事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
死刑確定日 |
執行日 |
備考
|
1880年執行
|
1881年執行
|
1882年(51人執行)
|
1883年(61人執行)
|
1884年(52人執行)
|
1885年(130人執行)
|
1886年(131人執行)
|
1887年(97人執行)
|
「ピストル強盗[5]」事件(清水定吉)
|
1882年 - 1886年
|
1887年8月[6]
|
1887年9月7日[7]
|
|
1888年(60人執行)
|
1889年に公布された大日本帝国憲法の元で死刑が執行された者の一覧。確実な資料で確認可能な事件のみ記す。死刑確定日は文献などに記載される日付で、正式か否か判別困難な事件がある。
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
死刑確定日 |
執行日 |
備考
|
1889年(49人執行)
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
死刑確定日 |
執行日 |
備考
|
1890年(39人執行)
|
1891年(66人執行)
|
1892年(51人執行)
|
1893年(41人執行)
|
1894年(52人執行)
|
1895年(75人執行)
|
1896年(72人執行)
|
1897年(21人執行)
|
1898年(48人執行)
|
1899年(39人執行)
|
山陽鉄道列車強盗殺人事件(岩永元吉) |
1898年12月2日 |
1899年5月3日 |
1899年10月30日 |
夜行列車内で発生し,軍人が被害者になった事件。控訴審確定。
|
山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎) |
1898年12月2日 |
1899年5月3日 |
1899年10月30日 |
上記共犯。一審は無期判決だった。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
死刑確定日 |
執行日 |
備考
|
1900年執行(34人執行)
|
ミルラー事件(ミルラー) |
1899年7月17日[8]
|
不明 |
1900年1月[8] |
|
1901年(29人執行)
|
1902年(28人執行)
|
1903年(38人執行)
|
1904年(45人執行)
|
1905年(36人執行)
|
1906年(19人執行)
|
1907年(12人執行)
|
堀江六人斬り(中川万次郎) |
1905年6月 |
不明 |
1907年2月1日[9] |
5人死亡
|
1908年(52人執行)
|
野口男三郎事件(野口男三郎) |
1905年5月14日 |
1907年10月10日 |
1908年7月2日 |
3件の殺人と1件の文書偽造で起訴。うち薬店店主殺害事件と卒業証書偽造で有罪となる。上告審確定。
|
1909年(17人執行)
|
「紬屋殺し[11]」事件(大久保時三郎) |
1905年11月8日 |
1906年11月17日 |
1909年4月23日[12] |
紬屋1人を誘い出して殺害し、紬屋仲間1人を偽の書状で誘い出しこれも殺害する。反物を質に入れ400円を得る。さらに2人に借金をしたが返済がないと嘘を言い、家人をだまし現金を得ようとした。共犯の妻は無期徒刑となった。別件で詐欺も犯している。[13]
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
死刑確定日 |
執行日 |
備考
|
1910年(39人執行)
|
1911年(53人執行)
|
幸徳事件(幸徳秋水、管野スガ、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童の12人) |
1910年 |
1911年1月18日 |
1911年1月24日・25日 |
明治天皇に対する大逆罪(暗殺予備)で24人に死刑判決がくだるが、後に12人が恩赦減刑。大逆罪は大審院(現在の最高裁)による1審制であった。
|
1912年(16人執行)
|
1913年(59人執行)
|
1914年(5人執行)
|
1915年(94人執行)
|
1916年(56人執行)
|
大米龍雲連続殺人事件(大米龍雲) |
1905年-1915年 |
1916年5月22日 |
1916年6月26日 |
「殺尼魔」と呼ばれた連続強盗強姦犯。
|
1917年(53人執行)
|
一家四人死刑事件 (H) |
1914年12月30日 |
1916年7月8日 |
1917年12月8日 |
一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。しかし死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして、処刑の瞬間まで冤罪を訴え続けた[14]。
|
「二十四人の嬰児殺し」事件(S)
|
不明 - 1917年
|
不明
|
1917年12月19日
|
|
「外人牧師夫妻殺し」事件(K)
|
1916年7月15日
|
不明
|
1917年11月末
|
|
1918年(52人執行)
|
鈴ヶ森おはる殺し事件(石井藤吉) |
1915年4月30日 |
1917年3月30日 |
1918年8月17日 |
自分の犯した殺人について、第三者が罪に問われたことに義憤を憶え、自らが真犯人であると名乗り出たが、一審は証拠不十分により無罪判決だった。別件の殺人事件についても死刑判決を受けている。
|
1919年(43人執行)
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1920年(39人執行)
|
1921年(31人執行)
|
鈴弁殺し事件 (Y) |
1919年5月31日 |
1919年12月2日 |
1920年5月28日 |
1921年3月10日 |
1921年4月2日 |
金銭目的の農商務省外米管理部の技師が主犯の犯罪。主犯は死刑になり共犯2人も有罪になった。
|
1922年(32人執行)
|
六反池バラバラ事件 (S) |
1920年12月6日 |
|
|
1922年1月 |
1922年6月 |
|
1923年(32人執行)
|
1924年(13人執行)
|
虎ノ門事件(難波大助) |
1923年12月27日 |
なし |
なし |
1924年11月13日 |
1924年11月15日 |
摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)に対する暗殺未遂(大逆罪)で死刑。
|
1925年(19人執行)
|
1926年(29人執行)
|
鹿児島県天城村連続殺人事件 (H)
|
1925年10月6日
|
不明
|
不明
|
不明
|
1926年6月25日
|
|
関東連続少女殺人事件(吹上佐太郎)
|
1922年 - 1923年
