伊勢市駅
伊勢市駅(いせしえき)は、三重県伊勢市吹上一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がM73。
伊勢市駅* | |
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JR駅舎(南口)2018年1月 | |
いせし Iseshi | |
三重県伊勢市吹上一丁目1-4(JR東海) 北緯34度29分28秒 東経136度42分34.2秒 / 北緯34.49111度 東経136.709500度座標: 北緯34度29分28秒 東経136度42分34.2秒 / 北緯34.49111度 東経136.709500度 三重県伊勢市吹上一丁目1-57(近鉄) 北緯34度29分31.7秒 東経136度42分36.7秒 / 北緯34.492139度 東経136.710194度 | |
所属事業者 |
東海旅客鉄道(JR東海) 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | イセ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 4面5線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東海)-2019年- 1,260人/日(降車客含まず) (近鉄)-2019年- 4,174人/日(降車客含まず) |
開業年月日 |
1897年(明治30年)11月11日[2](JR) 1930年(昭和5年)9月21日[3][1](近鉄) |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■参宮線(JR東海) |
キロ程 | 15.0 km(多気起点) |
◄山田上口 (1.8 km) (2.9 km) 五十鈴ケ丘► | |
所属路線 | M 山田線(近鉄) |
駅番号 | M73 |
キロ程 | 27.7 km(伊勢中川起点) |
◄M72 宮町 (1.4 km) (0.6 km) 宇治山田 M74► | |
備考 |
共同使用駅 JR東海:駅長配置駅(管理駅) JR東海:JR全線きっぷうりば 有[4] |
概要
編集近鉄の宇治山田駅とともに、伊勢志摩の中心都市である伊勢市(旧宇治山田市)の代表駅。古くから伊勢参りの玄関口として利用されてきた(伊勢神宮へは近鉄の宇治山田駅や五十鈴川駅が最寄り)[6]。近鉄鳥羽線開通前は近鉄から二見・鳥羽への乗継駅としての役割の大きい駅であった。1905年から1961年には、駅前から伊勢神宮の外宮・内宮や二見浦へ向かう路面電車の三重交通神都線が発着していた。
1990年代までは、ジャスコ伊勢店・三交百貨店といったデパートや伊勢高柳商店街・伊勢銀座新道商店街などの商店街に近隣の市町村から訪れる人が多く、年末の買い出し・正月の初詣は特に混雑する駅でもあった。その後、郊外の大型店が充実して、ジャスコ伊勢店・三交百貨店といった大型店は閉鎖したため、現在は、通勤・通学客の他は、駅の南側に位置する伊勢神宮外宮への参拝客や、JR線と近鉄線の乗り換えで利用する客が多い駅となっている[6]が、駅前の人通りは閑散としている。
また、伊勢市内・郊外への三重交通バス路線の拠点となっており、宇治山田駅よりも乗り入れバス路線が多い。池袋駅(東京)・大宮駅(さいたま)・YCAT(横浜駅)への夜行高速バスも乗り入れている。2015年からは、WILLER EXPRESSの乗り入れも始まった(新宿駅・川崎駅行き)。三重交通バス路線の廃止などにより、伊勢市コミュニティバス(おかげバス)のバス路線も運行されている。
先述したように、ジャスコ・三交百貨店などの閉店で駅前を含めた中心市街地の空洞化が激しいため、自治体では空洞化対策が検討されてきた。ジャスコ跡地については、2010年12月に四日市市の不動産会社が再開発計画を発表[7]、2013年(平成25年)8月11日に宿泊・温浴・商業の複合施設「伊勢外宮参道 伊勢神泉」が開業した[8]。三交百貨店跡地は2013年9月現在、三重交通グループの運営するコインパーキングになっていたが、三交インが建設され2016年11月に開業した[9][10]。
乗り入れ路線
編集JR東海の参宮線と、近鉄の山田線の2路線が乗り入れ、接続駅となっている[1]。JR東海・近鉄ともに全ての列車が停車する。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびその提携ICカードの使用が可能である。また、2013年3月23日よりIC乗車カード全国相互利用開始によって、JR東海のTOICAも利用できるが、JR東海のエリア内から入場した場合はエリア外のため利用できない。
歴史
編集紀勢本線・参宮線の前身となる参宮鉄道により、山田駅として開業[6]。これは駅が当時の宇治山田町の山田地区に設けられたことから命名された[11]。宇治山田町の市制施行後もそのままであったが、宇治山田市が伊勢市に改称された4年後、駅名も新市名に合わせて伊勢市駅と改称された[11]。
戦前 - 戦後しばらくは、国鉄駅には東京駅・大阪駅などから直通する列車が発着する[6]など、「神都」の玄関口としての役目を担っていた。
