ヒルサイドテラス
ヒルサイドテラスは、渋谷区猿楽町・鉢山町の旧山手通り沿いに集合住宅、店舗、オフィスなどから成る複合施設である。
ヒルサイドテラス | |
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A・B棟 | |
情報 | |
用途 | 集合住宅、店舗、オフィス、ギャラリー |
設計者 | 槇文彦・元倉眞琴 |
事業主体 | 朝倉不動産 |
竣工 | 1969年 - 1998年 |
所在地 | 東京都渋谷区猿楽町29-18 |
座標 | 北緯35度38分50.0秒 東経139度42分05.3秒 / 北緯35.647222度 東経139.701472度座標: 北緯35度38分50.0秒 東経139度42分05.3秒 / 北緯35.647222度 東経139.701472度 |
建築家の槇文彦(アネックスは元倉眞琴)により設計された、彼の代表作の一つである。第1期が竣工した1969年から1998年まで30年の歳月をかけて建てられてきた。D・E棟に隣接する駐日デンマーク大使館(1979年)も槇の設計である。
2000年に第3回日本建築家協会25年賞を受賞している[1]。
2003年に第1期部分が、2017年に第2期以降がDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている[2]。
歴史
編集ヒルサイドテラスのオーナーである朝倉家の祖先は、元は甲州武田家に仕えた武士であったとされるが、後に帰農して渋谷に居住した。江戸末期には三田用水を利用した水車も所有し、朝倉徳次郎は明治になると、この水車を利用した米の賃搗きの収益で渋谷付近の土地を買い集めて大地主となり、精米業を営んだ。徳次郎の養子朝倉虎治郎は渋谷区会議長や東京府会議長を務めた政治家でもあった。
しかし第二次大戦後、朝倉家は所有していた土地の大部分を失い、本宅も相続税支払いの為に売却を余儀なくされた(重要文化財・旧朝倉家住宅)。手元に残った旧山手通り沿いの土地を生かした不動産経営を検討していた朝倉家は、先代の当主である朝倉誠一郎および当代当主の朝倉徳道が慶應義塾大出身だったことから教授の紹介で[4]同じ慶應育ちの槇文彦と1967年に知り合い、「代官山集合住宅計画」を立案させた[5]。
当時、この地域は第1種住居専用地区に指定されており、店舗の開設は認められていなかったが、槇はヒルサイドテラスA・B棟を建設する際に行政と交渉して用途規制緩和を実現し、現在のような住居と店舗が混在する建築を実現させた[6]。
- 第1期(1969年)A・B棟
- 第2期(1973年)C棟
- 第3期(1977年)D・E棟
- 第4期(1985年)アネックスA・B棟
- 第5期(1987年)ヒルサイドプラザ
- 第6期(1992年)F・G・H棟
- 第7期(1998年)ヒルサイドウエスト
主なテナント
編集第1期
編集- BIGI
- レンガ屋(フランス料理)
- オートクチュールカナイ(金井茂平)
- 青田美容室
第2期
編集- トムスサンドウィッチ
- くらふと滝陶(現・陶房テラ)
- クリスマスカンパニー
- フローリストイグサ
- greeniche 代官山(北欧インテリアショップ)
第3期
編集第4期
編集- アートフロントギャラリー(北川フラムらのギャラリー)
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C棟 -
D棟 -
駐日デンマーク大使館 -
アネックスA棟 -
アネックスB棟 -
F・G棟 -
ヒルサイドウエスト
脚注
編集- ^ http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2000/main.htm
- ^ DOCOMOMO. “代官山ヒルサイドテラス第1期, および第2期以降, ヒルサイドウエスト”. docomomo. 2016年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
- ^ 受賞対象名 - 街区開発 [ヒルサイドテラス] - GOOD DESIGN AWARD
- ^ 朝倉家と共に25年のヒルサイドテラス計画槇文彦、ヒルサイドテラス公式サイト
- ^ 前田礼『ヒルサイドテラス物語—朝倉家と代官山のまちづくり』現代企画室2002年、20-52ページ
- ^ 前田前掲書、56ページ
参考文献
編集- GA JAPAN38号
- 現代の建築家 槇文彦4(鹿島出版会)