猿田川反 うしじま あざさるたかわばた | |
昭和42年5月1日 | 仁井田字猿田川反 にいだ あざさるたかわばた | |
牛島東七丁目 うしじまひがしななちょうめ |
平成12年10月1日 | 牛島字兎谷地 うしじま あざうさぎやち |
昭和49年5月1日 | 牛島字猿田川反 うしじま あざさるたかわばた | |
昭和49年5月1日 | 牛島字谷地 うしじま あざやち | |
昭和63年10月1日 | ||
平成12年10月1日 | 上北手荒巻字割田 かみきたてあらまき あざわりだ | |
平成12年10月1日 | 楢山字石塚谷地 ならやま あざいしづかやち | |
昭和49年5月1日 | 楢山字兎口 ならやま あざうさぎぐち | |
昭和63年10月1日 | 仁井田字猿田川反 にいだ あざさるたかわばた | |
平成12年10月1日 | ||
牛島南一丁目 うしじまみなみいっちょうめ |
平成13年10月1日 | 牛島字東潟敷 うしじま あざひがしかたしき |
牛島南二丁目 うしじまみなみにちょうめ |
平成13年10月1日 | 牛島字西潟敷 うしじま あざにしかたしき |
平成13年10月1日 | 牛島字東潟敷 うしじま あざひがしかたしき | |
平成13年10月1日 | 仁井田字西潟敷 にいだ あざにしかたしき |
かつてあった町名
編集- 牛島町
- 字一本塚
- 字兎谷地
- 字大野中島下段
- 字大野中島上段
- 字大野中島中段
- 字大野中道下段
- 字大野中道上段
- 字御鷹野橋
- 字川原敷
- 字狐森
- 字猿田川反
- 字下窪
- 字清水下
- 字竹原道下
- 字中揚
- 字中見
- 字中道
- 字西ノ方家後
- 字庚塚
- 字稗田
- 字東ノ方家後
教育
編集- 牛島ルンビニ園
学区
編集中学校は全地域で秋田市立城南中学校の学区になっている。
小学校は牛島東と牛島西1丁目は秋田市立牛島小学校、牛島東7丁目の一部は秋田市立上北手小学校、牛島西2丁目から4丁目と字東潟敷、字西潟敷は秋田市立大住小学校の学区になっている[14]。
施設
編集牛島東
編集- 秋田中央警察署牛島交番
- 秋田消防署牛島出張所
- 秋田市南部市民サービスセンター別館
- 牛島東郵便局
- 秋田銀行牛島支店
- 北都銀行牛島支店・茨島支店
- マルダイ牛島店
- 国際タクシー牛島営業所
- 真如苑秋田支部
- 牛島商店街
- 秋田信用金庫牛島支店
- 三皇熊野神社里宮
-
秋田中央警察署牛島交番
-
秋田消防署牛島出張所
-
秋田市南部市民サービスセンター別館
-
秋田銀行牛島支店
-
国際タクシー牛島営業所
-
北都銀行牛島支店
-
マルダイ牛島店
牛島西
編集- 秋田回生会病院
- 東北電力ネットワーク牛島変電所
- 三皇熊野神社本宮
- 二木ゴルフ秋田店
- ゲオ秋田牛島店
- 快活クラブ秋田牛島店
-
ゲオ秋田牛島店
-
秋田回生会病院
-
三皇熊野神社で行われる三皇祭
-
三皇熊野神社で行われる三皇祭
牛島南
編集- 秋田市牛島汚水中継ポンプ場
かつてあった施設
編集牛島東
編集- 秋田県陶育院、秋田県立千秋学園 (割山に移転・跡地は金照閣)
- 金照閣(跡地は現在の真如苑秋田支部)
- 秋田市南部公民館(跡地は現在の秋田市民サービスセンター別館)
- 北都銀行帳票センター(旧北都銀行牛島支店)
-
秋田市南部公民館
-
北都銀行帳票センター
交通
編集鉄道
編集かつてあった鉄道
編集バス
編集- 秋田中央交通
- 系統510|仁井田御所野線(県庁市役所経由)
- 系統511|仁井田御所野線(長崎屋バスターミナル経由)
- 系統523|御所野発県庁市役所経由大川反車庫行線 - 平日のみ
