南部町 (下関市)
日本の山口県下関市の地名
南部町(なべちょう)は、山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0006。当地域の人口は908人(平成27年国勢調査による)。
南部町 | |
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秋田商会ビル(予備校左)と下関南部町郵便局(その左)。 | |
北緯33度57分21秒 東経130度56分25秒 / 北緯33.95583度 東経130.94028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 山口県 |
市町村 | 下関市 |
面積 | |
• 合計 | 0.171516 km2 |
人口 (2015年)[2] | |
• 合計 | 908人 |
• 密度 | 5,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
750-0006 |
市外局番 | 083 |
ナンバープレート | 下関 |
地理
編集歴史
編集地名の由来
編集14世紀半ばに築かれた南部城に由来する[3]。
沿革
編集- 611年(推古天皇19年)琳聖太子が福生寺として霊場を開く[4]。現在の専念寺である。
- 10世紀後半(正暦年間)菅原神社の社殿が創建される[4]。
- 13世紀半ば 福生寺が時宗に転宗。現在と同名の専念寺となる[4]。
- 1576年(天正4年)守直政が酉谷寺を創建[4]。
- 1858年(安政5年)大国神社の社殿を創建。のち2回焼失するも度々再建[4]。
- 1890年(明治23年)長府にあった浄瑠璃山本尊薬師如来国分寺を移転[4]。
- 1945年(昭和20年)専念寺の堂宇が戦災で焼失[4]。
- 1947年(昭和22年)国分寺の堂宇が戦災で焼失[4]。
- 1954年(昭和29年)西南部町、東南部町、唐戸町の一部から南部町を新設[5]。
- 1955年(昭和30年)下関市役所が貴船町から新築移転[5]。
- 1956年(昭和31年)昭和29年に編入されていなかった西南部町・東南部町を全域統合[5]。
- 1966年(昭和41年)南部町の一部が名池町となる。同時に関後地村、唐戸町から一部を編入[5]。
- 1975年(昭和50年)下関東郵便局が山の田東町に移転。その後旧舎は下関南部町郵便局となる[5]。
- 1986年(昭和61年)下関商工会議所が田中町から移転し南部町に商工会館を建設[5]。
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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南部町 | 全域 | 下関市立名池小学校 | 下関市立名陵中学校 |
施設
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ “人口統計ラボ 山口県下関市南部町”. 2019年10月3日閲覧。
- ^ 国勢調査/平成27年国勢調査/小地域集計 - PDF
- ^ 下関市教育委員会『下関の地名(増補改訂版)』2001年、32頁頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 下関市市史編集委員会『下関市史・終戦―現在』下関市、1989年、649, 688, 690, 694-695頁頁。
- ^ a b c d e f g h i 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹、1988年、629頁。
- ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2019年10月3日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月12日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 山口県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月12日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典』あ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月23日閲覧。
参考文献
編集- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。