天徳寺 (中津川市)
天徳寺(てんとくじ)は、岐阜県中津川市神坂(湯舟沢)にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は龍福山。本尊は釈迦如来。木曾西国三十三観音霊場三十三番。
天徳寺 | |
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所在地 | 岐阜県中津川市神坂2038 |
位置 | 北緯35度30分56秒 東経137度34分19秒 / 北緯35.51556度 東経137.57194度座標: 北緯35度30分56秒 東経137度34分19秒 / 北緯35.51556度 東経137.57194度 |
山号 | 龍福山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 慶長5年(1600年) |
開山 | 澤堂智仁 |
中興年 | 承応2年(1653年) |
中興 | 雲庵 |
札所等 | 木曾西国三十三観音霊場三十三番 |
法人番号 | 3200005009047 |
歴史
編集天徳寺過去帳によれば、慶長5年(1600年)開基。信濃国筑摩郡[1]木曽福島の長福寺より澤堂智仁禅師を請じて開山とある。[2]
澤堂智仁は木曽義仲の奥方の菩提寺である長福寺の七世で、生涯に10か寺の末寺を開創した名僧として知られている。
承応2年(1653年)10月、木曽山口村の光西寺の閑栖であった雲庵和尚によって天徳寺が建立されたので、雲庵を中興の祖と仰ぎ伝承されている。
寺の過去帳並びに島崎家文書[3]には次のように記されている。
「寺内御除地四反三畝拾歩 右天徳寺 承応二年建立仕候」
その後宝永4年(1707年)に再建され、正徳3年(1713年)千旦林村 大林寺より本尊を申請入仏供養が行われている。
その時の模様は、
「手金野の松源寺 萬龍和尚 肝煎に 而入佛供養有之候 寺方招請 松源寺の両和尚 駒場の福昌寺 落合の善昌寺と医王寺 山口の光西寺 馬籠の永昌寺 妻籠の光徳寺 三留野の等覚寺 此外旦中不残三百人程 右之通り寺扣に拝見候 時の住持祖笭に候」
と記され、その盛大さを窺い知ることができる。
天保14年(1843年)に焼失。弘化4年(1847年)寺社奉行に再建を申し出、
嘉永2年(1849年)、十三世高桟祖元の手によって現在地に再建された。
よって高桟祖元を再中興開山と言い伝えている。
観音堂
編集関連寺院
編集脚注
編集参考文献
編集- 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第二節 寺院 ニ 近世の寺院 天徳寺 p1614~p1615 1988年