沼澤聖一
沼澤 聖一(ぬまざわ せいいち、1945年12月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロゴルファー。
Seiichi NUMAZAWA | |
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基本情報 | |
名前 | 沼澤 聖一 |
生年月日 | 1945年12月10日(78歳) |
身長 | 172 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 70 kg (154 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県仙台市 |
経歴 |
女優の篠ひろ子、その夫である直木賞作家の伊集院静は義弟。また実弟にゴルフクラブ設計家の沼澤雄二、甥に元プロサッカー選手の青山隼がいる。
人物
編集東北学院高校時代は1962年の全国高校ゴルフ選手権個人・男子で猛暑にもかかわらず粘り強さを発揮し、三上法夫を抑えて初出場初優勝[1]。1963年の同大会では午前のラウンドを78にまとめた後、午後のインでは1アンダーの35、アウトも1番から7番まで連続パーで140台が期待されたが8番のショートホールでバンカーショットをミスしてダブルボギー[1]。9番でもボギーを叩いたが、通算152ストロークは大会新スコアを記録し、戸張捷・山田健一、中学生の入江勉を抑えて史上2人目の連覇を達成[1]。
1964年に入学した日本大学ゴルフ部では西田升平と同期で山田の1年先輩、高橋信雄の2年先輩に当たり[2] [3]、竹田昭夫監督の下で同期の西田と共に柱となり、猛烈を極めたスパルタ練習を積んで頭角を現す[4]。在学中は副部長を務め[5]、日本学生、中日杯関東学生2連覇、朝日杯などで優勝[6]。日本オープンでもローアマ争いをし、学生やアマチュアゴルファーの基盤を作る[6]。
1966年には戸塚カントリー倶楽部西コースのスクラッチ競技でコースレコード70を出し、同コースで行われた日本学生で優勝[7]。
卒業後の1968年10月にプロ入りし[2]、1974年にはシード入りを果たす[8]。
1972年の沖縄テレビカップ(6380ヤード、パー72)では時に56歳5ヶ月と4日、レギュラーの最年長優勝記録を樹立[9]した中村寅吉、細石憲二・今井昌雪・山本善隆・橘田規・宮本省三・新井規矩雄に次ぎ、杉原輝雄・村上隆・尾崎将司らを抑えての9位に入った[10]。大会は2日間54ホールの忙しくタフな試合であったが、この試合の参加人数などは不明だが、日本中の100数十人のプロが参加し、当時は沖縄返還記念の行事として大々的に開催された[10]。
1974年にはブリヂストントーナメントで2位に入ったほか[11]、日本シリーズ初出場[12]を果たす。
1975年の沖縄クラシックでは初日を陳健忠&謝永郁(中華民国)・日吉・坂下定夫・草柳良夫と並んでの4位タイ[13]でスタートし、2日目には草柳・陳健・謝永と並んでの2位タイ[14]に浮上。3日目には北西の風5mで肌寒く、あまり良いスコアが出ない中で3アンダー69[15]をマーク、通算6アンダー[16]210[15]で単独首位[16]に立った[17]。最終日にはアンダーパーは8選手と、全般にスコアは伸びなかった中を手堅くパープレーでまとめ、通算6アンダー282でベテラン勢の追撃を振り切り、内田繁・謝永に3打差付けて優勝[12] [18]。18番の第2打をミスしてグリ一ン手前のバンカーに落としたが、ピン側50cmに寄せる見事なリカバリーでトーナメント初優勝を決め、賞金250万円を獲得[11] [19]。鈴村照男、新井に次ぐ3人目の学士プロの優勝となった[12]。
その後は全英オープン、アメリカPGAツアー、オーストラリアツアー、アジアサーキット、南米ツアー、南アフリカ・サンシャインツアーなど世界各地を転戦[6]したが、目の網膜を損傷し、42歳でレギュラーツアーの競技生活を断念[5]。
ツアー引退後、豊富な海外ツアー経験などを基に[5]NHKゴルフ解説者を14年間勤め、その後はTBS系解説、ゴルフネットワークなど年間35試合を担当し、2000年にはコメンテーター・オブ・ザ・イヤーを受賞[6]。
その後は渋谷109ゴルフスクールを開校したほか、杜の都ジュニアゴルフスクールを立ち上げ[6]、故郷でのジュニア育成などで活躍[5]。
現在は沼沢聖一スタジオゴルフ主幹、東京都港区のゴルフスクール「GOLF&FITNESS POINT芝浦」ヘッドプロ[6]。
主な優勝
編集- 1975年 - 沖縄クラシック
脚注
編集- ^ a b c Untitled
- ^ a b 出身プロ一覧 | 日本大学ゴルフ部
- ^ 日本大学ゴルフ部OB会 | プロ名簿
- ^ Untitled
- ^ a b c d ゴルフ歴史館 ゴルフ中継レポートのプロ 沼沢聖一
- ^ a b c d e f ゴルフレッスン|東京都港区のGOLF&FITNESS POINT 芝浦
- ^ 倶楽部歴史HISTORY
- ^ 大学ゴルフ界から新星続々 “学士プロ”のルーツをたどる
- ^ 驚異のエージシューター田中菊雄の世界90 武藤一彦のコラム
- ^ a b 谷口徹は中村寅さんになれるか 武藤一彦のコラム – GOLF報知
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p518 昭和50年1月20日朝刊18面「沼沢が初優勝 沖縄クラシックゴルフ」
- ^ a b c 毎日新聞縮刷版p461 昭和50年1月20日朝刊15面「沼沢、手がたく"初笑い" プロ入り七年目の栄冠 沖縄ゴルフ最終日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック」
- ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ」
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p491 昭和50年1月19日朝刊15面「沼沢が単独トップ 沖縄クラシック・ゴルフ」
- ^ a b 沼沢聖一(シチズン) 男子プロゴルファー “沖縄TVクラシック” 第3日
- ^ 毎日新聞縮刷版p440 昭和50年1月19日朝刊14面「沼沢首位奪う 沖縄ゴルフ」
- ^ McCormack, Mark (1976). The World of Professional Golf 1976. Collins. p. 289. ISBN 000211996X
- ^ 沼沢聖一(シチズン) 男子プロゴルファー “沖縄TVクラシック” 最終日 優勝
外部リンク
編集- 沼澤聖一 - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール