歌川芳玉
江戸時代末期の女流浮世絵師
来歴
編集歌川国芳及び柴田是真の門人、芳玉女とも。本姓は清水、名は玉。通称タマ女。歌川の画姓を称し一掌斎、一耀斎、一輝斎と号す。日本橋新材木町の杉ノ森床屋の娘に生まれる。国芳に学び、嘉永から安政の頃にかけて美人画や双六絵を描く。後に柴田是真の門人となる。色彩に長じ、師の国芳の版下の色差しを手伝い、是真のもとでは主に扇面の版下を描いた。33、4歳のころ画界を退き剃髪し、二年ほど諸国を歩く。帰郷後間もなく没した。享年35。
作品
編集- 『風流粋の一筋』1冊 歌謡本 ※弘化頃
- 『鶯墳梅赤本』 合巻 ※松亭金水作、嘉永5年(1852年)刊行。四編と五編の挿絵を描く。
- 『比翼紋小紫染』第三編 合巻 ※景斎英寿作、安政4年(1854年)刊行。
- 『子宝延命袋』1冊 医学書 ※万亭応賀作、安政6年(1859年)刊行
- 「見立松竹梅の内 志めかざり乃松」 大判錦絵3枚揃のうち 都立図書館所蔵
- 「見立松竹梅の内 たなばたの竹」 大判錦絵3枚揃のうち 都立図書館蔵所蔵
- 「見立松竹梅の内 うゑ木売の梅」 大判錦絵3枚揃のうち ヴィクトリア&アルバート博物館蔵
- 「御狂言長唄双六」 錦絵双六 都立図書館所蔵
- 「当時流行雪傘下駄 宇治信楽諸国名茶両用双六」