プロジェクト‐ノート:相撲

最新のコメント:12 日前 | トピック:力士の四股名の曖昧さ回避について | 投稿者:こやまひろ

「○○親方」というリダイレクトについて

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岩友親方木村山守にリダイレクトされていましたので、とりあえず他の「○○親方」という記事と同様、名跡のページにリダイレクトするよう変更しました。「親方」というのは敬称なので本来は不要なリダイレクトのような気がしますが、慣例として年寄は「○○親方」と呼ばれることが多いので、リダイレクトとしては必要なのかなという感じもします。

例えば浅香山親方というリダイレクトは存在しないのですが、そういうのも作成したほうがいいのでしょうか。 作成するなら、

  • 現行の名跡105家は名跡のページへリダイレクト
  • 廃止された名跡はどうするか(例:根岸親方→根岸 (相撲)
  • 一代年寄は力士の記事へリダイレクト(例:貴乃花親方→貴乃花光司
  • 現役名年寄(例:栃東親方→栃東大裕)、木村庄之助・式守伊之助は作らない?

みたいなところなのでしょうか。リダイレクトそのものの必要性も含めて、皆様のご意見を伺いたいです。--Noname334会話2024年10月5日 (土) 10:39 (UTC)返信

私はリダイレクト不要と感じますね・・・。それを言い出すと「○○関」もリダイレクトするのか?ってなってしまいますので。--You19994会話2024年10月8日 (火) 03:23 (UTC)返信

遠藤の取り口の節に関して

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遠藤聖大の取り口の節に関してですが、あれは完全にいろんな人の感想を羅列しているだけのように思えるです。現代の力士の項目を見ると必要性を感じないものが多いように思えますが、今回は遠藤の取り口だけを皆さんにお聞きしたいと思います。こんなに書く必要性ありますかね・・・?過剰な内容の整理に従って議論をしたいと思うのですがいかがでしょうか?--You19994会話2024年10月10日 (木) 00:47 (UTC)返信

力士の四股名の曖昧さ回避について

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力士の四股名の曖昧さ回避について、同名の力士が複数いる場合、現在曖昧さ回避の方法については以下のようなやり方が見られます。

  1. (○代) - 例:朝潮太郎 (4代)
  2. (○年生) - 例:綾川五郎次 (1883年生)
  3. (最高位) - 例:鳳谷五郎 (横綱)
  4. (他の四股名) - 例:両國梶之助 (國岩)

今回問題とするのは、一番目の(○代目)をつける方法です。現在最も多く使われているものですが、代数が独自研究である場合が散見されます。軽い調査の結果、以下の記事名について明白に誤りであることが確認できました。リダイレクトや赤リンクを含めれば、誤りはさらに多くなるとみられます。

このような事態が生じている原因は、編集者が自ら確認できた範囲だけで代数を振ったために、数えそこねたことによるものとみられます。独自研究で記事名をつけたために改名が必要になることがあるだけでなく、後に未発見の力士が確認されることなどにより代数に変化が生じ、改名が必要となる事態を避けるためにも、独自研究による代数による曖昧さ回避をとることは避けてほしいと思います。

なお、独自研究でないならば(○代目)による曖昧さ回避を行うことは問題がないと考えられます。独自研究ではない典型例は朝潮太郎で、一見初代は「朝汐太郎」のため、2代目は「初代朝潮太郎」となりそうですが、一般に呼ばれている代数にもとづいて記事名をつけています。代数によって曖昧さ回避を行うのは、朝潮のように信頼できる情報源でも代数で呼ぶ例があり、代数が揺るがない場合に限定すべきではないでしょうか。 --こやまひろ会話2024年12月16日 (月) 06:22 (UTC)返信

代数に関しては、提案に同意します。とりあえず「外ヶ濱浪五郎」の2件ついては、外ヶ濱信行の改名提案の内容の変更ならびに外ヶ濱浪五郎 (2代)の改名提案の追加を行いました。
今度は「四ツ車」についても相撲レファレンスなどで調べてみました。「二段目」については、相撲レファレンスでの表示は「十両」となっていますが、番付表記上十両が創設される(十両と幕下が分離される)以前です。
  1. 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:2941)、生年不明、最高位小結(1759年3月場所)
  2. 四ツ車(相撲レファレンスID:6981)、生年不明、最高位二段目7枚目(1781年3月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「伊之助」
  3. 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:3217)、1772年生、最高位前頭3枚目(1805年10月場所)、個別ページあり→四ツ車大八(本文中に「2代」とあり)
  4. 四ツ車 勝五郎(相撲レファレンスID:3277)、1790年生、最高位前頭筆頭(1825年10月場所)(「四ツ車」としての最高位は前頭3枚目(1824年10月場所))
  5. 四ツ車(相撲レファレンスID:4525)、生年不明、最高位二段目4枚目(1836年11月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「團治」(崩し字のため分かりにくいですが、相撲起顕を星取表にしていくホームページ(仮)も参照しました)
  6. 四ツ車(相撲レファレンスID:4808)、生年不明、最高位二段目筆頭格番付外(1885年5月場所)、下の名前は番付外なので確認できず
  7. 四ツ車(相撲レファレンスID:6118)、生年不明、最高位十両13枚目(1913年5月場所)、下の名前は番付実物画像によれば「庄太郎」
  8. 四ツ車 大八(相撲レファレンスID:511)、1980年生、最高位十両8枚目(2008年11月場所)、個別ページあり→四ツ車大八 (8代)
このうち下の名前まで確実に「四ツ車大八」なのは、1番と3番と8番(いずれも念のため番付実物画像も見てみました)で、2・4・5・7番は少なくとも最高位の番付実物画像を見る限りでは下の名前が別の名前になっていますし、更に6番は下の名前が確認できません。他に1934年5月場所以前の幕下以下など相撲レファレンスの範囲外にいるかもしれないにしても、8番の四ツ車大八 (8代)が本当に四ツ車大八として8代とは言い切れず(というより誤りの可能性が高い)、やはり「四ツ車大八」についても代数不明確として代数によらない曖昧さ回避の方法に変更すべきだと思います。--Sdfvista7会話2024年12月16日 (月) 13:50 (UTC)返信
8番の生年を忘れていたので追加しました。--Sdfvista7会話2024年12月16日 (月) 14:00 (UTC)返信
簡単に小錦八十吉の代数を調べてみました。(利用者:Noname334/sandbox2):「小錦」を名乗った力士は6人居ますが、確実に「小錦八十吉」を名乗ったのは3人です。このケースは代数の出典があるとは言え、代数ではなく「○○年生」での曖昧さ回避としたほうがよさそうです。--Noname334会話2024年12月16日 (月) 16:07 (UTC)返信
とりあえず、2024/12/21現在、代数による曖昧さ回避がなされている力士のページや、それに関連する力士のページなどについて、一覧表にまとめてみました。そしてとりあえず、代数に誤りが指摘されているものや、実際の代数が不明確なものなどについては、改名候補を挙げてみました。
個人的には、下の名前まで四股名が同じ有名な力士が歴史上複数いるケースのうち、その全員が歴代横綱である場合は、今のところ代数のままでいいとも思うのですが、どうでしょうか。「梅ヶ谷藤太郎」「西ノ海嘉治郎」「若乃花幹士」がこれに当たります。
「四ツ車」に関する追記として、相撲レファレンスに登録されている8力士の他に、大坂相撲の眞鶴政吉の初名を確認しました。
参考情報ですが、「琴櫻傑將」と「琴櫻将傑」について、英語版は表音文字しかない言語ですので、それぞれ「ことざくら まさかつ」の初代と2代目と見なして「Kotozakura Masakatsu I」「Kotozakura Masakatsu II」となっている一方、ハングルで表される韓国語版については、前者に対応するページは存在せず、後者に対応するページは生年の1997年で曖昧さ回避を行って「코토자쿠라 마사카츠 (1997년)」としています。--Sdfvista7会話2024年12月21日 (土) 14:31 (UTC)返信
小錦に関しては、代数があぶないなら、横綱・山泉(2代目の前名)・KONISIKI(タレント名)という形もありではないでしょうか。 --ねこぱんだ会話2024年12月22日 (日) 00:50 (UTC)返信
とりあえず改名候補として下表に追加しました。1963年生の小錦のタレント名は「KONISIKI」ではなく「KONISHIKI」ですのでこれも表では修正しています。--Sdfvista7会話2024年12月22日 (日) 09:48 (UTC)返信
代数による曖昧さ回避の例として、平ノ戸三之助 (初代)も表に追加しました。--Sdfvista7会話2024年12月22日 (日) 16:08 (UTC)返信