|
|
1926年4月24日
|
1926年7月2日
|
1926年9月28日
|
|
1927年(12人執行)
|
1928年(21人執行)
|
和歌山県湯浅町連続殺人事件 (T)
|
1921年7月 - 1924年8月
|
不明
|
不明
|
不明
|
1928年4月
|
女性死刑囚。
|
1929年(13人執行)
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1930年(15人執行)
|
1931年(19人執行)
|
1932年(22人執行)
|
桜田門事件(李奉昌) |
1932年1月8日 |
なし |
なし |
1932年9月30日 |
1932年10月10日 |
昭和天皇に対する暗殺未遂(大逆罪)で死刑。
|
1933年(28人執行)
|
大岡山殺人事件 (G) |
1925年9月6日 |
1931年4月20日 |
控訴せず |
- |
1933年3月7日 |
下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している[25]。
|
大岡山殺人事件 (T) |
1925年9月6日 |
1931年4月20日 |
1931年9月26日 |
1932年4月5日 |
1933年3月7日 |
上記Gの共犯。
|
1934年(35人執行)
|
十三釣堀屋事件 (F) |
1931年3月1日 |
不明 |
1932年7月5日 |
1933年3月8日 |
1934年6月28日 |
愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。愛人は無期懲役[26]。
|
隅田川コマ切れ殺人事件 (K) |
1934年6月 |
1934年9月19日 |
- |
- |
1934年10月 |
2人殺害[27]。
|
1935年(14人執行)
|
鳴海荘一家惨殺事件 (N) |
1933年1月19日 |
1933年10月 |
1934年11月 |
- |
1935年6月24日 |
Nはラジオにもたびたび出演したこともある尺八奏者だったが、不況下生活に窮し従妹一家4人を殺害、通帳を奪って逃走していた[28]。
|
1936年(11人執行)
|
1937年(23人執行)
|
浅草青酸カリ殺人事件 (U) |
1935年11月21日 |
1936年8月3日 |
- |
- |
1937年10月26日 |
日本国内で最初の青酸カリによる殺人事件。
|
1938年(15人執行)
|
1939年(14人執行)
|
松山城放火事件 (F) |
1932年-1936年 |
1937年11月12日 |
不明 |
行われず |
1939年9月15日 |
放火45件、窃盗8件、列車妨害1件で死刑。
|
岩瀬郡広戸村の実父殺し事件(K) |
1936年3月19日[29][30] |
1936年12月28日[29][30] |
不明 |
1937年6月5日[31] |
1939年9月15日[31] |
父を殺害して遺体を焼却・遺棄してのち、11月18日に自首[29]。尊属殺人・死体損壊・遺棄により死刑[30]。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1940年(20人執行)
|
1941年(22人執行)
|
1942年(11人執行)
|
浜松事件(中村誠策) |
1941年-1942年 |
1944年2月23日 |
なし |
1944年6月19日 |
1944年7月24日 |
被告人は聾唖者であったが弁別能力があったため、刑の減免(刑法旧40条)を受けず死刑となった。
|
1943年(15人執行)
|
1944年(30人執行)
|
ゾルゲ事件(リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実) |
1941年-1942年 |
1943年9月29日 |
不明 |
1944年4月5日 |
1944年11月7日 |
|
1945年(9人執行)
|
1946年(11人執行)
|
1946年に公布された日本国憲法の元で死刑が執行された者の一覧。確実な資料で確認可能な事件のみ記する。死刑確定日は文献などに記載される日付で、正式か否か判別困難な事件がある。
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1947年(12人執行)
|
1948年(33人執行)
|
1949年(33人執行)
|
死刑合憲判決 (M) |
1946年9月16日 |
1947年5月23日無期懲役 |
1947年8月25日死刑 |
1948年3月12日 |
1949年7月27日 |
少年死刑囚。広島県佐伯郡吉和村(現:廿日市市)で当時19歳の少年(無職)が母親と妹を殺害した事件(少年死刑囚)。父親は事件前に死去している。広島矯正管区で死刑が確定したが、1949年は死刑囚収監先の広島刑務所の刑場が改築中で、刑場があった福岡刑務所で死刑を執行される。
|
小平事件(小平義雄) |
1944年-1946年 |
1947年6月18日 |
1948年2月27日 |
1948年11月16日 |
1949年10月5日 |
8人(10人説もあり)の女性を殺害。執行は仙台で行われた。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1950年(31人執行)
|
西宮・神戸連続強盗殺人事件 (M)
|
1947年11月17日 - 1948年6月3日
|
1948年10月9日
|
1949年4月22日
|
上告せず
|
1950年11月17日[38]
|
1951年(24人執行)
|
1952年(18人執行)
|
毒殺強盗団事件(H・K・K)
|
1946年 - 1947年
|
1947年4月28日
|
1947年11月17日
|
1949年3月19日
|
1952年8月11日
|
1953年(24人執行)
|
矢野村強盗殺人事件 (F) |
1947年5月23日 |
1947年11月14日 |
1948年7月20日 |
1951年2月2日[注 1] |
1953年2月20日 |
兄弟で犯した強盗殺人について、死刑判決を受けた弟は、主犯は兄であると主張していた。その兄も、主犯は自分であり弟は殺害行為に関わっていない、と主張したが、弟の再審請求は容れられなかった。
|
1954年(30人執行)
|
西宮・神戸連続強盗殺人事件 (M)
|
1951年5月[46]
|
|
|
|
1954年9月10日[47]
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1955年(32人執行)
|
3人組拳銃強盗殺人事件 (大谷高男)
|
1946年4月23日
|
1947年9月5日
|
1948年11月30日
|
1950年9月5日
|
1955年2月11日
|
|
栃木雑貨商一家殺害事件 (K) |
1953年3月17日 |
1953年11月25日 |
