川勝広業
川勝 広業(かわかつ ひろなり)は、江戸時代中期から後期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の10代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政3年(1791年) |
死没 | 嘉永2年6月20日(1849年8月8日) |
別名 | 新蔵、中務、刑部、舎人(通称) |
墓所 | 静岡市の瑞光寺 |
官位 | 布衣(六位) |
幕府 | 江戸時代 旗本 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝広致、母:川勝広品の娘 |
兄弟 | 広業、某(金之丞) |
妻 | 正室:高木次賢の娘 |
子 | 左京、広時、広道、(川勝広運) |
生涯
編集寛政3年(1791年)、川勝広致の嫡男として江戸に生まれた。寛政8年(1796年)7月3日、父広致の死去により6歳で家督(丹波内2,570石余)を継いだ。
文政12年(1829年)1月11日、書院番から使番に進み、後に布衣を着る事を許された。天保6年(1835年)7月2日、命を受け駿府目付代を務めた。嘉永2年(1849年)3月9日より駿府定番となった。
嘉永2年(1849年)6月20日、59歳で没した。家督は嫡男の川勝左京が継いだ。左京は江戸開城の際に若年寄を務めていた12代当主川勝広運の養父であり、文久3年(1863年)1月27日、使番となった。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典(第2巻)』東洋書林、1998年
- 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年
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