橘常蔭
橘 常蔭(たちばな の つねかげ)は、平安時代前期の貴族。系譜は明らかでないが、贈太政大臣・橘奈良麻呂の曾孫で、神祇伯・橘氏人の子と想定される[1]。名は常陰とも記される。官位は従五位上・右兵衛権佐。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 常陰 |
官位 | 従五位上・右兵衛権佐 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘氏人 |
兄弟 | 清蔭、休蔭、常蔭、信蔭、茂蔭 |
経歴
編集嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位直前に讃岐権介に任ぜられる。仁寿元年(851年)に次侍従、仁寿2年(851年)には讃岐介に任ぜられた。仁寿4年(854年)大判事に転じ、のち刑部少輔・縫殿頭・右兵衛権佐と京官を歴任した。この間の斉衡3年(856年)に従五位上に昇叙されている。
官歴
編集脚注
編集参考文献
編集- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。