1954年9月29日 |
1955年6月28日 |
1955年11月22日 |
死刑判決の上訴中に脱獄した過去があり、死刑確定後5か月で執行された。
|
1956年(11人執行)
|
1957年(39人執行)
|
文京区小2女児殺害事件 (S) |
1954年4月19日 |
1955年4月15日 |
不明 |
1956年10月25日 |
1957年6月22日 |
ヒロポン中毒者による学校内での犯行。
|
大阪看板屋父子殺人・広島強盗事件 (N)
|
不明
|
不明
|
不明
|
1954年1月23日
|
1957年6月27日
|
1952年11月29日に脱獄するも2日後に神戸で逮捕される。
|
おせんころがし殺人事件(栗田源蔵) |
1948年 - 1952年1月13日 |
1952年8月13日(おせんころがし殺人事件)、1953年12月21日(他事件) |
控訴せず |
- |
1959年10月14日 |
一審で2つの死刑判決が出た初めてのケースである。
|
1958年(7人執行)
|
1959年(30人執行)
|
人違いバラバラ殺人事件 (F)
|
1954年9月5日
|
1956年2月21日
|
1956年8月30日
|
1957年7月19日
|
1959年5月27日
|
1審は無期懲役。
|
執行年月日不明
|
品川トランク詰殺人事件 (N) |
1956年6月27日 |
1957年6月18日 |
1958年1月29日 |
1959年9月18日 |
不明 |
犯行後、愛人と逃避行していたことが話題に。
|
1964年は死刑が執行されていない。
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1960年(39人執行)
|
杉並重役夫人殺害事件 (H)
|
不明
|
不明
|
不明
|
1959年4月16日
|
1960年5月27日
|
小説、及びこれを元に制作されたドラマ「死刑囚からの恋うた」(歌人:山﨑百合子・著、水島聡・脚本) のモデルとされている。
|
梅田事件 (H) |
1950年10月 / 1951年6月 |
1954年7月7日 |
1956年12月15日 |
1957年11月14日 |
1960年6月20日 |
事件に関係のない第三者を共犯に巻き込んだ冤罪事件。
|
銀座母娘殺し事件 (B) |
1956年1月18日 |
1956年11月20日 |
控訴せず |
- |
1960年7月17日[68] |
死刑廃止論者の妻子が殺害されても死刑廃止論の立場を変えなかった事件。
|
鹿児島雑貨商夫婦殺害事件 (Y)
|
1955年6月26日
|
不明
|
不明
|
不明
|
1960年8月31日
|
|
銀座雑貨商殺害事件 (S)
|
不明
|
不明
|
不明
|
不明
|
1960年9月7日[70]
|
|
1961年(6人執行)
|
1962年(26人執行)
|
藤本事件(藤本松夫) |
1952年7月6日 |
1953年8月26日 |
1954年12月13日 |
1957年8月23日 |
1962年9月14日 |
被疑者がハンセン病患者であったこの事件は、さまざまな運動を惹起した。
|
小松川事件(李珍宇) |
1958年8月20日 |
1959年2月27日 |
1959年12月28日 |
1961年8月17日 |
1962年11月26日 |
犯行時18歳6か月。被害者2人。
|
熊本饅頭屋夫妻殺人事件 (M) |
1956年1月12日 |
1959年4月7日 |
1959年7月11日 |
1960年12月16日 |
1962年12月21日 |
上告審口頭弁論公判で被告人側弁護人が「死刑が相当」と主張したことが弁護放棄であると問題に。
|
1963年(12人執行)
|
神戸洋服商殺人事件 (S) |
1951年1月17日 |
1951年12月19日 |
1955年2月19日 |
1955年12月19日 |
1963年7月17日 |
死刑判決確定後、処刑まで獄中訴訟を連発したことで有名。
|
1968年は死刑が執行されていない。
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1965年(4人執行)
|
下関養父母殺害逃亡事件(連続身代わり殺人事件) (0)
|
1955年6月 / 1956年2月 / 1957年1月
|
1959年12月23日
|
1960年6月13日
|
1961年3月30日
|
1965年
|
|
1966年(4人執行)
|
1967年(23人執行)
|
小千谷農家強盗殺傷事件(島秋人)
|
1959年4月5日
|
不明
|
不明
|
1962年6月1日
|
1967年11月2日
|
|
闇屋連続4人殺害事件 (I)
|
1946年7月17日 / 1946年12月28日 / 1947年4月22日
|
1960年1月28日
|
1961年7月19日
|
1962年7月17日
|
1967年11月16日
|
一審は無期懲役。
|
大阪・住吉実母殺害事件 (O)
|
1960年6月8日
|
不明
|
1963年5月6日
|
1964年2月7日
|
1967年11月16日
|
|
1969年(18人執行)
|
熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (T)
|
不明
|
不明
|
不明
|
1963年5月
|
1969年1月18日
|
犯行時19歳8か月。
|
バー・メッカ殺人事件(正田昭) |
1953年7月27日 |
1956年12月15日 |
1960年12月21日 |
1963年1月25日 |
1969年12月9日 |
アプレゲール犯罪の代表格のひとつとされている。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1970年(26人執行)
|
ホテル日本閣殺人事件 (K・O) |
1961年2月19日 |
不明 |
不明 |
1966年7月14日 |
1970年6月11日 |
両者とも東京拘置所で死刑執行。Kは戦後初めて、死刑を執行された女性死刑囚。
|
佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (K)
|
1958年4月
|
不明
|
不明
|
1962年5月8日
|
1970年9月19日
|
|
女性連続毒殺魔事件 (S) |
1960年 |
不明 |
不明 |
1963年3月28日 |
1970年9月19日 |
戦後女性死刑囚執行第2号。
|
雅樹ちゃん誘拐殺人事件 (M) |
1960年5月16日 |
1961年3月31日 |
1966年8月26日 |
1967年5月25日 |
1970年10月29日[注 2] |
誘拐直後にガス中毒死させた事件。戦後初の誘拐殺人事件の死刑判決。東京拘置所で死刑執行。
|
四国連続強盗殺人事件 (M) |
1963年10月 |
不明 |
不明 |
1966年3月31日 |
1970年10月29日 |
