永山 (旭川市)
日本の北海道旭川市の地名
永山(ながやま)は北海道旭川市の地域。本項ではかつて同地域に存在していた上川郡永山村(ながやまむら)・永山町(ながやまちょう)についても述べる。
概要
編集北海道旭川市の地域。1891年(明治24年)上川の開拓の中心地として屯田兵により拓かれる。1888年(明治21年)9月、上川地方の広大にして重要なる地域であり、大兵団(後の大日本帝国陸軍第7師団)を設ける計画の中心地として、明治天皇が開拓の総指揮を執った永山武四郎を取って名付けた[1]。旧永山町は、南は牛朱別川、北は石狩川を境として誕生した[1]が、その後分村や境界の変更があり、現在の新旭川地区と永山地区にあたる地域になった。北東部の地域には現在も「永山町」の地名が残っている。
周辺地域
編集交通
編集鉄道駅
編集バス
編集道路
編集- 国道39号線
- 環状1号線(道道90号線)
- 北海道道331号永山停車場線
- 北海道道37号鷹栖東神楽線
- 北海道道140号愛別当麻旭川線
- 北海道道641号北旭川停車場線
- 北海道道761号北旭川停車場永山線
- 永山1番線 - 沿線のうち約2.7 kmが「せせらぎ公園」として整備されているため「永山せせらぎ通り」とも呼ばれる[3]。
- 永山2番線 - 一部は北海道道140号愛別当麻旭川線
- 永山3番線
- 永山4番線
公共施設
編集- 上川合同庁舎 - 1994年に移転した北海道立上川農業試験場の跡地に建設。
- 永山市民交流センター
- 永山支所
- 永山公民館
- 永山図書館
- 永山児童センター
- いきいきセンター永山
学校
編集産業
編集本社を有する企業
編集観光
編集男山酒造り資料館、永山神社、永山新川、あさひかわラーメン村
祭典
編集永山村・永山町の沿革
編集ながやまちょう 永山町 | |||||
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廃止日 | 1961年4月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 永山町 → 旭川市 | ||||
現在の自治体 | 旭川市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道 上川支庁 | ||||
郡 | 上川郡 | ||||
市町村コード | なし(導入前に廃止) | ||||
面積 | 30.19 km2. | ||||
総人口 |
10,016人 (国勢調査、1960年) | ||||
隣接自治体 | 旭川市、上川郡東旭川町、当麻町、東鷹栖村 | ||||
永山町役場 | |||||
所在地 | 北海道上川郡永山町 | ||||
座標 | 北緯43度48分38.2秒 東経142度26分12.5秒 / 北緯43.810611度 東経142.436806度 | ||||
ウィキプロジェクト |
- 1885年(明治18年)、岩村通俊と永山武四郎が近文山にて国見、上川に屯田兵村を設置することを確認、1888年(明治21年)に桂太郎により上川屯田設置の断が下る。
- 1888年(明治21年)9月、明治天皇が開拓の総指揮を執った永山武四郎を取って、上川地方の広大にして重要なる地域であり、大兵団を設ける計画の中心地の村の名前を永山村と名付ける[1]。
- 1891年(明治24年)、6月から7月にかけて屯田兵が永山村へ入植、7月25日に永山・旭川・神居の三村の戸長役場を月形から分離して永山村に設置[1]。翌1892年(明治25年)には永山神社が設置され、これが上川最初の神社となる。字トオマの字名を設け、1893年(明治26年)に永山村字トオマ(現当麻町)に屯田兵が入植し始める。
- 同年、鷹栖村、神楽村を一時、永山村戸長役場所轄とするが、永山村戸長役場を単独とするため旭川村・神楽村・神居村・鷹栖村の戸長役場を旭川村に置く。1897年(明治30年)に旭川村牛別(現東旭川)を永山村に編入し1898年(明治31年)、東旭川村とする。また、1897年(明治30年)には永山村の一部を鷹栖村の一部と合わせ愛別村(現愛別町)とする。1900年(明治33年)に当麻村を分村。1932年(昭和7年)新旭川地区を旭川市へ部分合併。
- 1954年(昭和29年)町制を施行、永山町へ変更。
- 1961年(昭和36年)旭川市と合併。
歴史年表
編集- 1891年(明治24年) 屯田兵入植、永山・旭川・神居村戸長役場を永山村に設置、永山私立東・西小学校創立。
- 1892年(明治25年) 永山神社1886番地に設置
- 1893年(明治26年) 鷹栖村・神楽村を永山村戸長役場所轄する、永山村字トオマに屯田兵入植、永山競馬場設置、鷹栖村・神楽村を永山村戸長役場所轄する。
- 1894年(明治27年) 永山戸長役場内に上川教育会を置く
- 1897年(明治30年) 旭川村字ウシシュベツを永山村に編入
- 1898年(明治31年) 永山神社無格社創立許可
- 1898年(明治31年) 天塩線旭川・永山間鉄道開通 永山駅営業開始、永山村字ウシシュベツを東旭川村とする
- 1901年(明治34年) 当麻村の戸長役場を当麻に移す
- 1902年(明治35年) 当麻村との境界(17丁目)を16丁目に変更
- 1904年(明治37年) 北海道庁地方農事試験場を永山村に移転
- 1907年(明治40年) 永山村の一部で電話開通
- 1908年(明治41年) 永山第二尋常小学校開校(現正和小学校)
- 1910年(明治43年) 市街電話開通
- 1918年(大正7年) 市街地に電灯点灯
- 1924年(大正13年) 秋月橋梁替工事完成
- 1924年(大正13年) 永山村牛別(現旭川市東8条3丁目)に新旭川郵便局を開局
- 1947年(昭和22年) 新学制実施、国民学校を小学校と改称、東西両分教場を分校と改称、高等科を廃止し永山中学校創設
- 1948年(昭和23年) 永山農業協同組合設立
- 1948年(昭和23年) 新学制により、庁立永山農業学校を道立永山農業高等学校とする
- 1961年(昭和36年) 旭川市と合併