五島市立崎山小学校

長崎県五島市にある小学校

五島市立崎山小学校(ごとうしりつ さきやましょうがっこう)は、長崎県五島市下崎山町にあった公立小学校。略称「崎小」。

五島市立崎山小学校

正門(2015年4月撮影)
地図北緯32度39分38秒 東経128度52分40秒 / 北緯32.660528度 東経128.877806度 / 32.660528; 128.877806座標: 北緯32度39分38秒 東経128度52分40秒 / 北緯32.660528度 東経128.877806度 / 32.660528; 128.877806
過去の名称 第五大学区第五中学区崎山小学校
崎山学区公立中等崎山小学校
尋常崎山小学校
崎山尋常小学校
崎山尋常高等小学校
崎山村崎山国民学校
崎山村立崎山小学校
福江市立崎山小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 五島市
併合学校 福江市立長手小学校
設立年月日 【創立】
1874年明治7年)5月17日
【統合】
1970年昭和45年)4月1日
閉校年月日 2024年(令和6年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000992 ウィキデータを編集
所在地 853-0021
長崎県五島市下崎山町1233番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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2024年令和6年)3月末をもって閉校し、五島市立福江小学校へ統合された。

概要

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歴史
1874年明治7年)創立。2024年(令和6年)3月末をもって閉校し、150年の歴史に幕を閉じた。
校章
地元のシンボルとなっている鬼岳(山)と羽ばたく鳥の姿を組み合わせ、中央に校名の「崎小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
現校歌は1971年昭和46年)に制定。作詞は田口照子、作曲は高萩保宏による。歌詞は3番まであり、2番に校名の「崎山」が登場する。1番の歌詞中に登場する「ホマーテ」とはドイツ語で「火砕丘(かさいきゅう)」、「臼状火山(きゅうじょうかざん)」のことを表す。ここでは地元の山「鬼岳」(おにだけ、標高315m)を指している。
校区
住所表記で五島市の後に「下崎山町、上崎山町、向町、長手町」が続く地区。中学校区は五島市立崎山中学校[1]