短期間に6人を殺害。
|
西口彰事件(西口彰) |
1963年-1964年 |
1964年12月23日 |
1965年8月28日 |
1966年8月15日 |
1970年12月11日 |
5人を殺害。
|
昭島・昭和郷アパート放火事件 (I) |
1957年10月27日 |
1959年7月6日 |
1960年10月26日 |
1961年7月31日 |
1970年(月日不明)[注 3][101][102] |
一審は無期懲役。火災保険目的で放火し8人死亡。裁判では殺意はなかったとして殺人罪は適用されなかったが、現住建造物等放火罪と詐欺罪で死刑が言い渡された。戦後殺人罪が適用されずに死刑が確定した唯一の事案である。
|
1971年(17人執行)
|
吉展ちゃん誘拐殺人事件(小原保) |
1963年3月31日 |
1966年3月17日 |
1966年11月29日 |
1967年10月13日 |
1971年12月23日 |
初めて報道協定が結ばれた事件。
|
1972年(7人執行)
|
少年ライフル魔事件 (K) |
1965年7月29日 |
1968年6月16日 |
1968年 |
1969年10月2日 |
1972年7月21日 |
銃乱射事件。一審は無期懲役。犯行時18歳、犠牲者は警官1人。
|
1973年(3人執行)
|
田無・春日部連続強盗殺人事件 (N)
|
1966年9月4日
|
不明
|
不明
|
不明
|
1973年10月12日
|
|
1974年(4人執行)
|
日光中宮祠事件 (P・T) |
1946年5月4日 |
1957年7月22日 |
1959年1月28日 |
1960年6月10日 |
1974年6月6日 |
在日韓国人による強盗放火殺人事件。当初、捜査機関が一家無理心中と誤認し、解決までに9年を要した。
|
仙台幼児誘拐殺人事件 (天津七三郎) |
1964年12月21日 |
1965年4月5日 |
1966年10月18日 |
1968年7月2日 |
1974年7月5日 |
一審は無期懲役。犯人は元俳優。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1975年(17人執行)
|
福岡事件 (N) |
1947年5月20日 |
1948年2月27日 |
不明 |
1956年5月4日 |
1975年6月17日 |
被害者が中華民国国籍者であることを配慮するあまり捜査機関および司法機関が事実認定を見誤ったとして、「主犯」とされたNは冤罪とする主張があったが処刑された。
|
横須賀線電車爆破事件(純多摩良樹)
|
1968年6月16日
|
1969年3月20日
|
1970年8月11日
|
1971年4月22日
|
1975年12月5日
|
時限爆弾による鉄道テロ。犠牲者1人、処刑20年後に純多摩良樹の筆名で俳句集が出版された。
|
横浜母子強盗殺人事件 (H)
|
1967年3月15日
|
不明
|
不明
|
不明
|
1975年12月7日
|
|
1976年(12人執行)
|
大久保清連続殺人事件(大久保清) |
1971年3月31日 - 5月10日 |
1973年2月22日 |
控訴せず |
- |
1976年1月22日 |
短期間に8人を殺害。
|
福岡農協強盗殺傷事件(K)
|
不明
|
不明
|
不明
|
1973年3月2日
|
1976年9月2日
|
1審は無期懲役。
|
1977年(4人執行)
|
1978年(3人執行)
|
1979年(1人執行)
|
正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K) |
1969年9月10日 |
1972年4月8日 |
1976年7月20日 |
1977年12月20日 |
1979年10月 |
身代金目的の誘拐殺人事件。犯行時19歳(少年死刑囚)。
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1980年(1人執行)
|
1981年(1人執行)
|
東京連続少年誘拐殺人事件 (K)
|
不明
|
不明
|
不明
|
不明
|
1981年
|
|
1982年(1人執行)
|
藤沢市女子高生殺害事件 (S) |
1967年1月13日 |
1969年3月18日[123] |
1971年11月8日 |
1972年7月18日[125] |
1982年11月25日 |
第一審は無期懲役判決だったが[123]、控訴審で逆転して死刑[127]と判決される。神奈川県藤沢市で下校途中の女子高生を暴行して殺害する。死刑執行時に執行を拒絶して暴れ、50分にわたり刑務官たちと格闘した[128]。
|
1983年(1人執行)
|
1984年(1人執行)
|
事件名(仮名または氏名) |
事件発生日 |
一審判決 |
二審判決 |
最高裁判決 |
執行日 |
備考
|
1985年(3人執行)
|
警察庁広域重要指定105号事件(古谷惣吉) |
1965年 |
1971年4月1日[129] |
1974年12月13日[130] |
1978年11月28日[131] |
1985年5月31日[132][133] |
1965年10月30日 - 12月12日の1か月に8人を殺害する。1951年に福岡連続強盗殺人事件で2人を殺害したが、事件の共犯Sが主犯として死刑判決を受けて1953年に処刑された。死刑執行後に逮捕された古谷はSに罪責を擦り付けて懲役10年に処され、出所後に本事件を犯した。死刑確定後の1982年12月に収監先の大阪拘置所で、同房の死刑囚へ殺人未遂を犯したが、刑事訴追されなかった。
|
愛知県武豊町一家3人強盗殺人事件 (O) |
1971年5月1日[135] |
1974年5月20日[135] |
1975年4月21日 |
1978年4月17日[137] |
愛知県知多郡武豊町冨貴で資産家の男性61歳と44歳の内妻、内妻の従姉妹24歳を殺害し、3人の遺体を庭の下水用水槽に投げ込み、上からセメントを流してコンクリート詰めにして、現金187,000円や預金通帳などを奪った[135]。
|
1986年(2人執行)
|
上野消火器商一家殺人事件 (T) |
1974年2月6日 |
1975年12月22日 |
1977年3月17日 |
1979年12月25日 |
1986年5月20日 |
消火器商の男性に父親の得意先を横取りされたと恨んで一家を虐殺したと供述する。
|
上野消火器商一家殺人事件 (K) |
Tの共犯、一家殺害後Tとともに被害者の財産を物色。
|
1987年(2人執行)
|
1988年(2人執行)
|
1989年(1人執行)
|
熊本義兄一家殺害事件(K) |
1970年7月4日 |
1972年10月26日 熊本地裁:死刑 |
1977年7月27日 福岡高裁:控訴棄却 |
1979年7月10日 最高裁第三小法廷:上告棄却 |
1989年11月10日 福岡拘置所 |