代数による曖昧さ回避がなされている力士のページ、およびその他曖昧さ回避に関する問題のある力士のページの一覧

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ここでは、次のいずれかの条件を満たすページを一覧し、改名候補、備考の欄も付けてみます。既存のページの他、未作成ページ(赤リンク)も含みます。

  • 代数による曖昧さ回避がなされている力士のページ
  • 代数による曖昧さ回避は直接なされていないが、上に関連すると考えられる力士のページ
  • 下の名前まで同じ四股名の(有名な)力士が歴史上複数人いるが、曖昧さ回避のためのカッコがページ名に書かれていない力士のページ
  • その他、曖昧さ回避の方法の変更に関する議論のあるページ
2024/12/21現在のページ名 改名候補 備考
朝汐太郎 (初代) (改名不要) 代数出典あり。
朝潮太郎 (2代) (改名不要) 代数出典あり。
朝潮太郎 (3代) (改名不要)
朝潮太郎 (横綱)
代数出典あり、歴代横綱(歴代横綱としての「朝潮太郎」はこの1人のみ)。
朝潮太郎 (4代) (改名不要?) 代数出典あり?(ネットのニュース記事等で確認)
綾川五郎次 (初代) 綾川五郎次 (横綱) 歴代横綱だが、歴代横綱としての「綾川五郎次」はこの1人のみ。
綾川五郎次 (1883年生) (改名不要) 「綾川五郎次」で代数ではなく生年による曖昧さ回避を用いている。過去には「綾川五郎次 (大正)」から改名したことがある。
嚴嶋関右エ門 (寛政) 嚴嶋関右エ門 (1756年生) 最高位前頭3枚目。現状では最高位のときの元号となっているが、生年で対応できる。
嚴嶋関右エ門 (天保) 嚴嶋関右エ門 (1810年生) 最高位前頭3枚目。現状では元号となっているが(実際に最高位を記録したのは天保ではなく弘化)、生年で対応できる。
稲川政右エ門 (初代) 稲川政右エ門 (1739年生)
稲川政右エ門 (猪名川)
最高位前頭筆頭。
稲川政右エ門 (4代) 稲川政右エ門 (1871年生)
稲川政右エ門 (玉風)
代数誤り指摘済み。最高位関脇。
梅ヶ谷藤太郎 (初代) (改名不要) 歴代横綱。
梅ヶ谷藤太郎 (2代) (改名不要) 歴代横綱。
(未作成) (作成するなら)
鳳谷五郎 (大関)
最高位大関(第95代大関)。同名の横綱鳳谷五郎 (横綱)がいる。
大鳴門灘右エ門 (初代) 大鳴門灘右エ門 (安政) 最高位前頭筆頭、生年不明。
大鳴門灘右エ門 (2代) 大鳴門灘右エ門 (大関)
大鳴門灘右エ門 (1853年生)
最高位大関(「大鳴門灘右エ門」としては唯一)、前名司天龍(1887年生の力士と同じなので曖昧さ回避には使えない)。
大鳴門灘右エ門 (3代) 大鳴門灘右エ門 (1887年生) 最高位関脇、前名司天龍(1853年生の力士と同じなので曖昧さ回避には使えない)。
海山太郎 (初代) (改名不要)
海山太郎 (1854年生)
代数出典あり(過去に海山太郎 (友綱)から改名)。最高位前頭筆頭。
海山太郎 (2代) (改名不要)
海山太郎 (1869年生)
代数出典あり(過去に海山太郎 (二所ノ関)から改名)。最高位関脇。
鏡岩濱之助 (改名なし)
鏡岩濱之助 (1769年生)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1769年生で最高位小結。
(未作成) (作成するなら)
鏡岩濱之助 (大関)
鏡岩浜之助 (和田ノ浦)
鏡岩濱之助 (1809年生)
最高位大関(「鏡岩濱之助」としては唯一)、1809年生、前名和田ノ浦。
柏戸宗五郎 (初代) 柏戸宗五郎 (大関)
柏戸宗五郎 (滝ノ音)
最高位大関(「柏戸宗五郎」としては唯一)。
柏戸宗五郎 (5代) 柏戸宗五郎 (1881年生)
柏戸宗五郎 (八國山)
最高位小結。
越ノ海勇藏 (初代) 越ノ海勇藏 (安永) 実際の代数は不明確。
小錦八十吉 (初代) 小錦八十吉 (1866年生)
小錦八十吉 (横綱)
歴代横綱だが、歴代横綱としての「小錦八十吉」はこの1人のみ。
小錦八十吉 (2代) 小錦八十吉 (1887年生)
小錦八十吉 (山泉)
「二代目小錦」と刻まれた墓石あり。前名「山泉」。
小錦八十吉 (6代) 小錦八十吉 (1963年生)
小錦八十吉 (KONISHIKI)
KONISHIKI(リダイレクトあり)
「小錦八十吉」としての実際の代数は不明確。引退後タレント「KONISHIKI」として活動。現在Taisyoさんにより度重なる荒らしの対策として無期限の移動保護中。
小柳常吉 (改名なし)
小柳常吉 (大関)
小柳常吉 (緑松)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1817年生で最高位大関。
小柳常吉 (1838年生) (改名不要)
小柳常吉 (千草山)
「小柳常吉」で代数ではなく生年による曖昧さ回避を用いている。最高位関脇。
境川浪右衛門 (改名不要)
境川浪右衛門 (横綱)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。歴代横綱だが、歴代横綱としての「境川浪右衛門」はこの1人のみ。
(未作成) (作成するなら)
境川浪右衛門 (大関)
境川浪右衛門 (1819年生)
境川浪右衛門 (鬼面山)
境川浪右衛門 (六ッヶ峰)
最高位大関(第118代大関)だが、横綱の方も番付上は大関。区別のため「大関境川」と呼ぶ出典あり。
不知火光右エ門 (初代) 不知火光右エ門 (宝暦)
不知火光右衛門 (宝暦)
『日本相撲史 上巻』で「不知火光右エ門」となっている。
不知火光右衛門 (改名不要)
不知火光右衛門 (横綱)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。歴代横綱だが、歴代横綱としての「不知火光右衛門(不知火光右エ門)」はこの1人のみ。
(未作成) (作成するなら)
不知火光右衛門 (大関)
不知火光右衛門 (1775年生)
第79代大関。「不知火光右衛門(不知火光右エ門)」として唯一の横綱免許なしの大関だが、横綱の方も番付上は大関。
外ヶ濱浪五郎 (2代) 外ヶ濱浪五郎 (1819年生)
春日山鹿右エ門 (1819年生)
改名提案中
代数誤り指摘済み。改名提案の議論において、2024/12/21時点では外ヶ濱浪五郎 (1819年生)春日山鹿右エ門 (1819年生)のどちらに改名するかまだ結論が出ていなかったが、最高位を記録した時および最終的な四股名から春日山鹿右エ門 (1819年生)とする。
外ヶ濱信行 外ヶ濱浪五郎 (3代)
外ヶ濱浪五郎 (1968年生)
改名提案中
下の名前の誤り(正しくは「外ヶ濱浪五郎」)から、「外ヶ濱浪五郎 (3代)」への改名として改名提案を提出し、柏戸利助が「外ヶ濱浪五郎」を名乗った事実の見落とし、代数の誤りおよび代数が不明確なことの指摘から改名提案の内容を「外ヶ濱浪五郎 (1968年生)」への改名に変更。(力士の代数による曖昧さ回避に関する議論の発端)
谷風梶之助 (初代) (改名不要)
谷風梶之助 (大関)
谷風梶之助としての代数出典あり。雪見山堅太夫以前の大関なので歴代大関には含まれない。区別のために「讃州谷風」としている出典あり。
谷風梶之助 (2代) (改名不要)
谷風梶之助 (横綱)
谷風梶之助としての代数出典あり。歴代横綱だが、歴代横綱としての「谷風梶之助」はこの1人のみ。番付上は大関。
玉垣額之助 (初代) 玉垣額之助 (1734年生)
玉垣額之助 (戸田川)
代数誤り指摘済み。最高位小結。
(未作成) (作成するなら)
玉垣額之助 (第91代大関)
玉垣額之助 (1768年生)
玉垣額之助 (千田川)
玉垣 (曖昧さ回避)には玉垣額之助 (3代)の赤リンクがあるが、代数誤り指摘済み。最高位大関(第91代大関)。
玉垣額之助 (4代) 玉垣額之助 (第98代大関)
玉垣額之助 (1784年生)
玉垣額之助 (越ノ海)
代数誤り指摘済み。最高位大関(第98代大関)。
劔山谷右エ門 (初代) (改名なし)
劔山谷右エ門 (鰐石)
劔山谷右エ門 (1803年生)
劔山谷右エ門 (第113代大関)
最高位大関(第113代大関)。
劔山谷右エ門 (2代) (改名なし)
劔山谷右エ門 (響矢)
劔山谷右エ門 (1852年生)
劔山谷右エ門 (第131代大関)
代数出典あり。最高位大関(第131代大関)。
二所ノ関軍右エ門 (改名不要)
錦木塚右エ門 (大関)