沿革

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旧・崎山小学校
  • 1871年(明治4年)- 廃藩置県により福江県に属することとなる。福江県は間もなく長崎県に編入される。
  • 1872年(明治5年)7月 - 学制が頒布される。
  • 1874年(明治7年)5月17日 - 民家を借用して「第五大学区第五中学区長崎県管下松浦郡崎山小学校」が開校。
    • 長手と赤島に分校を設置。初代校長に北川水壽衛が就任。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の施行により、松浦郡は東西南北の4郡に分割され南松浦郡に属することとなる。学区は南松浦郡福江部に属する。
  • 1880年(明治13年)- 教育令の施行により、「崎山学区公立下等崎山小学校」に改称。
  • 1884年(明治17年)1月 - 「崎山学区公立中等崎山小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、尋常科を設置の上「尋常崎山小学校」に改称。修業年限を4年とする。
    • 同時に赤島分校と長手分校は分離しそれぞれ「簡易赤島小学校[2]」・「簡易長手小学校」として独立。
    • この年、福江村に長崎県第十八高等小学校が設置される。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、南松浦郡崎山村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)
    • 4月 - 小学校令の改正により「崎山尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
    • 5月 - 補習科(修業年限2年)を併置。
    • 7月 - 福江村にあった長崎県第十八高等小学校が廃止される。
    • 11月 - 廃止された第十八高等小学校に代わり、五ヶ村[3]組合立福江高等小学校が開校。
  • 1899年(明治32年)
    • 3月 - 福江高等小学校を運営する組合から脱退。
    • 4月 - 高等科を併置し「崎山尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。校舎を増築。
  • 1900年(明治33年)4月 - 児童数の増加により、崎山村役場内に分教場を開設。
  • 1903年(明治36年)- 尋常科3・4年の女児を対象に裁縫科の教授を開始。
  • 1904年(明治37年)- 尋常科において唱歌科、高等科において農業科の教授を開始。
  • 1906年(明治39年)4月 - 奉安所を設置。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
    • 修業年限が「尋常科4年・高等科4年」から「尋常科6年・高等科2年」に変更される。
    • 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科1年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
  • 1917年大正6年)8月 - 3教室を増築。
  • 1918年(大正7年)5月 - 高等科に進学しない生徒を対象として「崎山実業補習学校」(修業年限2年)を併置。
  • 1925年(大正14年)4月 - 尋常科10学級、高等科1学級(複式)となる。
  • 1926年(大正15年)2月 - 児童出席奨励区(11区)を設定。
  • 1927年(昭和2年)4月 - 隣接する小学校2校とともに3校合同運動会を実施。
  • 1929年(昭和4年)11月 - 天皇皇后のご真影を保管する奉安所を設置。
  • 1930年(昭和5年)5月 - 校歌(旧校歌)を制定。作詞は大井広、作曲は原格太郎による。
  • 1931年(昭和6年)10月 - 全五島小学校角力大会において優勝。1935年(昭和10年)まで5回連続優勝。
  • 1932年(昭和7年)6月 - 児童の時間観念養成のために、正午に寺鐘を鳴らし始める。
  • 1933年(昭和8年)6月 - 午後5時にも寺鐘を鳴らし始める。
  • 1935年(昭和10年)- 母の会が発足。青年学校令の施行により、併設の崎山実業補習学校が「崎山青年学校」となる。
  • 1938年(昭和13年)12月 - 二宮尊徳像を設置。後に戦争のために金属供出される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「崎山村崎山国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧・崎山国民学校の初等科が改組され、「崎山村立崎山小学校」となる。
    • 旧・崎山国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、崎山村立崎山中学校新制中学校)となり、当面の間小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)9月21日 - PTAが発足。
  • 1952年(昭和27年)12月 - 木造新校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併・市制施行により、「福江市立崎山小学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 2教室を増築。
  • 1965年(昭和40年)2月 - ミルク給食を開始。
  • 1970年(昭和45年)3月31日 - 長手小学校との統合により一旦閉校。ただし統合校舎完成までの間は「崎山校舎」として使用が継続される。
旧・長手小学校
  • 1874年(明治7年)5月17日 - 崎山小学校 長手分校として開校。分校長には藤原賜が就任。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により崎山小学校から分離し「簡易長手小学校」として独立。
  • 1892年(明治25年)10月 - 「尋常長手小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年)4月 - 「長手尋常小学校」に改称。
  • 1900年(明治33年)2月 - 長手神社南側に校舎を新築。
  • 1915年(大正4年)4月 - 教室の完成により尋常科5・6年生の児童を収容。
    • 1908年(明治41年)4月に尋常科の修業年限が6年とされたが、長手小学校では教室不足のため尋常科5・6年の児童を収容することが困難であった。よって尋常科5・6年生は崎山小学校に通学するという暫定的な措置をとっていた。
  • 1918年(大正7年)5月 - 長手郷303番地に新校舎が完成。
  • 1929年(昭和4年)4月 - 校舎を増築。運動場を新設。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「崎山村長手国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年のみ)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「崎山村立長手小学校」に改称。
  • 1950年(昭和25年)9月 - 運動場を拡張。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月1日 - 町村合併・市制施行により「福江市立長手小学校」に改称。
    • 8月 - 木造新校舎が完成。
  • 1962年(昭和37年)4月 - パン・ミルク給食を開始。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 完全給食を開始。
  • 1970年(昭和45年)3月31日 - 崎山小学校との統合により閉校(96年の歴史に幕を下ろす、最終所在地:北緯32度40分32.2秒 東経128度52分20.0秒)。
    • ただし統合校舎完成までの間は「長手校舎」として使用が継続される。
    • 校舎の跡地は現在「五島市長手スポーツセンター」(公共スポーツ施設)となっている。
統合・崎山小学校
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 上記が統合され、()「福江市立崎山小学校」となる。
    • 統合校舎完成までの間、旧2校の校舎を「崎山校舎」・「長手校舎」として使用を継続。創立年は旧崎山小学校の1874年(明治7年)を継承する。
  • 1971年(昭和46年)- 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎(統合校舎)が完成し移転。旧2校の校舎を廃止。新校歌を制定。完全給食を開始。
  • 1976年(昭和51年)5月11日 - 創立100周年(統合5周年)記念式典を挙行。
  • 1977年(昭和52年)10月 - 米飯給食を開始。
  • 1991年(平成3年)3月3日 - プールが完成。
  • 1992年(平成4年)3月 - 多目的ホールが完成。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併により、「五島市立崎山小学校」(現校名)へ改称。
  • 2024年(令和6年)3月31日 - 五島市立福江小学校への統合により、閉校。

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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参考資料

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  • 「福江市史 上巻」(1995年(平成7年)3月31日, 福江市)第3編 教育・文化、第2章 学校教育、第2節 学校の沿革と現況 p. 376

脚注

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  1. ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
  2. ^ 1892年(明治25年)「尋常赤島小学校」、1893年(昭和26年)「赤島尋常小学校」、1941年(昭和16年)「崎山村立赤島国民学校」、1947年(昭和22年)「崎山村立赤島小学校」、1954年(昭和29年)「福江市立赤島小学校」、1967年(昭和42年)「福江市立福江小学校赤島分校」、1973年(昭和48年)廃止。
  3. ^ 南松浦郡の5村。福江村・奥浦村・崎山村・本山村・大濵村。

関連項目

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外部リンク

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