沖縄クラシック
概要
編集1972年2月12日 - 13日に男子プロゴルフ開幕戦[1]「沖縄テレビカップ」として行われ、大会は1日27ホール[1]、2日間54ホールの忙しくタフな試合であったが[2]、中村寅吉が細石憲二・今井昌雪・日吉定雄・山本善隆・橘田規・宮本省三・新井規矩雄・沼澤聖一・杉原輝雄・村上隆・尾崎将司ら若手の現役選手を抑えて優勝[1]。
中村は6アンダーで回り[2]、56歳5ヶ月と4日で[1]、レギュラーの最年長優勝記録を樹立[2]。
この試合の参加人数などは不明だが、日本中の100数十人のプロが参加し、当時は沖縄返還記念の行事として大々的に開催された[1]。プロ3年目の24歳、前年賞金王の尾崎は6オーバーで12位に終わったが、賞金6万7000円を手にした[1]。
中村の優勝は56歳が若手を破ったと大騒ぎになったが、1日ワンハーフ、1日半を2日間で行った中途半端な試合であったため歴史の話題にならなかった[1]。当時はトーナメント規定などなく、どの大会もツアーとして認知され、れっきとした日本プロゴルフ協会の公認競技であった[1]。その証拠に同年の賞金王の尾崎は国内9勝を挙げ、海外の1勝を加え10勝、2年連続の賞金王として認められている[1]。
1973年からはツアー開幕前に「OTV杯沖縄オープンゴルフトーナメント」[3] [4] [5] [6]として行われ、同年は中村通が初日13アンダーで首位に立ち[3]、2日目も17アンダーで首位を守り[4]、最終日には通算20アンダーで初優勝を飾る[5] [6]。
1974年には謝敏男(中華民国)が優勝し、2位には謝永郁(中華民国)が入って台湾勢ワンツーとなった[7]。
1975年には「OTVカップ沖縄クラシック」[8]として行われ、3日目に通算6アンダーで単独首位に立った沼澤[9]が謝永、内田繁を抑えて[10]初優勝で賞金250万円を獲得[8]。
主な優勝者
編集- 沖縄テレビカップ
- 1972年 - 中村寅吉
- 沖縄オープン
- OTVカップ沖縄クラシック
- 1975年 - 沼澤聖一[13]
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i “谷口徹は中村寅さんになれるか 武藤一彦のコラム”. GOLF報知. 報知新聞社 (2018年5月14日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ a b c “驚異のエージシューター田中菊雄の世界90 武藤一彦のコラム”. GOLF報知. 報知新聞社 (2018年7月9日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ a b “1973年2月16日 トップに立った中村 OTV杯ゴルフ第1日”. kyodonews.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ a b “1973年2月17日 中村通と中村寅吉 OTV杯ゴルフ第2日”. kyodonews.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ a b “1973年2月18日 初優勝した中村 OTV杯ゴルフ最終日”. kyodonews.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ a b “中村通(東城陽) 男子プロゴルファー “沖縄オープン・ゴルフ・トーナメント” 最終日 優勝”. photobank.mainichi.co.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ McCormack, Mark (1975). The World of Professional Golf 1975. Collins. pp. 252–253, 427. ISBN 0002119552
- ^ a b “沼沢聖一(シチズン) 男子プロゴルファー “沖縄TVクラシック” 最終日 優勝”. photobank.mainichi.co.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ “沼沢聖一(シチズン) 男子プロゴルファー “沖縄TVクラシック” 第3日”. photobank.mainichi.co.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ McCormack, Mark (1976). The World of Professional Golf 1976. Collins. p. 289. ISBN 000211996X
- ^ “中村 通”. www.smile-pga.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ “謝 敏男”. www.smile-pga.jp. 2024年5月16日閲覧。謝 敏男
- ^ “沼沢 聖一”. www.smile-pga.jp. 2024年5月16日閲覧。