桑山元武
桑山 元武(くわやま もとたけ)は、江戸時代初期から中期にかけての旗本。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 延宝8年(1680年) |
死没 | 宝暦4年11月19日(1755年1月1日) |
改名 | 元武→宗祐(法名) |
別名 | 左門、猪兵衛 |
官位 | 従五位下丹後守 |
幕府 | 江戸幕府旗本 書院番、小納戸、小姓組、禁裏付、持弓頭、留守居、旗奉行 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗、家重 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 |
父:桑山直晴 母:藤堂良直の娘 養父:桑山元稠 養母:松平乗次の娘 |
兄弟 | 孝晴、元武、元如、横田奉松室 |
妻 | 桑山元稠の娘 |
子 |
石尾氏記、仁賀保政春 養子:仁賀保誠依室、元陳、鳥居忠余室、元如、元輝、貞因 |
経歴
編集桑山直晴の次男として生まれ、同族の桑山元稠の婿養子となる。元禄11年(1698年)、5代将軍・徳川綱吉に拝謁する。宝永6年(1709年)書院番に列し、同年12月に小納戸に任命され、正徳4年(1714年)布衣の着用を許される。享保元年(1716年)7代将軍・徳川家継が死去し、旗本寄合席に列する。享保5年(1721年)家督を継ぎ、享保9年(1725年)小姓組組頭となり、翌年西城書院番の組頭になる。享保14年(1730年)禁裏付に転任、翌年従五位下丹波守に叙任する。寛保元年(1741年)持弓頭に転任、延享元年(1744年)西城の留守居に転任、宝暦2年旗奉行に転任し、翌年職を辞する。
はじめ桑山元稠の次男の元陳を養子にしていたが早世、続いて自身の弟の元如を養子に迎えるがこれも早世し、孫の元輝(石尾氏記の三男)を養子に迎えたが早世。結果、元如の遺児である桑山貞因が家督を継いだ。
系譜
編集父母
編集正室
編集- 桑山元稠の娘
子女
編集養子
編集参考文献
編集- 『寛政重脩諸家譜』第6輯 95-97コマ目,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1082716/1/97 (参照 2024-05-10)