1953年、強盗殺人罪で無期懲役判決を受けて服役する。1968年6月に仮釈放されて熊本市内で知り合った女性と結婚する。のちに妻に家出されたことを妻の姉夫婦の策略と思い込み、義姉宅で義姉の夫を刺殺し、義姉とその子供2人に重軽傷を負わせた。
|
1990年から1992年までの3年間は、死刑執行モラトリアムと巷言されるほど死刑は執行されなかった。1993年から1999年までの平均確定後期間は9年0か月である。
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
1993年(7人執行)
|
福島連続保険金殺人事件 (K) |
55 |
1980年4月25日 |
1970年-1971年 |
12年11か月 |
最高裁 |
仙台 |
3月26日 |
後藤田正晴
|
愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T) |
62 |
1981年6月26日 |
1971年-1972年 |
11年9か月 |
最高裁 |
大阪
|
近畿連続強盗殺人事件 (K) |
48 |
1984年9月13日 |
1975年-1977年 |
8年6か月 |
最高裁 |
大阪
|
釧路薬局一家殺害事件 (K) |
61 |
1981年3月19日 |
1974年8月7日 |
12年8か月 |
最高裁 |
札幌 |
11月26日 |
三ヶ月章
|
世田谷女性殺害事件 (S) |
47 |
1982年9月1日 |
1977年12月3日 |
11年2か月 |
東京高裁(上告せず) |
東京
|
大阪電解事件 (D) |
70 |
1984年4月27日 |
1974年7月10日、1974年10月3日 |
9年7か月 |
最高裁 |
大阪
|
大阪電解事件 (S) |
56 |
1984年4月27日 |
1974年7月10日、1974年10月3日 |
9年7か月 |
最高裁 |
大阪
|
1994年(2人執行)
|
伊勢崎3女性殺害事件 (A)[142] |
44 |
1985年4月26日 |
1977年4月16日 |
9年8か月 |
最高裁 |
東京 |
12月1日 |
前田勲男
|
青森旅館連続女性殺人事件 (S)[143] |
65 |
1985年7月1日 |
1984年9月9日 |
9年5か月 |
青森地裁(控訴取下げ) |
仙台
|
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
1995年(6人執行)
|
徳島高齢者連続殺人事件 (F) |
40 |
1983年4月14日 |
1978年11月、12月 |
12年1か月 |
徳島地裁(控訴せず) |
大阪 |
5月26日 |
前田勲男
|
裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S) |
53 |
1987年1月19日 |
1986年5月9日 |
8年4か月 |
東京地裁(控訴取下げ) |
東京
|
東村山署警察官殺害事件 (T) |
70 |
1987年10月23日 |
1976年10月18日 |
7年7か月 |
最高裁 |
東京
|
名古屋女子大生誘拐殺人事件(木村修治) |
45 |
1987年7月9日 |
1980年12月2日 |
8年5か月 |
最高裁 |
名古屋 |
12月21日 |
宮澤弘
|
熊本連続強盗殺人事件(平田直人[144]) |
63 |
1987年12月18日 |
1979年3月-5月 |
8年0か月 |
最高裁 |
福岡
|
赤城山麓連続殺人事件 (S) |
68 |
1988年5月20日 |
1981年、1982年 |
7年7か月 |
最高裁 |
東京
|
1996年(6人執行)
|
北九州市病院長殺害事件 (S) |
49 |
1988年4月15日 |
1979年11月4日 |
8年3か月 |
最高裁 |
福岡 |
7月11日 |
長尾立子
|
北九州市病院長殺害事件 (Y) |
43 |
1988年4月15日 |
1979年11月4日 |
8年3か月 |
最高裁 |
福岡
|
神田ビル放火殺人事件 (I) |
48 |
1988年7月1日 |
1981年7月6日 |
8年0か月 |
最高裁 |
東京
|
元昭和石油重役一家殺害事件 (I) |
55 |
1988年10月24日 |
1983年1月29日 |
8年2か月 |
東京高裁(上告取下げ[145][注 6]) |
東京 |
12月20日 |
松浦功
|
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) |
60 |
1988年10月22日 |
1978年5月-6月 |
8年2か月 |
東京高裁(上告取下げ[注 6] ) |
東京
|
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) |
51 |
1990年2月1日 |
1978年5月-6月 |
6年10か月 |
最高裁 |
東京
|
1997年(4人執行)
|
夕張保険金殺人事件 (H) |
54 |
1987年3月 |
1984年5月5日 |
9年10か月 |
札幌地裁(控訴取下げ[147][注 6]) |
札幌 |
8月1日 |
松浦功
|
夕張保険金殺人事件 (H) |
51 |
1987年3月 |
1984年5月5日 |
8年2か月 |
札幌地裁(控訴取下げ[147][注 6]) |
札幌
|
警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫) |
48 |
1990年4月17日 |
1968年10月-11月 |
7年4か月 |
最高裁 |
東京
|
埼玉父親ら3人殺害事件 (K) |
43 |
1989年11月20日 |
1985年3月8日 |
7年9か月 |
最高裁 |
東京
|
1998年(6人執行)
|
長崎3人殺害事件(村竹正博[149]) |
54 |
1990年4月27日 |
1978年3月21日 |
8年2か月 |
最高裁 |
福岡 |
6月25日 |
下稲葉耕吉
|
福岡県直方市強盗殺人事件 (T) |
66 |
1990年12月14日 |
1980年4月23日 |
7年6か月 |
最高裁 |
福岡
|
パチンコ景品商殺害事件 (S) |
66 |
1991年2月5日 |
1983年1月16日 |
7年4か月 |
最高裁 |
東京
|
泰州くん誘拐殺人事件 (T) |
59 |
1991年6月11日 |
1984年2月13日 |
7年5か月 |
最高裁 |
広島 |
11月19日 |
中村正三郎
|
日建土木事件 (N) |
61 |
1989年3月28日 |
1977年1月7日 |
9年8か月 |
最高裁 |
名古屋
|
半田保険金殺人事件 (I) |
55 |
1987年3月31日 |
1979年11月-1983年12月 |
11年8か月 |
名古屋高裁(上告せず) |
名古屋
|
1999年(5人執行)
|
東京都北区幼女殺害事件 (S) |
62 |
1992年2月18日 |
1979年7月28日 |
