朝倉徳次郎
朝倉 徳次郎[1][2](あさくら とくじろう、1841年(天保12年) - 1916年(大正5年)4月22日)は、日本の農民、米屋、精米業、水車業[3]、地主、政治家。
経歴
編集武蔵国出身。金蔵の長男[2]。朝倉家は江戸時代から米を作る傍ら、三田用水の水車を利用して米の賃搗きを行っていたが[2]、明治のはじめに徳次郎は百姓が嫌になり「暁天に野菜を洗って出荷して5銭にしかならぬ」と言って精米業に転じた[2]。
1869年、朝倉米店開業。米の賃搗きで得た現金により農民が安く手放した土地を次々と買い取った[2][注 1]。
質朴勤勉な富民として平和な生活をなし、名望のため渋谷村会議員[4]をつとめた[2]。また徳次郎以来、代々朝倉家が渋谷の氷川神社の大総代をつとめた[2]。
人物
編集家族・親族
編集- 朝倉家
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『大日本紳士鑑』東京府南豊島郡161頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『ヒルサイドテラス物語 朝倉家と代官山のまちづくり』20-37頁。
- ^ a b 『日本紳士録 第6版』東京あ525頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月28日閲覧。
- ^ 『郷土渋谷の百年百話』285頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月6日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第6版』あ83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月7日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第5版』あ75-76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月7日閲覧。