橘清蔭
平安時代初期の貴族
橘 清蔭(たちばな の きよかげ)は、平安時代初期の貴族。神祇伯・橘氏人[1]または中納言・橘岑継[2]の子。官位は正五位下・少納言。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位下・少納言 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘氏人または橘岑継 |
兄弟 |
氏人の子の場合 清蔭、休蔭、常蔭、信蔭、茂蔭 岑継の子の場合 氏継、茂生、清蔭 |
子 | 春行、茂行 |
経歴
編集承和9年(842年)正六位上・主殿助のときに承和の変が発生し、清蔭は加賀権掾に貶謫された。承和12年(845年)従五位下に叙爵し、翌承和13年(846年)雅楽頭に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後間もなく従五位上に叙せられ、文徳朝末の天安2年(858年)には正五位下に至る。またこの間、侍従・少納言を歴任した。
官歴
編集※『六国史』による。