錦木塚右エ門(曖昧さ回避ページ)の記述中の「錦木塚右エ門 (初代)」に相当。最高位大関(第88代大関)で、「錦木塚右エ門」として唯一の大関。「二所ノ関軍右エ門」は大関陥落後に名乗った四股名だが、最終的に名乗った四股名。
錦木塚右エ門 (2代) 錦木塚右エ門 (玉川)
錦木塚右エ門 (1822年生)
最高位小結。
錦木塚五郎 (初代) 錦木塚五郎 (文化) 最高位小結、生年不明。
錦木塚五郎 (2代) 錦木塚五郎 (天保) 最高位小結、生年不明。
西ノ海嘉治郎 (初代) (改名不要) 歴代横綱。
西ノ海嘉治郎 (2代) (改名不要) 歴代横綱。
西ノ海嘉治郎 (3代) (改名不要) 歴代横綱。
緋縅力弥 (初代) 緋縅力弥 (第97代大関)
緋縅力弥 (1772年生)
緋縅力弥 (増見山)
最高位大関。
緋縅力弥 (2代) 緋縅力弥 (第106代大関)
緋縅力弥 (1799年生)
緋縅力弥 (錦)
最高位大関。
緋縅力弥 (3代) 緋縅力弥 (1856年生)
緋縅力弥 (荒玉)
最高位前頭筆頭。
緋縅力弥 (4代) 緋縅力弥 (1922年生)
緋縅力弥 (若大蛇)
最高位前頭10枚目。
平石七太夫 (改名なし)
平石七太夫 (1825年生)
平石七太夫 (出釋迦山)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。1825年生で最高位関脇。
(未作成) (作成するなら)
平石七太夫 (第84代大関)
平石七太夫 (1768年生)
平石七太夫 (楯ヶ崎)
1768年生の第84代大関。最終四股名は「平石七右エ門」。
(未作成) (作成するなら)
平石七太夫 (第110代大関)
平石七太夫 (1801年生)
平石七太夫 (和田ノ浦)
1801年生の第110代大関。
平ノ戸三之助 (初代) 平ノ戸三之助(リダイレクトあり)
平ノ戸三之助 (1857年生)
平ノ戸三之助 (御用木)
カッコなしの平ノ戸三之助に改名する場合、Template:Otherusesによる曖昧さ回避が検討されていた。
待乳山楯之亟 (3代) 待乳山楯之亟 (4代)
待乳山楯之亟 (1862年生)
待乳山楯之亟 (鳴海潟)
待乳山楯之亟 (万延)
待乳山楯之亟 (文久)
代数誤り指摘済み、4代としての出典あり。
改名(移動)作業中、一旦待乳山楯之亟 (1862年生)に移動したが、作業の最中に1862年が生年ではなく没年であったことに気づき、かつ生年不明のため、待乳山楯之亟 (万延)に移動、こやまひろさんの指摘を受け、更に待乳山楯之亟 (文久)に移動
眞鶴政吉 真鶴政吉(リダイレクトあり)
真鶴政吉 (大関)
真鶴政吉 (1841年生)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。新字体表記の真鶴政吉のリダイレクトあり。大坂相撲の力士。初名は四ツ車。大坂相撲で「真鶴政吉」を名乗った大関は複数いる。1841年生との出典あり。
真鶴政吉 (5代) 真鶴政吉 (荒鹿)
真鶴政吉 (安政)
最高位前頭3枚目、生年不明。
(未作成) (作成するなら)
四ツ車大八 (宝暦)
1759年3月場所小結在位、生年不明。
四ツ車大八 (改名なし)
四ツ車大八 (1772年生)
四ツ車大八 (文化)
(歴史上有名な)同名の力士が複数いる内の1人だが、曖昧さ回避のためのカッコなし。本文中に「2代」とあり、代数出典あり。
四ツ車大八 (8代) 四ツ車大八 (1980年生)
四ツ車大八 (平成)(リダイレクトあり)
「四ツ車大八」としての実際の代数は不明確。
両國梶之助 (初代) 両國梶之助 (大関)
両國梶之助 (1664年生)
両國梶之助 (山の井)
「両國梶之助」として唯一の大関であるが、雪見山堅太夫以前の大関なので歴代大関には含まれない。その他の「両國梶之助」は下の3記事のように前名による曖昧さ回避となっている他、別の名前を記事名にしているページ(両國勇治郎)もある。新字体表記の両国梶之助は番付表記・正式表記から1962年生で最高位小結の力士。
両國梶之助 (梅ヶ枝) 両國梶之助 (1830年生) 現状では前名による曖昧さ回避となっているが、カッコ内の別名併記不可のガイドライン違反が曖昧さ回避にも適用されるかどうかの議論あり。
両國梶之助 (國岩) 両國梶之助 (1874年生) 現状では前名による曖昧さ回避となっているが、カッコ内の別名併記不可のガイドライン違反が曖昧さ回避にも適用されるかどうかの議論あり。
両國梶之助 (瓊ノ浦) 両國梶之助 (1907年生) 現状では前名による曖昧さ回避となっているが、カッコ内の別名併記不可のガイドライン違反が曖昧さ回避にも適用されるかどうかの議論あり。
(未作成) (作成するなら)
両國梶之助 (大則戸)
両國梶之助 (茨城県)
両國梶之助 (伊勢ヶ濱部屋)
両國梶之助 (最高位西前頭16枚目)
両國梶之助 (1894年5月場所西前頭16枚目在位)
最高位前頭16枚目(明治時代の1894年に記録)、生年不明。改名歴は黒猫→大則戸→両國。相撲レファレンスには出身地は茨城県とあるが、その説の信憑性は疑問。
若乃花幹士 (初代) (改名不要) 歴代横綱。
若乃花幹士 (2代) (改名不要) 歴代横綱。
  •   情報 情報ありがとうございます。以下で文献における代数の扱いについて調査した結果を報告します。
まず、その前提として○代誰々、と呼ばれる場合、どのような数え方があるのかを確認しておきます。
A. ほぼ同一の四股名の力士を代数に数える場合 - 例:朝汐・朝潮の場合。
B. 姓にあたる部分が同一の力士を代数に数える場合 - 古い文献ではよく見られる。年寄名跡の場合、姓にあたる部分のみを襲名して名の部分が異なる四股名を名乗っても年寄の代数で呼ばれる場合がある。
C. 姓・名にあたる部分が同一の力士を代数に数える場合 - Wikipediaでは最も基本的な方法。
D. 姓・名にあたる部分が同一で、かつ最高位が同一の力士を代数に数える場合 - 横綱で用いられる場合がある。例:歴代横綱 - 日本相撲協会 ※ただしC.の方法によれば2代目と称するべき人物(谷風梶之助、鳳谷五郎)には代数が付されていないため、C.の方法である可能性もある。
以下の3冊について調査を行いました。
① 編集委員代表・池田雅雄『相撲百年の歴史』講談社、1970
小島貞二『大相撲名力士100選』秋田書店、1972
安藤英男『大相撲人物志』日貿出版社、1977
  • 朝汐太郎/朝潮太郎 - ①②は男女ノ川登三(朝潮供次郎)を3代朝潮として扱い(A.)、③は朝潮太郎 (3代)を「朝潮」として3代目、「朝汐」としても3代目とする(B.)。
  • 綾川五郎次 - ①は2人に言及しているが特段呼び分けていない。
  • 梅ヶ谷藤太郎 - ①②③いずれも初代・2代で呼び分け。
  • 柏戸宗五郎 - ②は柏戸剛を11代目としている(B.)。
  • 小柳常吉 - ①②③に阿武松緑之助が「小柳常吉」を名乗ったことがあると記述がある。②には小柳常吉の項もあるが特段呼び分けていない。
  • 境川浪右衛門 - ②には境川浪右衛門の師で1814年生の大関・境川浪右衛門の項があり、「境川の名では彼が四代目、横綱境川が五代目となる。だから相撲史の中では"大関境川""横綱境川"と区別している」との記述あり。
  • 不知火光右エ門 - ①には不知火を名乗った力士は江戸時代に4人、明治時代に1人おり、不知火諾右衛門を「初代不知火」不知火光右衛門を「二代不知火」と呼んでいるとある(B.とD.を合わせた形)。③は不知火光右エ門 (初代)を「不知火光右衛門」と書いている。
  • 谷風梶之助 - ②は谷風梶之助 (2代)を「谷風の四代目、梶之助では二代目」(B.とC.)としており、谷風梶之助 (初代)を区別のため「讃州谷風」と呼ぶとある。
  • 玉垣額之助 - ②は1769年生の大関を「千田川の玉垣」、彼は4代目玉垣(C.)で彼の先代が大関「鷲ヶ浜の玉垣」で次代が「越ノ海の玉垣」であるとしている。③は1769年生の大関玉垣を「六代 玉垣額之助」とし玉垣額之助 (4代)を「七代 玉垣額之助」としている(B.?)。
  • 剣山谷右衛門 - ②③は劔山谷右エ門 (2代)を「二代(目)剣山谷右衛門」としている(B.またはC.)。
  • 西ノ海嘉治郎 - ①②③いずれも初代・2代・3代で呼び分け。
  • 緋縅力弥 - ②に緋縅力弥 (2代)の項があり、緋縅力弥 (初代)についても言及されているが特段呼び分けはされていない。
