手塚仁雄
手塚 仁雄(てづか よしお、1966年9月14日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(5期)。内閣総理大臣補佐官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、東京都議会議員(1期)等を務めた。
手塚 仁雄 てづか よしお | |
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2022年5月7日、三軒茶屋駅前の街頭演説にて | |
生年月日 | 1966年9月14日(58歳) |
出生地 | 日本 東京都目黒区 |
出身校 | 早稲田大学第一文学部 |
所属政党 |
(日本新党→) (無所属→) (旧民主党→) (民主党→) (民進党→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党(野田グループ) |
公式サイト | 衆議院議員 手塚よしお:立憲民主党 東京5区 目黒 世田谷 |
選挙区 |
(東京5区→) (比例東京ブロック→) 東京5区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
2000年6月25日 - 2005年8月8日 2009年8月30日 - 2012年11月16日 2017年10月22日 - 現職 |
選挙区 | 目黒区選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年 - 1996年 |
父は音楽評論家のいソノてルヲ[1](本名:磯野晃雄、1930年7月28日 - 1999年4月21日)。手塚姓は、後に養子縁組を行った母方の祖父によるもの。
来歴
編集生い立ち
編集東京都目黒区出身[1]。目黒区立宮前小学校、世田谷区立八幡中学校、早稲田大学本庄高等学院、早稲田大学第一文学部卒業[1]。
早大では雄弁会に加わり、同会の副幹事長を務めた。早大在学中、中国の南京大学に短期留学し[1]、帰国後は政策集団「自由社会フォーラム」で政策立案の研究に従事した[1]。
政治家として
編集1993年、細川護煕が結党した日本新党に入党し、党目黒支部長に就任。同年の東京都議会議員選挙に日本新党公認で目黒区選挙区から出馬し、当時最年少で初当選を果たした[1]。日本新党は1994年に解党したが、新進党には参加せず、1996年の旧民主党の結党に参加した。
1996年、都議を1期目の任期途中で辞職。同年の第41回衆議院議員総選挙に東京5区から旧民主党公認で出馬したが、自由民主党の小杉隆に敗れ、落選。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、民主党公認で東京5区から出馬し、前回敗れた自民党の小杉を約4千票差で破り、東京5区で初当選を果たした[1]。2002年の民主党代表選挙では、野田佳彦の擁立に尽力するが、野田は鳩山由紀夫に敗れる。同年12月、鳩山代表の辞任を受けて行われた代表選では岡田克也を支持したが、岡田は菅直人に敗れた。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京5区で再び小杉を破り、再選(小杉も比例復活)。2004年、民主党東京都連幹事長に就任。第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区で後に民進党代表となる蓮舫を擁立し、当選に導いた。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、東京5区で自民党前職の小杉に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでの復活もならず落選した。2007年の第21回参議院議員通常選挙では、落選中ながら比例区から立候補した横峯良郎の世話役を務めた[2]。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、引退した小杉に代わり岐阜1区から国替えしてきた自民党の佐藤ゆかりを破り、4年ぶりに国政に復帰した[1][3]。
2011年の民主党代表選挙では野田佳彦を支持し、野田の推薦人にも名を連ね[4]、野田が民主党代表に選出された[5]。その後、9月の野田内閣の発足に伴い内閣総理大臣補佐官(政治主導による政策運営及び国会対策担当)に就任した[1]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に東京5区から民主党公認で出馬。自民党元職の若宮健嗣に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでの復活もならず落選した[1][6]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙にも民主党公認で東京5区から出馬したが、再び自民党前職の若宮に敗れ、落選[7]。
2016年3月27日、民進党が結党される。同党に参加。
2017年9月28日、民進党は希望の党への合流を決定[8]。9月29日、希望の党の小池百合子代表は定例記者会見で、憲法改正や安保法制などで政策が一致しない公認希望者について「排除いたします」と明言した[9][10][11]。
同年9月30日未明、共同通信が「枝野幸男が無所属で出馬する方向で検討に入った。考え方の近い前議員らとの新党結成も視野に入れている」と報道[12]。同日中に民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回る。手塚の名もその中に挙がった[13][注 1]。10月1日、世田谷区内で街頭に立ち、無所属での立候補を表明[15]。10月2日夕方、枝野は一人で会見を開き、新党「立憲民主党」の立ち上げを宣言[16]。手塚は安保法制への反対を貫き、同日、新党へ参加する意思を表明した[17][18]。10月3日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京5区に、自民党を離党した神奈川8区の福田峰之を擁立したことが明らかとなった[19]。10月4日、日本共産党東京都委員会は立憲民主党や社民党と共闘するため、東京1、5、6、7、18、21区について新人候補の擁立を取りやめると発表した[20]。10月6日、立憲民主党の東京5区候補の公認を受けた[21]。
