妙勝寺 (江戸川区上篠崎町)

東京都江戸川区上篠崎にある寺院

妙勝寺(みょうしょうじ)は、東京都江戸川区上篠崎にある日蓮宗の寺院[2]。山号は石暦山[2]。大本山の法華経寺池上本門寺の貫首を輩出した歴史を持ち[2]門前には江戸川区登録有形文化財の沢地東淵[注釈 1]の碑がある。旧本山は大本山法華経寺、池上中道不二庵法類の柳嶋法縁に属する。

妙勝寺
所在地 東京都江戸川区上篠崎1-23-14
位置 北緯35度42分56.8秒 東経139度54分04.5秒 / 北緯35.715778度 東経139.901250度 / 35.715778; 139.901250座標: 北緯35度42分56.8秒 東経139度54分04.5秒 / 北緯35.715778度 東経139.901250度 / 35.715778; 139.901250
山号 石暦山[1]
宗旨 日蓮宗
寺格 紫金襴寺跡
本尊 三寶祖師[1]
創建年 弘安2年(1279年
開山 本覚坊日寂
正式名 石歴山妙勝寺
文化財 澤地東淵墓誌銘
公式サイト 日蓮宗 石歴山 妙勝寺
法人番号 5011705000196 ウィキデータを編集
妙勝寺 (江戸川区上篠崎町)の位置(東京都区部内)
妙勝寺 (江戸川区上篠崎町)
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本堂

歴史

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開創は弘安2年(1279年)、開山はもと天台宗の僧で浅草観音金龍山浅草寺の住職であった寂海法印本覚坊日寂上人(弘安9年(1286年)11月1日示寂)。弘安元年(1278年)に中山法華経寺の日常上人・日祐上人との法論、日蓮聖人と面談して、日蓮宗に改宗。浅草寺を退隠して浅草石濱村に妙勝寺を創建した。

第2世日正上人の代、元享2年(1322年)篠崎の地に移った。

享保年間、第17世日応が本堂を建立したが、安政2年(1855年)の安政地震で焼失[2]大正4年(1915年江戸川の改修により対岸の現在地に移転した[2]

文化財

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  • 澤地東淵墓誌銘 - 江戸川区登録有形文化財・歴史資料、昭和62年2月25日告示[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 天保9年(1838年)上篠崎村の医師金子金哉に、嘉永2年(1849年)海保章之助に学び、文久元年(1861年)上篠崎村で塾を開業した人物[3]。東淵は号で本名は周輔または周助。天保2年(1831年)-明治39年(1906年[3]

出典

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参考資料

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関連項目

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