- 系統524|牛島経由御野場団地線
- 系統531|大野線 - 平日のみ
- (牛島橋) - 新屋敷小路 - 牛島東一丁目 - 牛島東五丁目 - (二ツ屋上丁)
- 系統152|新港線(飯島北発南高校前行) - 平日のみ
- 系統540|柳原経由御野場団地線 - 平日のみ
- 系統542|秋田高校線 - 平日のみ
- (卸センター入口) - 牛島駅入口 - 牛島市営住宅前 - (南高校前)
- 系統550|大住みなみ野団地線
- (卸センター入口) - 牛島駅入口 - 牛島市営住宅前 - (大住団地入口)
- 系統560|南大通り経由日赤病院線(秋田駅西口発日赤病院前着) - 平日のみ
- (牛島橋) - 新屋敷小路 - 牛島東一丁目 - 牛島東五丁目 - なんぴあ別館前 - 牛島小学校前 - 牛島小学校入口 - (牛島東七丁目)
- 系統561|南大通り経由日赤病院線(日赤病院前発秋田駅西口着) - 平日のみ
- (一つ森公園南入口) - 牛島東七丁目 - 牛島小学校入口 - 石塚谷地 - 城南中学校前 - 金照寺山公園東入口 - 楢山愛宕下 - 牛島東三丁目 - 牛島東一丁目 - 新屋敷小路 - (牛島橋)
- 系統570|二ッ屋福島線 - 平日のみ
- (福島橋) - 牛島東七丁目 - 牛島小学校入口 - 牛島小学校前 - なんぴあ別館前 - 牛島東五丁目 - 牛島東一丁目 - 新屋敷小路 - (牛島橋)
- 系統600|茨島環状線(大町回り) - 平日のみ
- 系統601|茨島環状線(茨島回り) - 平日のみ
- (茨島団地前) - 三皇神社前 - 牛島変電所前 - (卸町五丁目)
道路
編集- 国道13号
- 秋田県道162号羽後牛島停車場線
- 秋田市道二ツ屋登町線(羽州街道)
- 秋田市道秋田環状線(牛島仲見通り)
- 秋田市道上北手牛島線(牛島学園通り)
- 秋田市道牛島西潟敷線
- 秋田市道牛島茨島線
関連著名人
編集- 佐藤敬夫 (政治家)
脚注
編集- ^ “5統計書(用語解説)-秋田市年齢別・人口別|秋田市公式サイト”. 秋田市 (2022年7月11日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 日本歴史地名大系第五巻秋田県の地名(平凡社)
- ^ 平川新「地域リーダーと世論」『全集日本の歴史第12巻 開国への道』小学館、2008年11月、195-196,199-201頁。
- ^ 明治29年逓信省告示119号(明治29年6月9日付官報第3882号掲載)
- ^ a b c “秋田県農業試験場130年史|美の国あきたネット”. 秋田県. 2023年7月24日閲覧。
- ^ 気象(明治30年1月15日付官報第4061号掲載)
- ^ 明治35年逓信省告示518号(明治35年10月30日付官報第5798号掲載)
- ^ 明治38年逓信省告示第623号(明治38年12月7日付官報第6732号掲載)
- ^ “『町廃止市区域変更』官報. 1924年04月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年7月23日閲覧。
- ^ 大正15年逓信省告示1399号(大正15年7月10日付官報第4164号掲載)
- ^ 大正15年文部省告示370号(大正15年11月6日付官報第4262号掲載)
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、34頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “通学区域表(R05.04.01)”. 秋田市. 2023年7月25日閲覧。