佐多忠充
佐多 忠充(さた ただみつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての島津家家臣、薩摩藩士。佐多氏12代当主。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正16年(1588年) |
死没 | 寛永9年11月12日(1632年12月23日) |
改名 | 長寿丸(幼名)→忠泰(初名)→忠充 |
別名 | 通称:又太郎 |
戒名 | 月山高松庵主 |
墓所 | 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地 |
官位 | 伯耆守(受領名) |
主君 | 島津忠恒 |
藩 | 薩摩藩知覧私領主 |
氏族 | 佐多氏 |
父母 | 父:佐多久慶、母:島津家久次女 |
妻 | 正室:鎌田政冨娘 |
子 | 忠治 |
生涯
編集慶長4年(1599年)の庄内の乱には、幼少のため叔父・久英が陣代となって出兵した。翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際にも、一族の久朝が陣代となった。
慶長15年(1610年)、佐多氏の旧領知覧の領主となり、一族の久信を地頭代として知覧に派遣する。
寛永9年(1632年)11月12日没、享年45。
参考文献
編集- 『知覧郷土史』