  • 四ツ車大八 - ②にめ組の喧嘩で著名な「二代四ツ車大八」は文化3年新入幕という旨の記述がある。
  提案 以上を考慮しながら、曖昧さ回避の方法について検討します。
① 姓・名にあたる部分が同一の横綱が複数いる場合、日本相撲協会がつけている代数を曖昧さ回避とする。(初代・2代梅ヶ谷藤太郎、初代・2代・3代西ノ海嘉治郎、初代・2代若乃花幹士) - これは現在の記事名と同じやり方で、異論はまずないと思います。
② 姓・名にあたる部分が同一の力士が複数いるが、そのうち横綱が1人しかいない場合、代表的なトピックとして括弧をつけない記事名もあり得るが、括弧をつける場合には(横綱)をつける。(綾川五郎次、谷風梶之助、不知火光右衛門、境川浪右衛門、小錦八十吉、鳳谷五郎) - 改名対象となりそうなのは「綾川五郎次 (初代)」→「綾川五郎次 (横綱)」、「谷風梶之助 (2代)」→「谷風梶之助 (横綱)」、「小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」、「朝潮太郎 (3代)」→「朝潮太郎 (横綱)」です。ほとんどの人物は同名の力士の中で横綱が圧倒的な知名度を有するのでこの方法が良いと思われますが、朝潮太郎は昨年まで存命だった元大関、小錦八十吉は現に存命の元大関がいるので統一しないで別の方法が適切かもしれません。--こやまひろ会話2024年12月22日 (日) 17:39 (UTC)返信
ひとまず歴史上下の名前まで同名の有名力士が複数おり、その全員が歴代横綱であるケース(初代・2代梅ヶ谷藤太郎、初代・2代・3代西ノ海嘉治郎、初代・2代若乃花幹士)につきましては、こやまひろさんに同意します。現状通り一覧表に(改名不要)としました。
次に、(横綱)による曖昧さ回避ですが、とりあえず一覧表に改名候補を追加しておきました。境川浪右衛門不知火光右衛門は「代表的なトピックとして括弧をつけない記事名もあり得る」ということでとりあえず(改名不要)としました。
小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」については、「小錦八十吉 (6代)」(ハワイ出身の元大関。「小錦八十吉 (1963年生)」への改名がNoname334さんから、「小錦八十吉 (KONISHIKI)」への改名がねこぱんださんから提案されている)が存命中とはいえ、その代数が不明瞭なので改名すべきことも考えると、一応ねこぱんださんの提案とも重なっており、有力そうです。今のところ小錦八十吉の3人に関しては、ねこぱんださん提案の「小錦八十吉 (初代)」→「小錦八十吉 (横綱)」、「小錦八十吉 (2代)」→「小錦八十吉 (山泉)」、「小錦八十吉 (6代)」→「小錦八十吉 (KONISHIKI)」とするのが有力かと。
そこで、「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人についてですが、この下の名前を含む四股名自体は冒頭で代数が独自研究でなく、強固な出典でも代数で呼ぶ例があり、代数が揺るぎないケースとして挙げられていますが、歴史上のその4人全員を現状のWikipediaと同じ代数の扱いとしている書籍等の強固な出典はあるのでしょうか。もしあれば歴代横綱である朝潮太郎 (3代)も含めて現状通り代数のままの方が自然かと思います。仮にその4人のうち朝潮太郎 (3代)だけを朝潮太郎 (横綱)に改名するようなことがあると、残りは初代・2代・4代となりちと不自然なことになってしまいますし、もし仮にその4人のうち誰かについてその代数を支持する強固な出典が見つからないとなると、代数によらない曖昧さ回避によるページ名に改名しようという話になろうかと思います。一覧表で「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人全員に(改名不要)・代数出典ありと書いたのはちょっと早とちりと思いましたので、一旦は朝潮太郎 (3代)の「代数出典あり」以外は取り消し線を引きます。--Sdfvista7会話2024年12月23日 (月) 17:04 (UTC)返信
  1. 信頼できる情報源で代数が確認できれば最高位よりも代数が優先される。
  2. 同名の横綱が一人のみの場合は(横綱)を曖昧さ回避とする。同名の横綱が複数名いる場合は(○代目横綱(○は横綱としての代数))をあいまいさ回避とする。
  3. 大関以下は改名や芸能活動などで別名義を確認できれば別名義を曖昧さ回避とする。確認できない場合、最高位が大関であれば(大関)を曖昧さ回避とする。最高位が大関の力士が複数いる場合は(○代目大関(○は大関としての代数))を曖昧さ回避とする。
  4. それ以外は生年が判明すれば生年、生年不明の場合は最高位を記録した時の元号を曖昧さ回避とする。 
というルールを提案します。--Takagu会話2024年12月24日 (火) 04:04 (UTC)返信
  • 2.の後半部分は要らないように思います。同名の横綱は梅ヶ谷藤太郎、西ノ海嘉治郎、若乃花幹士の7名がいますが、全員日本相撲協会が代数を付けて紹介しているため、1.で処理できるようです。
  • 3.については該当する力士がどの程度いるかをまず把握した方が良さそうです。大関一覧を一瞥した限りでは、曖昧さ回避が必要な大関は、
同名の大関が複数いる場合((大関)による曖昧さ回避は不可)
同名の横綱がいる場合((大関)による曖昧さ回避もできるが、横綱も大関を経験している)
同名の関脇以下の力士がいる場合((大関)による曖昧さ回避で足りる)
これ以外にも歴代に数えられていない大関である谷風梶之助 (初代)両國梶之助 (初代)も気になるところですね。--こやまひろ会話) 2024年12月24日 (火) 11:53 (UTC)(前名を追記)--こやまひろ会話2024年12月24日 (火) 12:37 (UTC)返信
とりあえず表を更新しておきました。「朝汐太郎/朝潮太郎」の4人に関しては、代数のままとするのが有力そうです。「朝潮太郎 (4代)」については、強固な出典には当たらないかもしれませんが、スポニチのニュース記事元大関朝潮の長岡末弘さん死去 67歳、小腸がんで闘病…「大ちゃん」の愛称で人気 朝青龍ら育てる(ログイン・会員登録・料金支払い等不要で全文閲覧可能)・スポーツ報知のニュース記事【伝説の8番】朝潮、流血なんの連敗止めて初賜杯へ再加速「いつものことや大丈夫」…1985年春場所(上)(ただし、全文を読むには会員登録必要)や、スポーツ伝説 5月4日~8日の放送内容といったページで、4代目として扱われているのを発見しました。
「四ツ車大八」については、「四ツ車大八 (8代)」の実際の代数が不明瞭なので当然改名すべき(有力候補は生年の四ツ車大八 (1980年生)?(四ツ車大八 (平成)はリダイレクトあり))なのと、1759年3月場所小結在位の四ツ車大八は生年不明なので、作成するならTakaguさんの案によれば「四ツ車大八 (宝暦)」となるところまではいいのですが、め組の喧嘩で著名な「四ツ車大八」(曖昧さ回避のカッコなし)を代表的なトピックとしてそのままとするか、「四ツ車大八 (2代)」(代数出典あり)、「四ツ車大八 (1772年生)」、「四ツ車大八 (文化)」などに改名するかという点も議論すべきですね。
あと、現状で代数による曖昧さ回避がなされていて検討すべき名前として、「錦木塚右エ門」、「錦木塚五郎」、「越ノ海勇藏」、「平ノ戸三之助」、「待乳山楯之亟」、「真鶴政吉/眞鶴政吉」も残っていますね。--Sdfvista7会話2024年12月24日 (火) 17:51 (UTC)返信
プロレスラーやタレントに転身した元力士は芸名やリングネームをそのまま記事名にしてしまう(例えば小錦八十吉 (6代)KONISHIKI)という手も考えられます。--Takagu会話2024年12月25日 (水) 05:06 (UTC)返信
小錦八十吉 (6代)KONISHIKIに改名するのは大いにありうると思います。現に大相撲出身のプロレスラー一覧を見ると大相撲の四股名ではなくリングネームを記事名としている人はかなりの人数がいます。プロジェクト:スポーツ人物伝#記事名では「登録名、本名、通称のうち一般によく知られている名前にしてください。」とあるように、KONISHIKIの名前がよく知られていると判断できれば問題ないと思われます。
またまた表を更新し、今度は赤リンク等も適宜加えるとともに、残りの代数のページ等の改名候補も例えば次のように挙げてみました。