しかし国鉄の乗客は、次第に並行して走る近鉄の方へ流れるようになり[11]、広い構内を持つ国鉄(→JR)の駅は閑散としていて、その一方で狭い近鉄の駅に客が集まるという状態になった(ただし、近鉄には宇治山田駅もある)。昨今では若干JRの乗客も持ち直したが、大きく変わったとは言い難い状況である。
年表
編集- 1897年(明治30年)11月11日:参宮鉄道(現在の参宮線)宮川 - 山田間延伸により、山田駅(やまだえき)として開業[2][11]。
- 1907年(明治40年)10月1日:参宮鉄道が国有化[2][11]。
- 1909年(明治42年)
- 1911年(明治44年)7月21日:参宮線が鳥羽駅まで延伸[2][11]、途中駅となる[11]。
- 1930年(昭和5年)9月21日:参宮急行電鉄(現在の近鉄山田線)が外宮前駅(現在の宮町駅)から延伸し当駅に乗り入れ[3][11]。国有鉄道と参宮急行電鉄の共同使用駅となる。
- 1931年(昭和6年)3月17日:参宮急行電鉄本線が宇治山田駅まで延伸[3]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し関西急行鉄道発足[3]、国有鉄道と関西急行鉄道の駅となる。この時の線路名称改定により、関西急行鉄道の駅としては山田線所属となる[12]。
- 1944年(昭和19年)
- 1944年(昭和19年)頃:北口(近鉄側出入口)を設置[13]。
- 1945年(昭和20年)7月29日:宇治山田空襲で焼失[14]。
- 1950年(昭和25年)4月15日:国鉄側駅舎の改築工事が完了、落成式を挙行[11][15]。
- 1953年(昭和28年)頃:近鉄側駅舎(木造平屋)が完成[13]。
- 1959年(昭和34年)
- 1972年(昭和47年)4月1日:国鉄駅構内に近鉄専用の乗車券売場を設置[19]。
- 1974年(昭和49年)10月1日:国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物、車扱貨物」へ改正される[20]。
- 1982年(昭和57年)10月1日:国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物」へ改正される[21]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:国鉄駅の営業範囲が「旅客」へ改正される[22]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、国鉄の駅は東海旅客鉄道が継承[2]。
- 1993年(平成5年)6月20日:JRの駅を改築[23]。
- 2007年(平成19年)4月1日:近鉄山田線においてPiTaPa使用開始[24]。
- 2011年(平成23年)3月1日:駅構内のバリアフリー工事が完了[25][11]。同年中にJR駅舎の塗り直しを実施[11]。
- 2013年(平成25年)
駅構造
編集双方とも地上駅である。JR線は単式ホーム1面1線(1番線)と島式ホーム1面2線(2・3番線)、合計2面3線を使用し、近鉄線は相対式ホーム2面2線(4・5番線)を使用する。各ホームは跨線橋で連絡している。近鉄線とJR線との間にはJRの夜間帯泊用の線路(旧伊勢車両区)があり、距離は長い。JRと近鉄の間に連絡改札はない[1]。なお、JR参宮線は1番線が上り本線、2番線が下り本線となっており、3番線は上下列車が発着する副本線である。夜間滞泊が設定されている。
JR東海の駅は駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、田丸駅 - 鳥羽駅間の各駅を管理している。なお、近鉄の駅長は宇治山田駅に置かれ、当駅はその被管理駅となっている[26]。
のりば
編集JR線のりば | ||||
---|---|---|---|---|
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
1 | ■JR参宮線 | 上り | 松阪・名古屋方面[27] | |
2 | 下り | 鳥羽方面[27] | ||
3 | 下り | 当駅始発を中心とした一部列車 | ||
上り | 松阪・名古屋方面[27] | |||
近鉄線のりば | ||||
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
4 | M 近鉄山田線 | 上り | 名古屋・京都・大阪方面 | |
5 | 下り | 鳥羽・賢島方面 |
(出典:JR東海:駅構内図)
停車列車
編集- 近鉄線
- 近鉄は甲特急および観光特急「しまかぜ」を含む全定期旅客列車が停車する[28]。2013年3月17日ダイヤ変更以前は大晦日終夜運転などの臨時列車を除いて甲特急は当駅を通過していたが、しまかぜの運転開始に伴って同変更以降は甲特急も全列車が停車するようになった。2013年10月5日からは観光列車「つどい」も当駅から賢島駅まで運転されている。ただし当駅では折り返しができないため到着した「つどい」は明星駅まで一旦回送される。
- 伊勢中川方面からの快速急行・急行は当駅から鳥羽駅まで各駅に停車する[28]。
- 日中は大阪方面行きの乙特急と名古屋方面への乙特急が毎時2本ずつ、急行 (大阪線直通と名古屋線直通が毎時1本ずつ) と普通列車 (ワンマン運転) が毎時2本停車している[28]。
- JR線
- 全ての列車が停車する。