同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙では、自民党前職で現職の防衛副大臣であった若宮に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、5年ぶりに国政に復帰した[22]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では東京5区で、直近に発足した岸田内閣で万博担当大臣などとして初入閣した若宮を破り再選(若宮は比例復活)[23]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では小川淳也の推薦人に名を連ねた[24]。
政策・主張
編集憲法改正
編集- 第9条の改正に反対[25]。
- 2012年には憲法改正に反対[26]。2014年には憲法改正に「どちらかといえば反対」としており[27]、2017年には、日本国憲法全体の改正への賛否を「無回答」とした[25]。
- 憲法への緊急事態条項の創設に反対[25]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分の見直しについても「議論する必要はない」としている[25]。
経済問題
編集受動喫煙問題
編集- 2003年には、健康増進法を努力規定ではなく義務規定として受動喫煙防止を徹底することに反対している。その理由として「たばこという嗜好を一律に規制するのは問題である」と回答している[28]。
- 2017年には、受動喫煙防止を目的に飲食店等の建物内を原則禁煙とする健康増進法改正に賛成している[29]。
その他
編集人物
編集- 2006年、堀江メール問題を追及する永田寿康を陰で支え、永田が精神的に不安定な状態にあった際は手塚の親族が経営する病院に入院させた[30][31]。永田の議員辞職後も、手塚は折に触れて永田を気遣っていた[32]。
- 競馬好き[33]。
- 阪神タイガースの大ファンである。
- 喫煙者である[28]。
- 早大在学中の1987年、神奈川県議会議員選挙で松沢成文をボランティア支援し、これが縁で後に松沢は手塚の結婚式で媒酌人を務めている[34]。
- 2009年11月26日、永田町の衆議院第1議員会館で開催された、在日本大韓民国青年会や在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める11・26緊急院内集会」に末松義規、小川敏夫、渡辺浩一郎、初鹿明博、白眞勲(民主党)、近藤正道(社会民主党)、鰐淵洋子、魚住裕一郎(公明党)、笠井亮(日本共産党)と共に参加し、在日外国人の地方参政権法案を早期に成立させる決意表明をした[35]。
- 2007年から2010年にかけて、手塚が代表を務める民主党東京都第5区総支部が、覚醒剤取締法違反により2005年に東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた人物から、計750万円の政治献金を受けていた。手塚事務所は報道に対し、「以前、本人が事務所に来て縁ができた。道義的観点から返金を検討中」と説明した[36]。
- 週刊新潮の報道によれば、野田内閣で首相補佐官を務めていた期間を含む、2011年6月から約240日間にわたり、インターネットオークションのYahoo!オークションに数多くの商品を出品していた。その出品に用いる写真を議員会館内の自室で撮影していたほか、自身の政策担当秘書に発送作業をさせ、国会内の郵便局から発送する等、公私混同ぶりが指摘されたが、手塚は「国会の郵便局から出して何が悪いんですか」「国会議員の特権を使っているわけでもないし、趣味の延長だし、こんなことでの取材自体、ちょっと度を越していると思います」と反論した[37]。
- 平成30年7月の西日本豪雨による災害発生中の7月5日、東京・赤坂の議員宿舎で安倍晋三総理大臣、上川陽子法務大臣、小野寺五典防衛大臣、西村康稔官房副長官、岸田文雄政調会長ら自民党議員約50名が集まり、「議員(特に新人議員)に党幹部や大臣との懇談の機会」[38]として「赤坂自民亭」と銘打った会合を参加者が報告したことで批判を受けたが[39]、同日夜の憲政記念館でも立憲民主党の枝野幸男代表や蓮舫副代表、長妻昭代表代行、辻元清美国会対策委員長、菅直人元首相、無所属の野田佳彦元首相ら列席による「手塚よしお政治活動25周年感謝の集い」と称するパーティーが開催されていた[40]。
- 2022年2月5日、新型コロナウイルス陽性が判明。2月7日、衆議院は手塚が感染したことを発表した[41]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j プロフィール│衆議院議員 手塚よしお:立憲民主党 東京5区 目黒 世田谷
- ^ “「民主の顔」さくらパパ全国行脚へ”. スポーツ報知. (2007年6月12日) 2007年6月12日閲覧。
- ^ “東京 小選挙区:総選挙2009:YOMIURI ONLINE”. 読売新聞 2018年9月10日閲覧。
- ^ 2011年8月29日投開票 民主党代表選挙 推薦人一覧
- ^ “民主党代表に野田財務相:識者はこうみる”. ロイター通信. (2011年8月29日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “2012衆院選 東京5区”. 毎日新聞 2018年9月10日閲覧。
- ^ “2014衆院選 東京”. 毎日新聞 2018年9月10日閲覧。
- ^ “民進 事実上の新党合流を了承 両院総会で”. NHK. (2017年9月28日). オリジナルの2017年9月28日時点におけるアーカイブ。 2022年2月2日閲覧。
- ^ “「リベラル派は排除する」 希望・小池代表が明言 維新の会・松井代表とも会談へ”. SankeiBiz. (2017年9月29日) 2022年2月8日閲覧。