このように、既存の代数による曖昧さ回避がなされている力士のページの多くは、改名すべきあるいはその可能性のあるページとなりましたが、最終的には既存の各ページについて、改名候補が複数あればそれを1つに絞らないといけませんし、ページによっては改名要否も決めなければなりません。--Sdfvista7会話2024年12月26日 (木) 14:38 (UTC)返信

谷風梶之助 (初代)を代数のままとすべきとなると、谷風梶之助 (2代)も代数出典があることと統一性も考えれば谷風梶之助 (横綱)とはせずに代数のままとすべきだと思います。というわけで、今のところ同名の有名な力士が複数いるケースのうち、その全員について代数のまま改名しないことが確定的なのは、全員が歴代横綱であるケースの梅ヶ谷藤太郎(初代・2代)・西ノ海嘉治郎(初代 - 3代)・若乃花幹士(初代・2代)と、全員が歴代横綱であるケース以外では、今指摘された谷風梶之助(初代・2代)と朝汐太郎/朝潮太郎(初代 - 4代)だと思います。ただ朝潮太郎 (4代)についてはもっと強固な出典が見つかるかどうかですが。というわけで、上の表からは谷風梶之助 (初代)谷風梶之助 (大関)谷風梶之助 (2代)谷風梶之助 (横綱)朝潮太郎 (3代)朝潮太郎 (横綱)の改名候補について取り消し線を引きました。
上の表にはありませんでしたが、両國梶之助 (初代)もとりあえず改名候補を両國梶之助 (大関) or 両國梶之助 (1664年生) or 両國梶之助 (山の井)として表に追加しました。
あと、今挙がっている改名候補のうち一部(今のところ小錦八十吉 (6代)KONISHIKI平ノ戸三之助 (初代)平ノ戸三之助四ツ車大八 (8代)四ツ車大八 (平成)の3件)については、リダイレクトがある状態となっていますね。--Sdfvista7会話2024年12月27日 (金) 16:07 (UTC)返信

大相撲力士記事をいくつか改名したことがあるのですが、Wikipedia:記事名の付け方#正式名称には「記事名の括弧内に別名(中略)を併記してはなりません。」とあり、それに反する記事名のものがありました。今、ここで挙がっている名乗ったことのある四股名の他に親方名も曖昧さ回避には使えないことをお知らせしておきます。--図書助会話2024年12月28日 (土) 13:19 (UTC)返信