7年7か月 |
最高裁 |
東京 |
9月10日 |
陣内孝雄
|
福島女性飲食店経営者殺害事件 (T) |
61 |
1992年6月18日 |
1990年5月2日 |
7年3か月 |
福島地裁(控訴せず) |
仙台
|
熊本母娘殺害事件 (M) |
69 |
1992年9月24日 |
1985年7月24日 |
7年0か月 |
最高裁 |
福岡
|
長崎雨宿り殺人事件 (O) |
62 |
1981年6月16日 |
1977年9月24日 |
18年6か月 |
最高裁 |
福岡 |
12月17日 |
臼井日出男
|
大宮母娘殺害事件(佐川和男[152]) |
48 |
1991年11月29日 |
1981年4月4日 |
8年1か月 |
最高裁 |
東京
|
以下の一覧は2000年から2004年までに死刑が執行された元死刑囚の一覧である。2000年から2004年まで平均確定後期間は6年5か月
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
2000年(3人執行)
|
勝田清孝事件(藤原清孝) |
52 |
1994年1月17日 |
1972年9月-1982年10月 |
6年10か月 |
最高裁 |
名古屋 |
11月30日 |
保岡興治
|
岐阜前妻一家殺害事件 (M) |
57 |
1994年3月18日 |
1989年2月14日 |
6年8か月 |
名古屋高裁(上告取下げ) |
名古屋
|
鳥栖親子3人殺害事件 (O) |
55 |
1995年4月21日 |
1983年5月16日 |
5年7か月 |
最高裁 |
福岡
|
2001年(2人執行)
|
練馬一家5人殺害事件 (A) |
66 |
1996年11月24日 |
1983年6月28日 |
5年1か月 |
最高裁 |
東京 |
12月27日 |
森山眞弓
|
半田保険金殺人事件 (H) |
51 |
1993年9月21日 |
1979年11月-1983年12月 |
8年3か月 |
最高裁 |
名古屋
|
2002年(2人執行)
|
熊本大学生誘拐殺人事件(春田竜也[153]) |
36 |
1998年4月23日 |
1987年9月 |
4年5か月 |
最高裁 |
福岡 |
9月18日 |
森山眞弓
|
岐阜県坂祝町一家3人殺害事件 (H) |
51 |
1998年6月3日 |
1994年6月 |
4年3か月 |
岐阜地裁(控訴取下げ) |
名古屋
|
2003年(1人執行)
|
姫路母子3人殺害事件など (M) |
42 |
1996年12月17日 |
1985年11月29日・12月3日 |
6年9か月 |
最高裁 |
大阪 |
9月12日 |
森山眞弓
|
2004年(2人執行)
|
附属池田小事件(宅間守) |
40 |
2003年9月26日 |
2001年6月8日 |
11か月 |
大阪地裁(控訴取下げ) |
大阪 |
9月14日 |
野沢太三
|
熊本・菊池市保険金殺人事件 (S) |
59 |
1999年3月9日 |
1988年3月 |
5年6か月 |
最高裁 |
福岡
|
以下の一覧は2005年から2009年までに死刑が執行された元死刑囚の一覧である。2005年から2009年まで平均確定後期間は5年9か月
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
2005年(1人執行)
|
千葉・高知連続強盜殺人事件 (K) |
58 |
2000年2月4日 |
1983年8月・1989年2月 |
5年7か月 |
最高裁 |
大阪[154] |
9月16日[154] |
南野知惠子
|
2006年(4人執行)
|
秋山兄弟事件(秋山芳光[155]) |
77 |
1987年7月17日 |
1975年8月25日 |
19年5か月 |
最高裁 |
東京 |
12月25日 |
長勢甚遠
|
今市4人殺傷事件(藤波芳夫[156]) |
75 |
1993年9月9日 |
1981年3月29日 |
13年3か月 |
最高裁 |
東京
|
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) |
44 |
2000年2月9日 |
1996年4月-9月 |
6年10か月 |
広島地裁(控訴せず) |
広島
|
高知3連続殺人事件 (F) |
64 |
1999年6月25日 |
1978年・1980年・1981年 |
7年6か月 |
最高裁 |
大阪
|
2007年(9人執行)
|
赤穂同僚妻子殺害事件 (N) |
56 |
1992年9月29日 |
1983年1月19日 |
14年7か月 |
最高裁 |
大阪 |
4月27日 |
長勢甚遠
|
福岡・赤池町保険金殺人事件 (O) |
59 |
2000年3月30日 |
1990年12月25日-26日 |
7年1か月 |
福岡地裁(控訴取下げ) |
福岡
|
4都県連続4人殺害事件 (T) |
42 |
2000年9月8日 |
1984年・1988年・1989年・1991年 |
6年7か月 |
最高裁 |
東京
|
今市連続殺人事件 (T) |
69 |
2000年12月11日 |
1990年9月、1993年7月 |
6年8か月 |
東京高裁(上告せず) |
東京 |
8月23日
|
富山社長夫婦射殺事件 (S) |
60 |
2001年1月30日 |
1991年5月7日 |
6年7か月 |
最高裁 |
名古屋
|
東京連続強盗殺人事件 (I) |
63 |
2001年2月5日 |
1996年6月10日、1999年7月8日 |
6年6か月 |
東京地裁(控訴取下げ) |
東京
|
徳島隣人3人射殺事件 (I) |
74 |
1996年3月4日 |
1985年6月3日 |
11年9か月 |
最高裁 |
大阪 |
12月7日 |
鳩山邦夫
|
江戸川老母子強盗殺人事件 (F) |
42 |
2003年1月5日 |
1999年4月19日 |
4年11か月 |
東京高裁(上告取下げ) |
東京
|
警察庁広域重要指定112号事件 (F) |
47 |
2004年6月15日 |
1981年10月-1982年6月 |
3年6か月 |
最高裁 |
東京
|
2008年(15人執行)
|
徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M) |
63 |
1997年4月28日 |
1988年4月-6月 |
10年10か月 |
最高裁 |
大阪 |
2月1日 |
鳩山邦夫
|
徳之島兄家族殺傷事件 (N) |
37 |
2004年8月26日 |
2002年8月16日 |
3年6か月 |
鹿児島地裁(控訴取下げ) |
福岡
|
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) |
65 |
2004年10月13日 |
1997年4月18日 |
3年4か月 |
最高裁 |
東京
|
