溝口政親
溝口 政親(みぞぐち まさちか)は、江戸時代前期の大名。越後国沢海藩4代(最後)の藩主。通称は帯刀。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 承応2年(1653年) |
死没 | 元禄6年7月19日(1693年8月20日) |
墓所 | 滋賀県甲賀市水口町水口森の蓮華寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 越後沢海藩主 |
氏族 | 加藤氏→溝口氏 |
父母 | 父:加藤明友、養父:溝口政良 |
略歴
編集水口藩初代藩主・加藤明友の次男として誕生した。沢海藩3代藩主・溝口政良の養子となる。
天和3年(1683年)、政良の死去により跡を継ぐ。しかし酒乱であったため、家臣が実兄の水口藩2代藩主・加藤明英や幕府に訴え、貞享4年(1687年)に改易された。政親は明英の預かりとなり、500俵扶持を与えられた。墓所は滋賀県甲賀市水口町水口森の蓮華寺。