- 朝と夕方を中心に当駅を始発・終着とする普通列車と快速「みえ」が設定されており、車両の増結・解放も行われている。
駅設備
編集駅舎はJR線の1番線の南側と近鉄線5番線ホームの北側の2か所ある。両事業者が構内を分割して管理する共同使用駅となっており、南側はJR東海が[4]、北側は近鉄が管理している[1]。
- 南側の駅舎にはJR仕様の自動改札機が設置されている。近鉄の回数券カードおよびPiTaPa・ICOCA対応等の各種交通系ICカードに対応している。ただし、参宮線はICカード(TOICA・manacaなど)非対応の為、JR券売機でのICカードへのチャージは不可。(近鉄の券売機でチャージ可能)
- 北側の駅舎には近鉄仕様のPiTaPa・ICOCA対応自動改札機・自動精算機(回数券カードに対応)が設置されている。自動精算機ではICカードへのチャージが可能。
- 近鉄の切符は双方の駅舎で購入窓口があるが、北側にはJRの切符専門の購入窓口がない(但し、近鉄の切符購入窓口で一部の駅までのJR乗車券が購入可能)。
- 近鉄の特急券は双方の駅舎の有人窓口と南側駅舎に設置された専用の自動販売機で購入可能であるが、近鉄の定期券は南側の出札窓口や専用の自動販売機でのみ購入可能となっている[29]。
- 近鉄4番線ホームには近鉄リテーリングが運営する有人売店(ファミリーマート)がある[29]。
- トイレはJR側と近鉄側の2ヶ所にある[29]。近鉄側は永らく汲取便所であったが、2011年に入って5番線ホームに多目的トイレが設置され、同年12月には5番線ホームのトイレが完全水洗化された。なお、4番線ホームにあったトイレは撤去された。
- 2010年にJRホームに2基、近鉄ホームに2基、計4基のエレベータ設置工事が行われた。同年12月上旬に近鉄ホームが、2011年3月1日にJRホームがそれぞれ完成した。総工費は2億1000万円で、国と三重県が、それぞれ費用の1/3を助成した[30]。
- JR線から近鉄線への乗り換え階段には、近鉄線への移動を阻止するために「名古屋へは快速みえが便利です」との文言が掲示されている。
利用状況
編集「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[31]。近鉄はJRからの乗り継ぎ人員を含んでいる。
年度 | 国鉄・JR東海 | 近畿日本 鉄道 |
---|---|---|
1969年 | 5,616[32] | 1,945[33] |
1997年 | 1,251 | 4,306 |
1998年 | 1,173 | 4,179 |
1999年 | 1,193 | 4,339 |
2000年 | 1,149 | 4,381 |
2001年 | 1,050 | 4,149 |
2002年 | 990 | 3,993 |
2003年 | 935 | 3,766 |
2004年 | 884 | 3,669 |
2005年 | 902 | 3,728 |
2006年 | 950 | 3,661 |
2007年 | 990 | 3,640 |
2008年 | 1,020 | 3,640 |
2009年 | 982 | 3,552 |
2010年 | 993 | 3,594 |
2011年 | 1,024 | 3,674 |
2012年 | 1,098 | 3,915 |
2013年 | 1,379 | 4,758 |
2014年 | 1,158 | 4,082 |
2015年 | 1,133 | 4,182 |
2016年 | 1,208 | 4,214 |
2017年 | 1,201 | 4,284 |
2018年 | 1,230 | 4,307 |
2019年 | 1,260 | 4,174 |
2020年 | 865 | 2,652 |
2021年 | 861 | 2,994 |
2022年 | 1,100 | 3,738 |
近鉄
編集伊勢市駅の利用状況の変遷を下表に示す[34]。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である[35]。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する[36]。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(近鉄伊勢市駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果:人/日 | 特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 68,070 | ←←←← | 435,574 | 503,644 | |||
1951年(昭和26年) | 89,070 | ←←←← | 483,165 | 572,235 | |||
1952年(昭和27年) | 124,080 | ←←←← | 494,976 | 619,056 | |||
1953年(昭和28年) | 138,840 | ←←←← | 546,466 | 685,306 | |||
1954年(昭和29年) | 147,060 | ←←←← | 534,332 | 681,392 | |||
1955年(昭和30年) | 166,590 | ←←←← | 555,535 | 722,125 | |||