大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N) |
64 |
1997年1月28日 |
1982年5月20日 |
11年3か月 |
最高裁 |
大阪 |
4月10日
|
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) |
61 |
2004年9月9日 |
1989年10月-12月 |
3年7か月 |
最高裁 |
大阪
|
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) |
41 |
2004年10月29日 |
2002年7月19日 |
3年6か月 |
東京高裁(上告せず) |
東京
|
杉並区資産家老女ら2人殺害事件 (A) |
61 |
2005年3月3日 |
1989年10月 |
3年1か月 |
最高裁 |
東京
|
警察庁広域重要指定事件117号(宮崎勤) |
45 |
2006年1月17日 |
1988年8月-1989年7月 |
2年5か月 |
最高裁 |
東京 |
6月17日
|
東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) |
37 |
2005年10月17日 |
1995年12月 |
2年8か月 |
最高裁 |
東京
|
仙台・香川連続保険金殺人事件 (Y) |
73 |
2005年1月25日 |
1985年11月・1990年3月 |
3年4か月 |
最高裁 |
大阪
|
神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) |
68 |
2006年4月4日 |
2004年7月 |
2年5か月 |
神戸地裁(控訴取下げ) |
大阪 |
9月11日 |
保岡興治
|
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) |
68 |
2001年12月6日 |
1988年1月15日 |
6年9か月 |
最高裁 |
大阪
|
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) |
61 |
2006年9月1日 |
1994年12月19日 |
2年0か月 |
最高裁 |
東京
|
飯塚事件(久間三千年[157]) |
70 |
2006年9月8日 |
1992年2月21日 |
2年1か月 |
最高裁 |
福岡 |
10月28日 |
森英介
|
いわき市母娘強盗殺人事件 (T) |
55 |
2006年12月20日 |
2004年3月18日 |
1年10か月 |
仙台高裁(上告取下げ) |
仙台
|
2009年(7人執行)
|
ドラム缶女性焼殺事件 (K) |
44 |
2006年6月9日 |
2000年4月4日 |
2年7か月 |
最高裁 |
名古屋 |
1月29日 |
森英介
|
ドラム缶女性焼殺事件 (S) |
39 |
2006年6月9日 |
2000年4月4日 |
2年7か月 |
最高裁 |
名古屋
|
長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) |
32 |
2007年1月11日 |
2004年1月-9月 |
2年0か月 |
長野地裁(控訴取下げ) |
東京
|
北九州母娘殺傷事件 (M) |
58 |
1993年11月16日 |
1990年3月 |
15年2か月 |
福岡地裁小倉支部(控訴取下げ) |
福岡
|
大阪姉妹殺害事件 (Y) |
25 |
2007年5月31日 |
2005年11月17日 |
2年1か月 |
大阪地裁(控訴取下げ) |
大阪 |
7月28日
|
自殺サイト殺人事件 (M) |
40 |
2007年7月5日 |
2005年2月-6月 |
2年0か月 |
大阪地裁(控訴取下げ) |
大阪
|
川崎中国人6人殺傷事件 (C) |
41 |
2006年6月27日 |
1999年5月25日 |
3年1か月 |
最高裁 |
東京
|
以下の一覧は2010年から2014年に死刑が執行された元死刑囚の一覧である。2011年に死刑は執行されていない。2010年 - 2014年までの死刑確定 - 死刑執行までの平均期間は7年5か月。
※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。
以下の一覧は2015年から2019年までに死刑が執行された元死刑囚の一覧である。
2015年から2019年まで平均確定後期間は8年5か月。
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
2015年(3人執行)
|
闇サイト殺人事件 (K) |
44[169] |
2009年4月13日[170] |
2007年8月24日[171] |
6年2か月 |
名古屋地裁(控訴取下げ)[169] |
名古屋[169] |
6月25日[169] |
上川陽子[169]
|
※川崎アパート3人殺害事件 (T)[注 7] |
63[172] |
2011年7月4日[173] |
2009年5月30日[172] |
4年5か月 |
横浜地裁(控訴取下げ)[172] |
東京[172] |
12月18日[172] |
岩城光英[172]
|
岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W) |
39[172] |
2012年1月16日[174] |
2006年7月19日[172] |
3年11か月 |
最高裁[174] |
仙台[172]
|
2016年(3人執行)
|
警察庁広域重要指定122号事件 (K) |
75[175] |
2005年7月8日[176] |
1985年5月-1994年3月[177] |
10年8か月 |
最高裁[175] |
大阪[175] |
3月25日[178] |
岩城光英[178]
|
久留米看護師連続保険金殺人事件 (Y) |
56[175] |
2010年3月18日[179] |
1998年1月24日[180]・1999年3月27日[181][182] |
6年0か月 |
最高裁[175] |
福岡[175]
|
※熊本連続強盜殺人事件 (T) |
45 |
2012年9月10日 |
2004年3月-2011年2月 |
4年2か月 |
福岡高裁(上告取下げ) |
福岡 |
11月11日 |
金田勝年
|
2017年(4人執行)
|
警察庁広域重要指定119号事件 (N) |
61 |
2005年6月7日 |
1991年12月-1992年1月 |
12年1か月 |
最高裁 |
大阪 |
7月13日 |
金田勝年
|
※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(S) |
34 |
2013年3月28日 |
2011年9月30日 |
4年4か月 |
岡山地裁(控訴取下げ) |
広島
|