別の四股名が使えないということでしたので、上の表からはカッコ付きの前名等による改名候補に取り消し線を引くと共に、いくつかのページについては次のように新しい改名候補を入れ、同時に前名による曖昧さ回避がなされている「両國梶之助」の3人のページも改名対象としました。

--Sdfvista7会話2024年12月28日 (土) 14:08 (UTC)返信

  • 図書助さんの発言は、曖昧回避の記事名に適用されるルールではありませんので、直上のSdfvista7さんの修正は差し戻していただけないでしょうか。また、大関の「代数」なるものは、一切公式言及のないものですので採用には反対します。 --ねこぱんだ会話2024年12月29日 (日) 02:14 (UTC)返信
    • Wikipedia:記事名の付け方には別名併記できない例として
>×「World Wide Web (WWW)」 → ○「World Wide Web」
>×「レインボーブリッジ (東京港連絡橋)」 → ○「レインボーブリッジ」
とあり、間に半角スペースを入れてから半角括弧内に別名を入れられているため、曖昧さ回避として別名が併記されているものは不可だとなっているようです。この節では候補として小錦八十吉 (6代)を小錦八十吉 (KONISHIKI)に改名する案が出ていますが、記事名にこういった芸名などと本名を併記することが認められるということでしょうか。--図書助会話) 2024年12月29日 (日) 06:59 (UTC)--図書助会話2024年12月29日 (日) 07:07 (UTC)返信
ねこぱんださんがおっしゃるようにその規定は曖昧さ回避に適用されるものではないとみられます。なぜなら「括弧内に別名を併記しない」というガイドラインは「Wikipedia:記事名の付け方」の初版からあるように曖昧さ回避よりも古い規定であるからです。これは重複記事の発生やリンクのしにくさを避けるために、無用な括弧が記事名に付けられるのを防ぐ規定でしょう。この規定は記事名に括弧をつけないという原則に関するものであり、その例外として括弧を付ける場合である、曖昧さ回避の場合に括弧内をどうするかという問題には関わらないと思われます。--こやまひろ会話2024年12月31日 (火) 00:17 (UTC)返信
Wikipedia:記事名の付け方には不要な括弧によって重複記事を避けたりリンクがしにくくなってしまうからとはなく「記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。」なので今となっては曖昧さ回避にも適用されるようなことなっているのではないでしょうか。先にも書きましたが小錦八十吉 (KONISHIKI)のような本名と芸名を併記する記事名が可能なのかということも、お聞かせ願えればと思います。--図書助会話2024年12月31日 (火) 07:49 (UTC)返信
ウィキプロジェクトでは正式名称とは異なる記事名をつけることが合意されることもあるように、Wikipedia:記事名の付け方に記述されたガイドラインの例外となるような、分野内だけに適用される合意を形成することが認められております。したがって、プロジェクト:相撲において「曖昧さ回避の括弧内には別の芸名・四股名を用いる」という合意を形成すれば括弧内に芸名を入れることは問題がないと考えます。 --こやまひろ会話2025年1月1日 (水) 01:13 (UTC)返信
とりあえず表は編集前のソースをコピーし、手動で差し戻しました。--Sdfvista7会話2024年12月29日 (日) 08:39 (UTC)返信
ついでに「第〇代大関」による曖昧さ回避に取り消し線を引き、生年・前名による曖昧さ回避候補や備考欄の記述も若干追加しました。そうなると、下の名前を含む四股名としての代数以外での曖昧さ回避の候補は、「(横綱)」、「(大関)」(第○代大関は一切公式言及のないものなので不可)・「(前名)」・「(○年生)」・「(最高位を記録したときの元号)」となり、その優先順位を議論する必要がありますね。--Sdfvista7会話2024年12月29日 (日) 09:05 (UTC)返信
今また代数による曖昧さ回避を見つけましたが、議論対象の四股名(上表)に「大鳴門灘右エ門」を追加しました。--Sdfvista7会話2024年12月31日 (火) 08:20 (UTC)返信
「大鳴門灘右エ門」では実際にそうなっていますが、前名を用いる場合は重複の可能性があることが難点ですね。前名を持たない可能性もあることですし。生年を用いる場合は不明なことがあるのが難点です。最高位を記録したときの元号にも重複する場合があり、「両國梶之助」がそうです。2つ以上の方式の併用は避けられませんが、重複を回避し近代以降の力士を優先する観点からは、生年を第一順位とするのが良いと思われます(現に生年を用いる記事が多く改名が減らせるのもメリット)。--こやまひろ会話2025年1月1日 (水) 01:33 (UTC)返信

この位置に書きますが、プロジェクトで示される記事の書き方に方針やガイドラインとそぐわない文言を入れるのは一般的には避けるものです。正式名称と異なるものを使うというのは略称や通称を採用する場合は珍しくありませんが、別名併記不可を適用しない特殊ルールを設けるのはレアケースではないでしょうか。小錦八十吉 (6代)の場合は現役引退後にKONISHIKIを使っていましたが2010年から主に四股名及び本名と同一の小錦八十吉として活動しています。公式サイトでも小錦八十吉です。力士として15年、引退後に14年使っている小錦八十吉と、長くみても12年ほどのKONISHIKIでは期間が倍違います。それからするに、芸名と併記しない記事名が合っていると考えます。--図書助会話2025年1月3日 (金) 14:00 (UTC)返信

曖昧さ回避の優先順位は、これを原則とするのはどうでしょうか。
  • 同名の(有名な)力士が複数いるケースのうち、その全員について代数の出典のあるものは、代数を採用する。全員が歴代横綱であるケースの梅ヶ谷藤太郎(初代・2代)・西ノ海嘉治郎(初代 - 3代)・若乃花幹士(初代・2代)と、全員が歴代横綱であるケース以外では、谷風梶之助(初代・2代)と朝汐太郎/朝潮太郎(初代 - 4代)が該当。
  • 同名の横綱が1人のみの場合は(横綱)とする。同名の最高位大関の力士が1人のみの場合は(大関)とする。
  • その他の場合は、生年→前名(プロジェクト内での合意形成により可となれば)→最高位を記録したときの元号の優先順位で曖昧さ回避とする。
  • 以上のどの方法も通用しない場合は、そのような事態には実際には遭遇していませんし、今後も滅多に遭遇しないだろうとは思いますが、関脇以下の最高位を用いたり、もしくは最終手段的なものとしては(****年**月場所〇〇(最高位)在位)といった記述を曖昧さ回避として採用するようなことなども考えられますが、そうなったらその都度議論すればよいかと。
というわけで、検討が必要な事項は、次に示す辺りかと。

記事名の議論なので日常の会話とは別なのはわかるのですが、たとえば会話レベルだと、「若三杉の若乃花」とか「長岡の朝潮」とか「ジェシー高見山」とかいって区別するわけです。そうしたことからいうと、図書助さんの意見にはどうしても納得できないところがあります。小錦さんにしても、現在の本名は日本に帰化したときに力士名を本名としたところからくるのですから、ローマ字表記の芸名を記事名にされるのは違和感あります。 --ねこぱんだ会話2025年1月4日 (土) 00:41 (UTC)返信

