京都市立聚楽小学校

京都市上京区にあった公立小学校、1997年閉校

京都市立聚楽小学校(きょうとしりつ じゅらくしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成9年(1997年)に、京都市立桃薗西陣小学校[2]京都市立成逸小学校と共に、京都市立西陣中央小学校に統合され、閉校した。

京都市立聚楽小学校
Juraku elementary school
地図北緯35度01分27.8秒 東経135度45分03.8秒 / 北緯35.024389度 東経135.751056度 / 35.024389; 135.751056座標: 北緯35度01分27.8秒 東経135度45分03.8秒 / 北緯35.024389度 東経135.751056度 / 35.024389; 135.751056
過去の名称 上京第十五番組小学校
聚楽尋常小学校
京都市聚楽国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 明治2年(1869年)10月16日[1]
創立者 上京第十五番組
閉校年月日 1997年(統合先は京都市立西陣中央小学校
共学・別学 男女共学
所在地 602-8247
京都市上京区葭屋町通中立売下ル北俵町317番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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学校名の由来は、豊臣秀吉が建造した聚楽第の一角に位置することによる[3]

沿革

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  • 1869年(明治2年) - 上京第十五番組小学校として北俵町に開校[4][5](開校日:10月16日[1]
  • 1875年(明治8年) - 校名を聚楽に改称[5]
  • 1997年(平成9年)- 西陣中央小学校に統合され、閉校[5]

聚楽学区

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聚楽学区(じゅらくがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての聚楽小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第15番組に由来し、同年には、区域内に上京第15番組小学校(のち明治8年(1875年)に聚楽小学校に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第16区、明治12年(1879年)にはとなり上京第16組となった[4]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第12学区となった[6]

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第12学区から聚楽学区となった[4]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[7]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

人口・世帯数

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京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[8]、聚楽学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第4国勢統計区[9])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,112人、1,693世帯である。

地理

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上京区の南西部に位置する学区であり、北側で桃薗学区、東側で中立学区、南側で待賢学区(一部西側で出水学区)、西側で正親学区と接する。区域は、東は堀川通、西は松屋町通、北は一条通、南は下長者町通で限られ、面積は0.166平方キロメートルと、上京区では最も小さな学区である[4]

聚楽学区内の通り

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南北の通り

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聚楽学区の町名

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学区内の如水町、小寺町、常陸町、藤五郎町、飛弾殿町の町名は、聚楽第の黒田(小寺)如水木村重茲長谷川藤五郎蒲生氏郷らの武家屋敷跡に由来するとされる[4]

  • 皀莢町
  • 奈良物町
  • 福大明神町
  • 北俵町
  • 南俵町
  • 菊屋町
  • 小寺町
  • 猪熊一丁目
  • 猪熊二丁目
  • 飛弾殿町
  • 榎町
  • 北小大門町
  • 南小大門町
  • 庇町
  • 梨木町
  • 糸屋町
  • 常陸町
  • 藤五郎町
  • 和水町
  • 東堀町
  • 下鏡石町
  • 神明町
  • 如水町
  • 鏡石町
  • 下石橋南半町
  • 役人町
  • 新元町[10]
  • 杉本町
  • 須浜東町
  • 堀川下之町

周辺

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聚楽学区内の主な施設

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  • ハローワーク西陣(京都西陣公共職業安定所 京都西陣所庁舎)- 大宮通中立売下る

脚注

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  1. ^ a b 京都市学校歴史博物館 編「番組小学校の変遷」『京都 学校物語』京都通信社、2006年、94-95頁。ISBN 4-903473-20-1 (設立日の日付は旧暦である。)
  2. ^ 平成7年(1995年)に京都市立桃薗小学校京都市立西陣小学校が統合して創立。
  3. ^ 学区案内/聚楽学区(じゅらく)”. 2023年10月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f * 聚楽学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、306-307頁。doi:10.11501/9574460ISBN 9784582477078https://dl.ndl.go.jp/pid/9574460/1/167 
  5. ^ a b c 京都市学校歴史博物館. “京都市立小学校の変遷”. 2023年8月11日閲覧。
  6. ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171 
  7. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  8. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  9. ^ 令和2年国勢調査時点
  10. ^ 明治2年に新在家町と元桝屋町が合併して成立[4]

参考文献

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関連文献

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関連項目

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外部リンク

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