1956年(昭和31年) | 206,820 | ←←←← | 601,126 | 807,946 | |||
1957年(昭和32年) | 230,160 | ←←←← | 618,868 | 849,028 | |||
1958年(昭和33年) | 239,220 | ←←←← | 647,586 | 886,806 | |||
1959年(昭和34年) | 302,370 | ←←←← | 551,809 | 854,179 | |||
1960年(昭和35年) | 417,540 | ←←←← | 560,924 | 978,464 | |||
1961年(昭和36年) | 460,620 | ←←←← | 556,300 | 1,016,920 | |||
1962年(昭和37年) | 457,170 | ←←←← | 555,434 | 1,012,604 | |||
1963年(昭和38年) | 500,010 | ←←←← | 508,983 | 1,008,993 | |||
1964年(昭和39年) | 497,970 | ←←←← | 502,235 | 1,000,205 | |||
1965年(昭和40年) | 514,890 | ←←←← | 496,142 | 1,011,032 | |||
1966年(昭和41年) | 538,380 | ←←←← | 485,968 | 1,024,348 | |||
1967年(昭和42年) | 595,200 | ←←←← | 517,696 | 1,112,896 | |||
1968年(昭和43年) | 617,010 | ←←←← | 648,821 | 1,265,831 | |||
1969年(昭和44年) | 674,310 | ←←←← | 695,765 | 1,370,075 | |||
1970年(昭和45年) | 706,170 | ←←←← | 754,889 | 1,461,059 | |||
1971年(昭和46年) | 808,140 | ←←←← | 634,908 | 1,443,048 | |||
1972年(昭和47年) | 898,890 | ←←←← | 698,350 | 1,597,240 | |||
1973年(昭和48年) | 1,012,530 | ←←←← | 857,912 | 1,870,442 | |||
1974年(昭和49年) | 1,097,550 | ←←←← | 926,359 | 2,023,909 | |||
1975年(昭和50年) | 1,060,110 | ←←←← | 931,676 | 1,991,786 | |||
1976年(昭和51年) | 1,022,490 | ←←←← | 915,237 | 1,937,727 | |||
1977年(昭和52年) | 989,880 | ←←←← | 940,043 | 1,929,923 | |||
1978年(昭和53年) | 998,970 | ←←←← | 975,345 | 1,974,315 | |||
1979年(昭和54年) | 1,024,980 | ←←←← | 1,123,803 | 2,148,783 | |||
1980年(昭和55年) | 1,025,430 | ←←←← | 1,104,846 | 2,130,276 | |||
1981年(昭和56年) | 1,010,160 | ←←←← | 1,079,747 | 2,089,907 | |||
1982年(昭和57年) | 958,590 | ←←←← | 1,046,874 | 2,005,464 | 11月16日 | 11,980 | |
1983年(昭和58年) | 975,990 | ←←←← | 1,022,510 | 1,998,500 | 11月8日 | 13,018 | |
1984年(昭和59年) | 956,580 | ←←←← | 979,118 | 1,935,698 | 11月6日 | 12,721 | |
1985年(昭和60年) | 963,810 | ←←←← | 976,824 | 1,940,634 | 11月12日 | 11,500 | |
1986年(昭和61年) | 956,580 | ←←←← | 976,161 | 1,932,741 | 11月11日 | 11,357 | |
1987年(昭和62年) | 1,000,020 | ←←←← | 931,575 | 1,931,595 | 11月10日 | 11,096 | |
1988年(昭和63年) | 1,034,670 | ←←←← | 919,867 | 1,954,537 | 11月8日 | 11,187 | |
1989年(平成元年) | 1,056,990 | ←←←← | 918,094 | 1,975,084 | 11月14日 | 10,608 | |
1990年(平成2年) | 1,083,300 | ←←←← | 939,403 | 2,022,703 | 11月6日 | 10,907 | |
1991年(平成3年) | 1,077,720 | ←←←← | 933,510 | 2,011,230 | |||
1992年(平成4年) | 999,690 | ←←←← | 921,013 | 1,920,703 | 11月10日 | 10,954 | |