- ^ “東京都・小池百合子知事が午後2時より定例会見(2017年9月29日)”. THE PAGE (2017年9月29日). 2022年2月16日閲覧。
- ^ 吉川慧 (2017年9月30日). “小池知事に「排除」を宣告された、民進党リベラル派の憂鬱”. ハフポスト 2022年2月4日閲覧。
- ^ “小池氏、憲法・安保で選別 枝野氏は無所属、新党視野”. 共同通信 (神奈川新聞). (2017年9月30日). オリジナルの2017年10月3日時点におけるアーカイブ。 2022年2月21日閲覧。
- ^ a b “衆院選2017:民進分裂、新党模索も 希望が「排除リスト」”. 毎日新聞. (2017年10月1日) 2022年2月23日閲覧。
- ^ “「希望の党」公認拒否 民進“排除名簿”に載る15人の名前 (2ページ目)”. 日刊ゲンダイ. (2017年9月30日) 2022年2月4日閲覧。
- ^ “【衆院選】希望1次公認原案に民進議員反発、混乱…追い込まれて「無所属出馬」続々”. 産経新聞. (2017年10月2日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ 清水俊介、山口哲人 (2017年10月3日). “枝野氏、リベラル受け皿に 希望と連携焦点”. 中日新聞 2022年2月4日閲覧。
- ^ “立憲民主党参加 海江田氏が表明”. 中日新聞. (2017年10月3日) 2022年2月7日閲覧。
- ^ “激戦区ルポ 5区・7区:東京(衆院選2017)”. 東京新聞. (2017年10月16日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “【衆院選】希望の党・第1次公認リスト(192人)(2/4ページ)”. 産経新聞. (2017年10月3日) 2022年2月2日閲覧。
- ^ “共産、東京6選挙区 候補者を取り下げ 立憲民主などと共闘へ”. 東京新聞. (2017年10月5日) 2022年2月21日閲覧。
- ^ “立憲民主党、第1次公認候補に62人 民進前職は14人”. 朝日新聞. (2017年10月6日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “涙、歓喜 激戦の首都、未明の決着”. 東京新聞. (2017年10月23日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “若宮健嗣(小選挙区・東京都)【衆議院選挙2021】 : 【衆院選2021】衆議院議員総選挙 10月31日投開票 : 選挙・世論調査(選挙) : 読売新聞オンライン”. 読売新聞 2021年11月4日閲覧。
- ^ “立憲代表選、4陣営の推薦人は計90人 国会議員の7割固まる”. 朝日新聞. (2021年11月19日) 2021年11月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “第48回衆院選 立憲 東京5区 手塚 仁雄”. 毎日新聞 2018年9月10日閲覧。
- ^ “2012衆院選:東京小選挙区 候補者アンケート(上) 1~8区 :衆院東京”. www.tokyo-np.co.jp. 2020年2月1日閲覧。
- ^ Company, The Asahi Shimbun. “朝日・東大谷口研究室共同調査 - 2014衆院選:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年2月1日閲覧。
- ^ a b “衆議院議員選挙031109の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2003年11月10日). 2020年11月10日閲覧。
- ^ “衆議院選挙2017/10/22タバコ対策の公開アンケート”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2017年10月24日). 2021年10月30日閲覧。
- ^ 「野田国対委員長は、やむなく西澤氏との接触を永田議員に任せ、永田議員が一番信頼している手塚仁雄前衆議院議員に、永田議員をサポートするよう要請した。」旨、他の記述
- ^ 日刊スポーツ2006/2/25付
- ^ 週刊新潮2009年1月15日号P.31
- ^ 代議士の決断(競馬ラボ)
- ^ 月別アーカイブ:2014年3月│衆議院議員 手塚よしお:立憲民主党 東京5区 目黒 世田谷
- ^ フォーラム平和・人権・環境「永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める緊急院内集会」
- ^ “政治資金:手塚首相補佐官、有罪元社長から献金受ける”. 毎日新聞. (2011年11月24日) 2011年11月24日閲覧。
- ^ “野田首相も小沢一郎も「困った身内」後始末おおわらわ”. J-CASTニュース. (2012年1月26日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “赤坂 自民亭 | 自由民主党 衆議院議員 かみかわ陽子オフィシャルサイト”. 自由民主党 衆議院議員 かみかわ陽子オフィシャルサイト | (2013年6月13日). 2024年6月1日閲覧。
- ^ “大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか なぜ野党は歯切れが悪いのか”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2018年7月14日). 2024年6月1日閲覧。
- ^ “立憲民主に“ブーメラン”直撃! 猛批判の自民懇談会と同じ日にパーティー挙行、多数のビール瓶が…”. 夕刊フジ. (2018年7月12日) 2018年9月10日閲覧。
- ^ “立民・手塚氏がコロナ感染”. 時事ドットコムニュース. (2022年2月7日) 2022年2月9日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
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