小野尊安
小野 尊安(おの の たかやす[注 1])は、江戸時代後期の公卿、明治時代初期にかけての日御碕神社の神職。天葺根命から数えて94代目。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代前期 |
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生誕 | 文化10年9月19日(1813年10月12日) |
死没 | 明治13年(1880年)12月7日)[1] |
官位 | 従三位非参議 |
主君 | 孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 小野氏 |
父母 | 父:小野尊道 |
兄弟 | 尊信、尊安、伊予姫(北島全孝前室) |
妻 | 千家豊子、千家比佐 |
子 | 北島安子、尊光、令一郎、鉾丸 |
生涯
編集文化10年(1813年)、小野尊道の次男として誕生。天保2年(1831年)6月、兄・尊信が病気により職を辞し、同年9月13日(1831年10月18日)に家督を継承、日御碕検校となる。元治元年(1864年)、52歳で従三位に叙され、公卿に列せられた。
明治3年(1870年)、病気により拝賀できず、息子の宗丸を代わりに上京させ、新年の拝賀をさせた。同4年7月28日、爵位を返上。同5年3月12日(1872年4月19日)、依願辞職し隠居した。
官歴
編集系譜
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 公卿類別譜「検校〔小野尊安〕」参照。
参考サイト
編集- 公卿類別譜「公卿に列せられた禅師・検校・他」(2020年8月8日閲覧。)