一般的に力士の四股名の曖昧さ回避について、カッコ内に前名その他の別名を入れて併記形式にすることの是非は、まだ結論が出ていないようですが、これまでの議論から見るに、芸名「KONISHIKI」を持つ小錦八十吉 (6代)(前述のケース(B))のケースに関しては、消去法的に小錦八十吉 (1963年生)とするのが無難でしょうね。彼は「小錦八十吉」として唯一の最高位大関の人物なので(大関)もいけそうですが、横綱の小錦八十吉 (初代)が番付上は大関であることからすると、「谷風梶之助」と同様のケースで、(大関)もやめた方がいいと思います。ただ「境川浪右衛門」も同様のケースですが、こちらは境川浪右衛門 (大関)(未作成ページ)が横綱の境川浪右衛門との区別のために「大関境川」と呼ぶ出典があるので、境川浪右衛門 (大関)でもいけるのではないかと。そうすると他2人の「小錦八十吉」は、前述の原則案からすると小錦八十吉 (初代)小錦八十吉 (横綱)小錦八十吉 (2代)小錦八十吉 (1887年生)となります。小錦八十吉 (2代)については前述のケース(A)に当たるので、代数のままとするかどうかの検討が残っていますが、今考えると同一四股名の複数の力士のうち一部の力士しか代数の出典がない場合、その力士にだけ代数を採用するとちょっと不自然な感じですので、ケース(A)では代数は採用しない方がいいかと。--Sdfvista7会話2025年1月5日 (日) 12:02 (UTC)返信
現状代数による曖昧さ回避がなされている四股名として、上表の議論対象の四股名に「海山太郎」を追加しました。とりあえず生年を改名候補にしています。--Sdfvista7会話2025年1月5日 (日) 16:38 (UTC)返信
原則についてはSdfvista7さんの提案に賛成です。検討事項については、
  • (A) - 同名の項目間では曖昧さ回避の方法は揃えるのが望ましいことから、一部の力士しか代数出典がない場合は避けた方が良さそうです。ただし、2名しか存在しないことが明らかで、一方が「2代」だと分かっているならば、他方が初代であることは明らかとみて、(初代)(2代)による曖昧さ回避もあり得なくはないと思います。「小錦八十吉」「四ツ車大八」などは全体で何人いるかも分からないので、代数は用いないのが無難だと思います。
  • (B) - 小錦八十吉 (6代)については代数が不明確であることから改名の必要があり、上記原則に従えば「小錦八十吉 (1963年生)」となることと思います。もちろんWP:CRITERIAの「曖昧でない」を重視して「KONISHIKI」とすることも考えられます。「小錦八十吉 (KONISHIKI)」は括弧内が四股名ではなく、上掲原則に従っても選択肢には上がらないこととなります。それ以外のケースは原則に従った選択肢の中から最も適切なものを個別に議論の上決定すれば済むので、原則には影響することはないように思います。
  • (C) - 括弧を付けない場合は代表的なトピックにあたるかどうかという個別議論次第かと思います。鏡岩濱之助は同名の大関がいるため代表的なトピックと言うのは難しいでしょうが、境川浪右衛門や不知火光右衛門は横綱のため代表的なトピックとすることに問題はないと思います。小柳常吉は大関なので微妙なところですが、代表的なトピックにあたるかは階級だけでなく在位期間や他の活動による知名度にも影響されるため、ガイドライン化は難しく、個別の議論によるしかなさそうです。
  • (D) - 上記原則が採用されれば、その原則通りに両國梶之助も改名するのが妥当だと思われます。もし現在の記事名のまま改名しないのが適切であるならば、原則の曖昧さ回避の方法には順位をつけずに「代数、生年、前名、最高位を記録した元号のいずれかのうち、出典によって確認でき重複が生じないものを曖昧さ回避とする」という原則にすることになるでしょう。--こやまひろ会話2025年1月7日 (火) 14:21 (UTC)返信

2人の海山太郎についてはわたしが改名したのですが初代と2代が使われている以下の出典があったのが、その記事名にした理由です。

ねこぱんださんへの返信になりますが、話し言葉で前名や本名で区別することがあるから曖昧さ回避に使えるではないでしょう。ガイドラインを踏まえると出身地や所属部屋(ただしこちらは現役中にいたことがあるのが1部屋のみの場合)にした方がまだいいかと。小錦八十吉 (6代)を改名するなら小錦八十吉 (1963年生)が無難だと思います。--図書助会話2025年1月7日 (火) 20:43 (UTC)返信

そういえば同名の大関以上が複数人いる場合は最高位が大関の人物は(第○代大関)にするという提案は忘れられている気がしますが?--Takagu会話2025年1月8日 (水) 11:18 (UTC)返信
上の表で、先に書いた原則で優先順位の低い候補などに一通り取り消し線を引いてみましたが、出典のある代数・(横綱)・(大関)・生年で対応できないケースで、かつ先に書いた原則で前名となるケースとなると、真鶴政吉 (5代)(→真鶴政吉 (荒鹿))ぐらいしか残りません。ただこれについても、カッコ内の別名併記不可のガイドラインが曖昧さ回避にも適用されるという主張が図書助さんから出ていますが、もしそうなら最高位時の元号による真鶴政吉 (安政)の改名候補が残っています。それと、上の表の更新内容として他に、「海山太郎」を代数出典ありとして改名不要としたのと、現状で前名による曖昧さ回避となっていて議論のある「両國梶之助」の3記事と、現状で元号による曖昧さ回避となっているが生年で対応できる「嚴嶋関右エ門」の2記事を追加しました。また(第○代大関)については、大関の代数の公式言及がないのでねこぱんださんから反対意見が出ています。--Sdfvista7会話2025年1月8日 (水) 13:26 (UTC)返信
嚴嶋関右エ門 (天保)については、天保のときに新入幕を記録していますが、最高位を記録したのは天保ではなく弘化でした。--Sdfvista7会話2025年1月8日 (水) 14:11 (UTC)返信
この先議論がまとまっていざ改名(移動)作業に取り掛かろうとなった場合ですが、改名候補のうち平ノ戸三之助 (初代)平ノ戸三之助眞鶴政吉真鶴政吉についてはリダイレクトがある状態ということもあるのですが、今よく見てみると、小錦八十吉 (1963年生)への改名が確定的な小錦八十吉 (6代)について、Taisyoさんにより度重なる荒らしの対策として無期限の移動保護となっていることにも気づきました。--Sdfvista7会話2025年1月8日 (水) 15:46 (UTC)返信
あと、未作成ページの1894年5月場所に最高位の前頭16枚目を記録した「両國梶之助」(相撲レファレンスID:3532)についてですが、生年も不明でかつ最高位を記録したときの元号も明治で、両國梶之助 (梅ヶ枝)両國梶之助 (國岩)も明治時代に最高位を記録しているところからすると、先に述べた原則では前名(改名歴は黒猫→大則戸→両國)しか使えないところで、前名ならば両國梶之助 (大則戸)とすんなり決まるところですが、もし前名が不可となれば、図書助さんの提案する出身地・所属部屋ということで、出身地の両國梶之助 (茨城県)辺りが妥当なところかと。--Sdfvista7会話2025年1月9日 (木) 17:11 (UTC)返信
大則戸から改名した両國梶之助についてですが、相撲レファレンスの書いている茨城県結城市出身という説の信憑性がはっきりしないのですよね。『日本相撲史』中巻p.131には栃木県生まれとあり、番付には「野州」と記載されています(古い番付では他の多数の下位力士同様「東京」とあるものもある)。茨城県結城市は旧下野国に隣接しているためかつて下野国、現在結城市域となっている地域の出身の可能性もありますが、そのような地域が実際に存在するのかはっきりせず、茨城県結城市出身というのを素直に信用していいものかは微妙だと思われます。--こやまひろ会話2025年1月12日 (日) 10:00 (UTC)返信
というわけで、大則戸から改名した両國梶之助のページ名(作成するとすれば)について、前名が不可だった場合の曖昧さ回避候補については、両國梶之助 (茨城県)に代えて、所属部屋の両國梶之助 (伊勢ヶ濱部屋)、最高位の両國梶之助 (最高位前頭16枚目)、及び最終手段的な両國梶之助 (1894年5月場所前頭16枚目在位)を挙げました。--Sdfvista7会話2025年1月12日 (日) 11:52 (UTC)返信
まとまりかけたところで申し訳ありませんが、大坂相撲には「真鶴政吉」という大関が複数いたようです。真鶴政吉はもと四ツ車久吉を名乗り、明治5年から大関を勤めましたが、彼が引退して朝日山を名乗った後、鶴ヶ濱が真鶴政吉に改名し明治18年に西大関となり明治26年に引退しています。(『大相撲年代鑑 前編』)四ツ車久吉から改名した真鶴政吉は天保12年(1841年)生まれとの出典があります(『日野郡史 下巻』)。真鶴政吉を名乗った力士は上記2人と真鶴政吉 (5代)以外に稲出川政吉の名で寛政6年から大坂相撲、寛政8年から江戸相撲でとり真鶴に改名後文化元年に入幕、最高位は江戸で関脇、大坂で大関を記録した人物と、青柳与作から真鶴政吉に改名し、天保13年から弘化4年まで江戸で相撲をとり二枚目まで昇り、同年から嘉永元年まで大坂で相撲をとった人物がいます(『相撲の史跡』5、p.7)。--こやまひろ会話2025年1月15日 (水) 12:00 (UTC)返信
というわけで、眞鶴政吉の改名候補を、真鶴政吉 (大関)に代えて真鶴政吉 (1841年生)とし、更に若干表を更新しました。とりあえず番付上大関の横綱と、横綱免許なしの大関がいるケースは、統一性のこともあって後者に(大関)を採用しないことにしました。
現時点では多くのページについて改名の要否が定まり、改名が必要であればその候補も1つに定まり、曖昧さ回避が必要な未作成ページ(赤リンク)についてもそのページ名候補が定まったようですが、まだ結論が出ていないものが以下です。

