沼間

神奈川県逗子市の町名
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沼間(ぬまま)は、神奈川県逗子市町名。面積は3.51km2。現行行政地名は沼間一丁目から沼間六丁目。住居表示実施済み区域。

沼間
町丁
神武寺
地図北緯35度17分53秒 東経139度36分08秒 / 北緯35.2981度 東経139.6022度 / 35.2981; 139.6022
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 逗子市
人口情報2021年(令和3年)10月1日現在[1]
 人口 8,967 人
 世帯数 3,944 世帯
面積[2]
  3.51 km²
人口密度 2554.7 人/km²
郵便番号 249-0004[3]
市外局番 046(横須賀MA[4]
ナンバープレート 横浜
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地理

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逗子市東部に位置する。北で池子、東で横須賀市湘南鷹取船越町、南東で田浦町田浦大作町、南で桜山飛地、南西で三浦郡葉山町長柄、西で桜山と接する。

地価

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住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、沼間2-6-7の地点で14万4000円/m2、沼間3-25-14の地点で12万9000円/m2となっている[5]

歴史

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沼間は正倉院に収められている調布に記された「相模国鎌倉郡沼浜郷」の中心地で地名はこの沼浜郷が元と推測される[6]。古代の逗子市は海岸線が現在の東逗子駅辺りまで入り組んでおり、沼間一帯は湿地帯であった。

源義朝が邸を構えた沼浜亭沼浜城)が存在した(その後、本拠地を鎌倉へ移したので別宅となった)。当時義朝亡きあとの沼浜城は三浦一族の管理下となった。沼浜城の位置は現在の法勝寺がある辺りがその場所だと言われてきたが、近年,神武寺への登り口左にある地域だと考えられている。周辺には堀の内馬場橋武道橋矢の根橋といった武家の館由来と思わしき地名が残っている。

建仁2年(1202年)北条政子が義朝の夢告と称し沼浜城は解体され、鎌倉の寿福寺に移築された[7]。沼浜城は頼朝の愛妾用の別宅になっていたり、源義平がここから出兵した経緯があることから三浦一族による鎌倉への軍事的な影響を退ける為に政子が画策したものとされている[8]

舞草鍛冶であった四郎太夫が奥州より沼間に移住(平安時代後期である保元年間の頃に沼浜を含めた三浦半島一帯を統治していた三浦一族山内首藤氏の庇護があった)、沼間藤源次を名乗った一派が刀剣を作成する鍛冶場があったとされ、三浦義明の為に咲栗(えみぐり)という刀を作っている[9]。三浦氏が北条氏に滅ぼされた後の1266年文永3年)鎌倉幕府に招聘された備前福岡一文字の刀匠、助真が藤源次の名を受け継いで沼間の地で新たに鎌倉一文字を興し、その弟子である新藤五国光も同地に居住して[10]正宗にまで連なる五箇伝の1つ相州伝の基礎を築いた。

1884年、桜山村、逗子村、山野根村、小坪村池子村、久木村および沼間村が逗子村外六ヶ村を形成。1889年、逗子村外六ヶ村が合併し三浦郡田越村が成立した。

世帯数と人口

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2021年(令和3年)10月1日現在(逗子市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
沼間一丁目 810世帯 1,691人
沼間二丁目 1,076世帯 2,381人
沼間三丁目 986世帯 2,374人
沼間四丁目 374世帯 825人
沼間五丁目 504世帯 1,205人
沼間六丁目 194世帯 491人
3,944世帯 8,967人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[11]
9,211
2000年(平成12年)[12]
9,680
2005年(平成17年)[13]
10,292
2010年(平成22年)[14]
9,698
2015年(平成27年)[15]
9,333
2020年(令和2年)[16]
8,984

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[11]
3,235
2000年(平成12年)[12]
3,554
2005年(平成17年)[13]
3,960
2010年(平成22年)[14]
3,874
2015年(平成27年)[15]
3,865
2020年(令和2年)[16]
3,903

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年2月時点)[17]

丁目 番地 小学校 中学校
沼間一丁目 全域 逗子市立沼間小学校 逗子市立沼間中学校
沼間二丁目 全域
沼間三丁目 全域
沼間四丁目 全域
沼間五丁目 全域
沼間六丁目 全域

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]

丁目 事業所数 従業員数
沼間一丁目 107事業所 713人
沼間二丁目 31事業所 125人
沼間三丁目 43事業所 299人
沼間四丁目 19事業所 91人
沼間五丁目 15事業所 78人
沼間六丁目 14事業所 93人
229事業所 1,399人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[19]
237
2021年(令和3年)[18]
229

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[19]
1,359
2021年(令和3年)[18]
1,399

交通

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JR横須賀線東逗子駅

施設

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公共

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  • 沼間公民館
  • 逗子市商工会館

教育

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神社仏閣

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神武寺六地蔵

史跡

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  • 沼間管ヶ谷台地遺跡
  • 神武寺城郭跡
  • 火の見下庚申塔群
  • 横須賀海軍工廠沼間地下工場

その他

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日本郵便

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出典

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  1. ^ a b 令和3年度統計ずし - 2-4町丁字別人口【総務課】” (XLS). 逗子市 (2023年3月1日). 2023年8月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 令和3年度統計ずし - 1-3地区別面積【総務課】” (XLS). 逗子市 (2023年3月1日). 2023年8月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 沼間の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
  6. ^ 市制施行二十周年記念『改訂 逗子町誌』逗子市 昭和49年10月30日発行 91頁
  7. ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 228.
  8. ^ 吾妻鏡
  9. ^ 観智院銘盡・秘談抄
  10. ^ 往昔抄
  11. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  13. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  14. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  17. ^ 住所で見る”. 逗子市 (2023年2月28日). 2023年8月17日閲覧。
  18. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  19. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  20. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。

参考文献

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