1993年(平成5年) | 943,620 | ←←←← | 948,427 | 1,892,047 | |||
1994年(平成6年) | 925,590 | ←←←← | 874,549 | 1,800,139 | |||
1995年(平成7年) | 925,710 | ←←←← | 821,874 | 1,747,584 | 12月5日 | 8,514 | |
1996年(平成8年) | 875,790 | ←←←← | 811,567 | 1,687,357 | |||
1997年(平成9年) | 818,130 | ←←←← | 753,604 | 1,571,734 | |||
1998年(平成10年) | 797,550 | ←←←← | 727,685 | 1,525,235 | |||
1999年(平成11年) | 794,760 | ←←←← | 793,116 | 1,587,876 | |||
2000年(平成12年) | 791,730 | ←←←← | 807,104 | 1,598,834 | |||
2001年(平成13年) | 746,430 | ←←←← | 767,614 | 1,514,044 | |||
2002年(平成14年) | 724,470 | ←←←← | 733,277 | 1,457,747 | |||
2003年(平成15年) | 676,200 | ←←←← | 702,100 | 1,378,300 | |||
2004年(平成16年) | 686,250 | ←←←← | 652,723 | 1,338,973 | |||
2005年(平成17年) | 712,320 | ←←←← | 648,499 | 1,360,819 | 11月8日 | 6,476 | |
2006年(平成18年) | 729,150 | ←←←← | 606,841 | 1,335,991 | |||
2007年(平成19年) | 721,800 | ←←←← | 610,690 | 1,332,490 | |||
2008年(平成20年) | 726,330 | ←←←← | 602,347 | 1,328,677 | 11月18日 | 6,306 | |
2009年(平成21年) | 701,190 | ←←←← | 595,538 | 1,296,728 | |||
2010年(平成22年) | 699,990 | ←←←← | 612,132 | 1,306,122 | 11月9日 | 6,360 | |
2011年(平成23年) | 695,220 | ←←←← | 649,617 | 1,344,837 | |||
2012年(平成24年) | 717,780 | ←←←← | 711,158 | 1,428,938 | 11月13日 | 6,626 | |
2013年(平成25年) | 722,340 | ←←←← | 1,014,209 | 1,736,549 | |||
2014年(平成26年) | 703,860 | ←←←← | 786,242 | 1,490,102 | |||
2015年(平成27年) | ←←←← | 11月10日 | 7,681 | ||||
2016年(平成28年) | ←←←← | ||||||
2017年(平成29年) | ←←←← | ||||||
2018年(平成30年) | ←←←← | 11月13日 | 7,727 | ||||
2021年(令和3年) | ←←←← | 11月9日 | 5,479 | ||||
2022年(平成4年) | ←←←← | 11月8日 | 6,882 | ||||
2023年(平成5年) | ←←←← | 11月7日 | 7,231 |
駅周辺
編集- 北口
- 南口
バス路線
編集伊勢市駅前バス乗り場は南口(JR側)にある。北口(近鉄側)には、徒歩数分のところに伊勢市駅北口バス停がある。
- 1番乗り場
- 2番乗り場
- 4番乗り場
- 7番乗り場
- 8番乗り場
- 9番乗り場
- 60・62系統:御座港
- 70系統:宿浦
- 10番乗り場
- 11番乗り場
- 東京高速:鳥羽バスセンター(降車専用)
- 伊勢市コミュニティバス「おかげバス」
- 辻久留・藤里ルート:宇治山田駅前
- 11番乗り場
隣の駅
編集- 東海旅客鉄道(JR東海)
- ■参宮線
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 朝日新聞出版(2014):28ページ
- ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、24-25頁。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。
- ^ a b c 朝日新聞出版(2013):26ページ
- ^ a b “近鉄 60年ぶり駅舎改築 伊勢市駅で完成除幕式”. 伊勢新聞. (2013年7月20日). オリジナルの2013年9月28日時点におけるアーカイブ。 2013年9月28日閲覧。
- ^ a b c d 平賀(2013):12ページ
- ^ 渡辺大地「JR伊勢市駅前 再開発事業の大幅縮小検討 民間事業者、採算を考慮」2011年4月29日付、中日新聞朝刊、三重版22ページ
