ランボルギーニ・イスレロ

イスレロIslero )はランボルギーニにより1968年から1970年まで生産された、V12エンジンを持つ2+2シートのグランツーリスモである。イスレロという名前は、「Manolete」として知られた有名な闘牛士マヌエル・ロドリゲス1947年8月28日に殺した牛にちなむ。ちなみにこのイスレロを飼育していた牧場が「ミウラ」である。

ランボルギーニ・イスレロ
イスレロ
イスレロ(リア)
概要
販売期間 1968年 - 1970年
デザイン フェルッチオ・ランボルギーニ
ボディ
乗車定員 2+2
ボディタイプ 2ドアクーペ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン V型12気筒ガソリン3,929cc
最高出力 320馬力
350馬力(S)
変速機 5速MT
サスペンション
ダブル・ウイッシュボーン・コイル
ダブル・ウイッシュボーン・コイル
車両寸法
ホイールベース 2,550mm
全長 4,525mm
全幅 1,730mm
全高 1,300mm
車両重量 1,315kg
その他
生産台数 225台
最高速度 250km/h
260km/h(S)
系譜
先代 400GT
後継 ハラマ
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概要

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400GT2+2を発展させ、1968年ジュネーブショーで発表された。エンジンはDOHCV12で、排気量3,929cc、320PS/6,500rpm。1969年には350PS/7,700rpmのエンジン強化版イスレロSが登場している[1]

スタイリングは、フェルッチオ・ランボルギーニ自身が行った。事業をたたみつつあった「カロッツェリア・トゥーリング」のデザイナー、マリオ・マラッツィの協力も得て、ボディの製作はマリオ・マラッツィの父が創業した「マラッツィ (Carrozzeria Marazzi」という小さなカロッツェリアに委ねられた[2]

生産台数は225台。

出典

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  1. ^ 「ミウラの登場」『ランボルギーニ』ネコ・パブリッシング〈ワールド・カーガイド〉、1995年、71-78頁。 
  2. ^ トニーノ・ランボルギーニ 著、大矢アキオ 訳「夢のあとに」『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』光人社、2004年、184頁。 

外部リンク

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ランボルギーニ S.p.A. ロードカータイムライン 1963-
タイプ 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
MR(含ミッドシップ4駆) V12 ミウラ カウンタック ディアブロ ムルシエラゴ アヴェンタドール レヴエルト
イオタ レヴェントン ヴェネーノ チェンテナリオ エッセンツァ シアン カウンタック
V8/V10 シルエット ジャルパ ガヤルド ウラカン
2+2 ウラッコ
FR GT 350GT
2+2 400GT イスレロ ハラマ
エスパーダ
クロスカントリー4WD
SUV
LM002 ウルス
オーナー
親会社
フェルッチオ・ランボルギーニ ロセッティ、
レイマー
イタリア政府管理下 ミムラン クライスラー メガテック Vパワー アウディ
試作レーシングカー: ランボルギーニ・イオタ(1969)、ランボルギーニ・ハラマRS(1973)、ランボルギーニ・ウラッコ・ラリー(1973)
コンセプトカー: ランボルギーニ・エストーケ(2008)、ランボルギーニ・エゴイスタ(2013)、ランボルギーニ・アステリオン(2014)、ランボルギーニ・テルツォ ミッレニオ(2017)
人物: フェルッチオ・ランボルギーニジャンパオロ・ダラーラマルチェロ・ガンディーニパオロ・スタンツァーニ
公式WEBサイト: Automobili Lamborghini Holding Spa