加藤明治
日本の江戸時代前期~中期の武士。近江水口藩初代藩主加藤明友三男で、水口藩世嗣。従五位下周防守
加藤 明治(かとう あきはる)は、江戸時代中期の近江国水口藩の世嗣。官位は従五位下・周防守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 正徳元年12月2日(1712年1月9日) |
官位 | 従五位下周防守 |
藩 | 近江水口藩世嗣 |
氏族 | 加藤氏(嘉明系) |
父母 |
加藤明友 加藤明英 |
兄弟 | 明英、溝口政親、明治 |
妻 | 松平信通養女 |
子 |
嘉矩、明喬 水野忠昭正室 |
略歴
編集初代藩主・加藤明友の三男として誕生。
水口藩庶子として生まれ、貞享元年(1684年)徳川綱吉に拝謁して新封1000俵を賜る。元禄元年(1688年)には中奥小姓となり、元禄6年(1693年)叙任。元禄10年(1697年)には新知1000石を給されたが、元禄15年(1702年)に子のなかった兄で2代藩主・加藤明英の養子となった。しかし、家督相続前の正徳元年(1711年)に死去。
代わって、長男・嘉矩が嫡子となった。