群馬県安中市親子3人殺害事件(松井喜代司[183]) |
69 |
1999年9月13日 |
1994年2月13日 |
18年3か月 |
最高裁 |
東京 |
12月19日 |
上川陽子
|
市川一家4人殺害事件 (S) |
44 |
2001年12月3日 |
1992年3月5日 |
16年0か月 |
最高裁 |
東京
|
2018年(15人執行)
|
オウム真理教事件(麻原彰晃こと松本智津夫) |
63 |
2006年9月15日 |
1989年2月-1995年3月 |
11年9か月 |
東京高裁(控訴棄却) |
東京 |
7月6日 |
上川陽子
|
オウム真理教事件(井上嘉浩)
|
48
|
2009年12月10日
|
1994年1月-1995年3月
|
8年5か月
|
最高裁
|
大阪
|
オウム真理教事件(早川紀代秀)
|
68
|
2009年7月17日
|
1989年2月3日・1989年11月4日
|
8年11か月
|
最高裁
|
福岡
|
オウム真理教事件(中川智正)
|
55
|
2011年11月18日
|
1989年11月-1995年3月
|
6年7か月
|
最高裁
|
広島
|
オウム真理教事件(新実智光)
|
54
|
2010年1月19日
|
1989年2月-1995年3月
|
8年5か月
|
最高裁
|
大阪
|
オウム真理教事件(遠藤誠一)
|
58
|
2011年11月21日
|
1994年6月27日・1995年3月20日
|
6年6か月
|
最高裁
|
東京
|
オウム真理教事件(土谷正実)
|
53
|
2011年2月15日
|
1994年12月12日・1995年3月20日
|
7年4か月
|
最高裁
|
東京
|
オウム真理教事件(小池泰男)
|
60
|
2008年2月15日
|
1994年6月27日・1995年3月20日
|
10年5か月
|
最高裁
|
仙台
|
7月26日
|
オウム真理教事件(宮前一明)
|
57
|
2005年4月7日
|
1989年2月10日・1989年11月4日
|
13年3か月
|
最高裁
|
名古屋
|
オウム真理教事件(横山真人)
|
54
|
2007年7月20日
|
1995年3月20日
|
11年0か月
|
最高裁
|
名古屋
|
オウム真理教事件(豊田亨)
|
50
|
2009年11月6日
|
1995年3月20日
|
8年8か月
|
最高裁
|
東京
|
オウム真理教事件(広瀬健一)
|
54
|
2009年11月6日
|
1995年3月20日
|
8年8か月
|
最高裁
|
東京
|
オウム真理教事件(端本悟)
|
51
|
2007年10月26日
|
1989年11月4日・1994年6月27日
|
10年9か月
|
最高裁
|
東京
|
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三[注 8]) |
60 |
2004年9月13日 |
1988年1月29日 |
14年3か月 |
最高裁 |
大阪 |
12月27日 |
山下貴司
|
コスモ・リサーチ事件 (S) |
67 |
2004年9月13日 |
1988年1月29日 |
14年3か月 |
最高裁 |
大阪
|
2019年(3人執行)
|
大和連続主婦強盗殺人事件 (S)
|
64
|
2007年11月6日
|
2001年8月28日、9月19日
|
11年8か月
|
最高裁
|
東京
|
8月2日
|
山下貴司
|
福岡3女性連続強盗殺人事件 (S)
|
50
|
2011年3月8日
|
2004年12月12日、12月31日・2005年1月18日
|
8年4か月
|
最高裁
|
福岡
|
福岡一家4人殺害事件 (W)
|
40
|
2011年10月20日
|
2003年6月20日
|
8年2か月
|
最高裁
|
福岡
|
12月26日
|
森まさこ
|
2020年、2023年に死刑の執行はなかった。
事件名[注 4](仮名もしくは本名[注 5]) |
年齢 |
判決年月日 |
事件発生日 |
確定後期間 |
確定裁判所 |
拘置所 |
執行日 |
法務大臣
|
2021年(3人執行)
|
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) |
54 |
2005年11月30日 |
2003年2月23日・4月1日 |
16年1か月 |
さいたま地裁(控訴取下げ) |
東京 |
12月21日 |
古川禎久
|
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) |
44 |
2009年6月9日 |
2003年2月23日・4月1日 |
12年6か月 |
最高裁 |
東京
|
加古川7人殺害事件 (F) |
65 |
2015年5月25日 |
2004年8月2日 |
6年7か月 |
最高裁 |
大阪
|
2022年(1人執行)
|
秋葉原通り魔事件(加藤智大) |
39 |
2015年2月17日 |
2008年6月8日 |
7年5か月 |
最高裁 |
東京 |
7月26日 |
古川禎久
|
- ^ 1949年5月に一度最高裁で二審の死刑判決が破棄差戻しを受けたが、差戻し審で再度の死刑判決を受け、1951年2月の上告棄却により確定。
- ^ 高橋は1970年(昭和45年)11月13日に開催された中部矯正医学会における講演の中で、「雅樹ちゃん殺しの歯科医Mは、先月(1970年10月)29日に東京拘置所で死刑を執行された。今日はMが死亡してからちょうど15日になる。Mは処刑の前夜に自分宛ての別れの手紙を書いていたが、その文面を見る限りは、かつてMが拘禁反応を起こしていたとは思えない」と述べている。
- ^ 『昭和45年版 犯罪白書』に「昭和40年から44年までの5年間に死刑を執行された人員は,49人であるが,これを罪名別にみると,強盗殺人が40人,殺人が9人となっており……」とあるが、『昭和46年版 犯罪白書』に「最近5年間における死刑執行人員は,71人となっている。この71人の罪名をみると,強盗殺人が54人,殺人が16人,放火が1人となっており,(中略),放火の1人は,保険金詐取の目的による放火によって,焼死8名,重軽傷6名の被害を発生させたものである。」とあり、昭和45年に放火罪による死刑確定者が執行されたことが読み取れる。
- ^ a b c d e f g 事件名は便宜上のものにしている場合がある。
- ^ a b c d e f g 実名で活動を行ったか、事件の影響が多大なものになった案件のみ実名を記載した。
- ^ a b c d 1988年10月取り下げ。昭和天皇崩御の際に死刑囚の恩赦があることを期待しての行為であったとされるが、死刑囚の恩赦は実施されず。夕張保険金殺人事件で刑死した夫のHは恩赦がないことに感づき、特別抗告の訴えを起こしたが棄却されている[146]。
- ^ 裁判員裁判で死刑が確定し、執行された初めての死刑囚である[172]。
- ^ 実名で執筆活動を行っているため記載。