内藤 頼寛(ないとう よりひろ)は、江戸時代中期の信濃国高遠藩の世嗣。官位従五位下丹後守

 
内藤頼寛
時代 江戸時代中期
生誕 元文3年(1738年
死没 宝暦10年12月4日1761年1月9日
官位 従五位下丹後守
信濃岩村田藩信濃高遠藩世嗣
氏族 内藤氏(岩村田藩主家)内藤氏(高遠藩主家)
父母 内藤正敬板倉重高
内藤頼由
兄弟 正弼頼寛
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略歴

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信濃国岩村田藩主・内藤正敬の次男として誕生。母は板倉重高の娘。

宝暦9年(1759年)、内藤頼由の養嗣子となって叙任されたが、翌年早世した。代わって、尾張藩主・徳川宗勝の十二男・頼多が養子として迎えられ、世嗣となった。