--Sdfvista7会話2025年1月15日 (水) 15:51 (UTC)返信

とりあえず今のところは「同名の力士のうち横綱に昇った唯一の力士以外は代表的なトピックとみなさず、平等な曖昧さ回避とする」「記事名は最終的に名乗った四股名または最高位に昇った時に名乗った四股名のいずれかを用いる」こととし、個別に改名の必要があれば後日また提案していただくことでひとまずの解決とするのがベターだと思います。そうすると
という具合になると思います。
--こやまひろ会話2025年1月16日 (木) 11:59 (UTC)返信
というわけで、既存の力士ページの改名案については、これを最終案としてよろしいでしょうか。

このうち小錦八十吉 (6代)( → 小錦八十吉 (1963年生))については移動保護がかかっていますがどうしましょうか。--Sdfvista7会話2025年1月16日 (木) 16:55 (UTC)返信

私からは異論はありません。出典なしの代数による曖昧さ表記から、出典にもとづく曖昧さ回避となり改善されたと思います。
ここまでの合意の内容、特に「出典がない場合には代数を曖昧さ回避としない」点は重要であるため、プロジェクトの合意内容として明記するのが望ましいと考えます。また、以下の点については今のところは合意を形成せずとも上掲記事名には影響がないものの、現状合意が形成されていないものとして今後記事が新たに立項される際は課題となりうると思われます。
  • 前名による曖昧さ回避の可否。(※問題となる両國梶之助は未立項)
  • 大坂相撲の大関に(大関)を付すことの可否。(※真鶴政吉は複数存在したため問題にならなかった)
  • 同名の横綱と大関が存在する場合、大関は(大関)とするのか。(※谷風梶之助と朝潮太郎は代数による曖昧さ回避となり、不知火光右衛門、鳳谷五郎、境川浪右衛門は未立項)
--こやまひろ会話2025年1月21日 (火) 03:25 (UTC)返信
  • 大関の記事を見る限り「第○代大関」という概念があるので同名の大関以上がいる場合は「第○代大関」というあいまいさ回避も可能ではないかと思っていましたが、実は代数は現存する最古の番付を起点にした便宜上のものだったことも留意すべきでしたね。大坂相撲の大関は(大阪相撲の大関)を曖昧さ回避にしてもよい気もしますが…。--Takagu会話2025年1月21日 (火) 03:57 (UTC)返信
先に述べた41件の既存の力士ページの改名(移動)先が決定しましたので、いざこれらのページを改名(移動)する作業の実行に取り掛かろうということなのですが、この議論が行われているページは通常の改名提案が行われる標準名前空間のページに対応するノートページではなく、プロジェクトページに対応するノートページです。それでもこの議論には改名提案のような意味も含まれているということでよろしいでしょうか。ならば小錦八十吉 (6代)の移動保護解除依頼も提出しようかと思います。--Sdfvista7会話2025年1月21日 (火) 14:57 (UTC)返信

ごくろうさまでした。改名提案のページで、議論はこちらというようにしておいたほうが、あとからの混乱はないと思います。 --ねこぱんだ会話2025年1月21日 (火) 23:00 (UTC)返信

改名作業の実行準備として、とりあえずWikipedia:保護解除依頼小錦八十吉 (6代)の移動保護解除依頼を提出しました。--Sdfvista7会話2025年1月22日 (水) 15:44 (UTC)返信
一連の改名作業が完了しました。このうち待乳山楯之亟 (3代)については、改名作業の最中に1862年が生年ではなく没年であったことに気づき、かつ生年不明のため、待乳山楯之亟 (万延)に移動しました。--Sdfvista7会話2025年1月24日 (金) 16:46 (UTC)返信
  コメント 待乳山楯之亟については、1861年(文久元年)10月場所(新入幕)および1862年(文久2年)2月場所で西前頭8枚目で番付に載っているのが最高位ですので、最高位を記録したときの元号による曖昧さ回避の場合待乳山楯之亟 (文久)が適切だと思われます。(※文久元年への改元は万延2年2月(1861年3月)) --こやまひろ会話2025年1月24日 (金) 17:19 (UTC)返信
ご指摘ありがとうございます。それを受け、更に待乳山楯之亟 (文久)に移動しました。--Sdfvista7会話2025年1月24日 (金) 21:12 (UTC)返信

追記提案

編集

以上の議論による合意を文書化したものとして、以下の内容をプロジェクト:相撲に追記することを提案します。

力士の記事名の付け方
  • 一般的な原則についてはWikipedia:記事名の付け方プロジェクト:スポーツ人物伝#記事名を参照してください。相撲力士としての経歴がある人物でも、他の活動によって知られている場合には、四股名・本名・芸名などのうち一般によく知られている名前を記事名としてください。
  • 四股名を記事名とする場合には、フルネームで、スペースなどを入れずに記します。
  • 四股名に変遷がある場合は、現役力士であれば現在の四股名、引退力士であれば最高位を記録した時点の四股名や引退時の四股名など、一般によく知られているものを採用してください。
  • 曖昧さ回避の方法は、以下の4つの方法を用いることができます。これらの曖昧さ回避は、1から4の順で優先されます。以下の方法による曖昧さ回避では不充分なケースについては、新規項目を立てる前にプロジェクト‐ノート:相撲で議論を提起し、合意を得てください。
  1. (○代) - 代数による曖昧さ回避。出典によって代数が確認できる場合のみ用いてください。
  2. (横綱) / (大関) - 同名の力士のうち横綱・大関に昇進した人物が一人のみの場合に用いてください。
  3. (○年生) - 生年による曖昧さ回避。
  4. (元号) - 最高位を記録した時の元号による曖昧さ回避。

--こやまひろ会話2025年1月30日 (木) 01:47 (UTC)返信

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