桑山孝晴
桑山 孝晴(くわやま たかはる)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝6年 (1678年) |
死没 | 元文5年12月27日 (1741年2月12日) |
改名 | 孝晴→義貞 (法名) |
別名 | 万五郎、求馬、主水 |
幕府 | 江戸幕府旗本 書院番、中奥番士、船手組 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 父:桑山直晴、母:藤堂良直の娘 |
兄弟 | 孝晴、元武、元如、横田奉松室 |
妻 | 石河政郷の娘 |
子 |
安晴、仁賀保誠胤、鳥居忠余室(桑山元武養女) 養子:延晴 |
経歴
編集宝永6年(1709年)4月6日、書院番に列し、10月2日に中奥番士となる。正徳4年(1714年)10月23日に父の遺跡を継ぎ、享保19年(1734年)7月1日船手組に入り、同年12月18日に布衣の着用を許される。元文5年(1740年)12月27日、63歳で死去。
系譜
編集参考文献
編集- 『寛政重脩諸家譜』第6輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 95コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082716/1/95 (参照 2024-07-10)