- ^ 株式会社PLEASURE ONE (2013年9月17日). “宿泊・温浴・商業施設『伊勢外宮参道 伊勢神泉』を伊勢市駅前に開業”. 財経新聞. オリジナルの2013年9月28日時点におけるアーカイブ。 2013年9月28日閲覧。
- ^ “伊勢市駅前にホテル 三交イン、三交百貨店跡地に”. CHUNICHI Web (中日新聞社). (2014年12月12日). オリジナルの2014年12月13日時点におけるアーカイブ。 2015年1月5日閲覧。
- ^ 『伊勢市駅前に「三交イン」建設〜平成28年末開業を目指す〜』(プレスリリース)三重交通、2014年12月11日。オリジナルの2015年1月9日時点におけるアーカイブ 。2015年1月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 平賀(2013):13ページ
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、156頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ a b “みえ駅ものがたり 近鉄山田線・JR参宮線 伊勢市 神宮参拝者の玄関口 JR側に南口 近鉄側は北口”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 10. (2010年11月4日)
- ^ 三重県歴史教育者協議会 編『三重の戦争遺跡 増補改訂版』つむぎ出版、2006年8月15日、314p. ISBN 4-87668-151-1 (241ページより)
- ^ “15日落成式 改築急ぐ国鉄山田駅”. 伊勢新聞: p. 2. (1950年4月7日)
- ^ 朝日新聞出版(2013):29ページ
- ^ 1959年(昭和34年)7月9日日本国有鉄道公示第248号「紀勢東線三木里・紀勢西線新鹿間鉄道の完成に伴う一般運輸営業の開始その他について定める件」
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、32頁。ISBN 978-4-10-790026-5。
- ^ “近鉄券の売り場が登場 国鉄伊勢市駅構内”. 中日新聞 朝刊 伊勢志摩版: p. 9. (1972年3月28日)
- ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1982年(昭和57年)9月30日日本国有鉄道公示第113号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1985年(昭和60年)3月12日日本国有鉄道公示第181号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年7月1日、188頁。ISBN 4-88283-115-5。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月13日閲覧。
- ^ 『参宮線 伊勢市駅、東海道本線 安城駅、中央本線 新守山駅 エレベーター等使用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2011年2月22日。オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブ 。2020年12月19日閲覧。
- ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ^ a b c “駅構内図|伊勢市”. 東海旅客鉄道. 2022年7月29日閲覧。
- ^ a b c 近鉄時刻表2021年7月3日ダイヤ変更号、p.108 - p.131・p.144 - p.165・p.260- p.282・p.296 - p.317
- ^ a b c d 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.70 - p.87
- ^ 『伊勢新聞』2011年3月1日 JR伊勢市駅エレベーター 連絡路に手すりも設置
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ 三重県統計年鑑(昭和31年度) 75 三重県下国有鉄道旅客・貨物輸送状況(昭和31年度)、、三重県編、Page164
- ^ 三重県統計年鑑(昭和31年度) 77 近畿日本鉄道(昭和31年度)、、三重県編、Page178
- ^ 出典:三重県統計書各年度版 近鉄広報発行パンフレット「きんてつ」
- ^ 駅別乗降人員 山田線 - 近畿日本鉄道
- ^ “駅別乗降人員 志摩線”. 近畿日本鉄道. 2016年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月1日閲覧。
- ^ “伊勢市駅前 - 主要停留所案内図・時刻表|三重交通ホームページ”. 三重交通. 2022年7月18日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集- 日本の鉄道駅一覧
- 大神宮前駅(1930年 - 1942年の間存在した旧伊勢電気鉄道のターミナル駅)
- 外宮参道(旧・三重県道21号伊勢市停車場線)
- 三重県道201号宇治山田港伊勢市停車場線